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第六部:最後の同盟と決戦前夜
第54話:司令塔の苦悩
しおりを挟む夜だった。
ぬらりひょんの隠れ里に用意された広大な屋敷の一室。そこは今、この世界の運命を決める、即席の作戦司令室と化していた。
季節は晩秋。障子の向こうで鳴く虫の声はか細く、張り詰めた空気は冬の訪れを予感させるほどに冷え切っている。部屋の中央には、日本列島を精密に再現した巨大な立体地図が鎮座し、数個のランプがその複雑な地形に、揺れる、長い影を落としていた。
その地図を、海斗は血走った目で見つめていた。
「――間違いない。天界の内戦は本格化した。今この瞬間も、カマエルの要塞『不動の天則』では、ザドキエル派との間で戦闘が続いている」
セレスが、天界から傍受した微弱な通信を解析し、青ざめた顔で報告する。彼女の言葉が、この部屋の空気をさらに重くした。残された時間は、ない。
「つまり、こうだ」
パイモンが、黒い革手袋をはめた指で、立体地図上のいくつかの地点をなぞった。「カマエルは内憂を抱え、地上への監視網に、観測史上最大の『穴』が空いている。だが、それも時間の問題だ。奴が内戦を鎮圧するか、あるいは禁忌兵器『魂を砕く光』の完成を強行すれば、我々の詰みだ」
急がねばならない。カマエルの息が再び地上にかかる前に、残る「女神の涙」を全て回収する。
海斗は、この数日間、寝る間も惜しんでこの盤面と向き合ってきた。ぬらりひょんの妖怪ネットワークが日本全国から集めた、何千もの「気」の異常報告 。パイモンの地獄の書庫からもたらされた、龍脈の古文書 。そして、セレスが命がけで持ち込んだ、天界軍の思考パターンと行動原理 。
それら膨大な、矛盾だらけの情報を、彼は司令塔としてひたすらに統合し、分析し、この複雑怪奇なシステムの「最適解」を探し続けた。
そして、一つの、あまりにも鮮明な「答え」が浮かび上がった。
「……見つけた」
海斗の声は、乾いていた。 彼は、立体地図の上に、三つの赤い駒を置いた。
「残る欠片の反応は、この三地点に絞られた。富士の樹海、恐山、そして出雲。だが、セレスの情報によれば、恐山と出雲には、今もカマエルの精鋭部隊が駐留している。おそらく、欠片の存在に気づいているんだろう」
「ならば、残るは富士の樹海か? だが、あそこも『生』の龍脈の源泉。一筋縄ではいかんぞ」 珠が、鋭い視線で地図を睨む。
「いや」と、海斗は首を横に振った。「富士の樹海は、罠だ。あえて情報をリークさせ、我々を誘い込むための偽の反応である可能性が、七割を超える」
「……ほう。ならば、どうする」 それまで黙って壁に寄りかかっていたぬらりひょんが、初めて口を開いた。
海斗は、息を一つ吸い込むと、震える手で、黒い駒を二つ、恐山と出雲の拠点に置いた。
「ぬらりひょん様にお願いがあります。あなたの配下にある百鬼夜行の主力を、二手に分けていただきたい。そして、恐山と出雲の二拠点を、同時に、全力で強襲してほしい」
一瞬の沈黙。 その作戦の意味を理解した珠が、血相を変えた。 「小僧、お前、正気か!? 敵の精鋭が待ち構えてる場所に、真正面から突っ込めって言うのか! それは、陽動じゃない。ただの、自殺だ!」
「だから、いいんだ」 パイモンが、その冷徹な声で珠を制した。彼の瞳は、海斗の作戦の「美しさ」に、初めて出会った芸術品を見るかのように輝いていた。 「カマエルの論理は完璧だ。奴は、我々が最も被害の少ない富士の樹海(罠)に来るか、あるいは、戦力を集中させて恐山か出雲のどちらか一点に来ると『予測』している。だが、最も愚策(ぐさく)であり、最も被害が甚大となる『二正面同時攻撃』など、奴の完璧な計算には、一ミリたりとも入っていない」
「そうか……」と、海斗は続けた。「奴の予測を超えた『あり得ない一手』を打つことで、奴の完璧なシステムに、強制的にエラーを発生させる。奴が、この二正面同時攻撃という『想定外のバグ』に対応するため、他の拠点から戦力を引き抜く、そのコンマ数秒の隙が生まれる」
海斗は、最後の駒を、全く別の場所――伊勢の神域――に置いた。 「俺たちの本命は、ここだ。カマエルの計算が狂ったその瞬間に、俺たち精鋭チームが、最も手薄になった第四の地点を電撃的に強襲し、欠片を奪取する」
それは、論理的で、美しく、そして、最も成功確率の高い作戦だった。 同時に、陽動部隊となる何百もの妖怪たちの「死」を、前提とした、最も非情で、最も醜い作戦でもあった。
「……それが、貴様の答えか」 ぬらりひょんは、煙管(きせる)から静かに煙を吐き出し、ただ、海斗の目をじっと見つめていた。
その時だった。
「う、……ぁ……」
海斗の喉から、押し殺したような呻き声が漏れた。 彼が、立体地図の上に置いた「駒」に触れた、その瞬間。彼の覚醒した共感能力が、その「駒」と、その先にいる無数の妖怪たちの「心」と、強制的に接続されてしまったのだ。
――死にたくない。
――怖い。
――なぜ、俺たちが捨て駒なんだ。
――まだ、里で待つ子供に、顔を見せていないのに。
恐怖。痛み。絶望。死への抵抗。 何百という命の叫びが、色と音を伴った情報の奔流となって、海斗の精神を直接殴りつけた。ランプの光が、赤黒く明滅して見える。立体地図が、まるで生き血を流す巨大な肉塊のように、ぐにゃりと歪んだ。
「ぐ、う、あああああっ!」
海斗は、頭を抱えてその場に膝をついた。 激しい頭痛と吐き気が、胃の底からせり上がってくる。 「仲間を守りたい」という、ただそれだけの想いで手に入れたはずの力が、皮肉にも、「仲間を犠牲にする」という決断を、彼の身体そのものに拒絶させていた。
「海斗!」 マナが、彼の背中に駆け寄ろうとする。だが、それよりも早く、冷たい影が二人の間に割り込んだ。
「――見苦しい」
パイモンだった。彼は、崩れ落ちた海斗を、心底軽蔑した目で見下ろしていた。 「それが、このチームの『司令塔』の姿かね?」
パン、と。彼がどこからか取り出した地獄の魔導書を閉じる、乾いた音が、部屋に響いた。
「司令塔とは、最も美しい勝利のために、最も醜い決断を下す者のことだ」
その声は、悪魔のように冷徹で、神の啓示のように厳かだった。
「君が今見ている地獄は、君がその席に座ることを選んだ瞬間から、君自身が引き受けると決めたものだ。その地獄に耐えられないというのなら、今すぐその席を降りるがいい。だが、覚えておけ。君のその感傷、その『誰も犠t牲にしたくない』という非合理的な渇愛(かつあい)こそが、全員の死という、この世で最も醜悪な結末を創発させることになるのだぞ」
パイモンの言葉は、一本の杭のように、海斗の心のど真ん中に打ち込まれた。それは、反論の余地のない、この世界の冷たい「理(ことわり)」そのものだった。
「……すまない。少し、頭を、冷やさせてくれ」
海斗は、仲間の顔を見ることができなかった。彼は、震える足でどうにか立ち上がると、司令室から、逃げるように出て行った。
その夜、海斗は、屋敷の縁側で、一人、星空を眺めていた。 晩秋の夜気は、肌を刺すように冷たい。だが、それ以上に、彼の心は凍てついていた。 パイモンの言う通りだ。 俺の甘さが、全員を殺す。 司令塔の資格なんて、俺にはない。俺は、ただのマナを守りたいだけの、臆病な大学生だ。なのに、俺は、何百もの妖怪たちの命を、天秤にかけて、計算しようとしていた。 「……俺は、化け物だ」 罪悪感が、暗く、重い泥のように、彼の全身に纏わりついてくる。 その時、そっと、温かい布が、彼の肩にかけられた。 「……マナ」 マナが、いつの間にか彼の隣に静かに座り、何も言わずに、同じ星空を見上げていた。
「海斗」 「……なんだよ」 「寒いね」 「……ああ」
意味のない会話。だが、マナは、パイモンのように彼を論破しようとも、珠のようにはっぱをかけようともしなかった。ただ、そこにいた。
「俺は、」 海斗は、喉が詰まるのを、必死でこらえながら、弱音を吐き出した。 「俺は、あいつらを、殺せない。あいつらの声が、聞こえちまうんだ。怖いって、死にたくないって。そんな奴らに、俺が、『死ね』って、どうやって……どうやって、言えばいいんだよ……」
マナは、海斗の手を取った。氷のように冷たくなった、彼の震える手を、自分の両手で、ぎゅっと包み込んだ。 そして、彼の肩に、自分の頭をこてん、と預けた。
「あなたは、一人で全部背負おうとしすぎです」
その声は、静かだったが、この世の何よりも強い意志に満ちていた。
「あなたは、化け物なんかじゃない。誰よりも、人の痛みがわかる、優しい人です。だから、そんなに苦しいんだよね」 「……」 「パイモンさんの言うことは、論理(ロジック)としては正しいのかもしれない。でも、その痛みを、その地獄を、あなたが一人で引き受ける必要なんてない」
マナは、海斗の顔を覗き込むようにして、微笑んだ。その瞳は、泣いていた。
「その痛み、その罪、私も半分持ちます。あなたが下す決断が、どんなに茨の道であろうと、私はあなたの隣を歩きます。だから、お願い。一人で苦しまないで」
彼女は、何の解決策も示さなかった。 ただ、彼の苦しみを、彼の罪を、自分のものとして、共に背負うと宣言した。 海斗の瞳から、こらえていた涙が、一筋、こぼれ落ちた。 そうだ。俺は、一人じゃなかった。
夜が明け、司令室に、再び妖怪たちの幹部たちが集結していた。ぬらりひょん、珠、そして、昨夜のやり取りを伝え聞いた、天狗や河童の長たち。 その張り詰めた空気の中を、海斗が、マナと共に、入ってきた。 彼の顔に、もう迷いはなかった。そこにあったのは、これから自分が背負うであろう、全ての罪と責任を引き受けた、司令塔の顔だった。
彼は、幹部たちの前に立ち、そして、ゆっくりと、しかし深く、頭を下げた。
「昨日は、無様な姿をお見せしました」
彼は顔を上げると、そこにいる全員の目を見つめながら、語り始めた。
「俺が立案した作戦は、恐山と出雲に、陽動部隊を派遣するものです。この作戦が成功すれば、我々は勝利に大きく近づけるでしょう」
そこで、彼は一度、言葉を切った。
「ただし、この作戦は、陽動部隊となってくださる皆さんに、壊滅に近い犠牲が出ることを、前提としています」
ざわ、と。妖怪たちの間に、動揺が走る。 しかし、海斗は、その動揺から目をそらさなかった。彼は、その場で、土下座をした。
「俺は、皆さんを、死地に送ろうとしています。それでも、」
彼は、額を畳にこすりつけながら、声を絞り出した。
「俺たちに、この世界に生きる全ての仲間たちの未来を、託してはもらえないでしょうか。俺は、皆さんの命を、決して無駄にはしません。この罪を背負って、必ず、カマエルを討ちます。どうか、お願いします」
しん、と。部屋は静まり返っていた。 誰もが、この若き人間の司令塔が、どのような地獄を引き受け、その上で、今ここに立っているのかを、理解したからだ。
ぬらりひょんが、ゆっくりと煙管を口から離し、その細い目を、細めた。
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