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第7話:修復指揮法と『今、ここ』の痛み
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秋は、夕暮れが足早に訪れる季節だった。
あの熱狂的な模擬戦トーナメントから数日が過ぎ、 学園は秋穫祭へ向けての準備で、日に日にその喧騒を増していた。
中庭の木々は最後の輝きを放つように燃え盛り、 乾いた風が吹くたびに、甘く香ばしい落ち葉の絨毯を厚くしていく。
だが、そんな浮かれた空気とは無縁の場所が、学園にはいくつもあった。
その一つが、西棟の三階、一番奥にある「第二準備室」。 今日の「修復指揮法」の講義は、なぜかこの薄暗い部屋で行われていた。
「――さて、諸君」
部屋に差し込む西日は、もう力なく、床に長い影を落とすだけだった。 棚に並べられた無数の薬草や鉱物の標本が、乾いた独特の匂いを放っている。 その中で、アーキバルド先生が教壇に立ち、一つの「皿」を掲げて見せた。
それは、見事に粉々に割れ、それを稚拙な接着剤で貼り合わせた、無惨な皿だった。
「今日の科目は『修復指揮法』。 いわゆる回復魔法の基礎だ」
先生の言葉に、生徒たちは教科書を開く。 ユウキも、補習仲間たち――今日はなぜかリリアだけが欠席していた――と共に、一番後ろの席でその皿を眺めていた。
「諸君に問おう。 怪我を『治す』とは、どういうことかね?」
セレスティアが、待っていましたとばかりに手を挙げた。
「はい。 対象の損傷情報を読み取り、その欠損部分が『発生する以前』の、正常な状態の記録を基に、魔力を用いて肉体を再構成する行為です」
「ふむ。 完璧な解答だ。 教科書の丸写しとしてはな」
先生は、セレスティアの完璧な理論を、あっさりと一蹴した。
「では、セレスティア君。 この皿を、君の言う『修復』で、元の『割れる前』の状態に戻してくれたまえ」
「そ、それは……」
セレスティアは言葉に詰まる。 「割れた」という事実は、すでに起きてしまったこと。 どれほど強力な魔法を使おうと、時間を巻き戻し、割れなかったことにはできない。
先生は、その割れた皿を教壇にそっと置いた。
「そうだ。 我々は『過去』を書き換えることはできない。 割れた皿は、割れた皿だ。 この『起きてしまったこと』という現実から、我々は決して逃れられない」
生徒たちが、静かに先生の言葉に耳を傾ける。
「『修復』とは、『元に戻す』ことではない」
先生は、指でそっと皿のヒビをなぞった。
「それは、『今、ここ』で、その存在が『あるべき正しい流れ』に、そっと調律してやることだ」
ユウキは、その言葉に息を呑んだ。
「怪我をした肉体も同じだ。 傷口は『壊れた』のではない。 『治る』という流れが、何らかの理由で『滞って』いるだけだ。 回復魔法とは、その流れを妨げているものを取り除き、 『あなたは、今、こうやって繋がっていくんですよ』と、本来の流れを思い出させてやる行為に過ぎない」
先生は、そこで一度言葉を切り、生徒たちの顔を見渡した。
「そして、これは『心』についても、全く同じことが言える」
西日が、先生の背後にある棚の、埃をきらきらと照らし出した。
「諸君は、過去の失敗を思い出して、夜も眠れなくなることがあるかね? 遠い昔に言われた、些細な一言が、今も胸に突き刺さってはいないかね?」
カイトとゴードンが、気まずそうに視線を逸らす。 シノは、小さく俯いた。
「我々は、それを『心の傷』とか『忘れられない記憶』と呼ぶ。 だが」
先生は、静かに、しかし強い口調で言った。
「その『過去』は、今、どこにある? 君が昨夜、恥をかいたその『出来事』は、今、ここに存在するかね?」
「……しません」
ユウキが、か細い声で答えた。
「そうだ。 どこにも存在しない。 それは、とっくの昔に過ぎ去り、消えてしまった『記録』に過ぎない」
先生は、割れた皿の「破片」を一つ、指でつまみ上げた。
「では、なぜ君たちは苦しむんだ? 存在しないはずの過去に、なぜ今、苦しめられているんだ?」
「…………」
「答えは単純だ。 君たちが『今、この瞬間』に、その『存在しない過去の記録』をわざわざ持ち出してきて、 その破片で、今の自分自身を、自分で傷つけ続けているからだ」
その瞬間、ユウキの脳裏に、閃光が走った。
前世の記憶。 納期前夜の、蛍光灯だけが煌々と照らすオフィス。 鳴り止まない電話。 終わらない仕事。 あの絶望的な「デスマーチ」の記憶。
彼は、あの経験が「原因」となって、今の自分の臆病さや、マナ枯渇への異常な恐怖を「結果」として生み出しているのだと、固く信じていた。
(待てよ……)
ユウキは、自分の手のひらを見つめた。
(俺は、あの『出来事』が、今も俺を苦しめていると思っていた。 けど、違うのか?)
(あのプロジェクトは、もう終わったんだ。 とっくの昔に。 あの会社も、あの机も、もうこの世のどこにもない)
(それなのに、俺は『今』、あの時の『記録』を勝手に引っ張り出してきて、 『俺はあのせいでダメなんだ』って、自分で自分に言い聞かせて、 勝手に苦しんでいただけなのか?)
(『原因』は、もう存在しない?)
(『原因がある』っていう、今の俺の『思い込み』だけが、 今の俺を『動けなく』させているだけ?)
(だとしたら……)
ユウキは、あの過労で倒れた、前世の自分を思った。
(だとしたら、あの時の俺も、救われたっていうのか……?)
彼は、激しい目眩と共に、世界の「仕組み」の、そのあまりにも残酷で、あまりにも優しい一面を垣間見た気がした。
講義が終わり、生徒たちがぞろぞろと教室から出ていく。 もう、外は茜色を通り越して、群青の闇が迫っていた。
「なあ、ユウキ。 今日の授業、難しくなかったか?」 カイトが、首を傾げながら言う。
「筋肉に過去も今もない! 常に『今』、鍛えるのみだ!」 ゴードンが、よく分からない理論で頷いている。
「リリア、大丈夫かな。 今日、ずっと調子悪そうだったけど」 シノが、心配そうに呟いた。
「ああ、そういえば……」
ユウキは、仲間たちと別れると、早足で医務室へと向かった。
模擬戦の勝利以来、リリアの様子がおかしいことには、彼も気づいていた。 あれほど無邪気に魔法を放っていた彼女が、この数日、まるで何かに怯えるように、魔法の練習を避けていたのだ。
医務室の扉をノックするが、返事はない。 そっと扉を開けると、思った通り、彼女はそこにいた。
ベッドの一つに、体育座りで膝を抱え、窓の外の闇を、ぼんやりと眺めている。
いつもの彼女の、太陽のような輝きはどこにもなく、 まるで日食に隠された月のように、弱々しく、冷たく見えた。
「……リリア」
「!」
リリアは、弾かれたように顔を上げた。 その目元が、わずかに赤く腫れているのに、ユウキは気づいた。
「ユウキ……。 講義、終わったの?」
「ああ。 ……体調、悪いのか」
「ううん、そういうわけじゃ、ないんだけど……」
リリアは、また視線を窓の外に戻してしまった。
医務室は、夕闇に沈みかけていた。 棚に並んだ薬草の、あの乾いた苦い香りが、冷たい空気と共に漂っている。
「ねえ、ユウキ」 リリアが、絞り出すような声で言った。
「わたし、怖くなっちゃった」
「……何が」
「あの時のこと。 模擬戦で……わたしが、すごい炎を出したでしょ。 カイトの風と混ざって、竜巻みたいになったやつ」
「ああ。 すごかったな」
「あれから……魔法が、使えなくなったの」
「え……?」
リリアは、自分の手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
「練習しても、全然ダメなの。 あの時みたいに、すごい炎を出そうって思うんだけど、 力むと、火花が散るだけ。 抑えようとすると、消えちゃう」
彼女の声は、震えていた。
「わたし、わかっちゃった。 あれは、偶然だったんだって。 ユウキや、みんながいて、たまたま上手くいっただけ。 わたし一人の力じゃ、全然ないんだって」
「リリア……」
「怖いよ。 みんな、わたしのこと『すごい』って言ってくれたけど、 次、失敗したら……? あんな凄いこと、もう二度とできなかったら……? そう思ったら、手が震えて、何もできなくなっちゃった」
ユウキは、彼女の苦しみの正体を、痛いほど理解した。
彼女は、あの「過去の、たった一度の成功」という、強烈な『記録』に縛り付けられている。
あの「割れた皿」の講義で言っていたことと、全く同じだ。
違うのは、彼女が縛られているのが「失敗の記憶」ではなく、「成功の記憶」であるという、一点だけ。
だが、それが「過去」であり、「今、ここには存在しないもの」であることに、変わりはなかった。
ユウキは、どうしようもなく不器用な、自分なりの言葉で、口を開いた。
「……今日、先生が、変なこと言ってた」
「え?」
「割れた皿の話だ」
ユウキは、医務室のベッドの端に、そっと腰掛けた。
「割れた皿は、元には戻らない。 過去は書き換えられない。 だから、『元に戻そう』って思うだけ、苦しくなるんだってさ」
「……なに、それ」
「お前が今、やってることだよ」
ユウキは、リリアの頭に、ぽん、と手を置いた。
「お前は、あの時の『完璧な成功』っていう、もう過ぎ去った『記録』を、必死に『元に戻そう』としてる。 だから、苦しいんだ」
「だって、あれができなきゃ……!」
「あれができなきゃ、何なんだ?」
ユウキは、まっすぐに彼女の濡れた瞳を見つめた。
「別に、いいだろ。 失敗したって。 成功したって。 どっちも、もう終わったことだ。 そんな『古い記録』、もう見なくていいんじゃないか?」
「…………」
「俺は、別に、お前のすごい魔法が見たいわけじゃない」
ユウキは、照れくささをごまかすように、少し乱暴に彼女の頭をかき混ぜた。
「俺が聞きたいのは、それじゃない」
「……お前は、『今、ここ』で、本当は何がしたいんだ?」
リリアの瞳から、こらえていた涙が、大粒になって溢れ出した。
「わたしが……わたしが、今、したいこと……?」
彼女は、嗚咽混じりに、ユウキのローブを掴んだ。
「わかんない…… すごい魔法も、出したい…… でも……」
彼女は、ユウキの胸に顔をうずめた。
「でも、一番したいのは…… そんなことじゃなくて……」
「……うん」
「ユウキの隣で……! また、みんなと……! 馬鹿みたいに、笑いたい……!」
その言葉が、リリアを縛り付けていた、過去への「執着」という名の鎖を、断ち切った。
彼女が、過去の「結果」ではなく、「今」の「関係性」を望んだ、その瞬間。
ぽっ。
リリアの、涙で濡れた手のひらの上で、 小さな、しかし、どうしようもなく温かい炎が灯った。
それは、模擬戦の時の、世界を焼き尽くすかのような荒々しい炎ではなかった。 それは、医務室の冷たい闇をそっと照らす、蝋燭の灯火のように、穏やかで、優しい炎だった。
「あ……」
リリアは、その小さな炎を、泣き笑いのような顔で見つめた。
「……ついた。 わたしの、炎……」
「ああ。 おかえり」
ユウキは、そっと炎に手をかざす。 温かい。
「なんだ。 ちゃんと、ここに『在る』じゃないか」
リリアは、もう何も言わなかった。 ただ、ユウキの胸に顔をうずめたまま、子供のように声を上げて泣いた。
ユウキは、そんな彼女の背中を、どうすればいいのか分からないまま、ただ、ぎこちなく、優しく撫で続けた。
医務室の窓の外は、すっかり夜の闇に包まれていた。 だが、部屋の中には、二人の間に灯った小さな炎が、頼りなくも確かに、その空間を照らし出していた。
二人の間に流れる時間は、ゆっくりとしたものだった。 乾いた薬草の匂いの中で、二人の距離は、この秋の夜、確実に縮まっていた。
あの熱狂的な模擬戦トーナメントから数日が過ぎ、 学園は秋穫祭へ向けての準備で、日に日にその喧騒を増していた。
中庭の木々は最後の輝きを放つように燃え盛り、 乾いた風が吹くたびに、甘く香ばしい落ち葉の絨毯を厚くしていく。
だが、そんな浮かれた空気とは無縁の場所が、学園にはいくつもあった。
その一つが、西棟の三階、一番奥にある「第二準備室」。 今日の「修復指揮法」の講義は、なぜかこの薄暗い部屋で行われていた。
「――さて、諸君」
部屋に差し込む西日は、もう力なく、床に長い影を落とすだけだった。 棚に並べられた無数の薬草や鉱物の標本が、乾いた独特の匂いを放っている。 その中で、アーキバルド先生が教壇に立ち、一つの「皿」を掲げて見せた。
それは、見事に粉々に割れ、それを稚拙な接着剤で貼り合わせた、無惨な皿だった。
「今日の科目は『修復指揮法』。 いわゆる回復魔法の基礎だ」
先生の言葉に、生徒たちは教科書を開く。 ユウキも、補習仲間たち――今日はなぜかリリアだけが欠席していた――と共に、一番後ろの席でその皿を眺めていた。
「諸君に問おう。 怪我を『治す』とは、どういうことかね?」
セレスティアが、待っていましたとばかりに手を挙げた。
「はい。 対象の損傷情報を読み取り、その欠損部分が『発生する以前』の、正常な状態の記録を基に、魔力を用いて肉体を再構成する行為です」
「ふむ。 完璧な解答だ。 教科書の丸写しとしてはな」
先生は、セレスティアの完璧な理論を、あっさりと一蹴した。
「では、セレスティア君。 この皿を、君の言う『修復』で、元の『割れる前』の状態に戻してくれたまえ」
「そ、それは……」
セレスティアは言葉に詰まる。 「割れた」という事実は、すでに起きてしまったこと。 どれほど強力な魔法を使おうと、時間を巻き戻し、割れなかったことにはできない。
先生は、その割れた皿を教壇にそっと置いた。
「そうだ。 我々は『過去』を書き換えることはできない。 割れた皿は、割れた皿だ。 この『起きてしまったこと』という現実から、我々は決して逃れられない」
生徒たちが、静かに先生の言葉に耳を傾ける。
「『修復』とは、『元に戻す』ことではない」
先生は、指でそっと皿のヒビをなぞった。
「それは、『今、ここ』で、その存在が『あるべき正しい流れ』に、そっと調律してやることだ」
ユウキは、その言葉に息を呑んだ。
「怪我をした肉体も同じだ。 傷口は『壊れた』のではない。 『治る』という流れが、何らかの理由で『滞って』いるだけだ。 回復魔法とは、その流れを妨げているものを取り除き、 『あなたは、今、こうやって繋がっていくんですよ』と、本来の流れを思い出させてやる行為に過ぎない」
先生は、そこで一度言葉を切り、生徒たちの顔を見渡した。
「そして、これは『心』についても、全く同じことが言える」
西日が、先生の背後にある棚の、埃をきらきらと照らし出した。
「諸君は、過去の失敗を思い出して、夜も眠れなくなることがあるかね? 遠い昔に言われた、些細な一言が、今も胸に突き刺さってはいないかね?」
カイトとゴードンが、気まずそうに視線を逸らす。 シノは、小さく俯いた。
「我々は、それを『心の傷』とか『忘れられない記憶』と呼ぶ。 だが」
先生は、静かに、しかし強い口調で言った。
「その『過去』は、今、どこにある? 君が昨夜、恥をかいたその『出来事』は、今、ここに存在するかね?」
「……しません」
ユウキが、か細い声で答えた。
「そうだ。 どこにも存在しない。 それは、とっくの昔に過ぎ去り、消えてしまった『記録』に過ぎない」
先生は、割れた皿の「破片」を一つ、指でつまみ上げた。
「では、なぜ君たちは苦しむんだ? 存在しないはずの過去に、なぜ今、苦しめられているんだ?」
「…………」
「答えは単純だ。 君たちが『今、この瞬間』に、その『存在しない過去の記録』をわざわざ持ち出してきて、 その破片で、今の自分自身を、自分で傷つけ続けているからだ」
その瞬間、ユウキの脳裏に、閃光が走った。
前世の記憶。 納期前夜の、蛍光灯だけが煌々と照らすオフィス。 鳴り止まない電話。 終わらない仕事。 あの絶望的な「デスマーチ」の記憶。
彼は、あの経験が「原因」となって、今の自分の臆病さや、マナ枯渇への異常な恐怖を「結果」として生み出しているのだと、固く信じていた。
(待てよ……)
ユウキは、自分の手のひらを見つめた。
(俺は、あの『出来事』が、今も俺を苦しめていると思っていた。 けど、違うのか?)
(あのプロジェクトは、もう終わったんだ。 とっくの昔に。 あの会社も、あの机も、もうこの世のどこにもない)
(それなのに、俺は『今』、あの時の『記録』を勝手に引っ張り出してきて、 『俺はあのせいでダメなんだ』って、自分で自分に言い聞かせて、 勝手に苦しんでいただけなのか?)
(『原因』は、もう存在しない?)
(『原因がある』っていう、今の俺の『思い込み』だけが、 今の俺を『動けなく』させているだけ?)
(だとしたら……)
ユウキは、あの過労で倒れた、前世の自分を思った。
(だとしたら、あの時の俺も、救われたっていうのか……?)
彼は、激しい目眩と共に、世界の「仕組み」の、そのあまりにも残酷で、あまりにも優しい一面を垣間見た気がした。
講義が終わり、生徒たちがぞろぞろと教室から出ていく。 もう、外は茜色を通り越して、群青の闇が迫っていた。
「なあ、ユウキ。 今日の授業、難しくなかったか?」 カイトが、首を傾げながら言う。
「筋肉に過去も今もない! 常に『今』、鍛えるのみだ!」 ゴードンが、よく分からない理論で頷いている。
「リリア、大丈夫かな。 今日、ずっと調子悪そうだったけど」 シノが、心配そうに呟いた。
「ああ、そういえば……」
ユウキは、仲間たちと別れると、早足で医務室へと向かった。
模擬戦の勝利以来、リリアの様子がおかしいことには、彼も気づいていた。 あれほど無邪気に魔法を放っていた彼女が、この数日、まるで何かに怯えるように、魔法の練習を避けていたのだ。
医務室の扉をノックするが、返事はない。 そっと扉を開けると、思った通り、彼女はそこにいた。
ベッドの一つに、体育座りで膝を抱え、窓の外の闇を、ぼんやりと眺めている。
いつもの彼女の、太陽のような輝きはどこにもなく、 まるで日食に隠された月のように、弱々しく、冷たく見えた。
「……リリア」
「!」
リリアは、弾かれたように顔を上げた。 その目元が、わずかに赤く腫れているのに、ユウキは気づいた。
「ユウキ……。 講義、終わったの?」
「ああ。 ……体調、悪いのか」
「ううん、そういうわけじゃ、ないんだけど……」
リリアは、また視線を窓の外に戻してしまった。
医務室は、夕闇に沈みかけていた。 棚に並んだ薬草の、あの乾いた苦い香りが、冷たい空気と共に漂っている。
「ねえ、ユウキ」 リリアが、絞り出すような声で言った。
「わたし、怖くなっちゃった」
「……何が」
「あの時のこと。 模擬戦で……わたしが、すごい炎を出したでしょ。 カイトの風と混ざって、竜巻みたいになったやつ」
「ああ。 すごかったな」
「あれから……魔法が、使えなくなったの」
「え……?」
リリアは、自分の手のひらを、ぎゅっと握りしめた。
「練習しても、全然ダメなの。 あの時みたいに、すごい炎を出そうって思うんだけど、 力むと、火花が散るだけ。 抑えようとすると、消えちゃう」
彼女の声は、震えていた。
「わたし、わかっちゃった。 あれは、偶然だったんだって。 ユウキや、みんながいて、たまたま上手くいっただけ。 わたし一人の力じゃ、全然ないんだって」
「リリア……」
「怖いよ。 みんな、わたしのこと『すごい』って言ってくれたけど、 次、失敗したら……? あんな凄いこと、もう二度とできなかったら……? そう思ったら、手が震えて、何もできなくなっちゃった」
ユウキは、彼女の苦しみの正体を、痛いほど理解した。
彼女は、あの「過去の、たった一度の成功」という、強烈な『記録』に縛り付けられている。
あの「割れた皿」の講義で言っていたことと、全く同じだ。
違うのは、彼女が縛られているのが「失敗の記憶」ではなく、「成功の記憶」であるという、一点だけ。
だが、それが「過去」であり、「今、ここには存在しないもの」であることに、変わりはなかった。
ユウキは、どうしようもなく不器用な、自分なりの言葉で、口を開いた。
「……今日、先生が、変なこと言ってた」
「え?」
「割れた皿の話だ」
ユウキは、医務室のベッドの端に、そっと腰掛けた。
「割れた皿は、元には戻らない。 過去は書き換えられない。 だから、『元に戻そう』って思うだけ、苦しくなるんだってさ」
「……なに、それ」
「お前が今、やってることだよ」
ユウキは、リリアの頭に、ぽん、と手を置いた。
「お前は、あの時の『完璧な成功』っていう、もう過ぎ去った『記録』を、必死に『元に戻そう』としてる。 だから、苦しいんだ」
「だって、あれができなきゃ……!」
「あれができなきゃ、何なんだ?」
ユウキは、まっすぐに彼女の濡れた瞳を見つめた。
「別に、いいだろ。 失敗したって。 成功したって。 どっちも、もう終わったことだ。 そんな『古い記録』、もう見なくていいんじゃないか?」
「…………」
「俺は、別に、お前のすごい魔法が見たいわけじゃない」
ユウキは、照れくささをごまかすように、少し乱暴に彼女の頭をかき混ぜた。
「俺が聞きたいのは、それじゃない」
「……お前は、『今、ここ』で、本当は何がしたいんだ?」
リリアの瞳から、こらえていた涙が、大粒になって溢れ出した。
「わたしが……わたしが、今、したいこと……?」
彼女は、嗚咽混じりに、ユウキのローブを掴んだ。
「わかんない…… すごい魔法も、出したい…… でも……」
彼女は、ユウキの胸に顔をうずめた。
「でも、一番したいのは…… そんなことじゃなくて……」
「……うん」
「ユウキの隣で……! また、みんなと……! 馬鹿みたいに、笑いたい……!」
その言葉が、リリアを縛り付けていた、過去への「執着」という名の鎖を、断ち切った。
彼女が、過去の「結果」ではなく、「今」の「関係性」を望んだ、その瞬間。
ぽっ。
リリアの、涙で濡れた手のひらの上で、 小さな、しかし、どうしようもなく温かい炎が灯った。
それは、模擬戦の時の、世界を焼き尽くすかのような荒々しい炎ではなかった。 それは、医務室の冷たい闇をそっと照らす、蝋燭の灯火のように、穏やかで、優しい炎だった。
「あ……」
リリアは、その小さな炎を、泣き笑いのような顔で見つめた。
「……ついた。 わたしの、炎……」
「ああ。 おかえり」
ユウキは、そっと炎に手をかざす。 温かい。
「なんだ。 ちゃんと、ここに『在る』じゃないか」
リリアは、もう何も言わなかった。 ただ、ユウキの胸に顔をうずめたまま、子供のように声を上げて泣いた。
ユウキは、そんな彼女の背中を、どうすればいいのか分からないまま、ただ、ぎこちなく、優しく撫で続けた。
医務室の窓の外は、すっかり夜の闇に包まれていた。 だが、部屋の中には、二人の間に灯った小さな炎が、頼りなくも確かに、その空間を照らし出していた。
二人の間に流れる時間は、ゆっくりとしたものだった。 乾いた薬草の匂いの中で、二人の距離は、この秋の夜、確実に縮まっていた。
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それどころか、授かったギフトが『家電量販店』という理解されないギフトだったせいで、一族から追放されてしまい『死地』と呼ばれる場所に捨てられてしまう。
「……普通、十歳の子供をこんな場所に捨てるか?」
『死地』と呼ばれる何もない場所で、メビウスは『家電量販店』のスキルを使って生き延びることを決意する。
しかし、そこでメビウスは自分のギフトが『死地』で生きていくのに適していたことに気がつく。
家電を自在に魔改造して『家電量販店』で過ごしていくうちに、メビウスは周りから天才発明家として扱われ、やがて小国の長として建国を目指すことになるのだった。
メビウスは知るはずがなかった。いずれ、自分が『機械仕掛けの大魔導士』と呼ばれ存在になるなんて。
努力しても最強になれず、追放先に師範も元冒険者メイドもついてこず、領地どころかどの国も管理していない僻地に捨てられる……そんな踏んだり蹴ったりから始まる領地(国家)経営物語。
『ノベマ! 異世界ファンタジー:8位(2025/04/22)』
※別サイトにも掲載しています。
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