無詠唱の俺、詠唱を知らなかった~転生SE(元25歳)、予測不能な仲間たちと『世界の理』を最適化する~

Gaku

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第5話:防御指揮法と『私』という壁

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悪夢のような灼熱の夏は、 ようやくその勢いを失い始めていた。

ユウキ・アマネが、医務室のベッドの上で 「寝させてください……」という最後の言葉と共に意識を手放してから、 三日が経過していた。

彼が目を覚ました時、窓の外を吹き抜ける風は、 もう肌にまとわりつく熱気ではなく、 乾いた土の匂いと、どこか遠くの森が色づき始めた気配を運んでくる、 涼やかな「秋風」に変わっていた。

「……生きてる」

天井のシミを見つめながら、ユウキは呟いた。

前世の記憶がフラッシュバックするほどの強烈な『枯渇』体験。 それは、彼の体に、魔法という力の、底知れない恐ろしさを深く刻み込んだ。

「あ、ユウキ、起きた! よかったー!」

リリアが、見舞いの果物(なぜか皮ごと)をかじりながら、ベッドの脇で喜んでいる。

「お、おう。迷惑を……」

「まったくだぜ。お前のあの『寝言』、学園中の噂になってるぞ」

カイトが、椅子にふんぞり返って、面白そうに笑っていた。

「『仕様の変更は、やめてください』って……何と戦ってたんだよ、お前」

「う……」

ユウキは、頭を抱えた。 どうやら自分は、この世界でも、とんでもない恥を晒してしまったらしい。



数日後。 すっかり体力が回復したユウキが、秋空の下、いつもの第二実習場へと向かうと、 そこには「補習仲間」が全員、神妙な顔で集まっていた。

今日の科目は、「防御指揮法」。

アーキバルド先生は、今日は鍋も持ってきていなければ、炎天下に生徒を放置することもなく、 ただ、高い秋の空を背景に、静かに立っていた。

「さて、諸君。今日は『壁』の話だ」

彼は、足元の石ころを一つ拾い上げた。

「君たちが『結界』と呼ぶもの。あれは、いったい何だと思うね?」

「はい! 敵の攻撃を防ぐ『壁』です!」

リリアが、元気よく答える。

「うむ。その通りだ。だが、どうやって防ぐ?」

先生は、石ころを宙に放り、手の甲で受け止めた。

「敵の攻撃という『力』に対し、それと同等か、それ以上の『力』をぶつけて、相殺する。 それが君たちの考える『壁』だ。 だがね、諸君。 そのやり方は、実に脆い」

「脆い、ですか?」

ゴードンが、自慢の筋肉を見ながら、納得いかないという顔をする。

「ああ、脆いとも。 なぜなら、その『壁』は、『私』が『私』を守ろうとする、その『思い込み』そのものだからだ」

また始まった。 ユウキは、半分うんざりしながら、先生の哲学的な講義に耳を傾ける。

「君たちは、『私』という、確固たる『中心』があると信じている。 そして、敵の攻撃が、その『私』を傷つけようとするから、必死になって『壁』を張る」

先生は、持っていた石ころを、指で強く握りしめた。

「だが、敵の力が、君の『私を守りたい』という『思い込み』を上回った時。 壁は、こうなる」

先生が指を開くと、石ころは、無残にも砕け、砂となってこぼれ落ちた。

「……!」

「『私』という『一点』に執着するから、そこに力が集中し、破壊される。 では、諸君。もし」

先生は、手のひらの砂を、秋風にふっと吹き飛ばした。

「そもそも、守るべき『私』という『中心』が、どこにも無かったとしたら、どうだね?」

「…………」

生徒たちは、その問いの意味が分からず、黙り込む。

「攻撃が、どこにも『当たる』べき『実体』を持たなかったとしたら。 攻撃は、ただ、そこを『通り抜ける』だけではないかね?」

「……!」

ユウキの思考が、激しく回転を始めた。

(また、この人の禅問答だ……) (だが、待てよ) (守るべき『中心』が、ない?) (攻撃対象の『実体』がないなら、攻撃は『通り抜ける』……?)

ユウキは、前世の、あの苦しかった『揺らぎ』(仕様変更)の夜を思い出していた。 あの時、自分は「完璧な計画」があると信じ込み、その『計画』に『執着』していた。 だから、予測不能な『揺らぎ』が来た時、 計画は、あの石ころのように、脆くも砕け散った。

(もし、あの時……) (確固たる『計画』なんて無い、ただ『流れ』があるだけだ、と受け入れていたら?) (俺は、壊れずに、済んだのか……?)

「さて」

ユウキの思考を遮るように、先生が手を叩いた。

「今日の**『防御指揮法・実習』**は、その『壁』を、実際に体験してもらう。 二人一組。 攻撃役と、防御役だ」

また二人一組か、とユウキが溜息をついた時。

「ユウキ! 私とやろう!」

「リリアか。いいけど、手加減してくれよ」

「よーし、ゴードン! お前が壁だ! 俺の攻撃を受け止めてみろ!」

「望むところだ、カイト! 俺の筋肉という『壁』に、傷ひとつつけてみせろ!」

(……あれ? シノさんは?)

ユウキは、教室の隅で、いつも通り、一人で小さくなっているシノ・ミヅキの姿に気づいた。 彼女は、誰とも組めず、俯いて、自分の指先を見つめている。

「シノ・ミヅキ君」

先生が、非情な声をかける。

「君は、余ったようだね。 では、見本だ。 私が攻撃役をやろう。 君は、防御してみたまえ」

「え……」

シノの顔が、恐怖に青ざめた。

「では、いくぞ」

先生は、詠唱すらせず、ただ、指先から小さな『火の玉』を放った。 それは、リリアが放つような暴走した火球ではなく、 制御された、しかし密度の高い、危険な『火』だった。

シノは、びくりと肩を震わせた。

だが、次の瞬間。 彼女が、か細い声で、何かを呟いた。

「――『拒絶』」

キィン、と。 ガラスが擦れ合うような、甲高い音が響いた。

シノの目の前に、半透明の、完璧な半球状の『結界』が出現した。

先生の火の玉は、その壁に当たると、 まるで硬いガラスに跳ね返されたように、あっけなく弾け、消滅した。

「「「「おおー……!」」」」

生徒たちから、どよめきが起きた。

ユウキも、リリアも、カイトも、ゴードンも、 そして、教室の端で見ていた首席のセレスティアまでもが、 信じられないといった顔で、シノの『結界』を見ていた。

それは、あまりにも完璧で、美しく、そして、どこまでも『冷た』かった。

「……ふむ。見事だ」

先生が、初めて、感心したように頷いた。

「『私』を守ろうとする『思い込み』が、極限まで高まっている。 まさに、鉄壁の『拒絶』だ」

シノは、褒められたにもかかわらず、全く嬉しそうではなく、 ただ、苦しそうに顔を歪め、結界を解いた。

(すごい……) ユウキは、素直に感嘆していた。 (あれが、シノさんの力……)

「では、他の者も、始めてみたまえ」

先生の合図で、実習が始まった。

「行くぞゴードン! 俺の『風のドリル』!」

「来い、カイト! 俺の『筋肉の壁』は、揺らがない!」

「リリア、頼むから、真っ直ぐな火の玉を……」

「任せて! ユウキ! 行くよ! 炎の『ドリル』!」

「だから、ドリルは止めろと――!」

第二実習場は、再び、阿鼻叫喚の地獄と化した。

ユウキは、リリアの予測不能な攻撃を避けるので精一杯で、防御どころではなかった。

その時だった。

「――おい、シノ・ミヅキ」

地を這うような、不快な声が響いた。 ドラゴ・ヴァイスだった。

彼は、ユウキたちが騒いでいるのには目もくれず、 一人、壁際に立っていたシノに、ゆっくりと近づいていた。

「貴様も、俺と組め。 俺が攻撃だ。 貴様は、さっきの『見事な壁』とやらを張ればいい」

「あ……えっと……」

シノは、この学園で、最も関わりたくない相手からの指名に、怯えきっていた。

「早くしろ。時間の無駄だ」

「……はい」

シノは、諦めたように、先ほどの『結界』を、再び展開した。

「ふん」

ドラゴは、その完璧な壁を、侮蔑するように鼻で笑った。

「見事な『壁』だ。 まるで、貴様の『心の壁』と、そっくりだな」

「……!」

シノの肩が、びくりと震えた。

「いつも、そうやって、自分の殻に閉じこもって。 陰気で、誰も寄せ付けない」

ドラゴは、まるで楽しむかのように、悪意に満ちた言葉を続けた。

「その『壁』は、貴様の『弱さ』の象徴だ! 俺の力で、粉々に砕いてやる!」

「あ……」

ドラゴが、詠唱を始める。 シノの顔が、みるみるうちに青ざめていく。

(『陰気』……) (『誰も、寄せ付けない』……) (『弱さの、象徴』……)

ドラゴの言葉は、シノが、ずっと自分で自分に言い聞かせてきた、呪いの言葉そのものだった。 彼女の心が、激しく『揺らぐ』。

ピシッ!

それに呼応するように、完璧だったはずの『結界』に、一筋の『ヒビ』が入った。

「見たか! やはりな!」

ドラゴは、勝ち誇ったように、その『ヒビ』に向かって、 執拗に、魔法を叩き込み始めた。

「や、やめて……」

シノは、両手で頭を抱え、うずくまる。 『ヒビ』は、どんどん広がっていく。 壁が、壊れる。 『私』が、壊される。

「――いい加減に、しろよ。お前」

その時。 ドラゴの攻撃と、シノの結界の間に、一つの人影が割って入った。 ユウキ・アマネだった。

「なっ……! 貴様、邪魔をするな!」

「うるせえ。見てて、気分が悪いんだよ」

ユウキは、ドラゴを睨み据えながら、背後のシノに、聞こえるように言った。

「揺らいで、何が悪い!」

「!」

シノが、顔を上げる。

「揺らぐってのは、生きてる証拠じゃねえか! 完璧で、揺らぎもしない壁なんて、ただの『死体』と一緒だ!」

それは、第4話で、自分が『揺らぎ』に負けて、無様に倒れたユウキだからこその、魂の叫びだった。

「貴様に何が分かる!」

ドラゴが、怒りに顔を歪め、魔法の力を、さらに高める。

「そこを退け! ユウキ・アマネ!」

「ユウキ君! 危ない!」

リリアの悲鳴が響く。

「――シノ・ミヅキ君」

その、緊迫した空気を、アーキバルド先生の、静かな声が貫いた。

シノは、自分を庇うように立つユウキの、その背中を見つめていた。

「壁は、『拒絶』のためだけにあるのではない」

先生の声が、まるで染み込むように、シノの心に届く。

「『私』という『一点』を守ろうとするから、壁は脆くなる。 『私』など、どうでもいい」

(『私』は、どうでも、いい……?)

「だが」

先生は、ユウキの背中を、顎でしゃくった。

「君には『守りたいもの』があるのではないかね?」

「!」

「『拒絶』のための壁ではなく、『大切なもの』を守るための壁を張ってみたまえ」

先生は、静かに問うた。

「君が今、守りたい『関係性』は、何だね?」

――守りたい、関係性。

シノの脳裏に、浮かんだ。

コップを爆散させても、平然としている、変わった男。(ユウキ) 『闇』がなければ、味が締まらないと、庇ってくれた、彼の言葉。(ユウキ) 「補習エース!」と呼んで、無邪気に笑う、太陽のような少女。(リリア) 「揺らいで何が悪い」と、今、自分の盾になってくれている、その背中。(ユウキ) 暑苦しい筋肉バカ。(ゴードン) やる気のない、怠け者。(カイト)

(私が、守りたいのは……) (『私』じゃない) (この……) (この『場所』だ!)

「――そこを、退いて。ユウキ君」

シノが、呟いた。

「え? シノさん?」

「退いて。……大丈夫、だから」

その声は、もう、震えてはいなかった。

ユウキは、何かに気づいたように、一歩、横に飛んだ。

「愚かな! まとめて消し炭にしてやる!」

ドラゴが、最大の『闇の槍』を、詠唱と共に放った。

シノは、もう、うずくまっていなかった。 彼女は、まっすぐにドラゴを見つめ、静かに、両手を広げた。

(来て)

彼女の結界が、変わった。 それまでの、硬く、冷たい『拒絶』の『殻』ではない。 それは、まるで、水面のように、オーロラのように、 しなやかに『揺らぐ』、柔らかい『光の膜』だった。

「なっ……!?」

ドラゴの『闇の槍』が、その『膜』に、着弾した。

だが。 ガキン! という音は、しなかった。

『膜』は、砕けない。 それどころか、まるで、柳の枝が、強い風を受けて、しなるように。 『膜』は、攻撃の力を、ふわりと、受け止め。 そして、その力を、殺すことなく、まったく別の方向へと、 美しい曲線を描いて、『受け流した』。

ズドォォォン!!!

ドラゴの放った魔法は、シノには一切当たることなく、 遥か後方の、無人の空へと『反射』され、消えていった。

「ば、馬鹿な……」

ドラゴは、自分の全力の魔法が、 (確かに当たっているはずなのに)全く効かないという、 信じられない現実に、愕然としていた。

「な……何だ、今の……」

ユウキも、リリアも、その、あまりにも美しい『防御』に、言葉を失っていた。

「……うむ」

アーキバルド先生だけが、深く、満足げに頷いていた。

「『私』という『執着』を捨てた時、壁は初めて『無敵』になる」

先生は、シノに向かって、優しく言った。

「見事だ、シノ・ミヅキ君。 それこそが、最強の『守り』だ」

シノは、まだ、自分が何をしたのか分からない、といった顔で、戸惑いながらも。

自分を心配そうに見つめる、ユウキと、リリアと、カイトと、ゴードン(黒焦げ)に向かって。

今度は、確かに。 小さく、しかし、はっきりと。 微笑んだ。
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