過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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2部

第二十五話 国王、外交をサボってクッキーを食べる*

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天才学者アーサーに国政の一切を丸投げし、ユウキが念願の「何もしない生活」を手に入れてから、季節は秋の盛りを迎えていた。
空は、まるで磨き上げられた瑠璃のように、どこまでも高く、深く澄み渡っている。城の窓から見える木々は、赤や黄色、燃えるような橙色にその葉を染め上げ、風が吹くたびに、きらきらと輝く葉をらはらはらと舞い散らせた。空気はからりと乾き、陽の光は、夏のそれのような肌を焼く熱さを失い、今はただ、穏やかで優しい温もりを地上に届けている。

そんな、一年で最も過ごしやすい季節。
国王ユウキは、その職務を完全に放棄し、怠惰を極めていた。

「んー、このクッキー、絶妙な焼き加減だな。外はサクッと、中はしっとり。イグニス、腕を上げたじゃないか」

城のテラス。特注のリクライニングチェアに深くもたれかかり、ユウキは、焼きたてのクッキーを頬張りながら、満足げに目を細めていた。彼の傍らには、専属の(?)料理長と化した竜族のイグニスが、真剣な顔つきで控えている。

「恐縮です、陛下。生地に、ピクシー殿に頼んで取ってきてもらった、妖精の森の木の実の油を少し加えたのが、功を奏したようです。次は、ドワーフの国の岩塩を使った、塩キャラメル味に挑戦してみようかと」
「おお、それはいいな。期待してるぞ」

ユウキの頭の上では、妖精ピクシーが、小さなカップに入った花の蜜をちびちびと飲みながら、ゲップをしている。
「ぷはーっ。ったく、若いのといい、トカゲといい、食い物のことばっかりだな。まあ、ワシの酒の肴が増えるのは、悪いこっちゃないがね」

政治はアーサーに丸投げ。身の回りの世話は、なぜか甲斐甲斐しく焼いてくれる仲間たち。
ユウキの生活は、もはやスローライフというより、完全な隠居生活そのものだった。
この平和が、永遠に続けばいい。ユウキは、心の底から、そう願っていた。

しかし、全てのものは移り変わる。
特に、平穏な時間というやつは、いつだって、あっという間に過ぎ去ってしまうものなのだ。

その、穏やかな午後の空気を破ったのは、血相を変えてテラスに駆け込んできた、天才宰相アーサーだった。彼の顔色は土気色を通り越して、もはや青黒く、その目の下には、エベレストよりも高く、マリアナ海溝よりも深い、見事なクマが刻まれている。

「へ、陛下ぁっ! 大変です! 西の大国、『聖アークライト王国』より、正式に使者を派遣するとの通達が!」

アーサーの、悲鳴のような報告に、テラスののどかな空気は、一瞬で凍りついた。

聖アークライト王国。
大陸の西側一帯を支配する、巨大な宗教国家。唯一神「アーク」を信仰し、人間至上主義を国是として掲げている。彼らにとって、人間以外の種族――エルフやドワーフ、獣人や竜族などは、神が作りたもうた完璧な世界を穢す、不浄な存在でしかなかった。
そんな国が、多種族が共存する、このユグドラシルを、どう見ているか。火を見るより明らかだった。

「ついに、来たか……」
テラスの護衛をしていたガンツが、剣の柄を握りしめ、厳しい表情で呟く。
「面倒なことになりましたわね。対話が、まともに通じる相手とは思えませんが」
シルフィもまた、冷ややかな瞳で、西の空を見つめた。

仲間たちが、一様に緊張感を高める中、当の国王ユウキは。

「えー……。面倒くさいなぁ……。会いたくないんだけど。居留守とか、使えないのか?」

心底、嫌そうな顔で、クッキーを、もう一枚、口に放り込んだ。
その、あまりの緊張感のなさに、アーサーは、その場で胃を押さえて、うずくまった。

「陛下! この国の、いえ、大陸の未来を左右する、重大な局面なのですよ!?」
「だって、どうせ、ろくな話じゃないんだろ? 来る前から、結末が見えてる会議ほど、不毛なものはないんだよ……」

ユウキは、前世で、何度も経験してきた。結論ありきの、形だけの会議。時間の無駄。精神の浪費。彼は、あの不毛さを、二度と味わいたくなかった。
しかし、国王という、面倒くさい肩書きを背負ってしまった以上、もはや逃げることは、許されなかった。

***

数日後。聖王国からの使者が、ユグドラシルに来訪した。
その日、城は、秋の澄んだ空気とは裏腹の、張り詰めた緊張感に包まれていた。城壁には、各種族の兵士たちが、物々しく整列し、城門から玉座の間まで、一分の隙もない警備体制が敷かれている。

ユウキは、やけに重くて、肩の凝る、豪華な王の衣装を着せられ、あの、座り心地の悪い玉座に、ふんぞり返る(ふりをさせられている)羽目になっていた。

やがて、玉座の間の巨大な扉が、ゆっくりと開かれる。
現れたのは、聖王国の宰相を名乗る、一人の男だった。
歳は五十代ほど。豪華な絹のローブをまとい、その手には、金の装飾が施された杖を持っている。顔には、常に、にこやかで、人の良さそうな笑みを浮かべている。
しかし、その目は、全く、笑っていなかった。蛇のように冷たく、相手の価値を、値踏みするような光を宿していた。
胡散臭い。
それが、彼に会った者、誰もが抱く、第一印象だった。

「お初にお目にかかります、ユグドラシルの若き王よ。私、聖アークライト王国にて、神の言葉を地上に伝える、ささやかなる役目を仰せつかっております、宰相のクロウリーと申します」

丁寧な物腰。流れるようなお辞儀。
しかし、その態度の端々から、「我々の方が、格上である」という、隠しようのない傲慢さが、滲み出ていた。

そして、クロウリーは、ユウキの返事を待つこともなく、滔々と、演説を始めた。

「我らが信仰する、偉大なる唯一神アークは、こうお告げになりました。世界は、光と闇、秩序と混沌から成り、そして、その頂点に立つべきは、神の姿に最も近く作られた、我ら人間である、と。人間の繁栄こそが、神の御心であり、世界の正しき姿なのです」

彼は、聖王国の歴史、神の奇跡、そして、人間がいかに優れた種族であるかを、芝居がかった、大げさな身振り手振りで語り続ける。その言葉は、巧みに美辞麗句で飾られ、聞く者によっては、神々しい福音のようにも聞こえるのかもしれない。

しかし、玉座に座るユウキは。

(……話、なげえなぁ……。あ、ピクシーが、俺のクッキー盗もうとしてる。こら)

全く、話を聞いていなかった。
彼の興味は、クロウリーの長ったらしい演説よりも、玉座の肘掛けの陰で、こっそりクッキーを盗み食いしようとしているピクシーとの、静かなる攻防に向けられていた。
ユウキが、指先でピクシーの小さな手をぺしりと叩く。ピクシーが「ちっ」と舌打ちして、身を隠す。ユウキが、勝利を確信して、クッキーの皿に手を伸ばす。その隙に、ピクシーが、別の角度から、電光石火の速さで、クッキーを一枚、かっさらう。

その、あまりにもレベルの低い、しかし、本人たちにとっては真剣な戦いが、玉座の上で、人知れず、繰り広げられていた。

やがて、クロウリーの、自己満足に満ちた演説が、終わった。
彼は、うっとりとした表情で、自らの言葉の余韻に浸っていたが、やがて、本題を切り出した。その、にこやかな仮面の下から、冷酷な本性が、牙を剥く。

「……というわけで、ご理解いただけましたかな? この地に、人間以外の、穢れた獣どもが、人間と等しく暮らしているなど、神の定めたもうた、世界の秩序を乱す、許されざる冒涜。神は、慈悲深く、こうもおっしゃっている。過ちを悔い改め、我が光の下に来る者に、救済の道を与えよう、と」

彼は、両手を広げ、宣告した。

「神の教えに従い、その穢れた亜人どもを、この地から、即刻、追放なさい。そして、我が聖王国の、偉大なる庇護の下に入るのです。さすれば、あなた方の未来は、永遠に約束されるでしょう。つまり、我が国の――属国となりなさい」

その言葉が、玉座の間に響いた瞬間。
空気は、ただの緊張から、明確な、殺意のこもったものへと変わった。
ガンツは、怒りに顔を赤くし、ボルガは、ゴリゴリと、斧の柄を握りしめている。シルフィの指は、いつの間にか、矢をつがえる形になっていた。

しかし、当の国王ユウキは。
ピクシーとの攻防戦に、なんとか勝利し、最後の一枚のクッキーを、口に放り込んだところだった。

彼は、もぐもぐと、クッキーを咀嚼し、ごくん、と飲み込むと。
きょとん、とした顔で、クロウリーを見上げた。
そして、全ての前提を、根底からひっくり返す、純粋な疑問を、口にした。

「えー……っと、なんで、ですか?」

「……は?」
さすがのクロウリーも、その、あまりに間の抜けた返答に、一瞬、思考が停止した。

「いや、だから、なんで、俺たちが、あんたらの国の、属国? に、ならなきゃいけないんです? 別に、俺たち、聖王国さんに、何か迷惑とか、かけましたっけ? みんな、ここで、種族とか関係なく、仲良く、普通に暮らしてるだけですよ?」

それは、何の皮肉も、悪意もない、ただ、素朴な疑問だった。
だが、その素朴さゆえに、クロウリーの理論の、根幹を揺るがした。
彼の理論は、「神の教えは絶対である」「人間は至上である」「我々の正義は、疑う余地のないものである」という、巨大な前提の上で、成り立っている。その、大前提そのものを、「なんで?」と問われることを、彼は、全く、想定していなかったのだ。

「ぐっ……! き、貴様、神を、侮辱するか! 神の秩序に、理由など、不要なのだ!」
狼狽し、激昂するクロウリー。
その様子を見て、ユウキは、ああ、こりゃダメだ、と、心の中で、会議の終了ボタンを押した。

「はあ、そうですか。まあ、あんたらには、あんたらのルールがあるんでしょう。でも、うちは、うちのやり方で、やっていきますんで。わざわざ、遠いところ、ご苦労様でした。お土産に、さっきのクッキーでも、持って帰ります?」

もう、完全に、話を終わらせるモードだった。
交渉は、決裂。いや、そもそも、交渉にすら、なっていなかった。

クロウリーは、顔を屈辱に真っ赤に染め、わなわなと震えながら、テンプレ通りの、実に陳腐な捨て台詞を残して、玉座の間を去っていった。

「……愚かな者どもめ! 神の裁きが、必ずや、下るであろう! その時、後悔しても、もう遅いぞ!」

***

嵐のような宰相が去った後。
玉座の間は、重い、重い沈黙に、支配されていた。

「……どうやら、戦は、避けられそうにないな」
ガンツが、静かに、しかし、覚悟を決めた声で、呟いた。

「徹底的に、やるしかありませんわね」
シルフィの瞳に、冷たい炎が宿る。

その、シリアスで、不穏な空気の中。
事実上の宰相であるアーサーは、自国の、そして、大陸全体の未来を案じ、その場で、静かに、胃を押さえて、崩れ落ちた。

そして、全ての元凶であり、この国の、一応の、王であるユウキは。
テラスの方に目をやり、窓から差し込む、穏やかな秋の日差しを見つめながら、心底、本当に、心の底から、面倒くさそうに、こうボヤいた。

「ああ……。せっかく、いい感じに、毎日、ダラダラできてたのになぁ……」

秋の風が、城の中に、静かに吹き込む。
それは、これから始まる、避けられぬ戦いという名の、長い、長い冬の訪れを、静かに、告げているようだった。
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