大正蒸気帝都に転生! 不完全な俺たちが絆の力で奇跡を起こす『創発』ファンタジー~地味スキルは最強の指揮棒~

Gaku

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第2話:呪術師は太陽と叫ぶ

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木製の引き戸をガラガラと開け放った瞬間、りくの全身を叩いたのは、音と熱の奔流ほんりゅうだった。

「おい親父! 報酬が足りねえぞ! あの化け狐、尾が二本あったんだ!」

「知るか! 依頼書には『狐』としか書いてねえ。二本だろうが三本だろうが、狐は狐だ!」

「ああん? やんのかコラ!」

 怒号。放漫な笑い声。木杯がぶつかり合う乾いた音。
 紫煙しえんが天井の黒ずんだはりに白くわだかまり、煮染めたような汗と安酒、そして獣の脂の匂いが混じり合った、強烈な生活臭が鼻をつく。

 口入れ屋「えびす屋」。

 そこは、帝都の掃き溜めであり、同時に有象無象うぞうむぞうが抱く希望の吹き溜まりでもあった。

 りくは、その熱気に気圧されそうになりながらも、軋む床板に一歩足を踏み出した。
 床は幾千もの土足で踏み荒らされ、泥と油で黒光りしている。

 壁一面には、無数の木札が魚の鱗のようにびっしりと貼られていた。あれが依頼書だろう。
 その前で、荒くれ者たちが獲物を品定めするように群がっている。

 身の丈ほどもある大剣を背負った浪人風の男、人の頭蓋骨をつなげた怪しげな数珠をジャラジャラさせた破戒僧、やけに露出の多い革鎧を着た女武闘家。

(……ラノベで見たやつだ。ギルドだ。間違いなく)

 りくの心臓が早鐘を打つ。ドクン、ドクンと脈打つ音が、耳の奥で反響する。
 恐怖がないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に「ここなら何かが始まる」という熱い期待が、腹の底からマグマのように湧き上がってくる。

 彼は人混みをかき分け、脂ぎった男たちの肩の間をすり抜けて、正面にある帳場ちょうばへと向かった。
 帳場の奥には、白髪頭の頑固そうな老人が、分厚い帳面を睨みつけながらパチパチとリズミカルに算盤そろばんを弾いている。

「あ、あの……仕事を、紹介してほしいんですが」

 りくが声をかけると、老人は顔も上げずに言った。

「手形は?」

「て、手形?」

「身分証だよ。あるいは、他の組からの紹介状。どっちだ」

 老人がようやく顔を上げた。その瞳は、長年多くの人間を見てきた者特有の、濁っているようでいて、網膜の裏側まで見透かすような鋭さを持っていた。
 りくは背中を冷たい汗が伝うのを感じながら答える。

「あー……ない、です。田舎から出てきたばかりで、その、何もなく」

無宿人むしゅくにんか」

 老人は鼻を鳴らし、パチンと高く算盤を弾いた。その乾いた音が、りくには決定的な「不合格」の判定音のように聞こえた。

「うちは慈善事業じゃねえんだ。身元の知れねえ素人に、命のかかった大仕事は回せねえ」

「そ、そこをなんとか! どんな仕事でもやりますから!」

 りくは食い下がった。カウンターの角を握りしめた指が白くなる。
 ここで断られたら、今夜は野宿確定だ。晩秋の夜風は、今のりくの装備(現代から着てきた薄手のパーカー一枚)には厳しすぎる。

 老人は面倒くさそうに大きくため息をつくと、ささくれた指先で、顎をしゃくって壁の隅を示した。

「なら、あそこにある札から選びな。誰でもできる雑用だ。手形がいらねえのはそれくらいしかねえ」

 りくは言われた場所へ視線を向けた。
 そこには、他の煌びやかな依頼札とは隔離された、すすけた薄汚い木札が数枚、蜘蛛の巣に絡まりながら寂しげにぶら下がっていた。

 『ドブ川の浚渫しゅんせつ・日当五十銭』
 『飛脚の手伝い(荷物持ち)・日当四十銭』
 『迷い猫の捜索・成功報酬・煮卵一個』

「…………」

 りくは言葉を失った。
 転生初日。俺の冒険は、ここから華々しく始まるはずだった。
 伝説の聖剣を手に入れ、ドラゴンを討ち果たし、囚われのお姫様を助け出す。そんな極彩色の未来予想図が、音を立てて崩れ去っていく。

 現実は、ファンタジー映画のようにはいかない。
 自分という人間には、まだ何の信用も、実績もない。ただの「どこの馬の骨とも知れない若造」に過ぎないのだ。

「……ですよね」

 りくはガックリと肩を落とした。
 これが「生きる」ということのリアルだ。
 自分の思い通りにならない現実。期待と結果の残酷なズレ。仏教で言うところの「苦」の第一歩を、りくは異世界の埃っぽい土間で見事に踏みしめていた。

 とりあえず、ドブ掃除でもするか。煮卵よりはマシだ。
 りくが諦めて、その薄汚れた木札に手を伸ばそうとした、その時だった。

「だーかーらー! 私の実力は本物だって言ってるじゃないですかっ!」

 ズドン!!

 店内の喧騒を一瞬で黙らせるような、大砲のような音が響いた。
 誰かが帳場のカウンターを、掌底で思い切り叩いた音だ。
 りくが驚いて振り返ると、そこには、目に焼き付くような鮮烈な「赤」があった。

「え?」

 それは、少女だった。
 年齢は、りくと同じくらいだろうか。

 夕日のような鮮やかな朱色の着物に、動きやすそうな黒い袴。背中には自分の体ほどもある大きな葛籠つづらを背負い、腰には無数の和紙の束――呪符じゅふをぶら下げている。

 そして何より目を引くのは、彼女自身が内側から発光しているかのような存在感だった。
 大きな瞳は、好奇心と根拠のない自信でキラキラと輝き、栗色の髪は生命力を主張するように元気よく跳ねている。

 彼女は、まるで太陽そのものが人の形をして、この薄暗いギルドへ飛び込んできたかのような、圧倒的な「陽」のオーラを放っていた。

「親父さん! さっきの依頼、私に回してくださいよ! 『大百足おおむかでの退治』! 私なら一撃ですよ、一撃!」

 彼女は身を乗り出して老人に詰め寄っていた。その勢いは、ブレーキの壊れた蒸気機関車の暴走に近い。
 老人は、やれやれといった表情で手を振る。

「嬢ちゃん、前にも言ったろ。呪術師じゅじゅつしってのは、後ろから援護するもんだ。お前さん一人で行かせたら、術を唱える前に百足の餌食だぞ」

「むっ……! だから、前衛がいればいいんでしょう!? でも、誰も組んでくれないんですよ! みんな私の才能にビビっちゃって!」

「いや、お前のそのマシンガントークに引いてるだけだと思うぞ……」

 老人の正論を華麗にスルーし、少女は不満げに頬を膨らませた。
 そして、くるりときびすを返すと、獲物を探す猛禽類のような目で店内を見回した。

「どっかにいないかなー! 私の最強のほこになってくれる、素敵な盾役タンクさんはー!」

 その視線が、隅っこでドブ掃除の札を情けなく握りしめているりくと、バチリと合った。
 運命、あるいは逃れられない因果の糸が絡まる音が、鼓膜の奥でした気がした。

「……あ」

「…………あ」

 りくは嫌な予感がした。背筋に悪寒が走る。
 動物的直感が「逃げろ」と警鐘を鳴らす。このタイプは苦手だ。自分のペースを乱されるどころか、破壊される。
 りくがそっと視線を逸らし、背景の壁と同化しようと気配を消そうとした瞬間。
 少女の顔が、真夏の満開の向日葵ひまわりのようにパァァァッと輝いた。

「見つけたぁっ!」

 ドタドタドタッ!

 凄まじい足音と共に、彼女は一直線にりくの元へ突進してきた。
 距離にして五メートルを一瞬で詰める。近い。顔が近い。
 至近距離に迫った彼女からは、日向に干したばかりの布団のような、あるいは甘酸っぱい蜜柑のような、健康的で温かい香りがふわりと漂った。

「そこのあなた! あなた、今すっごく暇そうで、困ってて、しかも仕事を選り好みできない顔をしてますよね!」

「えっ、失礼な! ……まあ、図星だけど」

「やっぱり! 私、佐倉陽菜さくら ひなって言います! 職業は呪術師! 得意技は爆破と炎上! 趣味は高い所に登ること!」

 息継ぎなしのマシンガントーク。
 りくが口を挟む隙間は、一ミクロンも存在しない。

「あなた、見たところ武器を持ってませんね? ということは素手? 武闘家? それとも魔法使い? どっちでもいいや! とにかく、私と組みましょう! 今すぐ! ここで! 運命の出会いってやつですよ!」

「ちょ、ちょっと待って! 落ち着いて!」

 りくは両手を前に出して、彼女──陽菜の進撃を物理的に制止しようとした。
 だが、彼女から発せられる熱量は止まらない。

「私ね、田舎から出てきたばっかりで、実績がないからソロじゃ大きな依頼を受けさせてもらえないんです! でも、実力はあるんですよ? 村じゃ神童って呼ばれてたんですから! でも帝都の人は冷たいんです、『お前みたいなひよっこは帰れ』って……。でも、あなたなら分かってくれますよね!? だって、あなたも同じような『ひよっこ』の匂いがしますもん!」

「……悪口雑じってない?」

 りくは深く溜息をついた。
 完全に巻き込まれた。これは台風だ。局地的な災害だ。
 仏教では、全ての事象は「縁」によって起こると言うけれど、こんなやかましい縁はお断りしたい。

「悪いけど、俺は……」

 断ろうとしたりくの脳裏に、先ほどの老人の言葉がよぎった。

 『ドブ川の浚渫』。

 今夜の寝床。明日の飯。
 一人で冷たいドブをさらう未来と、このやかましい少女と組んで、まともな冒険者としての第一歩を踏み出す未来。
 どちらがマシか。

 いや、選択肢なんて最初からなかったのかもしれない。
 人生は思い通りにいかないが、時には濁流に身を任せて流されてみるのも一つの手だ。

「……はぁ」

 りくは観念して、肩の力を抜いた。

「俺は、りく。能力は……まあ、空間をちょっといじれる程度だ。戦闘力は皆無。それでもいいなら」

 それを聞いた陽菜の目が、さらに大きく見開かれた。琥珀色の瞳の中で、興奮の炎が揺らめく。

「空間を弄れる!? すごい! 何ですかそれ、めちゃくちゃカッコいいじゃないですか! 『空間使い』! なんか強者っぽい響き!」

「いや、実際は小石を動かすのがやっとなんだけど……」

謙遜けんそんですね! 分かります、能ある鷹は爪を隠すってやつですね!」

 盛大な勘違いをしている。
 だが、訂正する間もなく、陽菜はりくの手をガシッと両手で握りしめた。
 その手は小さかったが、修行でできた豆だらけで、ゴツゴツとしていて、火傷しそうなほど温かかった。

「決まりですね! りくさん! 私たちが組めば、向かうところ敵なしです! 帝都の伝説、今日ここからスタートですよー!」

「……声でかいって」

 周囲の冒険者たちが、「また変なのが増えたな」とニヤニヤしながら見ている。
 りくは顔を赤くしながら、握られた手を少しだけ握り返した。

 一人でいる時の、あの凍えるような心細さが、少しだけ薄らいでいることに気づいた。
 自分一人では「冒険者」になれなかった。彼女一人でもなれなかった。
 でも、二人が揃えば「パーティ」という新しい機能が生まれる。
 部品だけでは動かない時計が、歯車が噛み合うことで時を刻み始めるように。

「じゃあ、初仕事選びましょう! 老人マスター! 私たちに相応しい、ド派手なやつをお願いします!」

 陽菜が再び帳場に突撃する。
 老人は、やれやれと首を振りながら、一枚の木札をカウンターに置いた。

「……まあ、二人ならこれくらいから始めな。身元引受人がいない代わりに、失敗したら罰金だぞ」

「任せてください!」

 陽菜がひったくるように受け取った札を、りくも横から覗き込む。
 そこには、達筆な文字でこう書かれていた。

 『下水道に出没する化け鼠ねずみの駆除。及び、清掃』
 『報酬・一円五十銭』

「……結局、掃除かよ」

 りくが呟くと、陽菜は太陽のような満面の笑顔で親指を立てた。

「千里の道も一歩から! 地下帝国への第一歩ですよ、りくさん!」

「地下帝国じゃなくて下水道な」

 ツッコミを入れるりくの口元には、自分でも気づかないうちに、微かな笑みが浮かんでいた。

 窓の外では、秋の夜風がヒュオオと鳴り、看板を揺らしている。
 だが、りくの隣には今、季節外れの真夏のような熱源があった。

 こうして、最弱の空間使いと、最強(自称)の呪術師。
 凸凹な二人の、前途多難な冒険が幕を開けた。
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