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第16話 天才と秀才、そして認め合う心
しおりを挟むゴーレムが鎮座していた広間から続く、長く、静かな石造りの回廊を、僕たちは言葉少なに歩いていた。外は、もう夕暮れ時らしかった。回廊の所々に穿たれた窓から差し込む光は、昼間の白さを失い、まるで熟しすぎた果実を絞ったような、濃厚な茜色をしていた。その光が僕たちの影を長く、長く床に引き伸ばし、一歩進むごとに、まるで別の生き物のように揺らめいている。
秋の風が、石の隙間からひゅう、と寂しい音を立てて吹き抜けていく。少し肌寒かった。乾いた木の葉が、どこからか迷い込んできて、僕たちの足元でカサカサと乾いた音を立てては、回廊の闇へと消えていく。美しい、とさえ言える夕景だった。だが、パーティーの空気は、北極の氷河の底で凍りついたマンモスもかくやというほどに、キンキンに冷え切っていた。
原因は、言うまでもない。
僕の数歩前を歩く、二人の女性。魔導士リリアナと、魔法戦士ソフィアだ。
二人は、互いに頑として視線を合わせようとせず、まるで反発しあう磁石のように、回廊の右端と左端に分かれて歩いている。リリアナは腕を組み、銀縁眼鏡の奥の瞳は、古代遺跡の壁に刻まれた紋様を、まるで値踏みするかのように冷ややかに眺めている。ソフィアは、愛剣の柄に手をかけたまま、リリアナとは反対側の壁に視線を固定し、その表情は「半径五メートル以内に近づいたら斬る」と雄弁に物語っていた。
僕と、僕の後ろを歩くアレク、エマ、ノアの三人は、まるで巨大な肉食獣の縄張りに迷い込んでしまった、哀れな草食動物の群れのようだった。息を殺し、足音を忍ばせ、ただひたすらに刺激しないことだけを考えて歩く。この史上最悪に気まずい空気は、いったいいつまで続くのだろうか。僕が(誰か、この空気をどうにかしてくれ)と天に祈った、まさにその時だった。
「いやー、しかし! 今日の俺の活躍は、我ながら凄まじかったな! あの脳筋ゴーレムめ、この正義の騎士アレク様の敵ではなかったわ! ガッハッハ!」
空気を読めない、という言葉は、この男のためにあるのかもしれない。アレクが、腹の虫の音でもごまかすかのように、朗々と、それはもう気持ちのいいくらいに朗々と、大声で笑ったのだ。
その瞬間、世界から音が消えた。
ソフィアとリリアナの氷の視線が、まるで交差する二本のレーザービームのように、音もなくアレクを貫いた。僕は見た。アレクの額から、滝のような冷や汗が噴き出すのを。彼の自慢の筋肉が、まるで金縛りにあったかのようにピクリとも動かなくなるのを。そして、彼の口から「ひっ」という、巨大なカエルが潰れたような、情けない声が漏れ出るのを。
「しーっ! アレクさん、しーっ!」
エマが、涙目で必死に人差し指を口に当て、静かにするようジェスチャーを送っている。ノアは、もはや眼鏡の奥で完全に青ざめ、幽体離脱の一歩手前といった顔つきで虚空を見つめている。
僕は、心の底から、ただただ静かに、天を仰いだ。(頼むから、頼むから黙っててくれ、この筋肉ダルマ……!)
夕闇が完全に世界を覆う頃、僕たちは森の中で野営の準備を始めていた。パチパチ、と小気味よい音を立てて爆ぜる焚き火の炎が、気まずい沈黙に包まれた僕たちの顔を、赤く照らしては、その背後に深い影を作る。夜の森は、驚くほど静かだった。時折聞こえる虫の声と、遠くで響く獣の鳴き声だけが、この世界に僕たち以外の生命が存在することを教えてくれる。空気は秋らしく冷たく澄み渡り、見上げた空には、まるでダイヤモンドの粉をぶちまけたような、満天の星が瞬いていた。
食事の準備中も、リリアナとソフィアの冷戦は続いていた。リリアナは、ノアが集めてきた薬草を鑑定し、一人黙々とポーションの調合を始め、ソフィアは、アレクが仕留めたウサギを、これまた黙々と手際よく捌いていく。その間に流れる空気は、触れたら切れそうなほどに張り詰めていた。
(さすがに、このままじゃマズいよな……)
僕は、エマが作ってくれた、少し味の薄いスープを一口すすると、意を決して口を開いた。懲りない男だと、自分でも思う。
「まあまあ、二人とも、今日はすごかったじゃないですか」
その一言に、全員の視線が僕に集まる。特に、リリアナとソフィアの視線が痛い。
「リリアナさんの正確な分析がなければ、あのゴーレムの特性は永久に分からなかったかもしれない。本当に、さすがだなって思いました。でも、ソフィアさんの、あの最後の一撃がなければ、僕たちは今頃、あの鉄クズに踏み潰されてましたよ。どっちが欠けても、絶対にダメでした。本当に、心からそう思います」
我ながら、完璧な仲裁の言葉だったはずだ。しかし、その言葉は、火に油を注ぐどころか、ガソリンをぶちまけてダイナマイトを放り込むような結果を招いた。
「フン。私一人でも、時間はかければあのゴーレムを倒すことは可能だったわ。もっと効率的で、美しく、そして安全にね」
リリアナが、ポーションをかき混ぜる手を止めずに、冷たく言い放つ。
「なんですって!? あんたのチマチマした魔法じゃ、日が暮れるどころか、年が明けちゃうわよ! 理論上は、私の分析があれば時間はかかっても攻略は可能だったわ! あの脳筋騎士が余計なことをしなければ、もっと早くね!」
「なんだと!?」
なぜか飛び火したアレクが叫ぶ。ああ、もう滅茶苦茶だ。僕が頭を抱えていると、意外にも、先に折れたのはリリアナの方だった。いや、折れた、というのとは少し違う。彼女は、ふう、と一つため息をつくと、焚き火の炎に照らされたソフィアの横顔を、じっと見つめた。
「……あなたの魔力は、規格外よ」
それは、称賛ではなかった。まるで、理解不能な現象を分析するかのような、静かな声だった。
「非効率的で、制御も甘い。まるで、ろ過もしていない、出来立ての濁り酒のようね。品性のかけらもないわ。でも……」
彼女は言葉を区切り、銀縁眼鏡の位置を、くい、と指で押し上げた。
「その、わけのわからない出力だけは、認めざるを得ないわね。私の理論体系には、存在しないものだわ」
その言葉に、ソフィアは驚いたように目を見開いた。そして、少し気まずそうに、そっぽを向きながら、焚き火の薪を剣の先でいじる。
「……あんたの知識も、まあ、役には立ったわよ」
彼女の声は、蚊の鳴くような声だった。
「教科書を丸暗記しただけで、死ぬほどつまらないし、応用力はゼロだけど。その、記憶力だけは、まあ、すごいんじゃないの」
それは、謝罪でもなければ、感謝の言葉でもなかった。しかし、その場の凍てついた空気は、確かに、少しだけ温度を取り戻していた。互いを「理解不能な邪魔者」と見ていた二人が、初めて「自分とは違う理屈で動く、一つの力」として、その存在を認識した、最初の瞬間だった。
その、ほんの少しだけ雪解けムードになった空気を見て、僕は調子に乗って、無邪気にこう言った。
「じゃあさ、リリアナさんの完璧な理論と、ソフィアさんの規格外のパワーが合わされば、それって、もう最強じゃないですか?」
その、何気ない一言が、二人の専門家魂に、まったく別の形で火をつけてしまったらしい。
「最強? 馬鹿なことを言わないでちょうだい。そもそも、マナの流動安定性を考えれば、彼女のように相反する属性の魔法を同時に励起させるなんて、エネルギーの大部分を熱として減衰させるだけの、愚行中の愚行なのよ。基礎がなっちゃいないわ」
リリアナが、まるで大学教授のような口調で、僕に、いや、ソフィアに向かって講義を始める。
「頭でっかちね! 実践では、あんたの言う理論値通りの出力なんて、絶対に出ないの! 気圧、湿度、その場のマナの密度! 変数が多すぎるのよ! 最後の最後は、気合でねじ伏せるの! 魂を乗せるのよ、魂を!」
ソフィアも、負けじと反論する。他のメンバーには、もはやチンプンカンプンだった。しかし、二人の瞳は、先ほどまでの険悪なものではなく、まるで難問を前にした数学者のように、あるいは、まだ誰も聞いたことのない音楽を奏でようとする作曲家のように、純粋な知的好奇心と、探究心の光で、キラキラと輝き始めていた。
「魂ですって? 非科学的にもほどがあるわ。あなたの言う『魂』とは、おそらく、術者の脳内神経伝達物質がマナの指向性に与える、微細なゆらぎのことでしょう。それなら、計算で再現できる可能性があるわ!」
「やってみなさいよ! あんたのその小難しい計算で、私のこの炎が再現できるものならね!」
水と油のようだった二人が、唯一の共通言語である「魔法」について、互いの理論と感性を、夜空の下で激しく、そしてどこか楽しそうにぶつけ合っている。その姿は、口論というより、まるで異なる楽器で、一つの新しい曲を創り出そうとセッションを楽しむ、二人の音楽家のようにも見えた。
僕は、満天の星空を見上げた。
「天才」「秀才」「落ちこぼれ」「伝統」「邪道」。
人は、なんて簡単に、他人にレッテルを貼りたがるんだろう。リリアナは、ギルドでは「付き合いの悪い、頭でっかちの天才」と呼ばれている。ソフィアは「伝統を無視する、規格外の落ちこぼれ」だと。でも、今、僕の目の前にいる二人は、そんな単純な言葉では到底表せない。魔法を、心の底から愛している、ただの二人の探求者だ。
人は、レッテルなんかじゃない。見る角度によって、全く違う顔を見せる、複雑で、面倒くさくて、そしてどうしようもなく面白い、多面的な存在なのだ。
それは、このデコボコな仲間たちも、そして、日本にいた頃の無気力なフリーターだった僕も、きっと同じ。固定された「誰か」なんて、本当はどこにもいないのかもしれない。
焚き火の炎が、パチリ、と心地よい音を立てて爆ぜた。僕は、このどうしようもなくデコボコで、愛おしい仲間たちと出会えたことを、心の底から面白い、と感じていた。
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