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第1部:養成所編
第十三話:無人島の悪夢
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ゴオオオオオオオオオオオオオオオオッ――。
腹の底に直接響き渡るような、あるいは骨の髄まで染み渡るような重低音の振動が、巨大な輸送機の機内を絶え間なく支配していた。それはまるで、捕らえられた鋼鉄の巨獣が、その檻の中から必死に呻き声を上げているかのようだった。細かく、それでいて執拗に続くその揺れは、床の金属プレートから、冷たい壁から、硬いプラスチックの座席から、僕の身体の芯を容赦なく揺さぶり続ける。その振動に耐えるだけで、体力が少しずつ、しかし確実に削られていくのが分かった。
一年次最終試験に参加する一年生、総勢二百名。僕たちは今、この無骨な鉄でできた巨大なクジラの腹の中に、まるで飲み込まれたプランクトンのようにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、運命の戦場へと運ばれていく最中だった。
機内は、文化祭前夜の体育館のような、独特の熱気と湿っぽさ、そしてわずかな汗とオイルの匂いで満ち満ちていた。これから始まる過酷なサバイバル試験への、未熟な期待と根拠のない不安。そして、隣に座る友人でさえ蹴落としてでも生き残ってやろうという、剥き出しの闘争心。それらがない交ぜになった感情の渦が、澱んだ空気の中で唸りを上げている。
仲間と身を寄せ合い、囁き声で作戦の最終確認をする者たちのグループからは、時折、乾いた緊張の笑いが漏れる。壁際では、黙々と己の装備であるライフルの銃身を、油を染み込ませた布で何度も何度も磨き上げる、神経質そうな男の姿があった。その金属が擦れる微かな音だけが、彼の世界の全てであるかのように。あるいは、この重苦しい空気に耐えかねたのか、わざと大きな声で下品な冗談を飛ばし合い、無理やり作ったような甲高い笑い声を響かせる者たちもいる。誰もが、それぞれのやり方で、これから始まる非日常という名の現実逃避に、胸を高鳴らせ、あるいは震わせていた。
僕は、そんな喧騒から逃れるように、防弾ガラスがはめ込まれた小さな丸窓から、ただぼんやりと外の景色を眺めていた。僕の視界の端で、誰かが落としたペットボトルのキャップが、機体の振動に合わせてカタカタと小刻みに踊っている。
眼下に広がるのは、どこまでも続く紺碧の海。その深く、吸い込まれそうなほどの青の上に、ぽつりと、しかし圧倒的な存在感を放って浮かぶ、深い緑に覆われた一つの島。あれが、これから一週間、僕たちの教室であり、食堂であり、寝床であり、そして戦場となる無人島だ。
夏の強い日差しが、雲の切れ間から神のスポットライトのように降り注ぎ、穏やかな海面を砕けたダイヤモンドのようにキラキラと輝かせている。そのあまりに非現実的な美しさに、ここが死と隣り合わせの、血と硝煙の匂いがする試験場であることを、ほんの一瞬だけ、忘れそうになった。風の音は、分厚いガラスに遮られて聞こえない。ただ、無音のままに白い波頭が生まれ、そして消えていく様だけが、目に焼き付いていた。
僕たちのチームJは、機体の後方、他のチームが作る騒がしい輪から少しだけ離れた、隅っこの席に固まっていた。まるで、教室の隅でひっそりと息を潜める、目立たない生徒たちのように。
僕の隣に座る剛くん――五十嵐剛(いがらしごう)は、丸太のように太い腕を胸の前で組み、瞑想でもしているのか、あるいはただ熟睡しているだけなのか、その彫像のような巨体をピクリとも動かさない。時折、機体が大きく揺れた時だけ、その閉じられた瞼がかすかに震える。規則正しい、深く静かな寝息だけが、彼がまだ生きていることを証明していた。その鍛え上げられた肉体は、それ自体が既に一つの凶器のような雰囲気を放っている。
通路を挟んだ向かいの席では、玲奈さん――水無月玲奈(みなづきれな)が、真っ白なヘッドフォンで外界の音を完全にシャットアウトし、現実から切り離された自分だけの世界に浸っていた。彼女は窓の外を流れる雲の流れを、まるでそこに何か特別な意味でも見出そうとするかのように、静かに目で追っている。その陶器のように白い横顔は、一切の感情を映し出さず、まるで氷の彫刻のようだ。長い黒髪が、空調の微かな風に揺れ、彼女の頬をくすぐるが、彼女はそれに気づく様子もない。
その後ろの席では、小林くん――小林誠(こばやしまこと)が、いつものように幽霊のように青白い顔で、しきりに自分の胃のあたりをか弱い手でさすっていた。彼の額には玉のような汗が滲み、浅く速い呼吸を繰り返している。時折、僕の方を不安げな、助けを求める子犬のような目で見つめるが、僕はそれに気づかないふりをした。彼にかけるべき優しい言葉を、今の僕は持ち合わせていなかったからだ。
そして僕は、膝の上に置いた最新式のタブレット端末に表示された、僕たちがこれから辿るべき完璧な作戦計画を、もう何度目かも分からないくらい、繰り返し指でなぞりながら確認していた。降下ポイント、ベースキャンプ設営候補地、水場の確保ルート、食料調達の優先順位、予測される敵チームの動き、擬似怪物の出現パターン、天候の変化に応じた代替案……。あらゆる不確定要素を排除し、確率と統計によって導き出された、いわば勝利の方程式。この画面の中にだけ、僕の唯一の自信と希望が存在していた。スクロールする指先が、わずかに汗で湿っている。
「よう、譲(ゆずる)!」
不意に、背後から太陽の匂いがするような、軽やかで屈託のない声と共に、右肩をポンと軽く叩かれた。思考の海に沈んでいた意識が、乱暴に現実へと引き戻される。
振り返ると、そこには、真夏の向日葵のような、一点の曇りもない笑顔があった。
幼馴染の朝倉颯太(あさくらそうた)と、その隣で春の日差しのように優しく、そして少しだけ心配そうに微笑む橘陽葵(たちばなひまり)だった。
彼らが率いるチームは、養成所の中でも特に優秀なエリートたち――アースと呼ばれる能力者たちで固められた、誰もが認める優勝候補筆頭の「チームA」。その身にまとうオーラからして、僕たちのような寄せ集めのチームとは明らかに異質だった。自信と、才能と、そして疑うことを知らない純粋な希望に満ち溢れている。彼らがそこに立つだけで、周囲の澱んだ空気が浄化されていくような錯覚さえ覚えた。
「お前のチーム、この前の合同訓練、評価Aプラスだったんだってな? やるじゃん! あの脳筋ゴリラと氷のお姫様を、よくもまあ手懐けたもんだ!」
颯太が、ニカッと白い歯を見せながら、僕の肩をもう一度、今度は少し強く叩く。バン、という軽い音が響いた。その言葉には、何の悪意も、嫌味もない。ただ純粋な、幼馴染の健闘を称える賛辞だ。だからこそ、その言葉は鋭い棘のように、僕の心の柔らかい部分に突き刺さる。「手懐けた」という言葉の裏に、僕が彼らを力ではなく、小賢しい知恵でコントロールしているだけだという真実を、彼自身が気づかずに暴いている。
「もう、颯太ったら、言い方が悪いよ。それに剛くんも玲奈さんも、すごい人たちなんだから」
陽葵が、颯太の腕を軽くつねりながら、僕をフォローするように言った。そして、僕の方に向き直ると、その大きな瞳を心配そうに細めて、僕の手を両手でぎゅっと握ってくれる。
「でも譲、本当にすごい! あの個性的なメンバーでそこまでやれるなんて、私、自分のことみたいに嬉しいよ!」
心からそう思っているという、嘘のない表情。その手のひらから伝わってくる温もりが、冷え切っていた僕の心に、じんわりと染み込んでいくようだった。
だが、同時に、その温かさは、僕の胸の奥底に澱のように溜まっている、冷たくて暗い何かを、より一層際立たせるコントラストにもなっていた。
(君たちには、分からないだろうな)
僕の心の中で、僕ではない誰かが冷ややかに呟いた。
僕たちは、やっとスタートラインに立てただけだ。幾度となく崩壊しかけたチームを、僕が必死に繋ぎ止め、それぞれの利害を調整し、ようやくマイナスからゼロの地点に戻れただけなんだ。君たちのように、生まれつき与えられた強靭な翼で、何の苦労もなく空を飛ぶ人間とは、見ている景色の高さが、呼吸している空気の濃さが、あまりにも違いすぎる。君たちの足元に広がる美しい雲海は、僕たちにとっては、乗り越えなければならない嵐の雲なのだ。
「ありがとう。二人も、頑張って」
僕は、喉まで出かかったそんな本音をぐっと飲み込み、筋肉を無理やり引きつらせて、精一杯の曖昧な笑みを浮かべてみせた。そう返すことしか、僕にはできなかった。握られた陽葵の手に、そっと力を込めて応える。その一瞬だけ、彼女の笑顔がさらに輝いたように見えた。
『各チーム、降下準備! 降下ポイント、アルファより順次降下を開始する!』
その時、僕たちの短い会話を遮るように、機内にけたたましいブザーの音と共に、感情の欠片も感じられない冷たい合成音声のアナウンスが響き渡った。その瞬間、それまでのざわめきが嘘のように静まり返り、機内の空気が一瞬にして戦闘前の、鉄の匂いがするそれに引き締まる。誰もが口を閉じ、自分の装備を最終確認するカチャカチャという金属音だけが、機内に響いた。
僕たちチームJの降下ポイントは「ジュリエット」。アルファベット順で言えば十番目。二十あるチームの中で比較的後方に位置し、それゆえに他のチームとの序盤の衝突が避けられる、安全とされるエリアだった。僕の立てた作戦は、最初の二日間は戦闘を極力避け、体力を温存しながら、この未知の島の地理と気候に身体を完全に順応させることから始まる。焦りは禁物。サバイバルは、短距離走ではなく、マラソンなのだから。
「よし、行こう」
僕は、颯太と陽葵に軽く会釈して別れると、仲間たちに向かって声をかけた。
僕の声に反応し、剛くんが「んん……」と低い唸り声を上げながら、億劫そうにその巨体を起こす。まるで冬眠から無理やり起こされた熊のようだ。玲奈さんは、音楽の最後の余韻を惜しむように一拍置いてから、静かにヘッドフォンを首にかける。彼女が現実世界に戻ってきた瞬間、周囲の温度が二、三度下がったような気がした。小林くんは、アナウンスを聞いてさらに顔色を悪くし、既に半泣きの状態で僕を見上げていた。
三者三様の表情で、しかし、僕の言葉に無言で頷き返す。不格好で、不揃いで、いつ壊れてもおかしくない。だが、これが今の僕のチームだった。
機体の後部ハッチが、地獄の門が開くかのような轟音と共に、ゆっくりと、しかし確実に開かれていく。眩いばかりの陽光が、暗い機内へと滝のように流れ込み、僕たちの目を焼いた。そして、眼下に広がる雄大な緑の島が、その巨大な姿を完全に現した。むわりとした生暖かい風が、湿った土の匂いと、濃厚な植物の青臭さを乗せて、機内へと乱暴に吹き込んでくる。それは、文明の匂いとは全く異質な、生命そのものの匂いだった。
僕は、肺が張り裂けるほど深く息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出した。
「行くぞ!」
仲間と共に、どこまでも広がる青い空へと、その身を躍らせた。
一瞬の浮遊感。直後に、全身を叩きつける猛烈な風圧。ゴウッ、という轟音が耳元で鳴り響き、視界が急速に遠ざかっていく輸送機の腹で埋め尽くされる。数秒後、背負ったパラシュートのセンサーが適切な高度を感知し、自動で開傘索が作動した。
バサッ!という力強い音と共に、純白の傘が空中で花開き、僕の身体は強烈な衝撃と共に、一度、宙へと突き上げられる。内臓がひっくり返るような感覚。しかし、次の瞬間には、落下速度が劇的に緩まり、まるで巨大な鳥の背に乗ったかのような、穏やかな浮遊が始まった。
先ほどまでの轟音は嘘のように消え去り、耳に届くのは、ただ風がパラシュートの生地をはためかせる、柔らかく優しい音だけ。眼下には、息を呑むほどに美しい島の全景が広がっていた。鬱蒼と茂る木々の緑の濃淡、海岸線に打ち寄せる白い波のレース、そして太陽の光を反射してエメラルドグリーンに輝く浅瀬。まるで、神が作り上げた精巧なジオラマのようだ。
僕の計算通り、チームJの四人はほとんど誤差なく、指定された降下ポイントである、なだらかな丘陵地帯に広がる開けた草原に、次々と着地した。僕は膝を柔らかく使って衝撃を殺し、完璧な受け身を取る。足元で、サワサワと背の高い草が揺れ、甘い花の香りが鼻孔をくすぐった。周囲は、まるで外界から隔絶されたかのように、静寂に包まれている。背後からは、遠ざかっていく輸送機のエンジン音が、蜂の羽音のように微かに聞こえるだけだった。やがて、その音も完全に聞こえなくなり、僕たち四人だけが、この広大な自然の中にぽつんと取り残された。
「よし、作戦通りだ。誤差はプラスマイナス5メートル以内。完璧な降下だ」
僕は、手早くパラシュートを畳みながら、周囲を見渡した。
「まずは全員、装備に異常がないか最終確認。その後、この先の丘の頂上付近にベースキャンプの設営場所を探そう。そこなら視界も開けているし、夜間の奇襲にも対応しやすい」
僕は、早速胸のポーチからタブレットを取り出し、脳内に叩き込んだ計画を、具体的な指示へと変換しようとした。画面には、GPSと連動した詳細な三次元マップが表示されている。僕たちの現在地を示す青い光点が、正確に目標地点で点滅していた。その、まさに最初の言葉を、仲間たちに向けて口にしようとした、瞬間だった。
鳥のさえずりが、ふと、途切れた。
風の音が、変わった。
ヒュンッ!
という、空気を鋭利な刃物で切り裂くような音が、僕の左耳のすぐそばをかすめていった。
それは、音というよりも、空気の振動そのものだった。
本能が、理性に先んじて身体を動かす。反射的に身を伏せた僕のすぐ足元、数センチ先の大地に、何かが突き刺さっていた。
ズッ、という鈍い音。
それは、先端に親指ほどの大きさの、不気味な紫色の液体が入ったガラスカプセルが取り付けられた、一本の矢だった。黒い矢羽が、微かに震えている。
カプセルが、プシューッ!という、まるで毒蛇が最後の威嚇をするかのような音を立てて、自壊した。中から、禍々しい紫色のガスが、もくもくと、しかし恐ろしい速度で周囲に噴き出し始める。それは生き物のように蠢き、草花の色を瞬時に茶色く変色させた。
「なっ!? 全員、息を止めてここから離れろ!」
思考が追いつく前に、僕の口が、喉を引き裂くような声で叫んでいた。
四人は、ほとんど条件反射で、その場から蜘蛛の子を散らすように四方八方へ飛びのいた。草を薙ぎ倒し、地面を転がるようにして、紫色の煙から距離を取る。
ガスは、僕が事前にデータで学習していたものと酷似していた。即効性の神経麻痺ガス。まともに吸い込んでいれば、数秒で呼吸器系が麻痺し、数時間は手足の自由を完全に奪われていただろう。そうなれば、あとは一方的に嬲り殺されるだけだ。
「誰だ!」
剛くんが、背負っていた巨大なアサルトライフルを構え、獣のような鋭い視線で周囲のジャングルを睨みつける。その瞳は既に、臨戦態勢のそれだった。玲奈さんも、無言のまま特殊な形状の狙撃銃を構え、スコープを覗き込んでいる。小林くんは、腰を抜かしたのか、その場にへたり込んでガタガタと震えていた。
その時、僕たちを三重に囲むジャングルの木々の上から、数人の人影が、まるで重力など存在しないかのように、猿のように軽々と枝の上に姿を現した。彼らの動きには一切の無駄がなく、熟練の狩人のそれだった。戦闘服の肩には、僕たちの所属を示すエンブレムではない、見慣れない「F」の文字を象った紋章が縫い付けられていた。
「チームF……!」
僕が呟く。養成所のデータベースによれば、個人技は優れているが、チームワークに著しく難があり、常に問題を起こしているチーム。そのリーダーは、特に狡猾で残忍な手口を好むと記録されていた。
「よぉ、チームJの皆さん。ご機嫌いかがかな?」
チームFのリーダー格と思しき男が、一番高い木の枝の上に腰掛け、まるで舞台上の役者のように、人を食ったような、嫌味ったらしい笑みを浮かべて僕たちを見下ろしている。その男の顔を見て、剛くんの表情が、怒りと憎悪で歪んだ。
「テメェ、土方(ひじかた)……! どういうつもりだ!」
剛くんが、怒りに震える声で怒鳴る。その声は、ジャングルの静寂に、不気味に響き渡った。
「どういうつもり、って? 聞こえなかったのか? これは試験だよ、五十嵐。擬似怪物を倒すポイントを稼ぐだけが目的じゃない。他のチームを出し抜いて、蹴落として、最後まで生き残るためのサバイバルだ。違うか?」
土方は、せせら笑いながら、肩をすくめてみせる。その目は、獲物を見つけた蛇のように、冷たく光っていた。そして、彼は部下たちに、顎でくいっと合図を送った。
「やれ」
次の瞬間、チームFのメンバーたちが、掌サイズの黒い金属球を一斉に、僕たちの足元へと投げ込んできた。放物線を描いて飛んでくるそれを、僕が何であるかを認識するよりも早く、それらは湿った地面に落ちると同時に、強烈な閃光と、鼓膜を突き破るかのような甲高い金属音を放った。
小型のEMPグレネード。
強烈な指向性電磁パルスが、閃光と共に周囲一帯の空間を歪ませる。
「しまっ……!」
僕の手の中のタブレットが、バチッ!という断末魔のような悲鳴を上げた。画面に一瞬ノイズが走り、美しい三次元マップがぐにゃりと歪んだかと思うと、次の瞬間には、永遠の闇に閉ざされた。ただの黒い板になった。
剛くんが構えるライフルの、精密な照準システムのホログラムサイトが明滅し、プツンと消える。玲奈さんの特殊ライフルの、エネルギー充填ゲージを示すランプも、その光を失った。僕たちが頼りにしていた、科学技術の粋を集めた最新装備の全てが、その生命活動を、完全に、そして不可逆的に停止させられた。
そして何より、僕たちの腰に装着されていた、外部との唯一の連絡手段であり、緊急時のSOS信号を発信する機能を持つ、長距離通信機が、完全に破壊されてしまった。耳に装着していたインカムからは、ザーッというノイズすら聞こえない。完全な沈黙。
「はははははは! 最新装備も、電気がなきゃただの鉄屑だな! あばよ、落ちこぼれチーム! せいぜい、この島で獣にでも食われちまえ!」
土方の高らかな嘲笑が、置き土産のようにジャングルに響き渡る。チームFのメンバーたちは、あっという間に木々の間を飛び移り、葉擦れの音だけを残して、深い森の奥へとその姿を消していった。
後には、完全に沈黙したハイテクの残骸と、呆然と立ち尽くす僕たちチームJの四人だけが、まるで時が止まったかのように、取り残された。
試験開始から、わずか一時間。
僕たちは、精密な電子マップも、強力な武器の特殊機能も、そして何より、助けを呼ぶための命綱さえも、その全てを失ってしまった。ジャングルの地面には、先ほどの奇襲の混乱で落としてしまったレーションや行動食の一部が、無残に散乱し、既に泥だらけになっていた。アリたちが、早速その甘い匂いに群がり始めている。
僕たちは、文明から、完全に、切り離された。
「あの野郎おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
最初に我に返った剛くんが、天を衝くような、傷ついた獣の雄叫びを上げた。その声は、近くの木の枝に止まっていた鳥たちを、一斉に飛び立たせた。彼は、もはやただの重い鉄塊と化したライフルを、怒りのままに地面に投げ捨てると、今すぐにでもチームFを追いかけようと、ジャングルに向かって走り出す。
「待ちなさい!」
その巨大な背中に、玲奈さんの氷のように冷たく、しかし鋭利な刃物のような声が、槍のように突き刺さった。
剛くんが、ギリギリのところで足を止める。
「感情で動けば、それこそ相手の思う壺よ。この広大な島で、何の当てもなく闇雲に追いかけて見つかる保証がどこにあるというの? その間に、私たちはさらに貴重な体力と水分を消耗するだけだわ」
彼女の声は、どこまでも冷静だった。だが、その握りしめられた拳は、小さく白く震えている。
「じゃあ、どうすんだよ! このまま、ここで指くわえてろってのか! あいつらにやられっぱなしで、黙ってろって言うのかよ!」
剛くんが、振り返り、玲奈さんを睨みつける。二人の間に、バチバチと見えない火花が散った。
「落ち着いて、剛くん」
その間に割って入るように、僕が静かに言った。
僕は、壊れて二度と起動することのないタブレットを、ゆっくりと拾い上げる。ひび一つ入っていない滑らかなガラスの表面。だが、その内側は、もう死んでいる。僕の努力の結晶。僕たちの未来を照らすはずだった道標。それが今、ただの無価値なガラクタになって、僕の手の中で冷たく重い。
「玲奈さんの言う通りだ。今は、冷静になるべきだ。敵の狙いは、僕たちの装備を破壊するだけじゃない。僕たちの冷静さ、チームワーク、その全てを破壊することだ。その挑発に乗ってはいけない」
「冷静に、なってられるかぁ!」
「なれるさ」
僕は、剛くんの怒りに燃える、血走った目を、まっすぐに見つめ返した。僕自身の心も、悔しさと怒りで煮えくり返りそうだった。だが、ここで僕が崩れたら、全てが終わる。
「最悪だ。本当に、考えうる限り、きわめて最悪の状況だ。それは認める。でも、まだ僕たちは生きている。五体満足で、手も足もある。それに……」
僕は、自分の背中のリュックに手を伸ばし、防水ポーチの奥深くにしまい込んでいた、一枚の、くしゃくしゃになった紙を取り出した。それは、僕が念のために、本当に、万が一の、億が一の時のために、こっそりと印刷しておいた、この島の簡易的な地形図だった。電子データに比べれば、あまりにも情報量が少なく、不正確で、心もとない、ただの紙切れだ。
だが、今は、これが僕たちの世界の全てだった。
「それに、僕の頭の中には、この島の地形と、植生と、予測される天候のパターンが、全部、全部入ってる」
僕の声は、自分でも驚くほど、震えていなかった。
絶望的な状況の中で、僕の瞳だけが、まだ死んでいなかった。僕の脳だけが、まだ、この状況を諦めてはいなかった。
(計画なんて、こんなにも簡単に崩れるものなんだ)
僕の心の中で、もう一人の僕が、静かに、そして諭すように呟いた。
(人生は、驚くほど思い通りにならないことばかりだ。そうだ、そんなことは、最初から、分かっていたことじゃないか。僕の人生は、いつだってそうだった)
(大事なのは、完璧な計画通りに進めることじゃない。そんなものは、ただの自己満足だ。本当に大事なのは、思い通りにならないこの現実の中で、何ができて、何を見つけ出して、どう生き残るか。それだけだ)
夕日が、ジャングルの木々の向こうに、ゆっくりと沈み始めていた。西の空が、まるで世界の終わりを告げるかのように、鮮血のような深い赤色に染まっていく。昼間のうだるような熱気は急速に冷え、肌寒い風が僕たちの汗ばんだ肌を撫で、体温を奪っていった。
どこからか、得体のしれない獣の、地を這うような低い唸り声が聞こえてきた。それは、空腹を訴える、原始的な響きを持っていた。
通信手段なし。
十分な食料なし。
頼れる最新武器もなし。
この島で、僕たちの存在を知る者は、もう誰もいない。僕たちがここで静かに死んだとしても、誰も気づきはしないだろう。
四人だけの、本当のサバイバルが、今、静かに始まろうとしていた。
僕は、黒いガラクタと化したタブレットをリュックにしまい、代わりに、くしゃくしゃの紙の地図を、夕日の最後の光に翳した。その紙のざらついた感触だけが、今の僕を現実へと繋ぎ止める、唯一の頼りだった。
腹の底に直接響き渡るような、あるいは骨の髄まで染み渡るような重低音の振動が、巨大な輸送機の機内を絶え間なく支配していた。それはまるで、捕らえられた鋼鉄の巨獣が、その檻の中から必死に呻き声を上げているかのようだった。細かく、それでいて執拗に続くその揺れは、床の金属プレートから、冷たい壁から、硬いプラスチックの座席から、僕の身体の芯を容赦なく揺さぶり続ける。その振動に耐えるだけで、体力が少しずつ、しかし確実に削られていくのが分かった。
一年次最終試験に参加する一年生、総勢二百名。僕たちは今、この無骨な鉄でできた巨大なクジラの腹の中に、まるで飲み込まれたプランクトンのようにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、運命の戦場へと運ばれていく最中だった。
機内は、文化祭前夜の体育館のような、独特の熱気と湿っぽさ、そしてわずかな汗とオイルの匂いで満ち満ちていた。これから始まる過酷なサバイバル試験への、未熟な期待と根拠のない不安。そして、隣に座る友人でさえ蹴落としてでも生き残ってやろうという、剥き出しの闘争心。それらがない交ぜになった感情の渦が、澱んだ空気の中で唸りを上げている。
仲間と身を寄せ合い、囁き声で作戦の最終確認をする者たちのグループからは、時折、乾いた緊張の笑いが漏れる。壁際では、黙々と己の装備であるライフルの銃身を、油を染み込ませた布で何度も何度も磨き上げる、神経質そうな男の姿があった。その金属が擦れる微かな音だけが、彼の世界の全てであるかのように。あるいは、この重苦しい空気に耐えかねたのか、わざと大きな声で下品な冗談を飛ばし合い、無理やり作ったような甲高い笑い声を響かせる者たちもいる。誰もが、それぞれのやり方で、これから始まる非日常という名の現実逃避に、胸を高鳴らせ、あるいは震わせていた。
僕は、そんな喧騒から逃れるように、防弾ガラスがはめ込まれた小さな丸窓から、ただぼんやりと外の景色を眺めていた。僕の視界の端で、誰かが落としたペットボトルのキャップが、機体の振動に合わせてカタカタと小刻みに踊っている。
眼下に広がるのは、どこまでも続く紺碧の海。その深く、吸い込まれそうなほどの青の上に、ぽつりと、しかし圧倒的な存在感を放って浮かぶ、深い緑に覆われた一つの島。あれが、これから一週間、僕たちの教室であり、食堂であり、寝床であり、そして戦場となる無人島だ。
夏の強い日差しが、雲の切れ間から神のスポットライトのように降り注ぎ、穏やかな海面を砕けたダイヤモンドのようにキラキラと輝かせている。そのあまりに非現実的な美しさに、ここが死と隣り合わせの、血と硝煙の匂いがする試験場であることを、ほんの一瞬だけ、忘れそうになった。風の音は、分厚いガラスに遮られて聞こえない。ただ、無音のままに白い波頭が生まれ、そして消えていく様だけが、目に焼き付いていた。
僕たちのチームJは、機体の後方、他のチームが作る騒がしい輪から少しだけ離れた、隅っこの席に固まっていた。まるで、教室の隅でひっそりと息を潜める、目立たない生徒たちのように。
僕の隣に座る剛くん――五十嵐剛(いがらしごう)は、丸太のように太い腕を胸の前で組み、瞑想でもしているのか、あるいはただ熟睡しているだけなのか、その彫像のような巨体をピクリとも動かさない。時折、機体が大きく揺れた時だけ、その閉じられた瞼がかすかに震える。規則正しい、深く静かな寝息だけが、彼がまだ生きていることを証明していた。その鍛え上げられた肉体は、それ自体が既に一つの凶器のような雰囲気を放っている。
通路を挟んだ向かいの席では、玲奈さん――水無月玲奈(みなづきれな)が、真っ白なヘッドフォンで外界の音を完全にシャットアウトし、現実から切り離された自分だけの世界に浸っていた。彼女は窓の外を流れる雲の流れを、まるでそこに何か特別な意味でも見出そうとするかのように、静かに目で追っている。その陶器のように白い横顔は、一切の感情を映し出さず、まるで氷の彫刻のようだ。長い黒髪が、空調の微かな風に揺れ、彼女の頬をくすぐるが、彼女はそれに気づく様子もない。
その後ろの席では、小林くん――小林誠(こばやしまこと)が、いつものように幽霊のように青白い顔で、しきりに自分の胃のあたりをか弱い手でさすっていた。彼の額には玉のような汗が滲み、浅く速い呼吸を繰り返している。時折、僕の方を不安げな、助けを求める子犬のような目で見つめるが、僕はそれに気づかないふりをした。彼にかけるべき優しい言葉を、今の僕は持ち合わせていなかったからだ。
そして僕は、膝の上に置いた最新式のタブレット端末に表示された、僕たちがこれから辿るべき完璧な作戦計画を、もう何度目かも分からないくらい、繰り返し指でなぞりながら確認していた。降下ポイント、ベースキャンプ設営候補地、水場の確保ルート、食料調達の優先順位、予測される敵チームの動き、擬似怪物の出現パターン、天候の変化に応じた代替案……。あらゆる不確定要素を排除し、確率と統計によって導き出された、いわば勝利の方程式。この画面の中にだけ、僕の唯一の自信と希望が存在していた。スクロールする指先が、わずかに汗で湿っている。
「よう、譲(ゆずる)!」
不意に、背後から太陽の匂いがするような、軽やかで屈託のない声と共に、右肩をポンと軽く叩かれた。思考の海に沈んでいた意識が、乱暴に現実へと引き戻される。
振り返ると、そこには、真夏の向日葵のような、一点の曇りもない笑顔があった。
幼馴染の朝倉颯太(あさくらそうた)と、その隣で春の日差しのように優しく、そして少しだけ心配そうに微笑む橘陽葵(たちばなひまり)だった。
彼らが率いるチームは、養成所の中でも特に優秀なエリートたち――アースと呼ばれる能力者たちで固められた、誰もが認める優勝候補筆頭の「チームA」。その身にまとうオーラからして、僕たちのような寄せ集めのチームとは明らかに異質だった。自信と、才能と、そして疑うことを知らない純粋な希望に満ち溢れている。彼らがそこに立つだけで、周囲の澱んだ空気が浄化されていくような錯覚さえ覚えた。
「お前のチーム、この前の合同訓練、評価Aプラスだったんだってな? やるじゃん! あの脳筋ゴリラと氷のお姫様を、よくもまあ手懐けたもんだ!」
颯太が、ニカッと白い歯を見せながら、僕の肩をもう一度、今度は少し強く叩く。バン、という軽い音が響いた。その言葉には、何の悪意も、嫌味もない。ただ純粋な、幼馴染の健闘を称える賛辞だ。だからこそ、その言葉は鋭い棘のように、僕の心の柔らかい部分に突き刺さる。「手懐けた」という言葉の裏に、僕が彼らを力ではなく、小賢しい知恵でコントロールしているだけだという真実を、彼自身が気づかずに暴いている。
「もう、颯太ったら、言い方が悪いよ。それに剛くんも玲奈さんも、すごい人たちなんだから」
陽葵が、颯太の腕を軽くつねりながら、僕をフォローするように言った。そして、僕の方に向き直ると、その大きな瞳を心配そうに細めて、僕の手を両手でぎゅっと握ってくれる。
「でも譲、本当にすごい! あの個性的なメンバーでそこまでやれるなんて、私、自分のことみたいに嬉しいよ!」
心からそう思っているという、嘘のない表情。その手のひらから伝わってくる温もりが、冷え切っていた僕の心に、じんわりと染み込んでいくようだった。
だが、同時に、その温かさは、僕の胸の奥底に澱のように溜まっている、冷たくて暗い何かを、より一層際立たせるコントラストにもなっていた。
(君たちには、分からないだろうな)
僕の心の中で、僕ではない誰かが冷ややかに呟いた。
僕たちは、やっとスタートラインに立てただけだ。幾度となく崩壊しかけたチームを、僕が必死に繋ぎ止め、それぞれの利害を調整し、ようやくマイナスからゼロの地点に戻れただけなんだ。君たちのように、生まれつき与えられた強靭な翼で、何の苦労もなく空を飛ぶ人間とは、見ている景色の高さが、呼吸している空気の濃さが、あまりにも違いすぎる。君たちの足元に広がる美しい雲海は、僕たちにとっては、乗り越えなければならない嵐の雲なのだ。
「ありがとう。二人も、頑張って」
僕は、喉まで出かかったそんな本音をぐっと飲み込み、筋肉を無理やり引きつらせて、精一杯の曖昧な笑みを浮かべてみせた。そう返すことしか、僕にはできなかった。握られた陽葵の手に、そっと力を込めて応える。その一瞬だけ、彼女の笑顔がさらに輝いたように見えた。
『各チーム、降下準備! 降下ポイント、アルファより順次降下を開始する!』
その時、僕たちの短い会話を遮るように、機内にけたたましいブザーの音と共に、感情の欠片も感じられない冷たい合成音声のアナウンスが響き渡った。その瞬間、それまでのざわめきが嘘のように静まり返り、機内の空気が一瞬にして戦闘前の、鉄の匂いがするそれに引き締まる。誰もが口を閉じ、自分の装備を最終確認するカチャカチャという金属音だけが、機内に響いた。
僕たちチームJの降下ポイントは「ジュリエット」。アルファベット順で言えば十番目。二十あるチームの中で比較的後方に位置し、それゆえに他のチームとの序盤の衝突が避けられる、安全とされるエリアだった。僕の立てた作戦は、最初の二日間は戦闘を極力避け、体力を温存しながら、この未知の島の地理と気候に身体を完全に順応させることから始まる。焦りは禁物。サバイバルは、短距離走ではなく、マラソンなのだから。
「よし、行こう」
僕は、颯太と陽葵に軽く会釈して別れると、仲間たちに向かって声をかけた。
僕の声に反応し、剛くんが「んん……」と低い唸り声を上げながら、億劫そうにその巨体を起こす。まるで冬眠から無理やり起こされた熊のようだ。玲奈さんは、音楽の最後の余韻を惜しむように一拍置いてから、静かにヘッドフォンを首にかける。彼女が現実世界に戻ってきた瞬間、周囲の温度が二、三度下がったような気がした。小林くんは、アナウンスを聞いてさらに顔色を悪くし、既に半泣きの状態で僕を見上げていた。
三者三様の表情で、しかし、僕の言葉に無言で頷き返す。不格好で、不揃いで、いつ壊れてもおかしくない。だが、これが今の僕のチームだった。
機体の後部ハッチが、地獄の門が開くかのような轟音と共に、ゆっくりと、しかし確実に開かれていく。眩いばかりの陽光が、暗い機内へと滝のように流れ込み、僕たちの目を焼いた。そして、眼下に広がる雄大な緑の島が、その巨大な姿を完全に現した。むわりとした生暖かい風が、湿った土の匂いと、濃厚な植物の青臭さを乗せて、機内へと乱暴に吹き込んでくる。それは、文明の匂いとは全く異質な、生命そのものの匂いだった。
僕は、肺が張り裂けるほど深く息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出した。
「行くぞ!」
仲間と共に、どこまでも広がる青い空へと、その身を躍らせた。
一瞬の浮遊感。直後に、全身を叩きつける猛烈な風圧。ゴウッ、という轟音が耳元で鳴り響き、視界が急速に遠ざかっていく輸送機の腹で埋め尽くされる。数秒後、背負ったパラシュートのセンサーが適切な高度を感知し、自動で開傘索が作動した。
バサッ!という力強い音と共に、純白の傘が空中で花開き、僕の身体は強烈な衝撃と共に、一度、宙へと突き上げられる。内臓がひっくり返るような感覚。しかし、次の瞬間には、落下速度が劇的に緩まり、まるで巨大な鳥の背に乗ったかのような、穏やかな浮遊が始まった。
先ほどまでの轟音は嘘のように消え去り、耳に届くのは、ただ風がパラシュートの生地をはためかせる、柔らかく優しい音だけ。眼下には、息を呑むほどに美しい島の全景が広がっていた。鬱蒼と茂る木々の緑の濃淡、海岸線に打ち寄せる白い波のレース、そして太陽の光を反射してエメラルドグリーンに輝く浅瀬。まるで、神が作り上げた精巧なジオラマのようだ。
僕の計算通り、チームJの四人はほとんど誤差なく、指定された降下ポイントである、なだらかな丘陵地帯に広がる開けた草原に、次々と着地した。僕は膝を柔らかく使って衝撃を殺し、完璧な受け身を取る。足元で、サワサワと背の高い草が揺れ、甘い花の香りが鼻孔をくすぐった。周囲は、まるで外界から隔絶されたかのように、静寂に包まれている。背後からは、遠ざかっていく輸送機のエンジン音が、蜂の羽音のように微かに聞こえるだけだった。やがて、その音も完全に聞こえなくなり、僕たち四人だけが、この広大な自然の中にぽつんと取り残された。
「よし、作戦通りだ。誤差はプラスマイナス5メートル以内。完璧な降下だ」
僕は、手早くパラシュートを畳みながら、周囲を見渡した。
「まずは全員、装備に異常がないか最終確認。その後、この先の丘の頂上付近にベースキャンプの設営場所を探そう。そこなら視界も開けているし、夜間の奇襲にも対応しやすい」
僕は、早速胸のポーチからタブレットを取り出し、脳内に叩き込んだ計画を、具体的な指示へと変換しようとした。画面には、GPSと連動した詳細な三次元マップが表示されている。僕たちの現在地を示す青い光点が、正確に目標地点で点滅していた。その、まさに最初の言葉を、仲間たちに向けて口にしようとした、瞬間だった。
鳥のさえずりが、ふと、途切れた。
風の音が、変わった。
ヒュンッ!
という、空気を鋭利な刃物で切り裂くような音が、僕の左耳のすぐそばをかすめていった。
それは、音というよりも、空気の振動そのものだった。
本能が、理性に先んじて身体を動かす。反射的に身を伏せた僕のすぐ足元、数センチ先の大地に、何かが突き刺さっていた。
ズッ、という鈍い音。
それは、先端に親指ほどの大きさの、不気味な紫色の液体が入ったガラスカプセルが取り付けられた、一本の矢だった。黒い矢羽が、微かに震えている。
カプセルが、プシューッ!という、まるで毒蛇が最後の威嚇をするかのような音を立てて、自壊した。中から、禍々しい紫色のガスが、もくもくと、しかし恐ろしい速度で周囲に噴き出し始める。それは生き物のように蠢き、草花の色を瞬時に茶色く変色させた。
「なっ!? 全員、息を止めてここから離れろ!」
思考が追いつく前に、僕の口が、喉を引き裂くような声で叫んでいた。
四人は、ほとんど条件反射で、その場から蜘蛛の子を散らすように四方八方へ飛びのいた。草を薙ぎ倒し、地面を転がるようにして、紫色の煙から距離を取る。
ガスは、僕が事前にデータで学習していたものと酷似していた。即効性の神経麻痺ガス。まともに吸い込んでいれば、数秒で呼吸器系が麻痺し、数時間は手足の自由を完全に奪われていただろう。そうなれば、あとは一方的に嬲り殺されるだけだ。
「誰だ!」
剛くんが、背負っていた巨大なアサルトライフルを構え、獣のような鋭い視線で周囲のジャングルを睨みつける。その瞳は既に、臨戦態勢のそれだった。玲奈さんも、無言のまま特殊な形状の狙撃銃を構え、スコープを覗き込んでいる。小林くんは、腰を抜かしたのか、その場にへたり込んでガタガタと震えていた。
その時、僕たちを三重に囲むジャングルの木々の上から、数人の人影が、まるで重力など存在しないかのように、猿のように軽々と枝の上に姿を現した。彼らの動きには一切の無駄がなく、熟練の狩人のそれだった。戦闘服の肩には、僕たちの所属を示すエンブレムではない、見慣れない「F」の文字を象った紋章が縫い付けられていた。
「チームF……!」
僕が呟く。養成所のデータベースによれば、個人技は優れているが、チームワークに著しく難があり、常に問題を起こしているチーム。そのリーダーは、特に狡猾で残忍な手口を好むと記録されていた。
「よぉ、チームJの皆さん。ご機嫌いかがかな?」
チームFのリーダー格と思しき男が、一番高い木の枝の上に腰掛け、まるで舞台上の役者のように、人を食ったような、嫌味ったらしい笑みを浮かべて僕たちを見下ろしている。その男の顔を見て、剛くんの表情が、怒りと憎悪で歪んだ。
「テメェ、土方(ひじかた)……! どういうつもりだ!」
剛くんが、怒りに震える声で怒鳴る。その声は、ジャングルの静寂に、不気味に響き渡った。
「どういうつもり、って? 聞こえなかったのか? これは試験だよ、五十嵐。擬似怪物を倒すポイントを稼ぐだけが目的じゃない。他のチームを出し抜いて、蹴落として、最後まで生き残るためのサバイバルだ。違うか?」
土方は、せせら笑いながら、肩をすくめてみせる。その目は、獲物を見つけた蛇のように、冷たく光っていた。そして、彼は部下たちに、顎でくいっと合図を送った。
「やれ」
次の瞬間、チームFのメンバーたちが、掌サイズの黒い金属球を一斉に、僕たちの足元へと投げ込んできた。放物線を描いて飛んでくるそれを、僕が何であるかを認識するよりも早く、それらは湿った地面に落ちると同時に、強烈な閃光と、鼓膜を突き破るかのような甲高い金属音を放った。
小型のEMPグレネード。
強烈な指向性電磁パルスが、閃光と共に周囲一帯の空間を歪ませる。
「しまっ……!」
僕の手の中のタブレットが、バチッ!という断末魔のような悲鳴を上げた。画面に一瞬ノイズが走り、美しい三次元マップがぐにゃりと歪んだかと思うと、次の瞬間には、永遠の闇に閉ざされた。ただの黒い板になった。
剛くんが構えるライフルの、精密な照準システムのホログラムサイトが明滅し、プツンと消える。玲奈さんの特殊ライフルの、エネルギー充填ゲージを示すランプも、その光を失った。僕たちが頼りにしていた、科学技術の粋を集めた最新装備の全てが、その生命活動を、完全に、そして不可逆的に停止させられた。
そして何より、僕たちの腰に装着されていた、外部との唯一の連絡手段であり、緊急時のSOS信号を発信する機能を持つ、長距離通信機が、完全に破壊されてしまった。耳に装着していたインカムからは、ザーッというノイズすら聞こえない。完全な沈黙。
「はははははは! 最新装備も、電気がなきゃただの鉄屑だな! あばよ、落ちこぼれチーム! せいぜい、この島で獣にでも食われちまえ!」
土方の高らかな嘲笑が、置き土産のようにジャングルに響き渡る。チームFのメンバーたちは、あっという間に木々の間を飛び移り、葉擦れの音だけを残して、深い森の奥へとその姿を消していった。
後には、完全に沈黙したハイテクの残骸と、呆然と立ち尽くす僕たちチームJの四人だけが、まるで時が止まったかのように、取り残された。
試験開始から、わずか一時間。
僕たちは、精密な電子マップも、強力な武器の特殊機能も、そして何より、助けを呼ぶための命綱さえも、その全てを失ってしまった。ジャングルの地面には、先ほどの奇襲の混乱で落としてしまったレーションや行動食の一部が、無残に散乱し、既に泥だらけになっていた。アリたちが、早速その甘い匂いに群がり始めている。
僕たちは、文明から、完全に、切り離された。
「あの野郎おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
最初に我に返った剛くんが、天を衝くような、傷ついた獣の雄叫びを上げた。その声は、近くの木の枝に止まっていた鳥たちを、一斉に飛び立たせた。彼は、もはやただの重い鉄塊と化したライフルを、怒りのままに地面に投げ捨てると、今すぐにでもチームFを追いかけようと、ジャングルに向かって走り出す。
「待ちなさい!」
その巨大な背中に、玲奈さんの氷のように冷たく、しかし鋭利な刃物のような声が、槍のように突き刺さった。
剛くんが、ギリギリのところで足を止める。
「感情で動けば、それこそ相手の思う壺よ。この広大な島で、何の当てもなく闇雲に追いかけて見つかる保証がどこにあるというの? その間に、私たちはさらに貴重な体力と水分を消耗するだけだわ」
彼女の声は、どこまでも冷静だった。だが、その握りしめられた拳は、小さく白く震えている。
「じゃあ、どうすんだよ! このまま、ここで指くわえてろってのか! あいつらにやられっぱなしで、黙ってろって言うのかよ!」
剛くんが、振り返り、玲奈さんを睨みつける。二人の間に、バチバチと見えない火花が散った。
「落ち着いて、剛くん」
その間に割って入るように、僕が静かに言った。
僕は、壊れて二度と起動することのないタブレットを、ゆっくりと拾い上げる。ひび一つ入っていない滑らかなガラスの表面。だが、その内側は、もう死んでいる。僕の努力の結晶。僕たちの未来を照らすはずだった道標。それが今、ただの無価値なガラクタになって、僕の手の中で冷たく重い。
「玲奈さんの言う通りだ。今は、冷静になるべきだ。敵の狙いは、僕たちの装備を破壊するだけじゃない。僕たちの冷静さ、チームワーク、その全てを破壊することだ。その挑発に乗ってはいけない」
「冷静に、なってられるかぁ!」
「なれるさ」
僕は、剛くんの怒りに燃える、血走った目を、まっすぐに見つめ返した。僕自身の心も、悔しさと怒りで煮えくり返りそうだった。だが、ここで僕が崩れたら、全てが終わる。
「最悪だ。本当に、考えうる限り、きわめて最悪の状況だ。それは認める。でも、まだ僕たちは生きている。五体満足で、手も足もある。それに……」
僕は、自分の背中のリュックに手を伸ばし、防水ポーチの奥深くにしまい込んでいた、一枚の、くしゃくしゃになった紙を取り出した。それは、僕が念のために、本当に、万が一の、億が一の時のために、こっそりと印刷しておいた、この島の簡易的な地形図だった。電子データに比べれば、あまりにも情報量が少なく、不正確で、心もとない、ただの紙切れだ。
だが、今は、これが僕たちの世界の全てだった。
「それに、僕の頭の中には、この島の地形と、植生と、予測される天候のパターンが、全部、全部入ってる」
僕の声は、自分でも驚くほど、震えていなかった。
絶望的な状況の中で、僕の瞳だけが、まだ死んでいなかった。僕の脳だけが、まだ、この状況を諦めてはいなかった。
(計画なんて、こんなにも簡単に崩れるものなんだ)
僕の心の中で、もう一人の僕が、静かに、そして諭すように呟いた。
(人生は、驚くほど思い通りにならないことばかりだ。そうだ、そんなことは、最初から、分かっていたことじゃないか。僕の人生は、いつだってそうだった)
(大事なのは、完璧な計画通りに進めることじゃない。そんなものは、ただの自己満足だ。本当に大事なのは、思い通りにならないこの現実の中で、何ができて、何を見つけ出して、どう生き残るか。それだけだ)
夕日が、ジャングルの木々の向こうに、ゆっくりと沈み始めていた。西の空が、まるで世界の終わりを告げるかのように、鮮血のような深い赤色に染まっていく。昼間のうだるような熱気は急速に冷え、肌寒い風が僕たちの汗ばんだ肌を撫で、体温を奪っていった。
どこからか、得体のしれない獣の、地を這うような低い唸り声が聞こえてきた。それは、空腹を訴える、原始的な響きを持っていた。
通信手段なし。
十分な食料なし。
頼れる最新武器もなし。
この島で、僕たちの存在を知る者は、もう誰もいない。僕たちがここで静かに死んだとしても、誰も気づきはしないだろう。
四人だけの、本当のサバイバルが、今、静かに始まろうとしていた。
僕は、黒いガラクタと化したタブレットをリュックにしまい、代わりに、くしゃくしゃの紙の地図を、夕日の最後の光に翳した。その紙のざらついた感触だけが、今の僕を現実へと繋ぎ止める、唯一の頼りだった。
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