「彼女を拾うな」――謎の忠告を無視した俺の日常は崩壊した。記憶喪失の少女は世界を滅ぼす女神の『鍵』。

Gaku

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第七部:天空の要塞と偽りの正義

第70話:崩れゆく天と地

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「うわああああああああっ!」

夜空を切り裂く絶叫。それは、ジェットコースターの比ではなかった。
相川海斗(あいかわ かいと)は、今まさに、頼りない手足だけで空を泳いでいた。
上下の感覚がない。あるのは、鼓膜を叩く猛烈な風切り音と、内臓がせり上がるような強烈な浮遊感だけだ。

「海斗! 手を! 手を離さないで!」
「離すもんかよ! 絶対に!」

海斗は、左手でマナの手を、右手でカマエルの手を、万力のように握りしめていた。
すぐ近くを、猫又の珠(たま)が「にゃあああああ!」と悲鳴を上げて回転しながら落ちていく。悪魔王パイモンは、シルクハットを押さえながら「落下姿勢が美しくない!」と文句を言っているが、そんなことを気にしている場合ではない。

見上げれば、今まで戦っていた「天空の要塞」が、赤黒い火花を散らしながら崩壊していくのが見えた。
まるで巨大なビルが空中で爆発したかのような、圧巻の光景。
無数の瓦礫(がれき)が、流星群のように彼らを追いかけて降ってくる。
そして眼下には――宝石箱をひっくり返したような、東京の夜景が迫っていた。

「綺麗だねぇ……なんて言ってる場合じゃないよ!」

海斗は顔を引きつらせた。
このままじゃ、全員地面に激突してペチャンコだ。
いや、それだけじゃない。あんな巨大な要塞の残骸が街に落ちたら、核兵器が落ちたのと同じことになる。

「どうすりゃいいんだよ、これ!」

一方、その頃。
要塞の外、空中で待機していた妖怪軍団もまた、この世の終わりのような光景に直面していた。

「お、おい! 天が割れたぞ!」
「逃げろ! 巻き込まれるぞ!」

天使軍と戦っていた妖怪たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
空を飛べる天狗たちはまだいい。問題は、地面で戦っていた「飛べない妖怪」たちだ。
要塞の外壁にしがみついていた鬼や河童たちは、足場が崩れ去ったことで、次々と虚空へ放り出されていた。

「ぬおおおっ! 拙者、まだ死にたくないでござる!」
「皿が! 皿が乾く前に死んでしまう!」

阿鼻叫喚の地獄絵図。
その混乱の中で、妖怪総大将ぬらりひょんの声が響いた。

「うろたえるな! 飛べる者は飛べぬ者を抱えよ! 一匹たりとも見捨てるでない!」

ぬらりひょんは、自らも巨大な妖怪変化の姿となり、落下する仲間たちを受け止めようとする。だが、数が多すぎる。
巨大な瓦礫が、逃げ遅れた河童の一団に迫る。

「――あ、終わった」

河童たちが目を閉じた、その瞬間だった。
カッ!
黄金色の炎が、夜空を焼き払った。
迫りくる巨大な岩塊が、一瞬にして蒸発し、灰となって散る。

「……まったく。騒々しいのぅ」

空中に、優雅に足を組んで浮いている美女がいた。
伝説の大妖怪、玉藻前(たまものまえ)だ。
彼女の背後では、九本の巨大な尾がオーロラのようにゆらめいている。

「た、玉藻様!?」

「勘違いするでないぞえ。妾(わらわ)は、美しい夜景を楽しんでいたところじゃ。視界を遮るゴミが邪魔だったゆえ、掃除したまでよ」

彼女はそう言って、気だるげにあくびをした。
言いながらも、彼女の九本の尾は、それぞれが意思を持った触手のように伸び、落下していく小妖怪たちを次々と搦(から)め取って救い上げている。
気まぐれで、残酷で、でもどこか憎めない「縁(えにし)」が、そこにはあった。

「さあ、特等席じゃ。天が堕ちる様など、千年に一度も見られぬぞえ?」

玉藻前は、ニヤリと笑って崩れ落ちる要塞を見上げた。


視点は再び、落下する海斗たちへ。

「くっ……!」

マナが、空中で祈るように両手を広げた。
彼女の胸元の「女神の涙」が、激しい光を放つ。

「止まって……お願い!」

七色の光の帯が、落下する要塞の残骸に向かって伸びる。
「調和」の力で、落下のエネルギーを相殺しようとしているのだ。
ブォォン!
空気が重く軋(きし)む。要塞の落下速度が、ほんのわずかに緩んだ気がした。
だが、相手は山一つ分ほどの質量がある巨大構造物だ。
一人の女神の力だけで支えきれるものではない。

「だめ……重すぎる……!」

マナの顔が苦痛に歪む。
彼女の体から、生命力が削り取られていくのが分かる。
それでも彼女は、力を緩めない。
もし今、彼女が手を離せば、下の街は消滅する。
「私が、やらなきゃ……!」
それは責任感じゃない。愛する世界を守りたいという、彼女自身の「執着(あい)」だ。仏教では執着は苦しみを生むと言うけれど、誰かを守りたいという強い執着は、時に奇跡を起こすエンジンになる。

「マナ! 無理するな!」

海斗が叫ぶが、彼にできることはない。
物理法則の前では、人間の想いなど無力だ。
海斗は、左手でマナを支えながら、右手で掴んでいる男を見た。

カマエル。
彼は、海斗に腕を掴まれたまま、だらりとぶら下がっていた。
その目は、迫りくる地上の光を見ているようで、何も見ていなかった。
魂が抜けたような、完全な虚脱状態。

「……放せ」

風の音に混じって、カマエルの声が聞こえた。

「もう、いい。我には……生きる価値などない」

彼は、自分の重みがマナの負担になっていることを知っていた。
自分が手を離せば、マナはもう少し楽になるかもしれない。
それが、彼にできる最後の「正義」だとでも言うように。

カマエルが、海斗の手を振りほどこうとする。
その指先には、もう生きる意志の力がまったく入っていない。

ブチッ。
海斗の中で、何かが切れた。

「ふざけんなよ……!」

海斗は、振りほどかれそうになったカマエルの手首を、逆に爪が食い込むほど強く握りしめた。

「痛っ……!?」
カマエルが驚いて海斗を見る。
海斗は、鬼のような形相でカマエルを睨みつけていた。

「お前、何、悲劇のヒーローぶってんだよ! 『死んでお詫びします』とか、そんな安いドラマで終わらせてたまるか!」

「だ、だが……我の正義は偽りだった。我が生きてきた数千年は、無意味だったのだ! ならば、消えるしか……」

「過去の話なんかしてんじゃねえよ!!」

海斗の怒鳴り声が、暴風音を切り裂いてカマエルの耳に突き刺さる。

「お前の過去が嘘でも、偽物でも、どうでもいいんだよ!
今! 今、お前が生きてることは事実だろ!
俺の手が、お前を掴んでる熱さは、本物だろ!!」

海斗の手のひらから、カマエルの手首に、脈打つような熱が伝わってくる。
ドクン、ドクンと。心臓の音が聞こえるようだ。
それは、理屈でも思想でもない。ただの「生命」の鼓動だ。

仏教には「前後際断(ぜんごさいだん)」という言葉がある。
過去を悔やむな。未来を憂うな。
ただ「今、ここ」という瞬間だけを、燃焼し尽くして生きろ。
海斗は難しい言葉など知らない。でも、彼は本能でそれを知っていた。

「下を見ろ、カマエル!」

海斗が顎でしゃくった先。
眼下に迫る、宝石のような街の灯り。
そこには、数百万の人々が生きている。
コンビニで夜食を買う人、恋人と電話する人、受験勉強をする学生、赤ん坊をあやす母親。
無数の「今」が、あそこで輝いている。

「あいつらは、お前の事情なんて知らねえんだよ!
メタトロンの計画も、天界の嘘も関係ねえ!
ただ明日も生きたいって思ってるだけの、普通の命だ!」

海斗は、カマエルの体を強引に引き寄せ、その胸ぐらを掴んだ。

「お前の力が、人を殺すための力じゃなかったって言うなら!
お前の『正義』が、誰かを救いたいって思いから始まったんなら!
過去に絶望してないで、今、その力を使えよ!!」

カマエルの瞳が揺れた。
今まで見たこともない、激しい感情の波が、彼の中で渦巻く。
利用されていた怒り。過ちへの後悔。自分の無力さへの絶望。
それら全部が、海斗の熱い手と、眼下の街の光によって、混ぜ合わされていく。

(我は……)

カマエルの脳裏に、浮かんだ光景があった。
それは、まだ彼が純粋な天使だった頃。
初めて地上に降り立ち、人間の子供が花を摘んで笑う姿を見た時の、胸が締め付けられるような「愛おしさ」。
そうだ。
我は、システムを守りたかったんじゃない。
あの、壊れやすく、儚(はかな)い笑顔を、守りたかったんだ。

「……くっ、うおおおおおっ!!」

カマエルの喉から、咆哮(ほうこう)が迸(ほとばし)った。
彼の背中から、失われていたはずの翼が――いや、光そのものでできた翼が、爆発するように噴き出した。

「マナ! 我に合わせろ!」

カマエルが叫んだ。その声には、もう迷いはない。
彼は海斗の手を握り返すと、空いた片手を天に向けた。
彼の中に残された、全ての神聖なエネルギーを、破壊ではなく「守る」ために解放する。

「カマエル……!」

マナが目を見開く。
かつて敵対していた二つの光。
「調和」しようとするマナの七色の光と、「秩序」をもたらすカマエルの純白の光。
本来なら混じり合うはずのない二つが、海斗という「人間」を介して繋がったことで、奇跡的な化学反応(ケミストリー)を起こした。

「うおおおおおおおおっ!」

カマエルとマナ、二人の絶叫が重なる。
二つの光が螺旋を描いて絡み合い、巨大な光の柱となって、落下する要塞へと突き刺さる。

ガガガガガガ……ッ!

強烈なG(重力)が、全員の体を押し潰そうとする。
要塞の落下速度が、目に見えて落ちていく。
だが、まだ止まらない。質量が大きすぎるのだ。

「くそっ、あと少し……あと少しなんだよ!」

海斗が歯を食いしばる。
このままでは、激突する。街が消える。
何かが、あと一手、足りない。

その時だ。

「やれやれ。君たちだけでカッコつけるのは、ズルいんじゃないかい?」

不敵な声が聞こえた。
海斗たちのさらに下、街の上空に、幾何学模様の魔法陣が展開された。
パイモンだ。
彼は落下しながらも、優雅にステッキを振るっていた。

「地獄の重力制御術式、展開。……美しく着地させてあげよう」

さらに、横から黒い影が飛び込んでくる。
珠だ。彼女は巨大な化け猫の姿になり、その背中で要塞の瓦礫の一部を受け止めた。

「ったく! 猫の手も借りたいって顔してんじゃないよ! 貸してやるからさぁ!」

悪魔の魔術が、要塞の下からクッションのように作用する。
妖怪の肉体が、物理的な衝撃を殺す。
そして、神と天使の光が、全体を包み込んで支える。

人間、神、天使、悪魔、妖怪。
種族も、思想も、立場も違う者たちが、「今、ここにある命を守る」というたった一つの目的のために、カチリと噛み合った。
それは、誰も想像し得なかった、最強で最悪で、そして最高に美しい「システム」の完成だった。

「いっけええええええええええっ!!」

海斗の号令と共に、全員の力が一つになった。
夜空に、太陽よりも眩しい光が弾けた。
崩れゆく天と地の間で、彼らは、新しい未来への着地点をこじ開けようとしていた。

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