「彼女を拾うな」――謎の忠告を無視した俺の日常は崩壊した。記憶喪失の少女は世界を滅ぼす女神の『鍵』。

Gaku

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第七部:天空の要塞と偽りの正義

第62話:神の名において

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カマエルの「浄化」の宣告が、無音の空間を絶対零度の意志で満たした。 彼が纏う「熾天使の武具」が放つ、もはや光というよりも純粋なエネルギーの奔流が、至聖所を白く、白く塗り潰していく。肌が焼ける。いや、焼けるという物理的な感覚ではない。魂の表面が、そのあまりに清浄すぎる神聖な圧によって、削り取られていくような錯覚。

「――やるぞッ!」

その神の威光が支配する重圧を引き裂いたのは、海斗の絶叫だった。 恐怖で竦みそうになる膝を叱咤し、彼は司令塔として、この絶望的な状況下で導き出せる唯一の解を叫んだ。 「珠さん、パイモン! 上下から同時に奇襲を!」

「言われなくとも!」 「美しくないね!」

海斗の言葉が終わる前に、二つの影が弾かれたように動いていた。 「ご高説は聞き飽きたよ、この石頭!」  珠が、甲高い叫びと共に、その姿を漆黒の影へと変えた。彼女は、カマエルの完璧な認識の外側を突く。床を蹴るのではない。影から影へと跳躍し、カマエルが立つ玉座の「真上」、この無重力に近い空間における唯一の死角へと瞬時に回り込んだ。その爪には、妖怪としての全妖力が、凝縮された黒い炎となって纏わりついている。

「美しくない理想は、ここで終わりにしたまえ!」 

珠の動きと完璧に同調し、パイモンがステッキを床に突き立てる。彼の足元から、地獄の言語で構築された無数の術式が、猛烈な速度でカマエルの足元へと展開していく。それは、対象の存在基盤そのものを地獄の法則で汚染し、その「座標」を強制的に書き換えようとする、パイモンの魔術の粋を集めた大魔方陣だった 。 上からは、妖怪の最速の爪。 下からは、悪魔王の最悪の呪詛。 海斗が立案し、チームの最強戦力が実行する、天地からの同時飽和攻撃。いかに神とて、これを受け切れるはずは――

カマエルは、動かなかった。 その蒼く虚無的な瞳は、眼前のマナを見据えたまま、一度も、珠やパイモンの方を向かなかった 。

「――っ!?」

真上からカマエルの脳天を貫こうとしていた珠が、猫としての本能的な恐怖に、全身の毛を逆立たせた。 カマエルは見ていない。だが、彼が纏う「熾天使の武具」の右肩部分の装甲が、花弁が開くように展開し、その奥から眩い光の槍が自動的に射出された 。 それは、珠の動きを予測したものではない。珠が到達する「未来」そのものに、あらかじめ突き刺しておくかのような、因果関係を無視した絶対的な迎撃だった。 「(速いとかじゃない、読んでやがったのか!?)」  珠は、空中で無理やり身体を捻り、紙一重で光の槍を回避する。しかし、槍が放った余波だけで肩の肉が深く抉れ、鮮血が純白の空間に黒く飛び散った。

その刹那、パイモンの足元でも異変が起きていた。 「(馬鹿な!)」 パイモンが、その怜悧な顔に初めて純粋な驚愕を浮かべた。 彼が展開した地獄の大魔方陣が、カマエルの足元に触れる寸前、カマエルが立つ床、いや、空間そのものが淡い白銀の光を放った。次の瞬間、パイモンの術式は、より高次の、純粋な「秩序」の法則によって、その存在意義を根源から書き換えられた 。 複雑怪奇を極めた呪詛の紋様が、まるでインクが水に溶けるように、あっけなく中和され、分解されていく 。 「私の術式が、ただのエネルギーに還元されただと…!?」 

海斗は、その光景に息を呑んだ。 司令塔として、自分が出し得る最善の一手だったはずだ。妖怪の「変化」と悪魔の「混沌」。その二つを同時にぶつけるという、カマエルの秩序とは対極にある攻撃。 それが、カマエルを一歩も動かすことなく、指一本触れさせることもなく、その身に纏う武具の「自動防衛システム」だけで、完璧にあしらわれてしまった 。 格が違う。 生物と、自然現象。人間と、台風。 それほどまでに、絶対的な力の差が、そこには横たわっていた。

カマエルは、そこで初めて、マナから視線を外した。 彼は、至聖所という完璧な空間に紛れ込んだ「雑音(バグ)」を修正するエンジニアのように、その虚無の瞳を、パイモンと珠へとゆっくりと向けた。 その瞳には、怒りも、憎しみも、焦りもない。 ただ、そこに在るから「削除」する、という、冷徹な意志だけがあった。

「悪魔」 カマエルの声が、再び脳内に響き渡る。 彼は、苦悶の表情で魔力の逆流に耐えるパイモンに向かって、その白磁のように美しい手を、ゆっくりとかざした。 『あなたの存在理由は「混沌」。よって「秩序」で固定する』 

「――ッ!?」 パイモンが、未知の感覚に目を見開いた。 彼の周囲の空間が、物理法則を無視して「凝固」し始めたのだ 。 空気でも、光でもない。空間そのものが、まるで水が氷になるように、完璧な幾何学模様の結晶体へと、その相を変えていく。 「(ぐ、動け…! 私の混沌が、秩序に塗り潰される!?)」 パイモンは、自らの存在意義である「混沌」の魔力を解放し、その侵食に必死に抵抗する。しかし、彼の周囲の空間は、カマエルの絶対的な「秩序」の力によって、まるで琥珀の中に閉じ込められる虫のように、内側から、外側から、美しくも冷酷な水晶の中へと封じ込められていく 。

「妖怪」 カマエルは、次に、傷を負いながらも再び飛びかかろうとする珠へと、その蒼い視線を向けた。 『あなたの力は「変化」。よって「静止」を命じる』 

「(身体が…!)」 音速でカマエルの死角へと回り込もうとしていた珠の身体が、まるで見えない万力に掴まれたかのように、空中でぴたりと静止した。いや、静止ではない。彼女の動きが、千倍、一万倍にも引き延ばされたかのように、強制的に「減速」させられていた 。 ミシミシ、と彼女の骨が軋む音が、静寂の中で嫌に大きく響く。 彼女の最大の武器である「変化」と「速度」を、カマエルの「静止」の権能が、真っ向から否定し、ねじ伏せていく。彼女の身体は、その圧倒的な超重力に耐えきれず、スローモーションで床へと叩きつけられていった 。 「(あ、が…鉛、みたいだ…!)」 

「珠さん! パイモン!」 海斗が叫ぶ。彼は、パイモンの書斎で学んだ知識を、脳が焼き切れるほどの速度で回転させていた。 (ダメだ、詠唱も予備動作も一切ない! ヤツの行動原理は、俺たちの知る物理法則や魔術理論の外にある! 予測が、できない!) 司令塔としての分析が、敵の行動の「結果」を追認するだけで、全く追いつかない 。 その絶望的な状況で、ただ一人、立っていたのはマナだった。 「させません!」 彼女の胸で、七色に輝く「女神の涙」が、カマエルの神聖な圧に抗うかのように、強い光を放つ 。 「調和」の光がドーム状に広がり、仲間たちを拘束する「秩序」と「静止」の法則に、必死に干渉していく。そのおかげで、パイモンの結晶化は寸前で止まり、珠も床に叩きつけられながらも、かろうじて五体満足を保っていた 。 しかし、その防御は、あまりにも消耗が激しかった。マナの額には玉の汗が浮かび、その膝は小刻みに震えている。カマエルという絶対的な力を前に、彼女の「調和」の力は、防戦一方になるのが精一杯だった。

カマエルは、マナが展開した七色の結界を、興味深そうに、しかし冷ややかに見つめていた。 彼は、この防御がいずれ破れることを知っていた。 だが、彼は、より効率的で、より根本的な方法を選んだ。 マナの結界を物理的に破るのではない。彼女の結界の源泉、その力の源である「仲間への想い」そのものを、内側から破壊する道を選んだのだ 。

カマエルは、苦しむ仲間たちを指し示しながら、その論理の刃を、マナの心へと突き立てた。

『マナ』 脳内に響く、冷徹な声。 『あなたの「調和」が、あの悪魔の「混沌」を許容した結果が、あの苦しみです』  カマエルは、水晶の中で身動きもできず、屈辱と苦痛に顔を歪めるパイモンの姿を指し示す。 『あなたの「多様性」が、あの獣の「無軌道」を肯定した結果が、あの苦しみです』  彼は、床に押さえつけられ、骨の軋む音に耐えながら呻く、珠の姿を指し示す。 『そして』 カマエルの視線が、マナに守られ、何もできずに立ち尽くす海斗を捉える。 『あなたの「愛」という、最大のバグが。あの、何の力もない無力な人間(海斗)を、この神の領域という死地にまで縛り付けているのです』 

海斗は、その言葉にハッとした。何もできず、マナに守られている自分。その事実が、彼の心を容赦なく抉る。

カマエルは、マナに向かって、静かに、そして残酷に、その「正義」を宣告した。 『私の世界に、その苦しみは存在しない。なぜなら、苦しみの原因(バグ)そのものを、私は許さないからです』 

その言葉は、どんな光の槍よりも鋭く、マナの魂を貫いた。 彼女が信じる「調和」が、仲間を苦しめている? 彼女が信じる「多様性」が、珠を苦しめている? 彼女が信じる「愛」が、海斗を死地に縛り付けている?

(私が、みんなを、苦しめている…?) 

それは、マナの思想の根幹を揺るがす、あまりに残酷な論理の刃だった。 彼女の心の揺らぎに呼応するように、七色に輝いていた「女神の涙」の光が、一瞬、大きく揺らめいた。 そして。

ピシリ、と。

マナが必死に維持していた防御結界の表面に、一本の、小さな亀裂が入った 。 カマエルの蒼く虚無的な瞳が、その致命的なエラーを、冷ややかに見据えていた。
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