過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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第二十六話 聖騎士団、進軍。我ら、ピクニック。

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聖王国からの使者が、捨て台詞という名のお土産だけを残して去ってから、ユグドラシルの空には、目に見えない不穏な空気が漂い続けていた。
季節は、秋の盛りを静かに終え、冬の足音が、日一日と、はっきりと聞こえるようになってきていた。
あれほどまでに空を彩っていた赤や黄色の葉は、冷たい北風にそのほとんどを奪われ、今は、寒々しい枝を空へと突き出している。日差しは力を失い、空は、鉛色の雲に覆われる日が増えた。朝晩の空気は、肌を刺すように冷たい。

城内は、来るべき戦いに備え、かつてないほどの緊張感に包まれていた。
事実上の宰相であるアーサーは、もはや胃薬が主食と化しており、防衛計画の策定と物資の確保に、昼夜を問わず奔走している。その目の下のクマは、今や、彼の新たな個性として、すっかり定着していた。

ガンツやボルガ、イグニスといった戦闘要員たちは、武具の手入れに余念がない。城の鍛冶場からは、昼夜を問わず、ドワーフたちの打つ槌音が響き渡り、兵士たちの鋭い掛け声が、訓練場から聞こえてくる。
誰もが、来るべき脅威に備え、心を一つにしていた。

ただ一人、この国の、一応の、王であるユウキを除いて。

「……日向ぼっこ、最高……」

城のテラス。ユウキは、分厚い毛布にくるまり、リクライニングチェアの上で、猫のように丸くなっていた。
秋の終わりから初冬にかけての、この、弱々しくも、どこか優しい日差しを浴びながら、うつらうつらと舟を漕ぐ。これこそが、彼にとって、至福の時間だった。

「陛下! このような時に、呑気にあくびなどを!」
ガンツが、眉間に深いシワを刻んで、ユウキに詰め寄る。
「いやぁ、だって、眠いんだもん。それに、俺がジタバタしたって、戦況が変わるわけでもないだろ? 専門のことは、専門の奴らがやった方が、効率的だ」
「それは、そうですが……! 王としての、威厳というものが!」
「そんなもんで、敵が撤退してくれるなら、いくらでも出すけどな」

ユウキの、あまりにもやる気のない態度に、ガンツは、いつも通り、頭を抱えるしかなかった。

そして、その日は、冬の訪れを告げる、冷たい雨が降る、灰色の朝に、やってきた。
国境を警備していた獣人の斥候から、血相を変えた報告が、もたらされたのだ。

「報告します! 聖アークライト王国が、国境を越えました! その数、およそ三万! 大陸最強と謳われる、『ホーリーナイト』の軍団です!」

その一報に、城内は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「ついに、来たか……!」
「三万だと!?」
「神よ、我らをお守りください……」

民は恐怖に震え、兵士たちの顔には緊張が走る。アーサーは、その場で、白目を剥いて倒れそうになるのを、リリアに支えられていた。

誰もが、絶望的な未来を想像した、その時。
玉座で、報告を聞いていたユウキだけが、一人、全く見当違いな感想を、ぽつりと漏らした。

「……うわー、すっごい数。三万かぁ……。これ、全員分の、まかないとか、どうすんだろうな……。兵站、大丈夫なのかね、あっちの国。補給が滞ったら、士気だだ下がりだぞ」

その、あまりにも場違いで、現実的な、しかし、今はどうでもいい心配に、玉座の間は、一瞬、不自然な沈黙に包まれた。
この王は、一体、何を言っているんだ?
誰もが、そう思った。
しかし、ユウキは、大真面目だった。彼にとって、三万という数字は、恐怖の対象ではなく、管理すべき「工数」であり、腹を空かせた「 headcount(人員)」でしかなかったのだ。

***

数日後。
ホーリーナイトの軍勢は、ユグドラシルの城壁が、目視できる距離にまで、迫っていた。
城壁の上に立ったユウキたちの目に、信じがたい光景が広がる。

地平線の、彼方まで。
見渡す限り、白銀の鎧に身を包んだ、騎士たちの軍勢で、埋め尽くされていた。
磨き上げられた鎧と兜は、冬の弱い太陽を反射して、鈍い光の海を作り出している。無数の、白い旗印が、冷たい風にはためき、森のように林立している。大地を揺るがす、三万の軍靴の音。それは、もはや、ただの足音ではなく、聞く者の、心を挫く、巨大な圧力そのものだった。
大陸最強。その名に、偽りはなかった。

「……なんという、威容だ……」
ガンツが、ごくりと唾を飲む。
「これほどの軍勢、まともにぶつかれば、我らに、勝ち目はない……」

仲間たちの顔に、緊張と、わずかな絶望の色が浮かぶ。

「今こそ、我らが力を見せる時! 陛下、ご命令を! 我ら、先陣を切り、敵を迎え撃ちます!」
ボルガが、巨大な戦斧を振り上げ、雄叫びを上げる。

しかし、ユウキは、そんな血気にはやる仲間たちを、ひらひらと、手で制した。

「待て待て、落ち着けって」

彼の声は、いつも通り、のんびりとしていた。

「こっちから手を出したら、どうなる? 向こうは、それを待ってるんだ。『ほら見ろ、神に牙をむく、野蛮な亜人どもが、先に攻撃してきたぞ! 正義の鉄槌を下せ!』ってな。そうなったら、向こうの思うツボだろ?」

ユウキは、前世のビジネス交渉を思い出しながら、続けた。

「こういうのはな、相手に、先に、一線を越えさせなきゃダメなんだよ。相手が、明確な敵意をもって、この国の敷居を、一歩でも、またいだ瞬間。その時点で、俺たちの行動は、ただの『正当防衛』になる。大義名分ってやつは、そういう、細かい積み重ねで、こっちに引き寄せるもんなんだよ」

その、あまりに冷静で、冷徹で、そして、政治的な計算に満ちた言葉に、ガンツたちは、ぐっと言葉を詰まらせた。
彼らの王は、やる気はないが、物事の本質を、常人とは違う次元で、見抜いている。

「だから」と、ユウキは続けた。
「相手が、最初の一撃を、撃ってくるまで、何もしない。ただ、待つ。それが、今日の、俺たちの仕事だ」

そして、彼は、にこりともせずに、とんでもないことを、言い放った。

「まあ、待ってる間も、ヒマだしな。腹も減るし」

「――ピクニックでも、するか」

「…………はい?」
仲間たちの声が、綺麗に、ハモった。

***

数時間後。
ユグドラシルの、巨大な城壁の上には、信じがたい光景が、広がっていた。

眼下には、地平線を埋め尽くす、白銀の騎士団。今にも、総攻撃が始まりそうな、爆発寸前の緊張感。
そして、その緊張感を、完全に無視して。
城壁の上では、一枚の大きな敷物が広げられ、その上で、ユウキ一行が、和気あいあいと、食事の準備をしていた。

「おーい、イグニス! 双眼鏡より、肉だ、肉を持ってこい! 敵の顔色より、肉の焼き色の方が、よっぽど重要だぞ!」
ユウキが、リクライニングチェア(わざわざ、ここまで持ってこさせた)に寝そべりながら、指示を出す。

「承知! 我が竜の炎ならば、いかなる肉とて、最高の状態で焼き上げてみせよう!」
イグニスが、槍の代わりに、巨大な鉄串に刺した肉の塊を、その口から吐き出す炎で、豪快に炙っている。ジュージューという、実に美味そうな音が、戦場に響き渡った。

「ガハハハ! 肉には、やっぱり、ドワーフの作ったエールよなぁ! ガンツ、お前も飲め!」
ボルガが、巨大な樽から、なみなみと、エールをジョッキに注いでいる。

「今は、それどころではないだろう!」
ガンツは、そう言いながらも、イグニスの焼いた肉の匂いに、ごくりと喉を鳴らしていた。

「テメェら、呑気なもんだねぇ。ま、ワシの酒の肴が増えるのは、大歓迎だがな」
ピクシーが、ユウキの頭の上で、小さな杯を傾けている。

シルフィは、呆れ果てた顔で、その光景を眺めていたが、やがて、諦めたように、差し出された焼き立ての肉を、小さく、口に運んだ。

この、あまりにも、シュールな光景。
それは、もちろん、眼下のホーリーナイトたちにも、見えていた。
彼らは、最初、自分たちの見間違いかと思った。しかし、城壁の上から、風に乗って、肉の焼ける、香ばしい匂いが、漂ってくるに及んで、それが、現実であることを、悟った。

自分たちは、この国の、世界の命運を賭けて、ここにいる。
それなのに、相手は、城壁の上で、ピクニックをしている。

それは、侮辱、という言葉を、遥かに超越していた。
もはや、自分たちは、存在しないものとして、扱われている。
ホーリーナイトたちの顔が、屈辱と、そして、純粋な怒りで、みるみるうちに、赤く染まっていくのが、遠目にもわかった。

やがて、ホーリーナイトの軍団の中から、一騎の馬が、前に進み出た。騎士団長だ。
彼は、城壁を見上げ、怒りに震える声で、降伏勧告を行った。

「城壁の上の、愚か者どもに告ぐ! 我らは、神の代理人、聖騎士団ホーリーナイトである! 神の敵に、慈悲はない! 速やかに、門を開き、その罪を悔い改めよ! さもなくば、この城壁ごと、塵と化すであろう!」

その、威厳に満ちた、最後通牒。
それに対して、城壁の上から返ってきたのは。

「――おーい、ガンツ! その串、俺が先に唾つけといたやつだぞ! 横取りするな!」
「何を言うか、ユウキ殿! 食事の場に、上下関係はない!」
「ガハハハ! いいぞ、いいぞ! もっとやれ!」

という、実に、平和で、実に、くだらない、口論だけだった。

騎士団長は、こめかみに、青筋を、何本も浮かび上がらせた。
そして、彼は、持っていた剣を、天に、高く、突き上げた。

「――もはや、言葉は不要! 神罰の時だ!」

彼は、剣を、振り下ろした。

「全軍、突撃ィィィィィィッ!!」

地鳴りのような、鬨の声。
三万の、白銀の津波が、一斉に、ユグドラシルの城壁へと、殺到した。

その、凄まじい光景を、ユウキは、口の周りを、ソースで汚しながら、冷め切った目で、見つめていた。
そして、食べかけの肉串を、ゆっくりと、皿の上に置くと、静かに、こう呟いた。

「……はい、ご注文、入りましたー」

敵は、先に、手を出した。
正当防衛、成立。
面倒くさい、前置きは、これで、終わりだ。

冬の、冷たい空の下。
ユウキの瞳の奥に、ほんの一瞬、これまでに見せたことのない、底知れないほど、冷徹な光が、宿ったのを、隣にいたガンツだけが、確かに、見ていた。
とんでもない反撃の、幕が、今、静かに、上がろうとしていた。
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