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第八部:新世界の秩序と最後の選択
第73話:元・力天使の田舎暮らし(農業編)
しおりを挟む【1:爆誕、ジャージの天使】
翌朝。 隠れ里の空気は、ひんやりと澄んでいた。 朝露に濡れたススキが、昇ってきた太陽の光を浴びて宝石のようにきらめいている。赤トンボが竿の先で羽を休め、どこからともなくキンモクセイの甘い香りが漂ってくる。 世界がメタトロンの管理下に置かれようとしていることなど、嘘のようなのどかさだ。
そんな平和な朝の縁側で、海斗は頭を抱えていた。 目の前に立っているのは、この世で最もアンバランスな存在だった。
「……海斗。状況の説明を求める」
そこにいたのは、カマエルだ。 ただし、以前のような威厳ある姿ではない。 マナが神社の御神木(の枝)と藁(わら)で作った「依り代(よりしろ)」用の人形に、海斗が中学時代に着ていた「芋ジャージ(あずき色)」を着せた姿である。 顔はのっぺりとした木彫りで、目鼻立ちの代わりに「へのへのもへじ」が墨で書かれた紙が貼ってある(珠のいたずらだ)。
「いや、だからさ……」海斗は笑いをこらえるのに必死で、腹筋が痙攣していた。「お前、実体がないと不便だろ? マナが急ごしらえで作ってくれた仮のボディだよ」
「この外装(ジャージ)の配色はなんだ。あずき色? 色彩理論的に、私の精神衛生を著しく害する」 カマエル(へのへのもへじ顔)が、不服そうにジャージの袖を引っ張った。 声だけは以前のイケボ(美声)なのが、余計にシュールさを際立たせている。
「文句言うなって。この里の掟は『働かざる者食うべからず』だ。居候するなら、仕事を手伝ってもらうぞ」 海斗が桑(くわ)を手渡すと、パイモンが優雅に紅茶を飲みながら茶々を入れた。 「いいじゃないか、元天使殿。その姿、前衛芸術のようで実にチャーミングだぞ。畑のカカシとしてなら、カラスも腹を抱えて笑って落ちるレベルだ」 「……悪魔め。いつか浄化する」
こうして、元・神の雷、現・ジャージ姿の木偶(でく)人形による、初めての農業体験が始まった。
【2:秩序と混沌の畝(うね)作り】
連れてこられたのは、里の裏手にある広大な畑だった。 収穫を終えた夏野菜の残骸と、これから植える冬野菜の準備で、土の匂いが強く立ち込めている。
「いいかカマエル。今日の仕事は、あそこの雑草を抜いて、土を耕して、大根の種を蒔くことだ」 海斗が手本を見せる。 土は湿っていて重い。ミミズが顔を出し、ダンゴムシが丸まる。予測不能な「生」の塊だ。
「了解した。任務、農地開拓を開始する」
カマエルの目が(紙に書かれた点が)キラーンと光った気がした。 彼は猛烈なスピードで動き出した。 ザッ、ザッ、ザッ! 正確無比な機械のような動き。
「雑草、排除。非効率な石、除去。土壌の粒子サイズ、均一化」
最初は「すげぇな」と感心していた海斗だったが、すぐに違和感に気づいた。 カマエルは、定規を取り出し、ミリ単位で計測しながら種を植え始めたのだ。
「間隔、三〇・〇センチ。角度、九〇度。……よし、完璧だ」 出来上がったのは、恐ろしいほど幾何学的な、定規で線を引いたような畑だった。 美しい。だが、どこか息苦しい。
「おいカマエル、ちょっと詰めすぎじゃないか? もう少し余裕持たせないと……」 「否定する。計算上、この密度が面積あたりの収穫量を最大化する。植物ごときの不確定要素など、私の管理下で矯正すればいい」
その時だった。 一陣の風が吹き抜けた。 カマエルが完璧に並べた種の上に、枯れ葉や、どこからか飛んできた別の草の種がパラパラと降り注いだ。さらに、モグラがボコッと顔を出し、せっかくの直線を崩してしまった。
「なっ……!?」 カマエルが絶叫した。 「貴様ら! 私の完璧な秩序を! ええい、不純物め!」
彼は右手を掲げた。指先に、神力の残滓(ざんし)である小さな火花が散る。 「雑草および害獣を、熱光学兵器で根絶やしにする! 浄化(インシネレート)!」
「やめろバカ!」 海斗が慌ててタックルし、カマエルを泥の中に押し倒した。 「畑ごと燃やす気か! 雑草抜くのにミサイル使う奴があるか!」 「離せ海斗! こいつらは私の計算に従わない! 予測不能な風、不規則な虫の動き……バグだ! バグは修正しなければならない!」
ジャージ姿で泥まみれになりながら暴れる元天使。 それは、この世界の「複雑さ」に対する、潔癖症な管理者の敗北だった。
【3:曲がったキュウリの物語】
騒動を聞きつけて、畑の主である老婆の妖怪「タネばあ」がやってきた。 彼女は腰の曲がった小柄な老婆だが、その手は木の根のようにゴツゴツとしていて、太陽の匂いが染み付いている。
「なんだなんだ、賑やかだねぇ」 タネばあは、泥だらけのカマエルを見て、カッカッカと笑った。 「あんた、都会……いや、天界のもんかね? 土と喧嘩して勝てるわけないだろう」
「喧嘩ではない。指導だ」カマエルはふてくされて、泥を払った。「自然は非効率すぎる。もっと管理すれば、生産性は上がる」
「ふうん。効率ねぇ」 タネばあは、籠の中から一本のキュウリを取り出した。 それは、スーパーで売っているような真っ直ぐなものではなく、アルファベットの「C」の字のように大きく曲がりくねった、不格好なキュウリだった。表面には傷があり、イボイボも不揃いだ。
「これ、どう思う?」 「……失敗作だ」カマエルは即答した。「規格外。市場価値はない。廃棄処分すべきだ」 「そうかい」
タネばあは、愛おしそうにそのキュウリを撫でた。 「でもな、こいつは『失敗』して曲がったんじゃないんだよ」 「何?」 「こいつが実った時、隣には大きな葉っぱがあったんだ。そのままだとお日様が当たらない。だからこいつは、自分で体を捻じ曲げて、必死に光の方へ伸びていったんだよ。その結果が、この形さ」
カマエルは黙り込んだ。 光を求めて、自ら曲がった?
「真っ直ぐなキュウリは綺麗だ。でもな、こいつの『曲がり』には、こいつが生きた物語(ドラマ)が詰まってる。風に吹かれ、虫にかじられ、それでも生きようとして選んだ形なんだよ」 タネばあは、そのキュウリをポキリと二つに折り、半分をカマエルに差し出した。 「食ってみな。形は悪いが、味はいいぞ」
カマエルは、木彫りの手でそれを受け取った。 食べる機能はないはずだった。だが、マナの魔法で作られたこの体は、なぜか味覚を感じることができた。 彼は恐る恐る、青臭いその野菜を口元(と思われる部分)へ運んだ。
ガリッ。
瑞々しい音が響いた。 口の中に広がったのは、強烈な「青さ」だった。 少し苦い。えぐみもある。水っぽさもある。 かつて彼が摂取していた、完全に栄養調整された「マナ」のような、洗練された味ではない。 ザラザラとした、野生の味。 土の味。太陽の味。雨の味。
――ああ、これは。 カマエルは気づいた。 この苦味は、「生きる苦しみ」の味だ。 思い通りにならない環境で、傷つきながら、捻じ曲がりながら、それでも光を求めた結果の味だ。
「……味が、濃い」 カマエルは呟いた。 「データ上の数値よりも、遥かに……情報量が多い」
「だろう?」タネばあはニカっと笑った。「それが『命』ってやつさ。効率よく真っ直ぐ育つだけが正解じゃない。凸凹で、不揃いで、傷だらけ。だからこそ、噛み締めた時に味がするんだよ」
カマエルは、残り半分のキュウリを見つめた。 その曲がった形が、今の自分と重なった。 メタトロンという太陽を失い、地上に落ち、泥にまみれ、ジャージを着て、それでもここにいる自分。 計画(ルート)から外れた、規格外の天使。
でも、この味は、決して不快ではなかった。
【4:夕暮れの縁側にて】
日が沈む。 空は茜色から群青色へのグラデーションに染まり、一番星が輝き始めていた。 ヒグラシの声が遠ざかり、代わりに秋の虫たちがコロコロと鳴き始める。
作業を終えた海斗とカマエルは、縁側に並んで座っていた。 カマエルは泥だらけのジャージ姿のまま、ぼんやりと庭を眺めている。
「疲れたか?」 海斗が冷えた麦茶を差し出した。 「……疲労という概念は、本来私にはない。だが、この体は重い。関節がきしむ。指先が痛い」 「それを『疲れた』って言うんだよ」 海斗は笑って麦茶を飲んだ。
カマエルは、自分の木の手のひらを見つめた。 「人間とは、不便な生き物だな。毎日こんな思いをして、泥を作物に変換しているのか」 「まあな。でも、悪くないだろ?」
風が吹き、庭のコスモスが揺れた。 その不規則な揺らぎを、カマエルはもう「修正したい」とは思わなかった。 ただ、揺れている。その事実が、どこか心地よかった。
「海斗」 「ん?」 「メタトロンの計画する『静寂の世界』には、あの曲がったキュウリは存在しない」 カマエルは静かに言った。 「すべてが管理され、最適化されれば、野菜はすべて工場で真っ直ぐに作られるだろう。誰も苦労せず、誰も傷つかない」 「……そうだな」 「だが、それは……」
カマエルは言葉を探した。膨大な語彙データベースの中にはない、今の実感を表現する言葉を。
「……それは、ひどく『味気ない』気がする」
海斗は驚いてカマエルを見た。 へのへのもへじの顔が、夕日に照らされて、少し笑っているように見えた。
「へへっ、そうかよ」 海斗は嬉しくなって、カマエルの木の肩を叩いた。 「お前もようやく、こっち側(人間臭い側)に来たな」 「一緒にするな。私はあくまで高位次元の存在だ。ただ、現地の風習を学習しているに過ぎない」 「はいはい。じゃあ、明日はトマトの収穫だ。トマトはもっと扱いが難しいぞ、すぐ潰れるからな」 「……善処する」
二人の影が、長く長く伸びていた。 世界は今、急速に「正解」だけを求める方向へ進んでいる。 けれど、この里の片隅で、不格好な天使と平凡な少年が見つけた「曲がりくねった正解」は、どんな完璧なシステムよりも温かく、力強かった。
夕飯の匂いがしてきた。 今夜は、タネばあにもらった不揃いの野菜がたっぷり入ったカレーらしい。
「帰ろうぜ、カマエル」 「ああ。……腹が減った」
初めて口にした生理的欲求に自分でも驚きながら、カマエルは立ち上がった。 その背中には、もう見えない翼はない。 けれど、泥だらけのジャージは、どんな聖なる鎧よりも、今の彼には似合っていた。
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