「彼女を拾うな」――謎の忠告を無視した俺の日常は崩壊した。記憶喪失の少女は世界を滅ぼす女神の『鍵』。

Gaku

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第七部:天空の要塞と偽りの正義

第63話:百鬼夜行の咆哮

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ピシリ、という乾いた音が、至聖所の絶対的な静寂の中で、死の宣告のように響き渡った。 マナの心の揺らぎに呼応し、彼女が必死に維持していた七色の防御結界の表面に、決定的な亀裂が走った。 カマエルの完璧な論理の刃は、マナの「調和」の思想そのものを、その根幹から打ち砕いた。「愛」が、「多様性」が、「混沌」が、仲間を苦しめている。その残酷なジレンマが、彼女の女神としての存在意義を揺るがしていた。

『理解不能。修正不能。バグは、それ自体が苦しみを生む』 カマエルの冷徹な声が、脳内に響く。 彼は、マナの心の弱点を見逃さなかった。その亀裂をこじ開けるように、純白のエネルギーをさらに高める。 結界が、ついにガラスのように砕け散った。

「マナッ!」 海斗が叫ぶ。 「(まずい!)」 水晶化からかろうじて逃れていたパイモンが、拘束された空間の中で身動ぎする。 「(くそっ、動け、動けよ、あたしの身体…!)」 超重力に床に押さえつけられた珠が、必死に指先を動かそうと呻く。 だが、間に合わない。 カマエルは、その白磁の手を、ゆっくりと、絶望に打ちひしがれる海斗へと向けた。 『まずは、最大のノイズであるあなたから、修正します』 カマエルの掌に、世界を無に還すほどの、純粋な「秩序」の光が集束していく。 その、絶体絶命の瞬間だった。

場面は一転する。 そこは、天空の要塞の外周部。果てしなく広がる純白の雲海の上だった。 ここでは、至聖所の静寂とは正反対の、凄まじい混沌の戦端が開かれていた。 「うおおおおおおッ! 押し返せぇ! 小僧ども(海斗たち)が戻るまで、天使(トリ)一羽、中に入れるんじゃねえぞ!」 大地を揺るがす(実際には雲海を揺るがす)ほどの咆哮を上げ、鬼の頭領が巨大な金棒を振り回していた。彼の全身は、カマエル配下の天使たちが放つ光の矢を受け、焼け焦げ、血を流している。だが、その闘志は微塵も衰えていなかった。 「デカブツが邪魔だ! 陣形を組んで無力化しろ!」 天使たちが、完璧な連携で鬼の頭領を取り囲み、光の鎖でその動きを封じようとする。 「させっかよ!」 「親分の邪魔はさせねえ!」 頭領の周囲を、屈強な鬼たちが固め、天使の障壁を、ただひたすらな腕力で殴りつけ、蹴り飛ばし、まるでラグビーのスクラムのように、原始的な力で押し返していく。それは、洗練された「論理」に対する、あまりに泥臭い「生命力」のぶつかり合いだった。

「(親分! ダメです! 奴らの足元、聖なる御加護でツルッツルです! こっちが滑ります!)」 「(馬鹿者! 物理的な摩擦の問題ではない! 心の問題だ! もっと気合を入れて撒け!)」 「(りょ、了解! うおおお! 食らえ、聖なるキュウリの雨!)」 戦場の片隅では、河童の一団が、信じられないほど真剣な顔で、天使たちの足元に大量のキュウリを投げ込んでいた。当然、天使たちはキュウリを踏みしめながら、完璧な陣形で前進してくる。全く効いていなかった。 「(ダメだ親分! 聖なる御御足は、我らの故郷の恵みごときでは止まりません!)」 「(ならば、アレだ! 最終奥義『ヌルヌルの舞』でいけ!)」 「(はっ!)」 河童たちが、キュウリをばら撒くのをやめ、その場で奇妙な踊りを始めた。すると、彼らの身体から分泌される謎の粘液が、雲海の表面に撒き散らされていく。 天使の一体が、その粘液を踏んだ。 完璧な重心移動、完璧な歩法。しかし、彼の知る物理法則の前提条件が、河童の粘液によって根底から覆された。 「(――!?)」 ツルッ。 神々しい天使が、優雅に、そして盛大に、すってんころりんと雲海の上で尻餅をついた。 「(い、いけます親分! 奴らの『論理』は、我らの『ヌルヌル』に対応できません!)」 「(押せ押せぇ! この雲海全てを、我らが故郷の沼に変えてやれ!)」 河童たちの、謎の士気が爆発した。

「やれやれ。若造どもは、相変わらず元気が良すぎてかないませんのぅ」 その大混乱の戦場から遥か後方。浮遊する岩塊の上に組まれた本陣で、ぬらりひょんは、湯呑みで熱い茶をすすりながら、静かに目を閉じていた。 彼は、戦場の喧騒には一切関知していない。ただ、その意識だけを、天使軍の指揮系統の中枢へと飛ばしていた。 天使軍の指揮官(熾天使級)が、完璧な陣形を指示しようと口を開く。 「(全軍、第三フォーメーションへ移…な、何だ貴様は!?)」 指揮官の脳裏にだけ、突如、ぬらりひょんの姿が浮かび上がった。彼は、指揮官の隣にいつの間にか座り込み、勝手に茶を淹れている。 「(おやおや、お客人ですかい? 申し訳ないが、今は取り込み中でしてな。え? メタトロン様の直々の視察団が、お前の背後に? すぐにご挨拶をせねば、無礼打ちにされると?)」 「(な、なにぃ!? メタトロン様が、このような前線に!?)」 指揮官は、慌てて背後を振り返る。もちろん、そこには誰もいない。 「(おのれ、幻術か!)」 「(おっと、今度は左ですかな?)」 「(ぐぬぬぬ!)」 ぬらりひょんの高度な幻術が、指揮系統のど真ん中をかき乱し、天使軍の完璧な連携に、致命的な「ラグ」を生み出していた。

論理(天使)対、混沌(妖怪)。 個々の力は弱くとも、それぞれのやり方で、無秩序に、しかし必死に戦う妖怪たちの存在そのものが、カマエルの完璧な「システム」に対する、最大の攻撃となっていた。

そして。 その戦場から、さらに遥か上空。 要塞の残骸が漂う、成層圏に近い絶対的な静寂の中。 雲の上に寝そべり、九本の巨大な金の尾を枕にしながら、一人の絶世の美女が、退屈そうに地上(雲海)の戦いを眺めていた。 玉藻前だった。 「ふむ。鬼も天狗も、まぁ、見苦しくはない働きよの。じゃが、ちと飽いたわ」 彼女は、うっそりとため息をつく。その金の瞳が、天使軍の陣形を捉えた。 「あの光る鳥ども、一列に並びすぎていて、美しくない」 ただ、それだけの理由だった。 彼女は、気まぐれに、ゆっくりと片手を上げる。その指先に、九本の尾から集められた、規格外の妖力が収束していく。それは、小さな太陽と見紛うほどの、巨大な狐火の塊となった。 「混沌(カオス)は、かくあるべし」 玉藻前は、満足げに微笑むと、その太陽を、天使軍の陣形のど真ん中――一番密集していて、一番綺麗に整列している場所――めがけて、隕石のように正確に、そして容赦なく、投下した。

場面は、再び至聖所内部へ戻る。 カマエルの「修正」の光が、海斗の心臓を貫こうとする、その絶体絶命のコンマ一秒。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!

突如、至聖所全体が、まるで神の怒りに触れたかのように、激しく揺さぶられた。 純白だった空間が、玉藻前の狐火が放った規格外の衝撃波によって、赤く、青く、激しく明滅する。 「なっ!?」 海斗が目を見開く。 完璧な静寂と秩序の空間に、突如として叩きつけられた、外部からの、あまりに強大で、あまりに予測不能な「ノイズ」。 カマエルの完璧な照準が、その予測不能な「ゆらぎ」によって、コンマ数ミリ、狙いを逸らされた。 光の奔流は、海斗の心臓ではなく、彼のすぐ横の空間を、凄まじい轟音と共に貫き、至聖所の壁に着弾し、空間そのものを大きく抉り取った。

「(…助かった?)」 海斗は、命拾いしたことへの安堵よりも、今起きた現象への驚きで、思考が停止していた。 そして、彼は、感じた。 玉藻前の衝撃波がもたらした、次元の歪みの、その隙間から。 彼の進化した共感能力が、外の世界の「声」を、洪水のように受信したのだ。

――鬼の頭領の、仲間を鼓舞する怒号。 ――河童たちの、「ヌルヌルだ!」という訳の分からない歓喜の叫び。 ――ぬらりひょんの、静かで冷たい、底知れぬ妖気。 ――そして、今しがた全てを破壊した、玉藻前の、気まぐれで、圧倒的な混沌の気配。

(みんな…戦ってる)

海斗は、絶望の淵から、ゆっくりと顔を上げた。 カマエルが作り出そうとしている、完璧で、静かで、感情のない「秩序」の世界。 それに対して、外で戦っている仲間たちは、なんとメチャクチャで、バラバラで、非合理的で、それでいて、どうしようもなく生命力に満ちていることか。

(そうだ。それでいいんだ)

カマエルの完璧な論理(秩序)に対する、唯一の答え。 それは、海斗の仲間たちが今まさに体現している、予測不能で、不完全で、だからこそ美しい、「混沌(いのち)」そのものだった。 海斗の瞳に、絶望の淵から這い上がった、強い光が戻ってきた。 「まだ、終わってない…!」 彼は、カマエルが次の攻撃に移る前の、その僅かな隙を突き、司令塔として、最後の声を振り絞った。
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