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第10話:作戦会議
しおりを挟む冬の嵐が吹き荒れる夜だった。秘密基地の窓の外では、風がヒューヒューと唸り声を上げ、ガラス戸をガタガタと揺らしている。その音は、まるで世界の不穏さを増幅させているかのようだ。街は深い闇に沈み、遠くに見える街灯の光も、この嵐の中では頼りなく瞬いているだけだった。外を歩く人の気配もなく、ただ風が吹き荒れる音だけが響いている。凍てつくような冷気が窓の隙間から忍び込み、秘密基地の内部にまでその冷たさを運んできていた。
秘密基地の作戦会議室は、鉛のように重い空気に満たされていた。白石がプロジェクターに映し出されたディスパイアラー本拠地の詳細なマップを指しながら、厳しい表情で説明を続けている。
「…偵察結果から割り出したディスパイアラーの本拠地への侵入経路は、現状、この三つが最も現実的と考えられます。しかし、どの経路も、敵の防衛網が極めて強固であり、まともに突入すれば、甚大な被害は避けられないでしょう」
白石の声は、いつも以上に感情が抑えられている。それは、彼の言葉が持つ「絶望」の重さを物語っていた。
マップ上には、赤い点が無数に点滅している。それは全て、ディスパイアラーの反応を示している。その一つ一つが、俺たちの命を奪う可能性がある怪物なのだ。
「これまでの我々の戦力では、まともにぶつかれば…全滅は免れません」
白石が、淡々と結論を告げた。その言葉が、凍てついた会議室の空気を、さらに冷たくする。
凛さんは、黙って腕を組み、険しい表情でモニターを見つめている。咥えタバコは唇の端に挟まれたままだが、火はついていない。
剛田さんは、悔しそうにテーブルを叩いた。ダン、と鈍い音が響く。
「クソッ…! こんな化け物ども相手に、どうしろってんだ…!」
静さんは、顔を伏せ、膝を抱え込むように体を丸めていた。彼女の肩が、微かに震えている。
リリは、スマホの画面をじっと見つめているが、その目に光はない。いつもの陽気な声はどこにもない。
「これじゃあ、自殺行為だ…」
誰かが、絞り出すように呟いた。
会議室全体が、深い絶望と焦燥感に包まれていた。窓の外の嵐の音が、その感情をさらに増幅させているかのようだ。
俺は麗華様の隣に座り、その横顔を盗み見る。麗華様もまた、深く沈み込んでいるのが分かった。その瞳の奥には、不安と、かすかな諦めのような色が揺らいでいる。麗華様が、こんなにも悩んでいる。俺の脳内お花畑は、全力で麗華様を笑顔にする方法を探しているが、この状況では、お花畑フィルターも若干出力が落ちている気がした。
(どうしよう…麗華様が、あんなに不安そうな顔してる…俺、何かできないかな…)
俺は、会議の邪魔にならないように、そっと椅子を立った。そして、会議室の隅にある給湯スペースへと向かった。
こんな時だからこそ、温かいものでも飲んで、一息つけば、少しは気持ちが楽になるかもしれない。麗華様も、少しは落ち着いてくれるだろうか。
俺は、電気ポットに水を入れてスイッチを押し、茶葉を選び始めた。麗華様が好きな、少し甘い香りのするハーブティーがいいだろうか。いや、こんな時だからこそ、心を落ち着かせる香りがいいかもしれない。俺は、麗華様の部屋で淹れてもらった紅茶の香りを思い出した。あの、上品で甘い香り。
(あ、麗華様の部屋の匂いがする…落ち着くぅ~)
俺の脳内は、再びお花畑モードに移行し始めた。周囲の重苦しい空気や、絶望的な作戦会議のことは、一時的に頭から消え去っている。ただひたすらに、麗華様のために、心を込めて紅茶を淹れることだけに集中する。それは、周囲の負の感情の渦から完全に切り離された、まるで「正念」の状態だった。焦燥感や不安といった雑念が消え去り、ただ目の前の行為に意識が集中する。
カチャカチャ、とカップとソーサーが触れ合う音。湯が沸騰するシュー、という音。茶葉から立ち上る、優しい香り。それらは全て、俺の心を落ち着かせ、一点に集中させていった。
紅茶が淹れ終わると、俺はトレイに人数分のカップを乗せて、作戦会議のテーブルへと向かった。
「あの、皆さんも、少し休憩しませんか? 温かい紅茶、どうぞ」
俺の声は、会議室の重苦しい沈黙を破り、皆の視線が俺に集中した。
白石は、俺の手にある紅茶を見て、訝しげな顔をした。
「田中君…このような状況で、何を…」
「えへへ、休憩も大切ですよ! 麗華様のために、心を込めて淹れましたから!」
俺は、麗華様に一番先にカップを差し出した。麗華様は、少し驚いたように、しかし、その瞳に微かな光を宿らせて、それを受け取った。
「ありがとう、田中君」
彼女の声は、どこか優しい響きがあった。
皆が、戸惑いながらも、俺が差し出した紅茶を手に取った。
剛田さんが、ゴクッと一口飲む。
「…ふぅ。なんだか、ホッとするな」
リリが、唇を尖らせながら紅茶を啜る。
「マジ無理ゲーって感じだったけど、これ、ちょっと落ち着くかも~」
静さんも、震える手でカップを口元に運び、温かい紅茶をゆっくりと飲んだ。彼女の顔色が、少しだけ和らいだように見えた。
その温かい紅茶は、皆の心に、一瞬だけ、穏やかな安らぎをもたらした。まるで、凍りついた湖面に、小さな波紋が広がっていくように。
白石もまた、俺が淹れた紅茶を飲んでいた。彼は、紅茶を飲みながら、俺の顔をじっと見つめる。そして、紅茶を置くと、再びタブレットに目を落とし、何かを高速で打ち込み始めた。
「…田中君」
白石の声が、会議室に響いた。その声には、先ほどまでの絶望の色は消え、興奮と、探求心が入り混じったような響きがあった。
「君の、その…無心な行動が、私の思考を整理させた」
俺は、きょとんとした。俺、何かしたっけ?
「君は、この状況下で、意識的に『今』に集中していた。周囲の負の感情の渦に流されず、ただ目の前の『紅茶を淹れる』という行為に没頭した。これは、精神統一、つまり『正定』に至るための『正念』のプロセスだ」
白石は、眼鏡のブリッジをクイッと上げ、早口で説明する。
「その結果、君の脳内は、極めてクリアな状態にあったはずだ。余計な情報や感情に邪魔されず、純粋な『思考』ができる環境が、君の無意識下で作り出されていた」
そして、白石は、モニターに映し出されたディスパイアラーの本拠地のマップを指差した。
「私だ。私の思考も、君の行動に触発された。我々は、この巨大なディスパイアラーのネットワークを、単純な力押しで攻略しようとしていた。だが、それは複雑系における誤ったアプローチだ」
白石の言葉に、凛さんが身を乗り出した。
「どういうことだ、白石」
「ディスパイアラーのネットワークは、確かに強固だ。だが、それは一つの巨大な『システム』として機能している。複雑系は、個々の要素の単純な性質からは予測できないような、複雑な振る舞いが全体として現れる。しかし同時に、その複雑なシステムには、ごく小さな『ルール』や『環境』の変化で、全体の振る舞いを大きく変えることができる『脆弱性』が存在する」
白石は、画面のある一点を指差した。
「我々がターゲットとすべきは、ディスパイアラーの数を減らすことではない。このネットワーク全体の『構造』そのものを、破壊することだ。彼らの行動を規定する、ごく小さな『ハブ』、あるいは『フィードバックループ』を断ち切る。そうすれば、全体が機能不全に陥る可能性がある」
白石の顔には、確信の色が浮かんでいた。
それは、これまでのような力押しではなく、精密な連携と、システムの理解が求められる、複雑系ならではのアプローチだった。彼の瞳は、もはや絶望の色を宿してはいなかった。
麗華様は、そんな白石の言葉を聞きながら、俺の方を見た。
俺は、相変わらず「やった! 俺が淹れた紅茶で皆が元気になった!」と、心の中で歓喜している。
麗華様の瞳には、驚きと、そして、深い感動が宿っていた。
(田中君…)
絶望的な状況で、太郎がもたらした、思いがけない突破口。彼の、何気ない、しかし純粋な行動が、チーム全体に新たな可能性を与えた。
(彼が…単なる『脳内お花畑』ではない…)
麗華様の心の中で、太郎への評価が、根本から覆り始めていた。
「田中君…やっぱり、あなたは…」
麗華様は、小さく呟いた。その声は、感謝と、そして、深い尊敬の念に満ちていた。
俺は、麗華様が俺の名前を呼んでくれただけで、脳内お花畑が最高潮に達し、顔がニヤけてしまうのを必死で堪えていた。
窓の外の嵐は、まだ吹き荒れている。
だが、会議室の中には、微かな、しかし確かな希望の光が差し込み始めていた。
それは、太郎の無垢な心が、暗闇に光をもたらした、一つの奇跡だった。
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