過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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第五部:盤上の神と、盤を降りた者たち

第六十九話:『盤上の駒じゃない』

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夜が、明けた。
絶望という名の長い夜が明け、作戦室の東の窓から、黄金色の朝日が差し込んでくる。その光は、まるで舞台の幕開けを告げるスポットライトのように、床に散らばる書類や、疲れ果てた者たちの顔を、そして、静かに向かい合う二人の王を照らし出していた。
空気は、一変していた。
ほんの数時間前までこの部屋を支配していた、鉛のような重苦しさと焦燥感は嘘のように消え去り、代わりに、澄み切った冬の朝のような、凛とした静けさと、これから何かが始まるという確かな予感が満ちていた。

仲間たちは、まだ目の前の光景を信じられずにいた。
さっきまで泣きじゃくっていたソフィア様が、なぜか晴れやかな、少女のような笑顔を浮かべている。
そして、さっきまで死んだ魚のような目で寝こけていたはずのユウキ様が、その目に、これまで誰も見たことのない、静かで、しかし確固たる意志の光を宿している。
二人の間に流れているのは、もはや主君と客将、あるいは王と王女といった関係性から生まれる空気ではない。言葉を交わさずとも、互いの魂の奥底で深く理解し合っている、絶対的な共感と信頼の絆。それは、この世界の誰も立ち入ることのできない、二人だけの聖域のようだった。

「ふむ……。私の理解を超えた、何らかの超次元的な情報交換(コミュニケーション)が行われたと見るべきか。あるいは、王のあの奇妙な呟きは、ソフィア様の精神構造を再起動(リブート)させるための、特殊なトリガーワードだったのやもしれん」
アレクシスが、寝癖のついた頭を掻きながら、天才的な頭脳をもってしても解析不能な現象を、何とか論理の枠に押し込めようと苦心している。
「サンプルY-01(ユウキ)から発せられた未知の音素が、サンプルS-01(ソフィア)の情動中枢にダイレクトに作用した結果、カタルシス効果を誘発……。素晴らしい! これは学会に発表すれば、歴史に名が残りますわ!」
リリアは、興奮で眼鏡を曇らせながら、二人の間に生まれた不可視の絆すらも、新たな研究対象としてデータ化しようと躍起になっていた。

そんな周囲の混乱をよそに、ソフィアは、すっと立ち上がると、朝日を浴びて立つユウキに向かって、悪戯っぽく微笑んだ。その表情には、孤独な為政者の仮面は、もうどこにもなかった。
「それにしても、驚きましたわ。まさか、この異世界で、私の運命のパートナーが、あんな死んだ魚の目をした男だったとは。前世の私が知ったら、きっと腰を抜かして三日は寝込むことでしょうね」
その、あまりにも率直で、少しだけ棘のある物言いに、ガンツやカエルスが「な、無礼な!」と色めき立つ。しかし、ユウキは怒るでもなく、ただ面倒くさそうに、しかしどこか嬉しそうに鼻を鳴らした。
「そりゃこっちのセリフだ。俺の貴重なスローライフを滅茶苦茶にする、クソ面倒くさい女の正体が、まさか元日本のOLだったとはな。人生、何が起きるか分かったもんじゃない」
軽口を叩き合いながらも、二人の視線は、確かな信頼と親愛の情で結ばれている。

そして、その空気は、すぐに戦友としての鋭さを取り戻した。
「さて、ユウキ」
ソフィアの声色が変わる。
「あのシンという男。彼も、私たちと同じだと考えて、間違いありませんわね?」
ユウキは、静かに頷いた。彼の脳裏には、城壁の前で対峙した時の、シンのあの歪んだ笑みが焼き付いている。
「ああ、間違いねえ。あいつ、俺に言ったぜ。『お前、日本人だろ? その死んだ魚みたいな目、満員電車に揺られてた時の、昔の俺の目とそっくりだ』ってな」
その言葉は、これまでユウキが誰にも明かさなかった、シンの核心に触れる情報だった。しかし、ソフィアに対しては、何の躊躇もなく、ごく自然に口にすることができた。彼女は、この世界で唯一、その言葉の本当の意味と重みを理解できる人間だからだ。

ソフィアは、その決定的な情報を得て、全てのピースが繋がったと確信した。彼女は、作戦室の中央に広げられた地図の前に立つと、集まった仲間たちに向き直る。その姿は、再び冷静沈着な軍師のものへと戻っていたが、その瞳の奥には、ユウキという絶対的な理解者を得たことによる、揺るぎない自信が満ち溢れていた。
「なるほど。これで、全てが繋がりましたわ」
彼女は、まるでチェスの盤面を読み解くように、シンの思考をトレースしていく。
「彼は、私たちと同じ。前世で何者でもなく、理不尽な社会の中で無力感に苛まれていた人間。その反動で、この世界で手に入れた規格外の力を、本物の『神の力』だと勘違いしてしまったのです」
ソフィアの言葉は、まるで物語を語るように、シンの心の闇を暴き出していく。
「考えてもごらんなさい。何の努力もせず、ある日突然、神のような力を手に入れたら? そして周りには、自分の常識を共有できる人間が一人もいなかったら? 彼は、この世界そのものを、自分が主人公(プレイヤー)として君臨する、壮大なゲームだと錯覚した。そして、自分以外の、この世界に生きる全ての人間を、感情のないNPC(ノンプレイヤーキャラクター)だと、心の底から見下しているのです」
それは、あまりにも傲慢で、しかし、あまりにも哀れな勘違いだった。世界の真理を知らないがゆえの、歪んだ万能感。ユウキとソフィアが、その理不尽さを嫌というほど味わってきたからこそ、シンのその歪みが、手に取るように分かった。

「ならば、私たちの勝ち筋は、ただ一つ」
ソフィアは、凛とした声で宣言した。
「彼の土俵である『力』で戦ってはなりません。それは、ゲームのルールの中で、最強のチート能力を持つプレイヤーに挑むようなもの。絶対に勝てませんわ」
彼女は、ゆっくりとユウキを見る。その視線は、絶対的な信頼を物語っていた。
「私たちの本当の切り札は、この世界の人間が、彼のゲームの駒(NPC)などではない、私たちと同じように悩み、笑い、そして愛する、意志を持った人間なのだと証明すること。彼の『神である私』という、脆く、哀れな思い込み(プライド)を、根底から破壊するのです」

ソフィアは、地図の上に指を滑らせながら、具体的な作戦を提示し始めた。その声は、力強く、そして希望に満ちていた。

「作戦は三段階。第一に、『希望の伝播』。シンの精神汚染は、人々の恐怖と憎悪を糧に広がります。ならば私たちは、その対極にある感情……日常にある、温かく、ささやかな幸福を人々の心に届け、精神的な抵抗力を高めます。彼の『奇跡』という非日常の力に対抗するのは、私たちの『日常』の力ですわ」
「第二に、『神性の破壊』。アレクシスとリリア、あなた方の力が必要です。シンの起こす奇跡が、神の御業などではなく、ユウキと同じ、単なる規格外の個人能力に過ぎないことを、理論的に証明し、その情報を大陸中に拡散させます。民衆が彼を『神』ではなく『一人の人間』だと認識した瞬間、彼のカリスマは大きく失墜するでしょう」
「そして最後に、最も重要な第三段階。『NPCの意志』。シンが駒だと見下している、この世界の人間たちの、予測不能で、理不尽で、しかし、どうしようもなく美しい『魂の輝き』を、彼の目の前に叩きつけます。彼のシナリオ通りには決して動かない、人間の意志そのものを見せつけることで、彼のゲーム盤を、内側から完全に崩壊させるのです」

それは、力と力がぶつかり合う、単純な戦争ではなかった。
人の心を、人の意志を、そして人の日常を武器とする、あまりにも壮大で、あまりにも繊細な、前代未聞の心理戦の設計図だった。

説明を終えたソフィアは、最後に、ユウキに向き直った。作戦室にいる全員の視線が、二人に注がれる。
「これが、私の考えです。あなたという、この世界最強の『矛』を、ただの破壊兵器としてではなく、希望の象徴として、最も効果的に使うための戦術。……乗って、いただけますか?」
その問いかけに、仲間たちは固唾を呑んだ。
アーサーは、胃を押さえながら「む、無理です! こんな面倒くさそうな作戦、陛下が同意されるはずが……」と震え、ガンツやカエルスも「しかし、これでは王の力が……」と、不安げな表情を浮かべている。
誰もが思っていた。これまで、全ての面倒事を「却下」の一言で切り捨ててきた、あのユウキが。この、途方もなく手間がかかり、繊細な配慮が必要で、そして何よりも面倒くさそうな作戦に、同意するはずがない、と。

しかし。
ユウキは、静かに朝日が差し込む窓の外を見つめ、そして、隣に立つソフィアの、真剣な瞳を見返した。
彼の口元に浮かんだのは、いつもの気だるげな笑みではなかった。
それは、これから始まる最高のゲームを前にした、挑戦者のような、不敵な笑みだった。

「それ、面白そうじゃん」

彼は、静かに、しかしはっきりと、そう言った。

「採用」

その一言が、作戦室の空気を爆発させた。

「さ、さささ、採用ぉおおおおお!?」
アーサーは、信じられないという表情で絶叫すると、その場で白目を剥いて、幸せそうに床に崩れ落ちた。
「うおおおおおおっ! 聞いたか、ボルガ! 兄貴が、兄貴がやる気だぞおおお!」
「ああ、兄貴ィ! 俺たち、どこまでもついていきやすぜえええ!」
ガンツとボルガは、涙を流しながら抱き合い、歓喜の雄叫びを上げる。
カエルスも、驚きに目を見開きながらも、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
ここに、最強の「矛」と最高の「知」による、奇妙で、壮大で、そして、とてつもなく面倒くさい反撃の共同戦線が、正式に結成された。
絶望の夜は明け、世界を救うための、反撃の朝が、今、始まった。
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