過労死したので来世は平穏に暮らしたい。なのに、うっかり英雄になってしまい、東では国を救った元悪役令嬢が俺の噂をしていた。

Gaku

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第三十九話:会議は踊る、されど王はデコピンす

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中立都市リベルシュタット。その名は古の大陸共通語で「自由の都」を意味する。しかし、その甘美な響きとは裏腹に、ここで謳歌される自由とは、弱者を踏み台にして成り立つ、強者の自由であり、持てる者の自由であった。

大陸の心臓部に位置し、巨大な山脈と大河によって天然の要害と化したこの都市は、どの国家にも属さないという絶妙な立ち位置を保つことで、その特異な独立と、血塗られた繁栄を維持していた。街並みは、悠久の時を感じさせる分厚いクリーム色の石材――近隣の山脈から切り出されたライムストーン――で統一され、建物という建物の窓には、職人たちが精魂込めて作り上げた色鮮やかなステンドグラスが嵌め込まれている。昼は太陽の光を、夜は街の灯りを乱反射させ、宝石箱の中に迷い込んだかのような幻惑的な美しさを放っているが、その光は、路地裏の暗がりで凍える貧しい者たちのもとへは決して届かない。

石畳のメインストリートを闊歩するのは、東方の国々から運ばれた艶やかな絹や、北方の工房で織られた手触りの良いビロードの服に身を包んだ富裕な商人や貴族たちだ。彼らの従者は一様に主人の権威を笠に着て尊大に胸を張り、道行く人々の表情には、自らの富と地位に対する隠しようのない自負と、持たざる者への無関心、あるいは侮蔑が浮かんでいる。カツ、カツ、と響く硬い革靴の音は、まるでこの街の不均衡な秩序を肯定するかのようだ。

空気は標高の高さゆえにひんやりと澄み渡っているが、その清涼さの中に、どこか不自然で人工的な匂いが混じり合っていた。いくつもの高級な香水が混ざり合ったむせ返るような甘い芳香、裕福な商人たちが燻らせる、南洋産の高級な葉巻の、甘くも鼻につく紫煙の香り、そして、きらびやかな社交界の裏側、密室で交わされる腹黒い駆け引きと、欲望の澱んだ匂い。それは、腐敗した果実が放つ、甘美で危険な香りにも似ていた。

この、光と影が歪に絡み合う偽りの「自由の都」で、今、大陸全土の未来を左右するとまで言われる、大陸諸国会議が開かれようとしていた。その開催は、この街に更なる富と、緊張をもたらしていた。

***

その主会場である市庁舎の大ホールは、見る者の感覚を麻痺させるほどの、悪趣味と言っても過言ではない絢爛豪華さに満ちていた。

息が詰まるほどに高い天井からは、それぞれに千の蝋燭が灯された巨大な水晶のシャンデリアが、まるで天から降る光の滝のように幾筋も吊り下げられている。無数の炎の揺らめきが、磨き上げられた鏡面のような黒大理石の床に幾重にも映り込み、乱反射し、ホール全体を昼間よりも眩い、白々しいほどの光で満たしていた。一歩足を踏み入れるだけで、溶けた蜜蝋の甘い匂いと熱気が肌を撫でる。

壁一面には、神話の英雄たちの勇壮な戦いを描いた、巨大なタペストリーが隙間なく飾られている。その織りは驚くほど緻密で、登場人物たちの表情まで生き生きと描き出されているが、奇妙なことに、描かれた英雄たちの顔は、どれもこれも、この会議の事実上の主催者であるグランツ帝国の初代皇帝の、鷲鼻と冷酷な薄い唇を持つ顔立ちに酷似していた。歴史の捏造と、露骨なまでの権威の誇示が、芸術の仮面を被ってそこに鎮座している。

ホールには既に、大陸各国の王侯貴族や、その代理人たちが集い、さながら品評会のように互いの装いを値踏みし合っていた。彼らは、顔には優雅な笑みを張り付け、象牙や白檀でできた扇子を気だるげに仰ぎながら、「ご壮健そうで何よりですな」「近頃の陽気は、まるで春を先取りしたかのようです」などと、当たり障りのない、中身のない会話を交わしている。だが、その煌びやかな仮面の下、瞳の奥では、まるで飢えた獣のように互いの腹を探り合い、言葉の端々から相手の真意を読み解こうと神経を尖らせ、自国の利益をいかに最大化するか、その冷たい計算だけが、恐ろしいほどの速度で行われていた。

その、魑魅魍魎が跋扈し、人の欲望が渦を巻く魔窟のような空間に、二つの、全く異質な空気を纏った一行が、ほとんど時を同じくして、その重い扉を押し開き、足を踏み入れた。

***

一つは、旧ロゼンベルグ王国の王女、ソフィアとその一行。

彼女たちの登場に、ホール内の喧騒が一瞬、水を打ったように静まり、好奇と、そして幾ばくかの侮蔑を含んだ視線が突き刺さる。ソフィアは、周囲の豪華絢爛なドレスとは一線を画す、質素だが完璧に仕立てられた濃紺のベルベットのドレスに身を包んでいた。余計な装飾は一切ない。しかし、そのシンプルさゆえに、彼女の気品と、揺るぎない意志の強さが際立っていた。その背筋は、まるで一本の、鍛え上げられた鋼の芯が通っているかのように、真っ直ぐに、天に向かって伸びていた。彼女の澄んだ青い瞳は、この欺瞞に満ちた空間の全てを、その醜い内側までも見透かすかのように、静かに、そして氷のように冷徹に、しかし確かな熱を帯びて輝いている。

彼女の右手には、側近であり軍師でもあるアレクシスが、いつものように着古して所々が擦り切れた学者のローブ姿で、影のように控えていた。彼は、周囲で虚飾の会話を繰り広げる王侯貴族たちを、まるで観察ケースの中の、珍しいが見た目ほど知的ではない昆虫でも眺めるかのような、純粋な探求心と若干の軽蔑が入り混じった目で見渡し、時折、懐から取り出した羊皮紙の巻物に、カリカリと羽ペンで何かを書きつけている。その表情は、この場にいる誰よりも、この会議の本質を理解しているかのようだった。

左手には、護衛の騎士カエルスが、この華やかな社交場には場違いなほどの、重厚な戦闘用の革鎧を身に着け、微動だにせず立っていた。磨き上げられているとはいえ、その鎧には歴戦の証である無数の傷が刻まれている。彼は、この腐臭の漂う空間の全てを、そこにいる人間の一人一人を、潜在的な敵とみなし、その鋭い鷲のような視線は、ソフィアに近づこうとする全ての影を、言葉を発するまでもなく無言のうちに威嚇し、牽制していた。彼の周囲だけ、空気がピリピリと張り詰めている。

彼らは三人、まるで精密に調整され、一つの目的のために機能する戦闘ユニットのようだった。彼らが通る道は、モーゼの奇跡のように自然と開かれていった。

***

そして、もう一つの一行。新興国家ユグドラシルの王、ユウキとその仲間たち。

彼らの登場は、先ほどの静寂とは質の違う、より直接的で、破壊的な衝撃をホールにもたらした。それは、厳粛なクラシックコンサートの会場に、泥酔したロックバンドが乱入してきたかのような、圧倒的な場違い感だった。

先頭を歩いているはずの王、ユウキは、なぜか一行の一番後ろで、大きな欠伸を必死に噛み殺しながら、とぼとぼと幽霊のような足取りで歩いていた。その服装は、王というにはあまりにもラフな、しかし上質で動きやすい旅人の服であり、その表情は、「なんで、俺が、こんなきらびやかで面倒くさそうなところに……今すぐ帰って昼寝がしたい……」という、万感の絶望の色に染め抜かれていた。

彼の右隣では、ドワーフのボルガが、その巨躯に不釣り合いなほど目を輝かせ、巨大な両刃の戦斧を無造作に肩に担ぎ、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回している。その斧の刃が、近くを通り過ぎた貴婦人の高価なドレスの裾を掠め、絹の裂ける鋭い音が小さく響いた。
「へえ、すげえな、兄貴! 天井が金ぴかだぜ! あれ、全部、剥がして溶かしたら、結構な金塊になるんじゃねえか?」
その、あまりにも不敬で、あまりにも率直な物言いに、周囲の貴族たちがぎょっとして、まるで汚物でも見るかのような目で振り返る。

左隣では、エルフのシルフィが、彫刻のように整ったその美しい顔を、これ以上ないというほど不機嫌に歪めていた。彼女の長い銀髪が、シャンデリアの光を受けて幻想的に輝いているが、その口から放たれる言葉は氷の刃のようだ。
「……人間という種族は、どうしてこうも、無駄で悪趣味なものを嬉々として作りたがるのかしら。このシャンデリアを一つ維持するための蝋燭代だけで、小さな村の民が一年間、腹一杯食べられるでしょうに」
その、あまりにも正論だが、全く場の空気を読んでいない毒舌に、何人かの貴婦人が扇子で口元を隠し、ヒソヒソと陰口を叩き始めた。

そして極めつけは、ユウキの頭の上であった。そこにちょこんと乗った妖精のピクシーが、ふてぶてしくあぐらをかき、その可憐な見た目からは想像もつかないダミ声で、ホール全体に響き渡るほどの大声で叫んでいた。
「けっ! どいつもこいつも、着飾った猿の見本市かよ! それより王様よぉ、酒はまだか、酒は! こんなかったりい集まり、素面で乗り切れるかってんだ!」

ユウキ一行は、三つ星の高級フレンチレストランに、雨の日に迷い込んだ泥だらけの野良犬の群れのようだった。彼らが通った後には、困惑と嫌悪、そしてほんの少しの恐怖が、まるで轍のようにくっきりと残されていた。

***

やがて、ホールの正面に設けられた壇上に、一人の男が進み出ると、予定時刻通りに会議が始まった。
グランツ帝国の宰相であるその男は、仰々しく咳払いを一つすると、芝居がかった声で高らかに開会を宣言し、手にした巻物を広げて議題を読み上げる。
「――以上、偉大なるグランツ帝国皇帝、ジークハルト陛下のご提案により、大陸の平和と秩序を著しく乱す、出自不明の新興国家ユグドラシル、及び、それに与する旧時代の亡霊、旧ロゼンベルグ王国に対する、神聖なる制裁措置について、ここに審議を行う!」

その、あまりにも一方的で、断罪ありきの議題設定に、それまで静観を決め込んでいた諸侯たちの間からも、さすがに抑えきれないざわめきが波のように広がった。「なんという……」「最初から結論が決まっているではないか」「帝国の横暴も極まれりだ」といった囁きが、あちこちから聞こえてくる。

ユウキは、その長ったらしい前置きを聞きながら、すでに意識が朦朧とし始めていた。瞼が鉛のように重い。
(……なんか、前世で経験した株主総会を思い出すなあ……。長い、偉い人の話……。パワポの文字、ちっちゃくて見えないやつ……。眠い……。ああ、もう、帰りたい……)
彼は、この大陸の未来を決める会議の場で、今晩の夕食のことでも考え始めていた。

そのユウキとは対照的に、ソフィアは、その挑戦的な議題を聞いて、むしろその瞳をより一層、闘志の炎で輝かせた。彼女の唇の端に、微かに好戦的な笑みが浮かぶ。
「面白い。受けて立ちますわ」
その凛とした呟きは、誰に言うでもなく、しかし確固たる決意に満ちていた。

そこから、会議は壮絶な外交戦の様相を呈した。
帝国の息のかかった、あるいは帝国に媚びを売ることで自らの地位を保とうとする諸侯たちが、次々と、まるで示し合わせたかのように立ち上がり、ユグドラシルとロゼンベルグ王国への罵詈雑言を浴びせ始めた。
「ユグドラシルなどという国は聞いたこともない! おそらくは、どこぞの蛮族が寄り集まっただけの、得体のしれない集団であろう!」
「その通り! そのような者共に、この由緒正しき大陸諸国会議の席を汚す資格はない!」
「ロゼンベルグに至っては、もはや没落した過去の遺物に過ぎぬ! 時代の流れも読めぬ愚か者どもが!」

その、全ての根拠のない中傷と、悪意に満ちたプロパガンダの濁流を、ソフィアは、たった一人で、しかし微塵も揺らぐことなく受け止め、完璧な論理と、氷のように冷静な態度で、一つ、また一つと打ち返していく。
「蛮族、ですって? 面白いことをおっしゃいますわね。彼らの生み出す鉄製品や工芸品は、あなた方の国のそれより遥かに精巧で、そして誠実ですわ。こちらに、双方の製品の品質比較データがございますが、ご覧になりますか?」
「没落? 結構ですわ。わたくしたちは、過去の栄光にすがるのではなく、自らの手で、自らの民のために、未来を築いているのですから。過去の遺産を食い潰しているだけの、どちら様かと違って」

彼女の、鈴が鳴るように清冽で、しかし鋼のように強い声がホールに響き渡るたびに、会場の空気は少しずつ、しかし確実に変わっていった。最初はソフィアたちを嘲笑し、遠巻きに見ていた中立国の代表たちも、次第に彼女の理路整然とした主張に耳を傾け始め、中には静かに頷く者さえ現れ始めた。

そして、ついに、これ以上の代理戦争は無意味と判断したのか、帝国の背後に隠れていた黒幕が、その重い腰を上げた。
玉座にふんぞり返っていたグランツ帝国皇帝、ジークハルトが、ゆっくりと、まるで老いた獅子が立ち上がるかのように、その巨体を起こした。そして、その鷲のような鋭い灰色の目で、会場の隅々までを見渡した。
「……静まれ」

地を這うような、低く、しかし有無を言わせぬ威圧感を込めた、たった一言。その声が発せられた瞬間、ホールは、先ほどまでのざわめきが嘘のように、水を打ったように静まり返った。誰かが緊張のあまり落とした扇子が、カラン、と乾いた音を立て、それが不気味なほど大きく響いた。

「小娘の、戯言は聞き飽きた。良いか、この大陸の秩序とは、我がグランツ帝国であり、法とは、この私、ジークハルトである。それに逆らう者は、すなわち世界の敵。異論は、認めん」

その、神の託宣を気取ったかのような傲慢極まりない宣言に、ソフィアが「それは暴論ですわ!」と反論しようと、その薔薇色の唇を開きかけた、その時だった。
すっ、と、アレクシスが彼女を手で制した。
「お嬢さん、ここは俺の出番だ。論理の通じない相手には、事実を叩きつけるのが一番効く」
アレクシスは静かに前に進み出ると、懐から取り出した一枚の巨大な羊皮紙を、バサリ、と大きな音を立てて広げた。そこには、素人目にはただの落書きにしか見えない、びっしりと書き込まれた数字と、複雑なグラフがあった。

「ジークハルト陛下。あなた方の言う、その『秩序』とやらが、いかに非効率で、自己中心的で、そして時代錯誤なものであるか。この、過去十年間の大陸全体の交易データと、あなた方の不当に高い関税収入の推移が、雄弁に物語っております。結論から申し上げましょう。あなた方のやっていることは、平和維持活動などでは断じてない。ただの、時代遅れの植民地主義的経済搾取システム、そのものですな」

アレクシスの、学者らしい淡々とした、しかし容赦のない事実の弾丸に、ジークハルトの顔がみるみるうちに怒りで赤黒く染まっていく。額に青筋が浮き、わなわなと拳が震えている。
「き、貴様……! 一介の学者が、この私に説教する気か!」
「さらに申し上げれば」アレクシスは皇帝の怒声など意にも介さず、冷徹に言葉を続けた。「今回の、あなた方が主導した我が国とユグドラシルへの経済封鎖によって、最も経済的な打撃を受けているのは、我々ではありません。むしろ、あなた方の支配下にある弱小な諸侯たちです。このデータを見れば明らかだ。このままでは、彼らは冬を越せずに飢えることになるでしょう。それもまた、あなたの、おっしゃる、偉大なる『秩序』の一環であると?」

追い詰められた狼のように、ジークハルトが、ついに最後の、そして最も野蛮な手段に出た。
「黙れ、詭弁家めが! 力こそが正義! 法とは、勝者が作るものだ!」
彼が、宝石で飾られた手を天に挙げると、その玉座の両脇に、まるで黒い鋼鉄の彫像のように控えていた親衛隊の騎士たちが、一斉に鞘から剣を抜き放った。
シャキン! という、耳障りな金属音が十数本重なり合い、ホールに緊張が走る。抜かれた剣の切っ先が、シャンデリアの光を反射して、凶悪な光を放った。
誰もが固唾を飲んで、その一触即発の事態を見守っていた。ソフィアの隣で、カエルスが静かに剣の柄に手をかけている。

その、張り詰めた弦が切れんばかりの、静寂と緊張の、まさに、その時だった。

「……ふぁ~あ……」

場違いな、気の抜けた、大きな欠伸の音が、ホール全体に響き渡った。
全員の、文字通り、その場にいた全員の視線が、音の主へと、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、一斉に注がれる。

ユウキだった。

彼は、ずっと退屈そうに自分の爪を眺めていたが、ようやく、その重い腰を、よっこいしょ、という効果音でもつきそうなほど億劫そうに上げた。
「あー、もう、いい? なんか、話、すっごい長いんだけど。俺、お腹すいちゃった」
彼は、目の前で剣を抜いている親衛隊も、怒りで顔を真っ赤にしている皇帝も、完全に無視して、呆気に取られているソフィアの方を向いた。
「ねえ、ソフィアちゃん。まだ終わんないの、これ?」
「あなたねえ……! 少しは状況を……!」
ソフィアが、呆れと怒りが混じった声で言いかけた、その言葉を、ユウキは「はいはい」と軽く遮った。
「わかった、わかった。じゃあ、俺が終わらせてやるよ」

そう言うと、ユウキは、皇帝の玉座の、その遥か後方、ホールの最も奥に、天井を支える構造物としてそびえ立っていた、装飾用の巨大な大理石の柱を、ちらり、と見た。
そして、右手の親指を、中指にかけ、
「ピシッ」
と、小さく、しかし、不思議なほどクリアに響く音を立てて、デコピンをした。

ホールにいる誰もが、一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ただ、静寂が、一秒、続いただけだった。

次の、瞬間。

ゴウッ、という地響きも、ズドン、という衝撃も、何もなく。
ただ、本当に、静かに。
ホールの最も奥にあったはずの、天井まで届くほど巨大で、何トンもの重さがあるはずの大理石の柱が、まるで、真夏の陽光の下に置かれた砂の城のように、さらさらと、その形を失い始めた。
柱の表面に、まず蜘蛛の巣のような微細な亀裂が走り、それが一瞬にして全体に広がったかと思うと、次の瞬間には、構成していた石の粒子が全ての結合を失い、シャンデリアの光を浴びて、きらきらと輝く微細な粒子となって、音もなく床に崩れ落ちていった。

「…………」
「…………」
「…………」

シン、と。
ホールは、生命の気配が一切感じられない、墓場のような静寂に包まれた。
シャンデリアの蝋燭が、パチパチと燃える小さな音だけが、やけに大きく聞こえる。
全員が、口をあんぐりと開けたまま、今、柱があった、ただのきらめく砂の山と化した場所と、何事もなかったかのように平然と立っているユウキの顔を、壊れた人形のように、何度も、何度も、交互に見ていた。扇子を落とす者、グラスを取り落として甲高い音を立てる者、その場にへたりと腰を抜かす者。

ユウキは、そんな周囲の反応など全く気にする様子もなく、ただ、面倒くさそうに、首を、こてん、と小さく傾げた。

「で?」

彼は、顔面蒼白になり、わなわなと恐怖に震えているジークハルト皇帝に向かって、言った。

「まだ、なんか、文句、ある? なかったら、俺、帰って、飯、食いたいんだけど」

その、あまりにも無邪気で、そして、あまりにも悪魔的な問いかけ。
ジークハルトは、「ひっ」と、喉から絞り出すような短い悲鳴を上げると、そのまま、カクンと首を折って白目を剥き、玉座の上にぐったりと崩れ落ちた。
恐怖のあまり、気絶したのだった。

こうして。
大陸の未来を左右するはずだった、極めて重要で、格式高い大陸諸国会議は。
開始から、わずか一時間足らずで。
一人の、やる気のない男の、たった一発のデコピンによって、全ての議題が、――後に宰相が震える声で読み上げた――ユウキとソフィアの要求通りに、全会一致で可決され、閉会した。

それは、後世の歴史家たちが、「史上最も短く、そして最も不可解なサミット」として、その真相を巡って数百年にもわたる論争を繰り広げることになる、新たな伝説の、始まりの一幕だった。
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