過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

文字の大きさ
6 / 91
第一部:『悪役令令嬢編』

第六話:改革の狼煙と、笑わない公爵

しおりを挟む


城下町から帰還した翌朝の空気は、まるでガラス細工のように、冷たく、そして張り詰めていた。窓の外に広がる王宮の庭園では、庭師たちが、冬に備えて薔薇の木に藁を巻き付けている。その手慣れた動きをぼんやりと眺めながら、私は、この国にも確実に、そして容赦なく冬が近づいていることを感じていた。

私たちの心にも、決意という名の冬将軍が到来していた。

王宮の一室。昨日までの疑心暗鬼な空気は消え、今は静かな、しかし確かな覚悟に満ちた緊張感が、私とアレクシス、そしてカエルスの間に漂っている。

「…もう待てないわ」

私がそう切り出すと、二人は黙って私を見た。

「今日から、始める」

その言葉を合図に、アレクシスが待ってましたとばかりに、数枚の羊皮紙をテーブルの上に広げた。その顔は、これから解剖する珍しい生き物を前にしたマッドサイエンティストのように、生き生きとしている。

「改革の第一手は、これだ。シンプルにして、最も効果的。そして、最も恨みを買う一手。『王族及び、全貴族の歳費、並びに各種予算の、大幅な削減』」

羊皮紙に書かれた文字は、この国の腐敗の象徴そのものだった。私のドレス代、宝飾品代、そして、毎日開催される茶会や夜会の費用。それは、もはや予算というより、湯水のように湧き出る魔法の泉から金を汲み上げているとしか思えない、狂った数字の羅列だった。

「待ってました、と言いたいところだが」
腕を組んでそれを見ていたカエルスが、獰猛な笑みを浮かべた。
「こいつら、素直に『はい、そうですか』と首を縦に振るタマか?」
「振るわけがないだろう、筋肉ダルマ。だからこそ、面白いんじゃないか」
「違いない」

私を完全に無視して、物騒な会話で盛り上がるな、君たち。
私は、深呼吸を一つすると、まず、最初の矢を放つことに決めた。その矢は、誰でもない、私自身に向けるものだ。

「メイド長!」
私が声を張り上げると、どこで聞いていたのか、メイド長が即座に音もなく現れた。
「お呼びでしょうか、王女様」

「今から言うことを、すぐに実行なさい。まず、私のクローゼットにあるドレス、全体の九割を売り払いなさい。残すのは、公務で着るための、一番地味なものだけでいいわ。宝飾品も同様。それから、私の食事は、明日から質素なスープとパンだけ。他の食材は、全て城の厨房で働く人たちに分け与えること。毎日開かれている、目的のよくわからないお茶会も、全て中止。私の身の回りの世話をするメイドも、あなた一人で十分よ。他の者たちは、別の仕事に就かせて」

私が一息にそう言い切ると、メイド長は、硬直した。能面のような顔が、ピシリ、と音を立てて固まり、その目が、あり得ないものを見るかのように、カッと見開かれた。

「お…おおおお、王女様!?ご乱心ですか!?そのようなことをなさっては、王家の権威が…!民への示しが…!」
「権威なんて、飢えている民の前では何の役にも立たないわ。いいから、やるのよ」
「し、しかし…!料理長が、王女様のお食事を作ることだけを生き甲斐に…!彼からそれを取り上げたら、明日にも城の堀に身を投げてしまいます…!」
「そんなことで死ぬな、料理長!」

メイド長は、最終的に泣きながら私の足元にすがりついてきたが、私は、心を鬼にして首を横に振った。カエルスが「いいぞ、もっとやれ」と囃し立て、アレクシスが「ふむ。人間の持つ所有欲と自己顕示欲を、強制的に剥奪した場合の精神的負荷についての、貴重なデータが取れるな」と呟いている。チームワークとは。

こうして、まず私自身の贅沢を徹底的に剥ぎ取ることで、改革への本気度を、城の内に示した。
そして、次なる矢は、外へ。この国の腐敗の根源、貴族たちへと放たれる。

***

王宮で最も大きく、そして豪奢な『暁の間』。
そこに、王国の主要な貴族たちが、ずらりと集められていた。天井には巨大なシャンデリアが輝き、壁一面を飾るステンドグラスから差し込む光が、磨き上げられた大理石の床に、色とりどりの幻想的な模様を描き出している。

しかし、その荘厳な美しさとは裏腹に、広間に満ちているのは、貴族たちの不満と、好奇と、そして侮蔑が入り混じった、不快な空気だった。皆、高価な絹の服を身にまとい、宝石をこれでもかと飾り立てている。その中で、公務用の一番地味なドレス(それでも十分に豪華だが)を着た私と、いつものヨレヨレの白衣のアレクシス、そして、着古した革鎧のカエルスの三人は、明らかに浮いていた。

「さて、皆の者。今日は、集まってもらって感謝する」

私が玉座の前、一段低い場所に立ってそう切り出すと、広間はざわめきに包まれた。
「おい、あれが悪役令嬢か。噂通り、人が変わったようだな」
「どうせ、また何か新しい気まぐれだろう。我らを呼びつけて、何をするつもりだ」

そんな囁き声を、私は無視した。
そして、この国の財政が、いかに危機的な状況にあるか。このままでは、冬を越せない民が、大勢出るであろうこと。その事実を、淡々と、しかし、力強く訴えかけた。

そして、結論を告げる。
「――よって、ここに宣言する。国家非常事態とみなし、王族を含む、在籍する全貴族の歳費を、本日ただ今より、一年間、現状の七割を削減する!」

その瞬間、広間は、水を打ったように静まり返り、次の瞬間、爆発した。

「何を馬鹿なことを!」
「正気か、王女!」
「我らの生活を、どうしろと!?」

非難と、怒号と、そして嘲笑の嵐。それは、予想通りの反応だった。
「王家の気まぐれに、我らを巻き込むな!」
「そうだそうだ!お前が今まで、どれだけ国費を無駄遣いしてきたと思っている!」

貴族たちの罵声は、徐々にエスカレートしていく。
その、喧騒の中心に、一人の男が、静かに立っていた。

年の頃は五十代だろうか。銀色の髪を綺麗に撫でつけ、高価だが、嫌味のない仕立ての良い服を着ている。アルバ公爵。現国王の従兄弟にあたり、貴族派閥の筆頭に立つ、この国で最も権力を持つ男の一人だ。

彼は、他の貴族たちのように、声を荒げることはなかった。ただ、穏やかな、しかし、一切笑っていない目で、私を見ていた。

彼が、すっと手を上げると、あれほど騒がしかった広間が、嘘のように静まり返った。

「…王女様。あなた様が、国を憂うそのお心、大変感銘を受けました」
アルバ公爵は、優雅に一礼すると、ねっとりとした、蛇のような声で語り始めた。
「しかし、いささか、ご性急が過ぎるのではございませんか?歳費の削減、結構でしょう。ですが、それは、我ら貴族が担ってきた、この国の文化と、伝統の灯火を、自ら消す行為に他なりません。それに、急な削減は、経済の混乱を招くだけ。もう少し、現実的な方策を、我らと共に、ゆっくりと考えていくべきでは?」

その言葉は、理路整然としていて、実に紳士的だった。しかし、その裏には、「小娘が、思いつきで余計なことをするな」という、冷たい侮蔑が透けて見えた。彼は、巧みな言葉で、他の貴族たちを扇動し、私の改革案を、絵空事として骨抜きにしようとしているのだ。

「公爵のお言葉ですが、もはや、ゆっくりと考えている時間など…」
「おお、王女様。あなたは、まだお若い。お分かりにならないのも、無理はありますまい。国の舵取りというものは、あなたが考えるほど、単純なものではないのですよ」

公爵は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。しかし、その目は、獲物を見つけた爬虫類のように、冷たく光っていた。
貴族たちが、公爵の言葉に「そうだ、そうだ」と勢いづき、私に向かってじりじりと詰め寄ってくる。

まさに、その時だった。

カエルスが、ゆっくりと、一歩前に出た。
彼は、何も言わなかった。ただ、腰に下げていた巨大な両手剣を、静かに、抜き放った。

そして、次の瞬間。

轟音。

カエルスは、大上段から、近くにあった、高さ二メートルはあろうかという、精緻な彫刻が施された大理石の女神像を、一刀のもとに叩き斬った。

ズシャアアアアアンッ!!!

女神像は、悲鳴のような音を立てて砕け散り、その破片が、広間にけたたましく飛び散った。

しん、と静まり返る大広間。
貴族たちは、顔面蒼白になり、口をパクパクさせて、何が起こったのか理解できない、という顔をしていた。

カエルスは、砕け散った女神像の残骸に、無造作に剣を突き立てると、地を這うような、低い声で言った。

「……今の、王女様のご提案に、何か、異論のある方は?」

誰も、何も、言わなかった。いや、言えなかった。
ただ、カタカタと震える音だけが、広間に響いていた。

その横で、アレクシスが、「ほう。あの大理石の硬度と、剣の入射角、そして、あの破砕音の周波数から計算するに、彼の腕力は、およそ…」などと、真顔で分析を始めたので、私は、彼の脇腹に、思いっきり肘鉄を食らわせた。

***

結局、貴族たちは、カエルスの物理的な説得(という名の恫喝)の前に、表向きは、予算削減案を受け入れざるを得なかった。しかし、引き上げていく彼らの目には、恐怖と、それ以上に、煮えたぎるような憎悪の色が、はっきりと宿っていた。特に、アルバ公爵。彼は、最後に一度だけ、私を振り返ると、意味ありげな、冷たい笑みを浮かべて去っていった。

その夜、作戦会議室に戻った私たちは、勝利の祝杯、とはいかないまでも、ささやかな安堵に包まれていた。

「なかなか、楽しかったじゃねえか。ああいう、ふんぞり返った連中の、引きつった顔を見るのは、極上の娯楽だ」
「実に非合理的な集団だったが、極度のストレス下における、人間の集団パニック反応の貴重なデータが取れた。有意義な一日だったと言える」
「あなたたちねえ…」

この、脳筋とマッドサイエンティストをまとめる私の身にもなってほしい。
しかし、確かに、私たちは、巨大な一歩を踏み出したのだ。

窓の外に広がる、王都の夜景を見つめる。きらびやかな貴族街の灯りと、その向こう側に広がる、インクを垂らしたような貧民街の暗闇。

アルバ公爵の、あの冷たい目を思い出す。
これで、終わりじゃない。
いや、むしろ、ここからが、本当の戦いの始まりなのだ。

改革の狼煙は、上がった。
そして、見えざる敵もまた、静かに、動き始めている。

私は、窓ガラスに映る自分の顔を睨みつけ、再び、心を固く引き締めた。

しおりを挟む
感想 67

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...