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第八部:新世界の秩序と最後の選択
第72話:代償と約束、世界が見た夜明け
しおりを挟む【1:常識が死んだ朝】
世界がひっくり返る音は、案外静かだった。 それは爆発音でも悲鳴でもなく、何億台ものスマートフォンが一斉に震える、低い羽音のような振動だった。
十月某日、早朝。 通勤ラッシュの電車内は、異様な静けさと熱気に包まれていた。誰もが手元の小さな画面に釘付けになっている。流れている映像は、どこのチャンネルも、どのSNSも同じだ。 夜明けの太平洋に浮かぶ、山のように巨大な鉄の島。 そして、その周囲を飛び回っていた、光り輝く「人ならざるもの」たちの不鮮明な映像。
「映画の宣伝だろ?」誰かが震える声で言った。「CGだよな、これ」 「でも、アメリカ大統領が緊急会見するって……」 「おい、株価が大暴落してるぞ!」
昨日まで信じていた「当たり前」が、音を立てて崩れていく。 科学万能の時代、幽霊も神様もいないはずのドライな世界に、突如として「説明のつかない巨大な何か」が割り込んできたのだ。 人々は不安だった。自分たちの足元が、実は薄氷の上だったと知らされたような恐怖。 仏教でいう「苦」の始まりだ。昨日と同じ今日が続くという幻想(常)にしがみついていた心が、変化(無常)という現実に殴りつけられ、パニックを起こしている。
そんな世間の喧騒をよそに、当事者である海斗たちは、まだ浜辺にいた。 ただし、事態は深刻だった。
「……消えるな」 海斗の声が震えていた。 目の前で、カマエルの体が透け始めていたからだ。 朝日に照らされた彼の体は、まるで輪郭の曖昧な陽炎(かげろう)のようになり、向こう側の海が透けて見えている。
「想定の範囲内だ」 カマエルは、消えゆく自分の指先を冷静に観察しながら言った。その声には、恐怖も未練もない。 「要塞を支えるために、私の核(コア)に残っていたエネルギーを九九パーセント放出した。物理的な肉体を維持する結合力が、限界を迎えている」
「直せないのかよ! パイモン、お前の魔法でなんとかならないのか!?」 海斗が食ってかかるが、パイモンは珍しく真面目な顔で首を横に振った。 「無理だね。彼はもともと、あの要塞のシステムの一部として作られた存在だ。コンセントを抜かれた扇風機みたいなものさ。惰性で回っていたが、もう止まる」
波音がザザァ、と響く。 寄せては返す波。形作っては消える泡。 目の前の命が、その泡と同じように消えようとしている。 海斗は、カマエルの透けた肩を掴もうとしたが、手は空しくすり抜けた。
「海斗」 カマエルが、静かに海斗を見上げた。その表情は、かつてないほど穏やかだった。 「悲しむ機能は不要だ。私は、最後に『選択』ができた。誰かの命令ではなく、自分の意思で、この不合理で騒がしい世界を守ることを選んだ。……悪くない幕引きだ」
「バカ言うな! 友達になったばっかりだろうが!」 海斗が叫ぶ。 「一緒に飯食うんだろ! 農業やるんだろ! 不揃いのキュウリ食って、文句言うんじゃなかったのかよ!」
執着と言われればそれまでだ。でも、この「別れたくない」という強烈な痛みこそが、人間が人間である証拠(愛別離苦)だった。 カマエルは困ったように微笑み、それから表情を引き締めた。
「……時間がない。最後に、重要な情報を共有する。メタトロンの狙いだ」
【2:静寂という名の地獄】
カマエルの声が、ノイズ混じりのラジオのように途切れ途切れになる。
「彼は……メタトロンは、人類を憎んでいるわけではない。むしろ、愛しているのだ。歪んだ形で」 「愛?」 「そうだ。彼は、君たちが『苦しむ』原因を解析した。その結果、すべての苦痛は『迷い』から生まれると結論付けた」
どっちの道に進むか迷うから、不安になる。 誰かと比べるから、嫉妬する。 自分で決めなければならないから、後悔する。
「だから彼は、その『迷い』の根源を断つことにした。全人類の意識をクラウドのように統合し、個人の自由意志を消去する。……誰も迷わない。誰も争わない。誰も傷つかない」 カマエルは、最後の力を振り絞って告げた。 「それが『静寂計画』。完全なる管理社会。永遠の凪(なぎ)。……死んだように生きる世界の完成だ」
海斗は背筋が凍った。 それは、暴力による支配よりも恐ろしい。 なぜなら、多くの人が心のどこかで「楽になりたい」「誰かに決めてほしい」と願っている(渇愛)からだ。メタトロンは、その弱さに漬け込み、甘い毒のような「救済」を与えようとしている。
「そんなの、生きてるって言わねぇよ」 海斗が拳を握りしめる。 「失敗して、悩んで、泣いて、それでも腹が減って……そういうグチャグチャなのが、生きるってことだろ!」
「……同意する。だが、私の稼働時間は、ここまでだ」 カマエルの輪郭がいよいよ崩れ始めた。光の粒子となって、空へ溶けていく。
「嫌っ!!」 その時、鋭い声が響いた。マナだった。 彼女は海斗を押しのけ、消えかけのカマエルの胸元に飛び込んだ。 「死なせない! 絶対に!」
マナの胸元で、ペンダントが激しく明滅していた。これまでに集めた五つの「女神の涙」。その配列の中に、まだ空っぽの穴が二つある。 マナは、ペンダントをカマエルの霊体(コア)に押し当てた。
「カマエル! その潔癖で頑固な魂、私が預かるわ! 文句は言わせない!」 「な、何を……!? そこは女神の聖域だぞ、私のような不純物が……!」 「うるさい! 家賃はタダにしてあげるから、黙って入りなさい!」
カッ! と強烈な閃光が走った。 マナの「すべてを受け入れる力」が、カマエルの「形を保とうとする意思」を無理やり包み込む。 それは、まるで母親が駄々をこねる子供を布団にくるんでしまうような、強引で温かい力技だった。
光が収まった時。 そこには、波打ち際にへたり込んだマナと、彼女のペンダントの中で、淡いオレンジ色に輝き始めた一つの宝石があった。
『……狭い』
マナの胸元から、不満げな声が聞こえた。ペンダントからだ。
『非常に窮屈だ。それに、なんだこの内装は。ピンク色の壁紙に、フリルのカーテン……? 私の趣味とは対極にある』 「……助けてあげたのに、第一声が文句?」 マナは呆れつつも、ペンダントを愛おしそうに撫でた。涙が、頬を伝って落ちる。 「よかった……。本当によかった……」
海斗は力が抜けて砂浜に大の字になった。 「ははっ……マジかよ。元・最強の敵が、アクセサリーになっちまった」 パイモンが優雅に肩をすくめる。 「携帯式天使、というわけか。便利でいいじゃないか。照明代わりにもなる」
こうして、カマエルは肉体を失ったものの、マナのペンダントの中で「居候」として命を繋ぎ止めたのだった。
【3:秋桜と味噌汁の香り】
騒ぎが大きくなる前に、一行は現場を離脱した。 向かった先は、ぬらりひょんが治める「隠れ里」。 結界を抜けると、そこには外界のパニックが嘘のような、穏やかな日本の秋があった。
里の入り口には、背の高いススキが黄金色に波打ち、秋風にサラサラと音を立てている。あぜ道には、ピンクや白の秋桜(コスモス)が揺れている。 空は高く、澄み渡る青。 どこかの家から、夕飯の支度をする煙がたなびき、出汁の香りと、薪が燃える匂いが漂ってきた。
「帰ってきた……」 海斗は深く息を吸い込んだ。 肺の中いっぱいに広がる、土と草の匂い。それは、殺風景な鉄の要塞には絶対になかった「命の匂い」だ。
「おーい! 海斗ー! 珠姉(たまねえ)ー!」 里の子供たち(一つ目小僧や唐傘お化け)が駆け寄ってくる。 「ニュース見たぞ! 空から鉄の島が落ちてきたって!」 「あれ、海斗たちの仕業か!? すげー!」
里の妖怪たちは、世界が終わるかもしれないというのに、いつも通りだった。 縁側で茶をすする老婆。畑で大根を引っこ抜くおじさん。 彼らは知っているのだ。どんなに時代が変わろうと、腹は減るし、夜は眠くなる。 この「変わらない営み」こそが、最強の防波堤であることを。
その夜、海斗たちは久しぶりに畳の上で車座になった。 ちゃぶ台には、炊きたてのご飯、豆腐とわかめの味噌汁、里芋の煮っころがし、そして焼きサンマ。 ご馳走ではない。けれど、涙が出るほど「日常」の味だった。
『……ほう。これがサンマか』 テーブルの真ん中に置かれたペンダントから、カマエルの声が響く。 『データ検索……秋の味覚。脂質が多いが、DHAなどの栄養価は高い。……匂いだけで、私のセンサーが誤作動を起こしそうだ』
「食えないのが残念だな、カマエル」 海斗はサンマの身をほぐしながら笑った。 「体ができたら、一番に食わせてやるよ。骨の取り方、教えてやるからさ」 『……記憶領域に保存しておく』
賑やかな夕食。 珠は酒をあおり、パイモンは「箸という道具は物理学的に不安定だ」と文句を言いながら煮豆と格闘している。マナは皆の茶碗にご飯をよそっている。 バラバラな種族。バラバラな性格。 でも、同じ釜の飯を食う。 この「ごちゃ混ぜの団欒」こそが、メタトロンが排除しようとしている「ノイズ」であり、同時に世界の「豊かさ」そのものだった。
【4:賢すぎる救世主】
だが、その平穏は唐突に破られた。 部屋の隅にあった古いブラウン管テレビが、突然ザザザッと砂嵐を起こした。 同時に、海斗のスマホも、パイモンのタブレットも、一斉に画面がブラックアウトした。
「なんだ? 停電か?」
次の瞬間。 すべての画面に、幾何学模様が浮かび上がった。 無数の線が複雑に絡み合い、一つの巨大な目のような、あるいは曼荼羅のような模様を描き出す。 美しく、しかし無機質な光。
『親愛なる人類の皆様』
スピーカーから流れてきたのは、柔らかく、聞き心地の良い合成音声だった。 男の声のようでもあり、女の声のようでもある。威圧感は全くない。むしろ、疲れ切った夜に聞くヒーリングミュージックのように、脳髄に染み渡る声だ。
『昨今の混乱により、皆様は多くの不安(苦)を抱えていることでしょう。……もう、心配はいりません』
画面の向こうで、世界中の人々がこの放送を聞いているはずだ。 パニックに陥っていた人々にとって、この穏やかな声は、砂漠に降る雨のように聞こえるだろう。
『悲しいニュースを見る必要はありません。難しい決断をする必要もありません。私が、最適な答え(ルート)を提供します』
画面に、文字が浮かぶ。 【Metatron OS Ver.1.0 - Start】
『争いのない世界。迷いのない人生。……すべてを私に委ねてください。さあ、安らかな静寂を』
プツン、と放送が切れた。 後に残ったのは、静まり返った部屋と、冷めた味噌汁。 窓の外を見ると、里の結界の向こう、遠くの街の灯りが、規則正しく明滅しているように見えた。 それはまるで、巨大な機械の脈動のようだった。
「始まったな……」 海斗は箸を置いた。 敵は、怪獣のように暴れるわけではない。 便利で、快適で、優しくて……逃れられない「システム」として、世界を飲み込もうとしている。
『分析完了』 ペンダントのカマエルが、冷徹な声で告げた。 『静寂計画の第一段階が稼働した。これより世界は、緩やかに、しかし確実に「窒息」していく。……海斗、マナ。残された時間は少ないぞ』
海斗はマナと顔を見合わせた。 マナの瞳には不安の色があったが、同時に強い決意の光も宿っていた。 ご飯のおかわりをよそいながら、海斗は言った。
「上等だ。完璧なシステムに、俺たちみたいな『バグ』がどれだけ通用するか、試してやろうぜ」
秋の夜風が、障子をカタカタと揺らした。 世界が凍りつく前に、やるべきことは山積みだ。 まずは、腹ごしらえをして、明日、残りの「女神の涙」を探しに行く。 泥臭く、非効率で、人間らしい反撃の狼煙(のろし)は、静かに上げられた。
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