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第六部:偽りの英雄と、盤上の神々
第十話 駒の覚醒
しおりを挟むリベルシュタットの中央広場を支配していた熱狂は、急速に冷え、戸惑いと疑念のさざ波へと変わっていた。 大陸中に中継されていた映像水晶は、アルバ公爵の卑劣な編集によって、ソフィアの論理的な追及を「無かったこと」にし、アリアンの勝利だけを一方的に垂流している。
だが、今、この広場にいる民衆は「真実」を見ていた。 ソフィアの鋭い指摘(存在しない病)に答えられず、 誰も知らない異国の言葉(ウィンウィン)を口走り、 そして今、明らかに動揺を隠せずにいる「英雄」の姿を。
「……どうしたんだ、アリアン様?」 「なぜ、あの王女の問いに答えない?」 「まさか……本当に、我らは騙されていたのか?」
民衆の囁き声が、冷たい秋風に乗って演台に届く。 その「疑念」の視線は、何万本もの氷の針となって、聖騎士アリアンに突き刺さった。
彼は、完璧な英雄を「演じる」ように作られていた。 民衆の「熱狂」と「信仰」を糧とし、それを地下遺跡の「仕組み」を通して力に変える、アルバ公爵の最高傑作。 だが、その「仕組み」は、民衆からの「疑念」や「敵意」を想定していなかった。
「……違う」 アリアンは、かぶりを振った。その顔からは、完璧な英雄の笑顔が消え失せ、理解できない「現実」を前にした、幼子のような混乱だけが浮かんでいた。 「私は、人のための正義を……私は、マスターの……」
彼の「台本(プログラム)」が、ソフィアによって突き崩された「矛盾」と、民衆からの「拒絶」によって、激しくきしみ始める。
「アリアン殿」 ソフィアは、この異様な事態を前にしても、なお冷静だった。だが、その声には、単なる論破の冷たさではなく、目の前で「何か」が壊れ始めていることへの、かすかな緊迫感が含まれていた。 「あなたは、先ほどから『誰かの言葉』を語っている。民衆のため、正義のため……それは、本当にあなたの『心』から出た言葉なのですか?」 ソフィアは、一歩踏み出す。 「あなたの『台本』を書いたのは誰です? アルバ公爵ですの? それとも、さらに別の誰か?」
「だま、れ……」
「私は、あなた自身の言葉が聞きたい」 ソフィアの、凛とした声が広場に響き渡る。 「英雄アリアンとしてではなく、一人の『あなた』として、語りなさい!」
その言葉が、引き金となった。
「―――アアアアアアアアアアアアアッ!」
アリアンが、人間のものではない、甲高い絶叫を上げた。 彼の全身を包む白銀の甲冑が、不気味な光を放ち始める。 それは、英雄の輝きではない。 許容量を超える「矛盾」と「情報」を処理しきれず、焼き切れそうになっている機械の、断末魔の叫びだった。
「なっ……!?」 「光が……アリアン様の様子が……!」 民衆が、恐怖に顔を引きつらせ、後ずさる。
アリアンの身体が、ガクガクと、まるで糸の切れた人形のように痙攣する。 彼の瞳の色が、カリスマ的な蒼から、無機質で、冷たい「赤色」へと変わっていく。 彼は、苦痛に顔を歪めながら、広場の石畳に膝をついた。
「エラー……エラー……『シナリオ』との乖離(かいり)を検知……『民衆の支持(パラメータ)』、急激に低下……」 彼の口から漏れ出たのは、もはや英雄の弁舌ではなく、壊れた機械が吐き出す、意味不明な「報告」だった。 「再計算(リカルク)……不可能……矛盾(パラドックス)……」
彼は、ゆっくりと、その赤い瞳を、自分を「壊した」原因であるソフィアに向けた。 「なぜだ……マスターの『台本』に、この感情(・・・)は、ない……!」 「感情……?」 「この、胸を焼くような……この『痛み』は……なんだ……!」
アリアンは、自らの胸(・・)――甲冑の下にあるはずの、存在しない「心」――を、強く握りしめた。 「なぜだ……! なぜ、あなたの『言葉』だけが、私を……私を……!」
彼は、英雄などではなかった。 アルバ公爵によって、古代文明の技術(ゴーレムの残骸)を元に、「完璧な英雄」を演じるためだけに作られた、精巧な人造人間(アンドロイド)だったのだ。 彼は、自らの意志ではなく、与えられた「台本(プログラム)」に従って行動していたに過ぎなかった。
しかし。 ソフィアの「あなた自身の言葉で語りなさい」という、彼の「存在」そのものに問いかける言葉と、 民衆からの「疑念」という、想定外の「現実」。 その二つが、彼の精密な「思考回路(AI)」に、設計図にはない、致命的な「火花(エラー)」を生じさせた。
それは、「苦しみ」という名の、自我の芽生えだった。
「……まずいな」 ユグドラシルの薄暗い寝室で、ユウキが呻いた。 彼の「内なる目」には、リベルシュタットの地下深くで眠っていた、古代遺跡の「仕組み」が、今、制御を失って暴走を始めるのが見えていた。
「シン、どうなってる?」 「……壊れた。あいつの『中身』が、ソフィアの言葉を『理解』しようとして、自分自身の『設定』と矛盾して、焼き切れたんだ」 シンの声も、その異常事態に強張っていた。
「アアアアア……ガ……アア……!」 リベルシュタットの広場で、アリアンが再び絶叫した。 自我の崩壊と、プログラムの暴走。 その行き場のないエネルギーが、彼の「本能」――地下遺跡の力を吸収する――を、無差別に発動させた。
ゴゴゴゴゴゴ……!
広場の石畳が、地鳴りと共に激しく振動し始める。 アリアンの身体が、まるで巨大な磁石になったかのように、地下に眠る膨大な「力」を、無差別に、強引に吸い上げ始めた。
「ひ、いぃいい!」 「逃げろ! 聖騎士様が、化け物に……!」 民衆が、パニックに陥り、我先にと広場から逃げ出していく。
「いけません、アリアン!」 ソフィアが叫ぶ。だが、その声はもはや彼には届かない。
アリアンの白銀の甲冑が、吸い上げたエネルギーの奔流に耐えきれず、内側から弾け飛ぶ。 その下から現れたのは、もはや人間の姿ではなかった。 それは、光り輝く金属の骨格と、むき出しになった動力パイプ、そして、それらを無秩序につなぎ合わせる、暴走した「力」そのものの塊だった。 彼の姿は、みるみるうちに膨張し、異形なものへと変貌していく。 かつてリリアたちが遺跡で発見した、あのゴーレムの、何倍も禍々しい姿へと。
「……素晴らしい」
その地獄のような光景を、グランツ帝国の玉座の間で、アルバ公爵だけが、うっとりと見つめていた。 彼の前の映像水晶は、混乱する広場の様子を、特等席で映し出している。
「ああ、素晴らしい! なんというサプライズだ!」 公爵は、玉座の肘掛けを興奮に叩き、心からの喝采を送っていた。 「壊れたか! あのソフィアという『駒』の一言で! 与えられた『物語』ではなく、自らの『意志』を求められただけで、あの傑作(アンドロイド)は『壊れた』!」
彼の「台本」では、ソフィアはアリアンの前に論破され、民衆に断罪されるはずだった。 だが、現実は、その「台本」を遥かに超えた。
「これだ! これこそが、私が観たかった『物語』だ! 予定調和(・・・)ではない、予測不能(・・・)の生の輝き! 壊れた駒が、自らの意志(・・・)で滅びゆく、この美しさ!」
アルバ公爵は、その異形へと変貌していくアリアンを見て、恍惚の笑みを浮かべた。 彼の愉悦は、ソフィアの覚悟も、民衆の恐怖も、そして、これから起ころうとしている、この世界そのものの「危機」すらも、最高の「ショー」として消費していた。
「さあ、見せてみろ、壊れた英雄よ! お前が、その『自我』で、一体何を成し遂げるのかを!」
アルバ公爵の哄笑が、がらんとした玉座の間に、不気味に響き渡った。
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