過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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第一部:『悪役令令嬢編』

第九話:公爵の甘い罠と、騎士の血の誓い

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私たちの『前線基地』が稼働を始めてから、数週間が過ぎた。季節は、もうすっかり冬の懐の中だ。空は鉛色に曇る日が増え、時折、白いものがちらついては、乾いた土の上に儚く消えていく。吐く息は、誰もが真っ白で、世界の彩度が、一段階、また一段階と落ちていくようだった。

しかし、そんな色彩を失っていく世界の中で、私たちの基地だけは、日に日に、鮮やかな温かい色を取り戻していた。

「ほら、お嬢ちゃん。ポテトの皮は、こうやって、こっちの手でくるくる回しながら剥くんだよ。そうそう、上手だ」
「王女様、すごい!私より上手!」

なんと、私に、ジャガイモの皮剥きの才能があったことが判明した。人生、何が起こるか分からない。貧民街の子供たちに囲まれ、ドヤ顔でポテトを剥きながら、私は、生まれて初めて「尊敬」の眼差しというものを一身に浴びていた。ドレスを着ていた頃には、決して得られなかった種類の、温かい尊敬を。

その横では、アレクシスが、子供たちに読み書きを教えている。のだが。
「いいか、よく聞け。この国の税収の下降曲線は、このグラフで示される対数関数に近似できる。つまり、君たちの親が、明日パンを買える確率は、この変数x、すなわち、貴族どもの無駄遣い指数に反比例するわけだ。分かったかね?実にシンプルだろう?」
「「「わかんなーい」」」

子供たちの素直な返答に、アレクシスは「なぜだ!こんなにも明快な真理が、なぜ伝わらんのだ!」と頭を抱えている。無理だ。あんたの授業は、ハーバード大学の学生でも単位を落とす。

そして、我らがカエルスはといえば、彼の屈強な部下たちと共に、いつの間にか、子供たちのガキ大将兼、遊び場の安全管理人と化していた。
「おい、そこのチビ!そんな高いところから飛び降りたら、頭の骨がカチ割れて、脳みそが飛び散るぞ!やめろ!」
「キャハハハ!鬼さーん、こっちー!」
「俺は鬼じゃねえ!騎士団長だ!」

その光景は、あまりにシュールで、あまりに平和で、そして、あまりに愛おしかった。
冷たい冬の風の中、基地の中だけは、人々の笑い声と、温かいシチューの匂い、そして、生きるための活気で満ち溢れていた。

私たちは、確かに、何かを変えつつあった。
その希望に満ちた日々が、永遠に続くかのような錯覚さえ覚えていた。

もちろん、そんな甘い幻想は、アルバ公爵という、この国で最も悪質な現実主義者によって、容赦なく、そして、極めて巧妙に、打ち砕かれることになる。

その知らせは、ある晴れた、しかし、凍えるように寒い日の午後に、もたらされた。
「大変です!アルバ公爵様が、この地区の広場で、大規模な炊き出しを始められました!」

最初は、その意味が、よく分からなかった。
炊き出し?あの公爵が?
私たちは、急いで、広場へと向かった。そして、その光景に、言葉を失った。

広場には、巨大なテントがいくつも張られ、そこでは、公爵家の紋章をつけたコックたちが、湯気の立つ、上等な肉の入ったシチューを、集まった人々に、笑顔で配っていた。私たちの基地で出す、野菜の切れ端のスープとは、比べ物にならないほど、豪華な食事だ。

そして何より、決定的な違いがあった。
それは、全てが、**無料**で、そして、**無条件**で、与えられている、ということだった。

アルバ公爵は、民衆の前に立つと、穏やかな、しかし、誰もが聞き取れる声で、演説を始めた。
「皆の者、この度の、王女様による性急な改革で、心を痛めていることだろう。だが、案ずることはない。我ら貴族は、いついかなる時も、汝らの味方である。さあ、腹いっぱい食べるが良い。働く必要などない。我らが、汝らを、養ってやろう!」

その言葉に、民衆は、熱狂した。
「公爵様、万歳!」
「そうだ、我らを救ってくれるのは、貴族の方々だったんだ!」

その光景を前に、私の血の気が、さあっと引いていくのを感じた。
やられた。
これは、あまりに、狡猾で、悪魔的な一手だった。

私たちのプロジェクトの根幹は、『労働による、自立と尊厳の回復』にあった。しかし、公爵は、その、面倒で、手間のかかるプロセスを、圧倒的な『富』の力で、真正面から叩き潰しに来たのだ。『尊厳』などという、腹の膨れないものよりも、目の前の、温かくて美味い、無償の食事。長年の貧困に喘いできた人々が、どちらに流されるかなど、火を見るより、明らかだった。

その日から、私たちの基地は、急速に、その活気を失っていった。
昨日まで、一緒にジャガイモの皮を剥いて笑っていた女性が。
武具の手入れの仕事を、誇らしげにこなしていた男が。
「鬼さん!」と、カエルスの足にまとわりついていた子供たちが。
一人、また一人と、気まずそうな顔で、私たちの前から、姿を消していった。

[cite_start]彼らを、責めることなど、できなかった。彼らが悪いわけではない。生きるためには、当然の選択だ。 [cite: 4]
それが、分かっているからこそ、余計に、胸が痛んだ。
がらんとした倉庫に、冷たい冬の風が、ヒューヒューと、寂しい音を立てて吹き込んでくる。
数週間かけて、ようやく灯した希望の灯火が、今、無慈悲な風に、吹き消されようとしていた。

「…これが、現実だ」
作戦会議室で、カエルスが、吐き捨てるように言った。その声には、怒りと、それから、深い失望が滲んでいた。
「結局、連中は、そうだ。目先の、楽な方に、簡単に流される。俺たちが、何のために、必死になってきたのか…!」

「経済学的に言えば、これは、 predatory dumping(略奪的価格設定)だ。圧倒的な資本力を持つ者が、競合相手を市場から排除するために、採算度外視の価格で商品を供給する。そして、我々が潰れた後、彼らは、その代償を、民から、何倍にもして取り立てるだろう。民は、その構造を、理解できていない」
アレクシスが、分析的に、しかし、その声には、珍しく、怒りの色が混じっていた。

私は、何も、言い返せなかった。
カエルスの言う通りかもしれない。アレクシスの言う通りだ。
でも。

「…それでも、私たちは、彼らを、力で縛り付けることはできないわ」
私は、震える声で、言った。
[cite_start]「どちらを選ぶかは、彼らの課題よ。 [cite: 4] 私たちのやり方が正しいと、無理強いすることはできない。それは、公爵と同じ、ただの支配だわ。私たちの課題は…」
私の課題は、何?
この状況で、私に、何ができるというの?

その夜だった。
私たちの基地が、襲撃されたのは。

アルバ公爵は、最後の仕上げとばかりに、どこからか雇ってきた、十数人の、屈強なごろつき共を、送り込んできたのだ。「酔っ払いの喧嘩」を装って、私たちの基地を、物理的に破壊するために。

その時、基地に残っていたのは、私とアレクシス、そして、最後まで私たちを信じて、残ってくれた、数人の民だけだった。

「ヒャッハー!王女様のおなりだぜ!俺たちと、遊ぼうじゃねえか!」
下品な笑い声を上げながら、ごろつき共が、棍棒を手に、なだれ込んでくる。
絶体絶命。
アレクシスが、私の前に立ちはだかり、懐から、何か、怪しげな薬品の入った小瓶を取り出した。
「王女様、お下がりください。こいつらには、私の最新作、『超強力・下痢促進薬(カモミール風味)』を…」
そんなもので、どうにかなるか!

その時だった。
倉庫の扉が、外から、蹴破られた。

「…俺の留守中に、随分と、楽しそうなことをしてやがるじゃねえか。クズどもが」

そこに立っていたのは、カエルスと、彼の部下たちだった。
「てめえら…!こんなところで、油を売ってやがったのか!」
「ああ。あんたが、ションベンちびって泣き寝入りしねえか、見張ってたんだよ」

カエルスは、獰猛な笑みを浮かべると、ごろつき共に向かって、ゆっくりと、歩き出した。
そこから先は、もはや、一方的な、暴力のショーだった。
悲鳴と、骨の砕ける音、そして、命乞いの声が、がらんとした倉庫に響き渡る。

私は、ただ、その光景を、震えながら見つめていた。
その、乱戦の最中だった。
リーダー格らしき男が、カエルスたちの相手を部下に任せ、一直線に、私の方へと、向かってきた。その手には、キラリと光る、短剣が握られている。

「王女様!」
カエルスが、それに気づいて、叫ぶ。
間に合わない。

そう、覚悟した瞬間。
私の体は、強い力で、突き飛ばされた。そして、私のいた場所に、カエルスが、身を挺して、立ちはだかっていた。

グサリ、と、鈍い音がした。
男の短剣が、カエルスの脇腹に、深く、突き刺さっていた。

「…てめえ…」

カエルスは、うめき声を上げると、短剣を握る男の腕を掴み、そのまま、あり得ない力で、壁に叩きつけた。

***

ごろつき共を叩きのめし、縛り上げた後、倉庫には、血と汗の匂いが立ち込めていた。
私は、カエルスの脇腹に、震える手で、布を押し当てていた。幸い、傷は深いが、命に別状はないらしい。

「…馬鹿ね。どうして、庇ったりしたの」
「…体が、勝手に動いただけだ」
ぶっきらぼうに、彼は答える。

私は、彼の顔を、まっすぐに見つめた。
その目に宿るのは、もう、ただの同情や、騎士としての義務感じゃない。もっと、深く、熱い何かだ。

「…なあ、王女様」
彼は、傷の痛みに顔を歪めながら、言った。
「俺は、ずっと、民のために、戦ってるつもりだった。だが、違ったのかもしれん。民は、気まぐれで、時に、残酷だ。今日、それが、よく分かった」

彼は、そこで、一度、言葉を切った。
そして、私の手を、その、血と泥に汚れた、大きな手で、力強く、握りしめた。

「俺は、あんたのために、戦う。あんたが作ろうとしている、この、馬鹿みたいに、青臭くて、正しい国の、ために。この剣も、この命も、全て、あんたに捧げる」

[cite_start]それは、騎士が、主君に捧げる、最も、神聖な、血の誓いだった。 [cite: 1]
もう、そこに、疑いの影は、一片もなかった。

その、翌朝のことだった。
破壊された基地を、私たちが、途方に暮れながら片付けていると、一人、また一人と、人々が戻ってきたのだ。
公爵の炊き出しに行っていた、あの人たちが。

彼らは、ただ、戻ってきたのではなかった。
その手には、金槌や、ノコギリや、板切れを、持っていた。

「…昨夜のこと、聞いた。俺たち、馬鹿だった」
最初に、口を開いたのは、あの日、気まずそうに去っていった、男だった。
「俺たちは、あんたたちを、裏切った。それなのに、あんたたちは、俺たちの、この場所を、血を流してまで、守ってくれた。…もう、迷わねえ。俺たちも、戦う。あんたたちと、一緒に」

その言葉を皮切りに、人々は、黙々と、基地の修復作業を始めた。
その光景を見て、私は、涙が、止まらなくなった。

アルバ公爵の、悪魔のような罠は、皮肉にも、私たちの絆を、そして、私たちと民との絆を、以前よりも、遥かに、強く、結びつける結果となったのだ。

冬の、弱々しい太陽の光が、雲の切れ間から差し込み、懸命に働く人々を、そして、私たちを、優しく、照らし出していた。

本当の戦いは、まだこれからだ。
でも、私たちは、もう、一人じゃない。
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