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第四部:反撃の序曲と女神の遺産
第35話:砕けた涙の欠片
しおりを挟む秋の陽光が、珠の駄菓子屋の古びたガラス窓を通して、柔らかく差し込んでいた。窓の外では、最後の力を振り絞るかのように鳴くツクツクボウシの声が、過ぎゆく夏の終わりと、本格的な秋の到来を告げている。
店の中の空気は、数日前までの重苦しさが嘘のように、奇妙な熱気を帯びていた。ちゃぶ台を囲むメンバーは、皆一様に、疲労の色を浮かべている。しかし、その瞳の奥には、これまでにはなかった、一つの方向を見据える強い光が宿っていた。
地獄から帰還したパイモンと珠。
自らの記憶の深淵を覗いた海斗とマナ。
二つのチームが持ち帰った情報は、あまりに巨大で、そしてあまりに重いものだった。だが、バラバラだったパズルのピースが一つに合わさった時、彼らの目の前には、絶望的な、しかし同時に、進むべき唯一の道が、くっきりと浮かび上がっていた。
「つまり、こういうことかい」
珠が、腕に巻かれた真新しい包帯をさすりながら、唸るように言った。彼女の身体のあちこちには、地獄の番犬との死闘の痕跡が生々しく残っている。
「あたしたちが命懸けで手に入れた情報によれば、カマエルの野郎の鎧をぶっ壊すには、女神様の力が砕け散ってできた『女神の涙』とかいう宝石が必要だ。そして、女神様自身の記憶によれば、あんたはカマエルじゃねぇ、もっと別の、胡散臭ぇ誰かにハメられて天界を追い出された。話は、それで合ってるね?」
その、あまりに乱暴な要約に、パイモンが心底うんざりした顔で溜息をついた。彼の着こなすタキシードも、さすがに地獄の旅で裾が少しばかり煤けている。
「やれやれ、だから路地の古猫は要約が雑で困る。だが、まあ、概ねその通りだ。僕の美しい論理的思考と、君たちの泥臭い根性論が、奇しくも同じ結論へとたどり着いたわけだ。実に興味深いね」
ちゃぶ台の上には、パイモンが持ち帰った『光の系譜』の複写と、マナが自らの記憶を頼りに描き出した、靄のかかった裏切り者の似顔絵、そして、海斗が大学の図書館から借りてきた日本の古地図が、雑然と広げられている。
バラバラだった情報(要素)が、一つのテーブルの上で共有(相互作用)されることで、これまで見えなかった世界の構造(真実)が、ゆっくりと、しかし確実に「創発」しようとしていた。
マナは、パイモンが語る「女神の涙」の話を、静かに聞いていた。
自分の力が砕け散り、地上に散らばっている。その一つ一つが、自分の感情や権能の一部――慈悲、憤怒、知恵、勇気、希望、絶望、そして愛。自分が人間として海斗と出会い、育んできた感情と同じ名前を持つ、神性の欠片。
「私の力が、日本のあちこちに」
「その通りだ。君の強大な神性を宿した欠片は、それ自体が一つのパワースポットと化し、周囲の環境に多大な影響を与えているはずだ。良い方向に作用すれば、そこは聖地となるだろう。だが、悪い方向に作用すれば、この世ならざる者たちを呼び寄せる、混沌の渦巻く魔境と化している可能性が高い。それが、我々が欠片を探すための、何よりの道標となる」
パイモンの言葉は冷静だったが、その内容は、日本全土に時限爆弾がばら撒かれていると言っているのに等しかった。
「でも、どうやって探すの? 日本は、こんなに広いのに」
海斗が、広げられた地図を前に途方に暮れたように呟いた。その時だった。
「その儀、この儂(わし)に任せてもらおうかのぅ」
いつの間にか、茶の間の入り口に、ぬらりひょんが立っていた。その登場は、あまりに自然で、まるで最初からそこにいたかのようだった。彼は、勝手知ったるという様子で上がり框に腰を下ろすと、マナが差し出した茶を一口すすった。
「この日ノ本には、古来より龍脈(レイライン)と呼ばれる、大地の力の流れがある。いわば、この星の血管のようなものじゃ。女神様の欠片ほどの代物であれば、間違いなく、その流れに引き寄せられ、どこかの節(ふし)――つまり、力が集中する場所に留まっておるはずじゃ」
ぬらりひょんが、皺だらけの指で、地図の上をすっと撫でる。すると、ただの等高線が描かれていただけの地図の上に、青く輝く幾筋もの光の線が、まるで生き物のように浮かび上がった。日本の大地を縦横無尽に走る、巨大なエネルギーのネットワーク。海斗は、この世界が、目に見える物質だけで出来ているのではないことを、改めて実感させられた。
***
「よろしい。ならば話は早い」
パイモンは、ぬらりひょんが示した龍脈の地図と、自らの魔術的な知識を組み合わせ、思考を加速させていく。
「だが、一つだけ、懸念がある。我々がこの結論に達したということは、天界の連中も、いずれ同じ答えにたどり着くということだ。特に、ラジエルのような知識派の天使が敵にいる以上、時間の猶予はない」
カマエル派の天使たちにとって、『女神の涙』は二重の意味で重要だった。一つは、マナの力を増幅させかねない、最優先で破壊すべき危険物として。もう一つは、その強大な神性を手に入れれば、自らの「浄化」計画を、より強力に、そしてより速やかに推し進めることができる、垂涎の的として。
「ここからは、競争だ」
海斗が、一同を見回して、力強く宣言した。その瞳には、もう迷いはない。守るだけの戦いは、龍の寝床で終わった。これからは、自分たちが、この世界の未来を、自らの手で掴み取るための、能動的な旅が始まるのだ。
苦しみの原因(集諦)であるカマエルの存在をただ受け入れて耐える段階は終わった。苦しみを滅するための具体的な道(道諦)を、自分たちの足で歩み始める時が来たのだ。
「奴らより先に、七つの欠片を全て集める。そして、マナの力を完全に取り戻し、カマエルを止める。いや、カマエルの背後にいる、本当の敵を」
その言葉に、マナは力強く頷いた。珠は「面白くなってきたじゃないか」と不敵に笑い、パイモンは「ようやく、僕の知性にふさわしいゲームが始まりそうだ」と満足げに口の端を上げた。
チームの目標が、初めて完全に一つに定まった瞬間だった。
***
それからの数日間は、情報の収集と分析に費やされた。ぬらりひょんが、日本全国に張り巡らせた妖怪ネットワーク――風に乗って情報を運ぶカラス天狗、大地を伝って噂を広める土蜘蛛、人の夢に紛れ込んで情報を盗む枕返し――から、各地の異変に関する情報が、次々と駄菓子屋に集められてくる。
「西の国では、古井戸から季節外れの桜が咲き乱れ、夜な夜な美しい女の歌声が聞こえる、と」
「北の果てでは、湖が凍りつき、氷の中に決して溶けない赤い花が咲いているそうだ」
「四国の山中では、千年間鳴りを潜めていた古の怨霊が、再び目覚めの兆しを見せているとか」
それらの膨大な情報を、海斗とパイモンが、龍脈の地図と照らし合わせ、一つ一つ、可能性を検証していく。それは、まさに司令塔としての海斗の能力が試される作業だった。
そして、ついに最初の欠片の場所が、ほぼ特定された。
「ここだ。間違いない」
パイモンが、地図上の一点を、ステッキの先で指し示した。そこは、北関東と東北の境に連なる、古くから雷神の住処として人々から畏れられてきた、険しい山岳地帯だった。
その結論を裏付けるように、ぬらりひょんの元へ、その山を縄張りとする天狗から、緊急の報せがもたらされた。
「ぬらりひょん様! 我らが棲家、鳴神岳(なるかみだけ)の様子が、どうにもおかしいのです!」
伝令役の若い烏天狗は、息も絶え絶えに報告した。
「この一ヶ月、山頂では、季節外れの雷雲が一日中渦を巻き、まるで巨大な龍のように、山を徘徊しております。その雷は、日を追うごとに激しさを増し、麓の村では、原因不明の高熱を出して倒れる者も続出しているとのこと。我らも、迂闊に近づけませぬ」
欠片が、その土地に眠る何かを刺激し、暴走させている。それは、誰の目にも明らかだった。
「最初の目的地は、決まったな」
海斗は、立ち上がると、窓の外に広がる、高く澄み切った秋の空を見上げた。その空は、まるで、これから始まる壮大な旅の門出を祝福するかのように、どこまでも青く、美しかった。
「準備をしよう。善は急げ、だ」
一行は、それぞれの武器を手に取り、旅立ちの準備を始めた。珠は、愛用の煙管を懐にしまい、パイモンは、旅の供にと、数冊の難解な魔導書をカバンに詰め込んでいる。マナは、海斗の腕の包帯を、新しいものに巻き直してやった。
「行こう。俺たちの戦いは、ここから始まる」
海斗の言葉に、仲間たちは力強く頷いた。
彼らが、新たな決意を胸に、駄菓子屋の古びた引き戸を開け、一歩外へ踏み出した、その瞬間。
遠くの、鳴神岳があるであろう方角の空で、まるでその門出を祝うファンファーレのように、ひときわ大きく、そして美しい稲妻が、蒼穹を二つに引き裂いた。
世界の運命を賭けた、壮大な宝探しの旅が、今、始まった。
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