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第八部:新世界の秩序と最後の選択
第74話:神々の沈黙と、スマートな救世主
しおりを挟む【1:奇跡のバーゲンセール】
世界は、恐ろしいほど静かに、そして劇的に良くなっていた。
十一月の初旬。街路樹の銀杏(イチョウ)が鮮やかな黄色に染まり、冷たい北風が歩道に黄金の絨毯を敷き詰める季節。 通常なら、年末に向けた慌ただしさや、インフルエンザの流行、政治不信のニュースなどで世の中がざわつく時期だ。 しかし、今の東京の街には、不気味なほどの「笑顔」が溢れていた。
「見て! また『通知』が来たわ!」 カフェのテラス席で、若い女性がスマホを見つめて歓声を上げた。 「今日のランチ、私の体調に合わせて最適なメニューを予約しておいてくれたんだって! しかも無料!」 「俺なんか、無くした財布が三分で見つかったよ。警察より早いぜ、『メタトロン』様は」
メタトロンが提供した新しい社会システム。それは、まるで執事のように、母親のように、人々の生活を先回りしてケアしていた。 迷子はいなくなり、交通事故は自動運転の制御でゼロになり、天気予報は一分の狂いもなく当たる。 人々は、自分で考えることをやめ始めていた。 「今日の服は何にしよう?」「どの道を通ろう?」「将来どうしよう?」 そんな悩み(=微細な苦)が頭をよぎった瞬間、ポケットの中の端末が震えて、「これが正解です」と教えてくれるのだ。
それは、仏教で言う「渇愛(かつあい)」――楽になりたい、満たされたいという終わりのない欲望を、完璧に満たしてくれる魔法のようだった。 しかし、その代償として、人々は「迷う自由」を差し出していた。
そんな異様な空気に包まれた街を、海斗たちは歩いていた。 目立たないようにフードを被っているが、その表情は険しい。
「……気持ち悪いな」 海斗が襟を立てながら呟く。 「みんな笑ってるけど、目が笑ってない気がする。なんていうか、ショーウィンドウの人形みたいだ」
海斗の胸ポケットに入っているペンダント(カマエルの仮宿)が微かに震え、小声で応答した。 『否定する。これは究極の効率化だ。人間個体の脳の処理リソースを、生活の雑事から解放している。素晴らしい秩序だ』 「それが気持ち悪いって言ってんだよ」
隣を歩くマナは、行き交う人々を悲しげに見つめていた。 彼女には見えていた。人々の胸の奥にある「心の灯火」が、小さく、一定のリズムで揺れているのを。 それは安定しているが、燃え上がるような情熱や、不規則な揺らぎがない。まるで管理されたガスコンロの火のようだ。
「みんな、『楽』をしてるけど、『楽しく』はなさそう」 マナの言葉に、後ろを歩いていたパイモンが深く頷いた。 「その通りだ、お嬢さん。悪魔としても商売上がったりだよ。欲望も絶望も、もっとドロドロして熱いものだろう? こんな、ぬるま湯のような魂じゃ、食っても腹を壊す」
【2:見えない壁】
一行の目的地は、富士の樹海。 そこに、次の「女神の涙」の反応がある。 隠れ里からは距離があるため、リスクを承知で人間の交通機関を使うことにしていた。
「駅はあっちだ。混んでないといいけど」 海斗たちは駅の改札へ向かった。 自動改札機はスムーズに流れ、人々を吸い込んでいる。海斗もまた、交通系ICカードをタッチしようとした。
ピンポーン。
軽快な音が鳴り、ゲートが閉じた。 赤いランプが点滅する。
「あれ? 残高不足かな」 海斗がもう一度タッチする。 ピンポーン。
今度は、改札機の小さなモニターに、無機質な文字が表示された。 【警告:精神状態が不安定です。移動は推奨されません】
「はあ!? なんだよこれ!」 海斗が声を上げると、周囲の視線が集まった。しかし、それは好奇の目ではない。「なぜシステムの指示に従わないのか?」という、異物を見るような冷たい目だ。
「どいてどいて! 僕がやってみよう」 パイモンが自信満々に、最高級のブラックカード(のような魔術媒体)を取り出した。 「金ならある。地獄の沙汰も金次第と言うだろう?」 彼がカードをかざす。
ブブーッ!! 激しい警告音が鳴り響いた。 【警告:不適切な支出傾向(悪魔的浪費)を検知。資産を凍結しました】
「なっ……!? 私の資産が! 私の紅茶代が!! 余計なお世話だ、この堅物システムめ!!」 パイモンが燕尾服を振り乱して激昂する。 珠がため息をついて、パイモンの首根っこを掴んだ。 「バカ! 騒ぐな! 逃げるぞ!」
彼らは駅を飛び出した。 警備員が追ってくる様子はない。警察も来ない。 ただ、駅のスピーカーから、あの優しすぎる合成音声が流れただけだ。 『お客様の中に、心の休息が必要な方がいらっしゃいます。どうか、ご自宅でお休みください。……移動は、許可されません』
外に出た海斗たちは、タクシーを拾おうとした。しかし、空車表示のタクシーは、海斗たちが手を挙げた瞬間、スッと「回送」に切り替わり、素通りしていく。 レンタカー屋に入ろうとすれば、自動ドアが開かない。 バスに乗ろうとすれば、「満員」のアナウンスが流れる(実際はガラガラなのに)。
海斗は背筋が寒くなった。 「……攻撃されてない」 敵は、ビームもミサイルも撃ってこない。 ただ、社会という巨大なシステム全体が、海斗たちを「バグ(不具合)」として認識し、やんわりと、しかし絶対に、排除しようとしている。 透明な壁。見えない檻。 これこそが、カマエルが言っていた「静寂」の正体だった。
【3:違和感の正体】
移動手段を絶たれた一行は、公園のベンチで途方に暮れていた。 冷たい風が吹き、枯れ葉がカサカサと足元を転がっていく。
「参ったな……。歩いて富士山まで行くわけにもいかないし」 海斗が頭を抱える。 その時、公園で遊んでいた子供が転んだ。 「うわーん!」と泣き出すかと思いきや、その母親がすぐに駆け寄ることもなく、スマホを操作した。 すると、公園のスピーカーから癒やしの音楽が流れ、子供の腕についたスマートウォッチが光った。子供は瞬時に泣き止み、虚ろな笑顔で再び遊び始めた。
「……痛みを、消したのか?」 海斗が呟く。 転んだら痛い。痛いから泣く。泣くから親が心配して駆け寄る。その「痛みの共有」こそが、親子の絆を深めるはずだ。 だが、メタトロンのシステムは、そのプロセスを「無駄な苦しみ」として削除(スキップ)した。
『効率的だ』 ペンダントのカマエルが淡々と言った。 『泣くという行為はカロリーの無駄だ。即座に脳内物質を調整し、快楽状態へ戻す。完璧なソリューションだ』
「違う!」 海斗は思わず声を荒げた。 「それじゃあ、あの子は『転んだら危ない』ってことを学べないじゃないか! 痛みがあるから、次は気をつけようって思うんだ。失敗をなかったことにしたら、人間は成長しない!」
マナが海斗の手を握った。彼女の手は冷たくなっていた。 「海斗……。この世界、きれいすぎる。ゴミ一つ落ちてないし、誰も怒ってない。でも……まるで、お墓みたいに静か」
仏教には「四諦(したい)」という教えがある。 人生は苦である(苦諦)。その原因は執着である(集諦)。 メタトロンは、「苦」を消すために、原因である「執着」だけでなく、「人間らしさ」そのものを消し去ろうとしている。 泥臭い感情、面倒な人間関係、予測不可能なハプニング。それら全てを「ノイズ」としてフィルタリングした結果、残ったのは、死んだように生きる人々だけだった。
「これが……あいつの目指す『天国』かよ」 海斗は、吐き捨てるように言った。 コーヒーの香りも、木々のざわめきも、この街の人々には届いていない。彼らはシステムという名のカプセルの中で、心地よい夢を見続けている。
【4:第三の選択】
その時、珠が鼻をひくつかせた。 「ん? ……おい、小僧。こっちじゃ」 珠は公園の奥、手入れの行き届いていない雑木林の方へ歩き出した。 「どうしたんですか、珠さん」 「匂うのじゃよ。……システムから漏れた、懐かしい『澱(おり)』の匂いがな」
案内されたのは、公園の裏手にある、古い高架下のスペースだった。 そこは、メタトロンの清掃ロボットも入ってこない死角らしく、空き缶や古雑誌が散乱し、薄汚れた野良猫が数匹たむろしていた。 そして、そこに一台のボロボロの軽トラックが停まっていた。 荷台には、錆びた農機具や泥だらけの野菜が積まれている。
「ありゃ、タネばあの知り合いの車だ」 海斗が気づく。 車の持ち主は、作業着を着た初老の男だった。彼はスマホを持たず、ワンカップ酒を片手に、野良猫にスルメを与えていた。
「おい、じいさん」 珠が声をかけると、男は濁った目でこちらを見た。 「……なんだい、アンタら。綺麗な服着て、こんな吹き溜まりに何の用だ」
海斗は直感した。 この人は、システムから「外された」人だ。効率化社会に適応できず、あるいは拒絶して、こぼれ落ちた人。 メタトロンの完璧な光が届かない、世界の影。
「おじさん、頼みがあるんだ」 海斗は真っ直ぐに男を見た。 「俺たちを、富士山の近くまで乗せてくれないか? ……金は払えないけど、アンタの畑の草むしりなら、いくらでもやるから」
男は海斗をじろじろと見て、それから視線をマナ、パイモン、そして珠へと移した。 「……変な連中だな。AIの言う通りにしてりゃ幸せになれる世の中で、わざわざ苦労を買って出るのか」 「ああ。俺たちは、幸せよりも大事なものを探しに行くんだ」
男はしばらく黙っていたが、やがてニヤリと笑い、金歯を光らせた。 「へっ、酔狂なこった。……乗りな。このオンボロは、自動運転なんて洒落たモンはついてねぇ。揺れるぞ」
軽トラックのエンジンが、ブルルン! と大きな音を立ててかかった。 黒い排気ガスが出る。ガソリンの臭い匂いがする。 それは、清潔で無臭なメタトロンの世界に対する、強烈な異臭騒ぎだった。
「よし、全員荷台に乗れ!」 海斗たちは狭い荷台に乗り込んだ。泥のついた大根と一緒だ。 パイモンが顔をしかめる。 「まさか高貴な悪魔である私が、野菜と共にドナドナされるとは……」 「文句言うなよ。これが俺たちの『特等席』だ」
車が走り出す。 サスペンションが効かず、ガタガタと激しく揺れる。風が顔に当たる。 でも、海斗は笑っていた。 自動改札にも、スマートウォッチにも止められない、自由な移動。 自分たちの意思で、凸凹道を走る感覚。
『理解不能だ』 ペンダントの中で、カマエルが呟いた。 『なぜ、君たちは笑う? 振動、騒音、排気ガス。不快指数の塊だぞ』
「わかんないか、カマエル」 海斗は流れる景色を見ながら言った。 「これは『生きてる振動』なんだよ。……行くぞ、みんな! システムの裏道を通って、最後の反撃開始だ!」
夕焼けに染まる街を、一台の薄汚れた軽トラックが疾走していく。 それは、完璧すぎる世界につけられた、小さな、しかし確かな傷跡だった。 目指すは富士の樹海。 そこには、光の届かない深い森と、六つ目の涙が待っている。
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