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第五部:女神の遺産と人の叡智
第43話:付喪神たちのネットワーク
しおりを挟む深夜。新宿の空は、地上から放たれる眠らないネオンの光を映し、鉛色に淀んでいた。その光の届かない高層ビル群の影を縫うように、四つの人影が音もなく動いていた。海斗、マナ、珠、そしてパイモン。彼らの目的地は、新興宗教団体「暁の光輪」の本部が入る、ガラス張りのインテリジェントビルだった。
「やれやれ、物理的なセキュリティなど、赤子の手をひねるより容易い」
パイモンが、優雅な仕草で指を鳴らす。すると、厳重なはずの電子ロックが沈黙し、監視カメラの赤いランプが一斉に消えた。一行は、誰にも気づかれることなく、ビルの最上階へと侵入する。彼らが目指すのは、教団の幹部たちが「聖遺物」――女神の涙――を祀っていると目される、最奥の特別室だった。
しかし、重々しいチタン製の扉を開けた先にあったのは、荘厳な祭壇ではなかった。ひんやりとした空調の風が吹き抜ける、広大なサーバールーム。青白い光を明滅させる巨大なサーバーラックが森のように立ち並び、壁一面には、新宿一帯のインフラ――交通、通信、電力――を監視する無数のモニターが、びっしりと埋め込まれている。
「どういうことだ……? 欠片は、ここにはない」
海斗が呟いた、まさにその瞬間だった。
全てのモニターが、一斉に砂嵐に切り替わった。そして、次の瞬間、ビルの窓の外に広がっていた新宿の夜景が、まるで神の瞬きのように、一度、完全に闇に沈んだ。大規模な停電。遠くで、悲鳴のようなサイレンの音が、いくつも重なり合って響き始める。
「面白い。実に面白い現象だ。我々と同じく、奴らも欠片の反応を追いかけていただけか!」
パイモンの声には、困惑よりも知的な興奮の色が浮かんでいた。彼は、目の前で異常な点滅を繰り返すサーバーラックに手をかざし、その内部を流れるエネルギーの本質を探る。
「これは物理的なハッキングではない。霊的な汚染だ。欠片は、この部屋にあるのではない。この街そのものに宿ったのだ。新宿の地下に網の目のように広がる、古今東西の情報インフラ――古い電話線、同軸ケーブル、最新の光ファイバー。それら全てのネットワークが、欠片の膨大な神気を触媒として、一つの巨大な意識体を創発させたのだ。いわば、ネットワーク型の『付喪神(つくもがみ)』だよ」
付喪神。長い年月を経た器物に魂が宿り、妖怪と化したもの 。しかし、目の前で起きている現象は、その古典的な定義を遥かに超えていた。都市という巨大な生命体が、その神経網そのものに魂を宿し、今、激しい痙攣を起こしているのだ。
海斗は、激しい眩暈に襲われた。彼の共感能力が、ネットワークを通じて奔流のように流れ込んでくる、無数の魂の叫びを捉えていた。
(まだ使えるのに)
(ありがとうの一言もなかった)
(冷たい場所に捨てられたくない)
(誰か、誰か私のことを覚えていて)
それは、声にならなかった声。技術の進歩という、止めようのない変化(諸行無常)の波の中で、人々に忘れ去られ、捨てられていった、無数の道具たちの集合的な悲しみだった 。機種変更で役目を終えたスマートフォン。時代遅れになったパソコン。引き抜かれ、打ち捨てられた電話線。彼らの「忘れられたくない」という想いが、女神の涙の力を借りて、一つの巨大な怨嗟の声となっていた。
「システムが暴走している! こちらの制御を受け付けません!」
部屋の奥で作業をしていた教団の技術者たちが、悲鳴を上げる。彼らは、この現象をただのシステムエラーと捉え、力ずくで制御を取り戻そうと、強力なプログラムで攻撃を仕掛けていた。しかし、それは逆効果だった。
「オマエタチモ、ワタシタチヲ、捨テルノカ」
全てのモニターに、ノイズ混じりの赤い文字が浮かび上がる。ネットワーク付喪神は、その攻撃を「拒絶」と受け取った。次の瞬間、新宿の機能は、完全に麻痺を始めた。全ての信号が赤に変わり、駅のシャッターが一斉に閉鎖され、通信網は完全に沈黙する。都市が、巨大な鉄の棺桶へと姿を変えていく。
「やめて!」
その時、マナが叫んだ。彼女は、技術者たちを制止すると、巨大なメインサーバーの筐体に、そっと両手を触れた。そして、目を閉じ、自らの意識を、荒れ狂う情報の奔流へと、直接同調させていく。
「聞こえます。あなたたちの声が。忘れられるのは、とても悲しいこと。寂しいこと。私にも、分かります」
マナの意識は、ネットワークの深淵へと潜っていく。そこは、無数の電子の墓標が立ち並ぶ、冷たく暗いサイバー空間の墓場だった。彼女は、その一つ一つに語りかけるように、想いを紡いでいく。
「でも、あなたたちがいたからこそ、今の私たちの便利な生活がある。初めて誰かと繋がった電話の喜びも、遠くの友と語り合った夜も、その全てを、あなたたちが支えてくれていた。その全てを、私たちは決して忘れない。ありがとう」
それは、支配でも、説得でもない。ただ、そこにある存在を認め、肯定し、感謝する、「調和」の祈り。マナの温かい神聖な光が、ネットワーク全体に、さざ波のように広がっていく。道具たちの魂を縛っていた怒りと悲しみの呪縛が、ゆっくりと解けていく。荒れ狂っていた情報の嵐は、次第に凪いでいった。
やがて、ネットワーク付喪神の集合意識の中から、ひときわ清浄な光を放つ一点が、分離するように浮かび上がってくる。それは、自らの役目を終えた道具たちの魂が、感謝と共に、マナへと手渡した「女神の涙」だった。
光は、マナの手の中に収まった。同時に、砂嵐だったモニターに、正常な監視映像が戻ってくる。窓の外では、死んでいた街の灯りが、一つ、また一つと蘇り、新宿は再び、眠らない都市の姿を取り戻し始めていた。
夜明けの光が、ガラス窓を通して、サーバールームを白く照らし出す。一行は、四つ目の欠片を、その手にしていた。しかし、海斗の心は晴れなかった。人間の心の弱さが生み出した、狂信のカルト。そして、人間の身勝手さが生み出した、悲しき付喪神。この戦いが、単なる神や悪魔との争いではないという重い現実が、朝日と共に、彼の心に深く刻み込まれていた。
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