無詠唱の俺、詠唱を知らなかった~転生SE(元25歳)、予測不能な仲間たちと『世界の理』を最適化する~

Gaku

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第9話:魔法倫理と『流れの巻き戻し』

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その日、王都には初雪が舞った。
春にはあれほど生命を謳歌し、
薄紅色の花弁を降らせていた飛花の並木道も、
今はすっかり葉を落とし、
寒々とした枝を灰色の空へと突き出している。
ひらひらと、音もなく舞い落ちる白い欠片は、
まるで過ぎ去った季節を弔うかのようだった。
その静けさとは対照的に、
アーリア魔法学園の講義室は、
一つの「熱」を帯びていた。
第三講義室。
窓が大きく取られたこの部屋は、
普段ならば冬の弱い日差しでも明るいのだが、
今日ばかりは重い雪雲のせいで薄暗い。
その薄暗さを補うように、
部屋の隅に設けられた大きな暖炉では、
乾いた薪がパチパチと音を立てて爆ぜ、
室内の空気を暖めていた。
乾いた木が燃える匂いと、
古い書物の紙の匂い。
そして、窓ガラスの向こうから伝わる、
絶対零度の冬の気配。
その奇妙な共存の中、
生徒たちはいつもより硬い表情で、
教壇に立つ男を見つめていた。
「――今日の科目は、『魔法倫理』だ」
アーキバルド先生は、
その場にそぐわないほど穏やかな声で、
教科書を閉じた。
「倫理、すなわち『道徳』。
なぜ、我々は魔法を使ってはならない『こと』があるのか。
今日は、その最も根源的な『禁忌』について、
諸君らと考えたい」
生徒たちの間に、緊張が走った。
「禁忌、ですか?」
誰かが、かすれた声で尋ねる。
「そうだ。
数ある禁忌の中でも、最も重く、
そして、最も多くの者が誘惑されてきた禁忌。
――『死者蘇生』について、だ」
しん、と講義室が静まり返る。
暖炉の薪が爆ぜる音だけが、やけに大きく響いた。
「死者蘇生」。
それは、この世界において、
想像することすら憚られる、
究極の禁呪。
ユウキもまた、ゴクリと息を呑んだ。
「さて。では、そこの首席君」
先生が、真っ直ぐにセレスティアを指名した。
「なぜ『死者蘇生』は禁忌なのかね?
理論的に説明したまえ」
セレスティアは、待っていましたとばかりに、すっと立ち上がった。
模擬戦での敗北や、スープ作りでの失敗を経て、
彼女の完璧主義にはわずかな揺らぎが見えたが、
こと「理論」においては、彼女の右に出る者はいない。
「はい」
彼女の澄んだ声が、静かな室内に響く。
「それは、世界の『理』そのものへの、
修復不可能な介入となるからです」
「ほう。具体的には?」
「全ての事象は、原因と結果の繋がりによって成り立っています。
ある人物の『死』という結果は、
それ以降に起きる全ての事象の『原因』となります。
残された人々の行動、世界の歴史、
その全てが『その人物がいない』ことを前提として、
新しく積み重ねられていきます」
セレスティアは、一度息を吸い込んだ。
「そこに『死者』という、
本来あり得ない『過去の要素』を無理やり呼び戻せば、
それ以降に積み重ねられた全ての『現在の歴史』と、
致命的な『矛盾』が生じます。
それは、世界の『流れ』そのものを破壊し、
予測不可能な『歪み』を生み出す、
最も危険な行為だからです」
「――見事」
先生は、静かに拍手した。
「百点満点の解答だ。理論としては、な」
「え……」
セレスティアが、不満げに眉をひそめる。
「だが、セレスティア君。
それは『なぜ人を殺してはいけないか?』という問いに、
『法律で決まっているからです』と答えているのと同じだ。
私が聞きたいのは、そういう『ルール』の話ではない」
先生は、暖炉の炎に視線を移した。
「私が問うているのは『倫理』。
すなわち、我々『人』の心の、在り方の問題だ」
先生は、生徒たちを見渡した。
「仮にだ。
君の言う『矛盾』を、
全てねじ伏せるほどの強大な力があったとしよう。
世界に一切の『歪み』を発生させずに、
死者を『完璧に』呼び戻せたとしよう」
「……」
「それでもなお、我々はそれを『禁忌』と呼ばねばならない。
なぜか?」
誰も、答えられなかった。
ユウキも、懸命に思考を巡らせる。
(完璧に、呼び戻す……?)
彼は、前世の記憶を探った。
もし、あの過労で死んだ「自分」が、
あの瞬間に戻れたら?
(いや、戻りたくない。だが、もし……)
「第一に」
先生が、静かに指を一本立てた。
「そうして呼び戻された『それ』は、
本当に『元の彼』かね?」
「え……?」
リリアが、小さな声を上げた。
「『彼』は、確かに死んだのだ。
その『記録』は終わっている。
我々が呼び戻せるのは、所詮、
我々の『記憶』や、世界に残った『痕跡』を基に作り上げた、
『精巧な写し』でしかないのではないか?」
先生の言葉は、冷たい雪のように、
生徒たちの心に降り積もる。
「君たちは、失った者との『再会』を願う。
だが、その願いが叶えたのは、
在りし日の『彼』ではなく、
『彼に似た、何か』だったとしたら?
それは、故人に対する、
最大の冒涜ではないかね?」
ユウキは、息を詰めた。
(写し……そうだ。
あの召喚学で、俺がやった『水の精霊』と同じだ。
あれは、本物の『流れ』とは何の関係もない、
俺が勝手に作り上げた『人形』だった)
(死者蘇生も、それと同じ?
故人の『流れ』は、もう世界に還ったのに、
それを無視して、勝手な『記憶』で『人形』を作り上げる行為……?)
ぞわり、とユウキの背筋に悪寒が走った。
「そして、第二に。これが最も重要だ」
先生は、暖炉の炎から生徒たちへと視線を戻した。
その瞳は、いつになく真剣だった。
「その行いは、遺された者たちの『時間』を、
踏みにじる行為だ」
「……時間、ですか?」
ユウキが、思わず問い返した。
「そうだ。ユウキ君。
君は、大切な者を失ったことがあるかね?」
ユウキは、前世の両親を思った。
自分が過労死したと知った時、
彼らはどれほど悲しんだだろうか。
「……人は、絶望的な喪失に出会った時、どうなる?
泣き、喚き、世界を呪い、
やがて、その『不在』という現実を受け入れようと、
必死にもがく」
「もがき、苦しみ、それでも前を向き、
その『悲しみ』を乗り越えることで、
新しい『自分』へと成長していく。
その『死』を、自らの人生の一部として背負い、
生きていく」
「それこそが、遺された者が歩むべき、
唯一にして、正しい『心の流れ』だ」
先生の言葉が、ユウキの胸を打つ。
「『死者蘇生』とは、
その、血を流すような『もがき』も、
苦しみ抜いた末の『成長』も、全てを踏みにじり、
『はい、元通りですよ』と、
時間を無理やり『巻き戻す』行為だ」
「それは、遺された者たちの『乗り越えようとした努力』そのものを
『無価値』だと言い放つ、
最大の『侮辱』ではないかね?」
ユウキは、何も言えなかった。
(そうだ。
『過去』の記憶に苦しんでいた俺。
『過去』の記憶に縛られていたリリア。
先生は、俺たちに言ったじゃないか。
『過去はもう存在しない』『今、ここを見ろ』と)
(『死者蘇生』は、その教えと真逆だ)
ユウキは、この世界の「理」の一端を、
垣間見た気がした。
この世界は、「流れ」そのものだ。
川のように、ただ一方通行に流れ、
決して逆流しない。
「死」とは、その流れから、
一つの滴が零れ落ちること。
「悲しみ」とは、
その滴が零れた「穴」を、
残された滴たちが必死に埋め、
新しい「流れ」を作ろうとする、
聖なる営みだ。
(『巻き戻す』ということは、
その『新しい流れ』を、全て否定することだ)
(もし、死んだはずの機能が、
突然呼び戻されたら?
それを前提に作られた、
今の『新しい仕組み』の全てと、ぶつかり合う)
(そうだ。矛盾だ。
セレスティアの言った通りだ。
でも、それは『世界』が壊れるだけじゃない)
(『心』が、壊れるんだ)
「……先生」
リリアが、震える声でおずおずと手を挙げた。
「でも、でも、もし……
自分の子供が死んじゃったりしたら……。
それでも、ダメなんですか?
『写し』でもいいから、会いたいって、
思っちゃ、ダメなんですか……?」
それは、理屈ではない、
魂の叫びだった。
「うむ」
先生は、優しく、しかし、
きっぱりと頷いた。
「それこそが、我々が『煩悩』と呼ぶものだ。リリア君」
「煩悩……」
「『失いたくない』
『元に戻したい』
『こうあるべきだ』。
その、どうしようもない『執着』こそが、
君たちを苦しめる、全ての原因だ。
『死者蘇生』とは、その『執着』の、
最も醜く、最も巨大な、
最終形態なのだよ」
「……っ」
リリアは、唇を噛み締め、
黙り込んだ。
講義室は、再び静寂に包まれた。
誰もが、この重い「倫理」の問いに、
自らの心を重ね合わせ、苦しんでいた。
その、張り詰めた空気を、切り裂いたのは、
嘲笑だった。
「――くだらん」
声の主は、ドラゴ・ヴァイスだった。
彼は、後方の席で、
窓の外に降る雪を眺めているのかと思いきや、
いつの間にか、教壇の先生を、
凍てつくような目で見つめていた。
「ドラゴ……?」
ユウキが、彼の異様な雰囲気に気づき、
身構えた。
「悲しみを乗り越える『努力』?
心の『流れ』?
……笑わせるな」
ドラゴは、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳は、
召喚室で垣間見せた暗い情熱よりも、
さらに冷たく、深く、歪んでいた。
「先生。
あんたの言っていることは、
全て『弱者』の戯言だ」
「……ほう?」
アーキバルドは、眉一つ動かさない。
「『矛盾』が起きる?
『心』が壊れる?
それは、全て、術者の『力』が足りないからに過ぎない」
「!」
セレスティアが「何を!」と声を荒げた。
「黙れ、首席」
ドラゴは、セレスティアを一瞥だにせず、続けた。
「力があれば、『矛盾』ごとねじ伏せられる。
力があれば、『心』ごと支配できる。
歴史がどうだ、倫理がどうだ……
そんなものは、全て、
力のない者どもが、
力ある者を縛り付けるための『鎖』だ!」
「ドラゴ、貴様!」
どこかの貴族の生徒が立ち上がる。
「ルールに縛られるのは『弱者』だけだ」
ドラゴの声は、もはや怒りではなく、
絶対的な「渇望」の響きを帯びていた。
「真の力とは、
そのルールそのものを『書き換える』こと。
力こそが『正義』であり、
力こそが『真理』だ!」
それは、彼の、心の叫びだった。
兄への劣等感、
模擬戦での屈辱、
シノへの完封。
彼の「苦」が、
もはや取り返しのつかない
「力への歪んだ執着」へと、
変貌してしまったことを、
その場の全員が、痛いほど理解した。
「……そうか」
アーキバルド先生は、
ドラゴを哀れむような、
試すような目で見つめた。
「君の『倫理』は、そこにあるのだな。
ドラゴ・ヴァイス君」
「そうだ。
俺は、俺の力で、全てを手に入れる」
キィン、コーン、カーン、コーン……。
講義の終わりを告げる鐘が、
まるでこの危険な宣言に蓋をするかのように、
学園に響き渡った。
「今日は、ここまで」
先生が、静かに告げた。
ドラゴは、誰とも目も合わさず、一人、
凍えるような瘴気を纏いながら、
講義室を出て行った。
残された生徒たちは、誰も立ち上がれず、
ただ、窓の外で、
音もなく、しかし確実に世界を白く染めていく「雪」を、
呆然と眺めているだけだった。
ユウキだけが、あの冷たい背中に、
破滅へと向かう、
止められない「流れ」の、
確かな予感を覚えていた。

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