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第13話:太郎の奇跡と、麗華の「愛」
しおりを挟む雪が深々と降り積もる、静謐な夜だった。ディスパイアラーの本拠地内部は、外部の嵐とは隔絶された、しかし異質な輝きに包まれていた。まるで、この世のものではない、どこか別の次元に迷い込んだかのような錯覚を覚える。壁面を覆う粘液質の物質からは、青白い燐光が放たれ、それが無数の「繭」を不気味に照らし出している。その輝きは、まるで深海の生物発光のように、静かで、しかし全てを飲み込むような不穏さを孕んでいた。空気はどこか甘く、しかし腐敗したような、混じり合った奇妙な匂いが充満している。足元を踏みしめるたびに、粘液がヌチャリと音を立てた。
「田中君! 危ない!」
麗華様の悲鳴が、響き渡った。
白石の導き出した作戦に従い、俺たちはディスパイアラーのネットワークの「核」へと向かっていた。だが、その途中で、予想外の数のディスパイアラーが俺たちを襲った。凛さんの指揮のもと、剛田さんとリリが前衛で敵を食い止め、静さんが後方で支援に回る。麗華様と俺は、白石の指示に従い、核への最短経路を進んでいた。
その時だった。巨大なディスパイアラーが、麗華様の背後から襲いかかった。麗華様は間一髪でかわしたが、その隙に、別のディスパイアラーが、白石が指し示した「核」への唯一の通路を塞ぐように立ちはだかった。
「くそっ、このままじゃ時間が…!」
凛さんが叫ぶ。皆の顔に焦りの色が浮かぶ。
俺のアーティファクトは、核から流れ出す膨大な情報に反応して、激しく脈打っていた。その情報の洪水の中で、俺の脳内には、核への「最短経路」が、まるで光の道のように見えていた。だが、そこは、今、最も危険な場所だ。
(ここだ! ここからなら、麗華様が核にたどり着ける!)
俺の「勘」が、俺の体を突き動かした。
「麗華様! 俺に任せてください!」
俺は、麗華様の制止を振り切り、一人でディスパイアラーの群れの中に飛び込んだ。
「田中君!? 何を考えているの!?」
麗華様が、悲痛な叫び声を上げた。だが、俺の耳には、その声は届かない。俺の意識は、ただひたすら「麗華様を核へ」という一点に集中していた。
「危ない! 田中君!」
麗華様の叫びが、こだまのように響く。だが、俺は振り返らない。
ディスパイアラーの群れが、俺に襲いかかる。その触手や爪が、俺の体をかすめる。痛みを感じる暇もない。俺の脳内お花畑は、最高のBGMを鳴り響かせ、高速で脳内の情報を処理している。
(麗華様が、俺のために叫んでる! ヤバい! 尊い! これならどこへでも行ける!)
俺は、ディスパイアラーの攻撃を、まるで紙一重でかわしながら、奇跡的な速度で核へと向かう通路を駆け抜けた。その動きは、もはや人間のそれではない。
「田中君…! いかないで…!」
麗華様の叫び声が、遠ざかっていく。彼女は、無我夢中で俺を追いかけようとするが、目の前のディスパイアラーの群れが、それを阻む。
麗華様は、俺が危険に晒されていることに絶望し、その場に立ち尽くしていた。俺の姿は、既に通路の曲がり角を曲がり、彼女の視界から消えていた。
(まさか…このまま…田中君を失ってしまうなんて…)
その思いが、麗華様の心臓を鷲掴みにした。俺と彼女は、命を共有している。俺が死ねば、彼女も死ぬ。その事実が、氷のように冷たく、彼女の脳裏を駆け巡った。それは、自分の命が、今まさに削られていくかのような、強烈な恐怖だった。
「私が…私が守らなきゃ…!」
その瞬間、麗華様の心の中で、何かが弾けた。
太郎への「愛」。
それは、これまでの「尊敬」や「感謝」とは全く異なる、より深く、より根源的な感情だった。彼の純粋な心。どんな状況でも揺るがない、あのブレない明るさ。自分を命懸けで守ろうとしてくれた、あの温かい手。
彼を失う恐怖が、彼女の内に秘められた、最も強大な感情を呼び起こしたのだ。
(田中君…あなたを、絶対に失わない…!)
彼女は、太郎への「愛」が、自分をこれほど強く突き動かすことに気づいた。それは、自己犠牲的な感情ではなく、相手の存在そのものを慈しみ、守りたいと願う、純粋な「愛」だった。麗華様は、震える手で剣を握りしめ、太郎の後を追うべく、ディスパイアラーの群れへと飛び込んだ。その瞳には、もはや恐怖はない。ただ、太郎を救うという、燃えるような決意だけが宿っていた。
俺は、ディスパイアラーの核へと続く、最後の通路を駆け抜けた。
目の前に現れたのは、巨大な「核」だった。脈動するその塊からは、無数の光の糸が伸び、周囲の「繭」と繋がっている。そして、その繭からは、膨大な過去の記憶と、それが生み出す「苦しみ」の連鎖が、映像となって空間全体に映し出されていた。
それは、ディスパイアラーたちの、人類が抱えるあらゆる苦しみの集合体だった。絶望、悲しみ、憎悪、後悔、孤独、痛み。それら全てが、嵐のように俺の脳内に流れ込んでくる。
だが、俺はそれに飲み込まれない。
(大丈夫。だって、全部もう終わったことだから)
俺の心は、完全に落ち着いていた。過去の出来事も、そこで生じた「苦しみ」も、全ては「既に終わったこと」であり、実体はない。だから、それらに心を奪われることはない。未来への不安もない。俺の意識は、「今、この瞬間」に集中している。
(うわぁ、マジで凄い苦しみだ…でも、麗華様と一緒なら、この苦しみも、乗り越えられるんだ!)
俺の脳内お花畑は、どんな苦しみも、麗華様への「愛」で浄化し、幸福へと変換する。この究極のポジティブ思考こそが、俺を、どんな負の感情からも守っていたのだ。
俺は、核の中心へと歩み寄った。
その瞬間、俺の胸元のアーティファクトが、激しく光り輝いた。
核から流れてくる膨大な苦しみの情報と、光の粒子が、俺のアーティファクトに吸い込まれ始める。それは、まるで飢えた獣が獲物を貪るように、しかし静かに、そして吸い込まれていくたびに、核の脈動が弱まっていく。
そして、それは奇跡的な融合だった。
麗華様が、かつて落としたあの銀色のペンダント。あの白い宝石が、俺のアーティファクトと共鳴し、核から流れてくる苦しみの情報を、純粋な光のエネルギーへと変換し始めた。
俺のアーティファクトが、ディスパイアラーの核と奇妙な「共鳴」を起こし、その力を無害化し始めたのだ。それは、まさに、複雑に絡み合った鎖の、最も弱い部分をピンポイントで突いた結果だった。太郎の「勘」が、最後に起こした奇跡。
俺の行動により、ディスパイアラーたちは、一瞬にして力を失った。
核から伸びていた無数の光の糸が、プツリ、プツリ、と音を立てて切れ始める。
周囲の繭から放たれていた映像も、次第に薄れていく。
ディスパイアラーたちは、悲鳴も上げずに、静かに、光の粒子となって昇華していく。彼らの体は、苦しみから解放され、安らかな光となり、空へと舞い上がっていくかのようだった。その光は、凍えるような夜空に吸い込まれ、やがて星々の輝きに溶け込んでいった。
まるで、長い苦しみから解放され、ようやく安らぎを得たかのように。
戦闘が、終結した。
漆黒の闇に包まれていた本拠地内部は、静謐な光に満たされていた。
麗華様が、息を切らしながら、俺の元へと駆け寄ってきた。
「田中君…っ!」
彼女は、無事な俺の姿を見て、安堵の息を漏らした。そして、その瞳からは、止めどなく涙が溢れ出している。
「本当に…ありがとう…」
麗華様は、そのまま俺を強く抱きしめた。
俺は、麗華様の温かい腕の中で、幸福に包まれていた。
(麗華様が…抱きしめてくれた…! 天国!!)
俺の脳内お花畑は、もはや言葉にならないほどの歓喜で満たされていた。
世界の危機を救った、奇跡の夜。
それは、俺と麗華様の「愛」が、確かに結びついた瞬間だった。
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