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第13話:『物理的な鍵』と友情の行き止まり
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学園の特別大温室は、冬の世界から切り離された、別の次元のようだった。 外は、氷点下の風が凍った枝を鳴らし、空は鉛色に閉ざされている。だが、一歩そのガラスの扉をくぐれば、むせ返るような湿気と熱気、そして強烈なまでの「生」の匂いが、訪れる者の肌にねっとりとまとわりついた。
魔導具によって常夏に保たれた室内は、見たこともない薬草や、怪しくうごめく蔦植物で埋め尽くされている。湿った土の匂いと、甘く、あるいは苦く発酵したような植物の香りが混じり合い、深く息を吸い込むだけで眩暈がしそうだった。
「――ドラゴ・ヴァイスの件だがね」
その蒸し暑い密林の中、アーキバルド先生が重い口を開いた。 彼の前には、この場にまったくそぐわない、緊張した面持ちの五人の生徒が立っていた。 ユウキ、リリア、カイト、ゴードンの「補習仲間」四人と、監督役として無理やり引率させられ、露骨に不快そうな顔でハンカチを口元に当てているセレスティア・クラウン。
「結論から言おう。通常の『修復』魔法は、効果がなかった」
リリアが息を呑んだ。 「そんな……! ただの怪我じゃないんですか!」
「違う」とアーキバルドは首を振った。「怪我ならば、傷口を塞げばいい。病ならば、原因を取り除けばいい。だが、ドラゴ君の状態は、そのどちらでもない」 先生は、温室の奥、ひときわ厳重に管理された一角を指差した。 「彼は『呪い』という悪意の『種』を植え付けられた。そして、その種は、彼の『弱さ』や『渇望』を養分にして、既に彼の魂の、その核と言うべき部分と、複雑に『癒着』してしまっている」
彼は言葉を区切った。 「今の彼に『修復』をかければ、我々の力(くすり)は、どれがドラゴ君本人で、どれが呪い(わるもの)かを判別できない。下手に癒そうとすれば、彼の魂そのものを、呪いごと引き裂きかねん」
「じゃあ……どうするんですか」 ユウキが、乾いた喉で尋ねた。
「通常の『お伺い』では、もう手遅れだ。こうなれば、彼の魂という名の『金庫』に、無理やり手を突っ込むしかない」 アーキバルドは、厳重な区画の、錆びついた鉄格子を指差した。 「その金庫を開けるための、この世にただ一つの『物理的な鍵』が必要になる。――それが、『マンドラゴラ』だ」
その名を聞いた瞬間、カイトとゴードン以外の三人の顔が強張った。 温室の熱気とは不釣り合いな、冷たい汗がユウキの背中を伝う。
「マンドラゴラ……。あの、伝承の?」 セレスティアが、分析的な、しかし緊張を隠せない声で呟いた。
「左様」と先生は頷いた。「諸君、なぜこの植物がそれほどまでに特別で、危険視されているか、考えたことはあるかね?」 彼は続ける。 「我々の魔法は、この世界の『仕組み』に『お願い』して、現象を起こす。だが、マンドラゴラのような特殊な素材は、その『お願い』をすべて省略し、世界の『仕組み』そのものに直接命令を下すための、いわば『支配者の印』だ」
「そんなものが、なぜ……」
「だが」と先生は言葉を遮った。「世界(きんこ)は、そう簡単に『支配』されてはくれん。その『鍵』には、この世で最も強力な『警報装置』が仕掛けられている」 アーキバルドは、真剣な目で五人を見据えた。 「その『悲鳴』だ。あれは、耳で聞く音ではない。君たちの『魂』そのものを直接揺さぶり、叩き潰す、『存在』への攻撃だ。聞いた者は、例外なく、その『自分という存在』の基盤を破壊され、廃人となるか、死ぬ」
ゴクリ、と誰かが唾を飲む音が、湿った空気の中でやけに大きく響いた。
「では、どうするのか。昔の偉い人たちは、実にずる賢い方法を考え出した」 アーキバルドは、どこからか、一本の縄と、犬の形を模した小さな魔力人形を取り出した。 「『身代わり』だ。この人形に縄を結びつけ、マンドラゴラを引っこ抜かせる。人形が『警報』の直撃を受けて壊れる間に、我々は遠くで(物理的に)耳を塞ぎ、安全に『鍵』を手に入れる」 彼は人形をカイトに放り投げた。 「監査官からの命令だ。この『鍵』の採取は、あの『現象』を鎮圧した諸君らに一任すると。……まあ、要するに、面倒事の押し付けだ」
***
温室の最奥。 そこだけ、ぽっかりと空間が空き、湿った黒土の中央に、それは生えていた。 数枚の、艶のない葉。その根元は、確かに、絡み合った人間の赤子のような、不気味な形をしていた。 周囲の空気は、他の場所とは比較にならないほど重く、濃密な「力」で澱んでいた。
「よし、カイト君、頼む。人形に縄を結んでくれ」 「へいへい。俺、こういう単純作業は得意なんすよ」 カイトは、自信満々にマンドラゴラの根元に歩み寄り、人形の胴体に縄を巻き付け始めた。 「見ててくださいよ、親父直伝の……あれ? ちょっ、滑るな……」 カイトは、不器用な手つきで縄を結ぼうとするが、人形のつるりとした表面と、湿った縄のせいで、何度やっても結び目が解けてしまう。 「くそっ、なんでだよ!」
「……遅い」 その後ろで、仁王立ちになって腕を組んでいたゴードンが、地を這うような低い声を漏らした。 「カイト。貴様の指は、筋肉が足りていないのではないか?」 「うっせえ! 今、集中してんだから!」
「チィ……」 ゴードンは、盛大な舌打ちを一つした。 「待ってられるか! 筋肉が、もう待てないと叫んでいる!」
「あ?」 カイトが振り返った瞬間、ゴードンは巨大な体でカイトを横に突き飛ばした。 「ゴードン!? お前、何を――」 ユウキとセレスティアが叫ぶが、もう遅い。
「要は、『音』が危ないのだろう!」 ゴードンは、アーキバルドの忠告を、彼なりの筋肉理論で解釈していた。 「ならば! 耳を塞げば、問題ない!」
そう叫ぶや否や、ゴードンは自らの巨大な両手の親指を、力任せに自分の両耳の穴にねじ込んだ! 「んんんんんーーーーーっ!!」
「馬鹿! 物理的に耳を塞いでも無駄だ!」 セレスティアの絶叫が飛ぶ。 だが、ゴードンにはもう何も聞こえていなかった。
彼は、耳を塞ぎ、目を固く閉じ、残った指でマンドラゴラの葉を鷲掴みにすると、 「ぬうううううううううんっっ!!!」 という気合と共に、それを力任せに、大地から引っこ抜いた。
ブチッ、と湿った嫌な音が響いた。
***
一瞬の静寂。
ゴードンは目を開け、勝利を確信した。 「ん! 見ろ! 簡単ではないか!」 彼が、そう言って笑おうとした、その瞬間。
『――――――――――――――ッ!!!』
それは「音」ではなかった。 それは、世界そのものが発した「拒絶」だった。 目に見えない、しかし絶対的な「力」の衝撃波が、五人の魂を、その核から直接握り潰した。 「自分」という存在が、足元から崩れていくような、根源的な恐怖。 意識が、沸騰した水のように、蒸発していく。
「あ……」 リリアの瞳から光が消え、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「がっ……」 カイトも、白目を剥いて泡を吹き、仰向けに倒れた。
「……な……ぜ……」 ゴードンは、最後まで何が起きたか理解できないまま、その巨体をゆっくりと、大地に横たえた。
「ひ……ぎ……そん、な、計算、外……」 セレスティアは、理論で防ぐことすらできず、頭を押さえたまま、うめき声を上げて倒れ伏した。
「ぐ……っ、うあああああああああああっ!!」
ユウキもまた、例外ではなかった。 両膝が砕け、石畳に手をつく。脳が、内側からかき混ぜられる。目の前が真っ赤になり、意識が遠のいていく。 死ぬ。 そう、思った。
だが、その激痛と、存在が消えていく感覚の、その奥底で。 (……あれ……?) ユキは、この「感覚」を知っていた。 (この、理不尽な、魂への直接攻撃……この、存在そのものを否定してくる感じ……)
彼の意識が、遠い過去へと飛んだ。
――雨が窓を叩く、深夜のオフィス。時刻は、午前三時四十五分。 ――納期は、明朝九時。 ――何日も徹夜を重ね、満身創痍で、最後の機能を実装し終え、あとは「実行」ボタンを押すだけ。 ――その、瞬間。
ジリリリリリリリリリリリ!!!!
鳴り響く、電話の音。 この世の終わりを告げるラッパのような、その音。 恐る恐る受話器を取った、その耳に叩きつけられた、クライアントの、妙に明るい、甲高い声。
『あ、ユウキさん? こんな夜中にごめんねー! いま、すっごく良いこと思いついちゃったんだけど!』
(これだ)
『あのね、今作ってるシステムの、根幹の部分なんだけどね? やっぱり、全部変えたいかも! 明日の朝までに、できるかな?』
(こ――の――感――覚――だ――!!!)
ユウキの魂が、前世の記憶(トラウマ)と、今、受けている「悲鳴(こうげき)」を、完全に「同一のもの」として認識した。 あの、逃げ場のない、理不尽な、存在そのものを否定される、絶望的な攻撃。
ユウキの魂は、あのデスマーチの果てに、この攻撃に対する「耐性」を、既に獲得してしまっていたのだ。
「う……おお……っ」
ユウキは、激痛に耐えながら、顔を上げた。 鼻から、びしゃりと音を立てて、大量の鼻血が石畳に滴り落ちる。 だが、彼は、立っていた。 意識を、保っていた。
「……き、クライアント……からの……仕様変更電話……よりは……」 ユウキは、ふらふらと立ち上がった。 「……マシ、だ……!」
「警報(ひめい)」が、まるで嵐が過ぎ去るかのように、ゆっくりと遠のいていく。 静寂が戻った温室には、鼻血まみれで仁王立ちするユウキと、床に転がる四人の仲間、そして黒土の上に無残に転がる「鍵(マンドラゴラ)」だけが、残されていた。
「……マジかよ……」
ユウキは、目の前の惨状と、自らの前世に、乾いた笑いを漏らすしかなかった。 彼は、震える手でマンドラゴラを拾い上げ、用意されていた箱にそっと収めた。
それから、まず、一番重くて邪魔な巨体――ゴードンの足首を掴んだ。 「この……脳筋……野郎が……!」 ユウキは、鼻血を袖で拭い、仲間たちを引きずって帰還するという、新たな重労働(デスマーチ)を開始した。
***
数日後。ドラゴは、マンドラゴラを主成分として調合された、強力な浄化薬によって、肉体的には「治癒」された。 彼の魂に癒着して暴れていた「呪い(マルウェア)」は、その強力すぎる「鍵」の力によって、根こそぎ削除(デリート)された。
お見舞いに訪れたリリアたちが安堵の声を上げる中、ドラゴは冷たく彼らを拒絶し、毛布を頭まで被ってしまった。
その様子を見て、ユウキだけが眉をひそめていた。
(マンドラゴラは強力なアンチウイルスだ。確かに「感染」は治った) (だが……ウイルスが侵入した「穴(セキュリティホール)」は塞がっていない。それに、もしあの影が、システム(魂)の深層に隠れた「ルートキット(潜伏型ツール)」だったとしたら?)
浄化薬は「症状」を消したに過ぎない。 彼の心の「隙間」という「脆弱性」は、未だ致命的なエラーを吐き出し続けていた。
魔導具によって常夏に保たれた室内は、見たこともない薬草や、怪しくうごめく蔦植物で埋め尽くされている。湿った土の匂いと、甘く、あるいは苦く発酵したような植物の香りが混じり合い、深く息を吸い込むだけで眩暈がしそうだった。
「――ドラゴ・ヴァイスの件だがね」
その蒸し暑い密林の中、アーキバルド先生が重い口を開いた。 彼の前には、この場にまったくそぐわない、緊張した面持ちの五人の生徒が立っていた。 ユウキ、リリア、カイト、ゴードンの「補習仲間」四人と、監督役として無理やり引率させられ、露骨に不快そうな顔でハンカチを口元に当てているセレスティア・クラウン。
「結論から言おう。通常の『修復』魔法は、効果がなかった」
リリアが息を呑んだ。 「そんな……! ただの怪我じゃないんですか!」
「違う」とアーキバルドは首を振った。「怪我ならば、傷口を塞げばいい。病ならば、原因を取り除けばいい。だが、ドラゴ君の状態は、そのどちらでもない」 先生は、温室の奥、ひときわ厳重に管理された一角を指差した。 「彼は『呪い』という悪意の『種』を植え付けられた。そして、その種は、彼の『弱さ』や『渇望』を養分にして、既に彼の魂の、その核と言うべき部分と、複雑に『癒着』してしまっている」
彼は言葉を区切った。 「今の彼に『修復』をかければ、我々の力(くすり)は、どれがドラゴ君本人で、どれが呪い(わるもの)かを判別できない。下手に癒そうとすれば、彼の魂そのものを、呪いごと引き裂きかねん」
「じゃあ……どうするんですか」 ユウキが、乾いた喉で尋ねた。
「通常の『お伺い』では、もう手遅れだ。こうなれば、彼の魂という名の『金庫』に、無理やり手を突っ込むしかない」 アーキバルドは、厳重な区画の、錆びついた鉄格子を指差した。 「その金庫を開けるための、この世にただ一つの『物理的な鍵』が必要になる。――それが、『マンドラゴラ』だ」
その名を聞いた瞬間、カイトとゴードン以外の三人の顔が強張った。 温室の熱気とは不釣り合いな、冷たい汗がユウキの背中を伝う。
「マンドラゴラ……。あの、伝承の?」 セレスティアが、分析的な、しかし緊張を隠せない声で呟いた。
「左様」と先生は頷いた。「諸君、なぜこの植物がそれほどまでに特別で、危険視されているか、考えたことはあるかね?」 彼は続ける。 「我々の魔法は、この世界の『仕組み』に『お願い』して、現象を起こす。だが、マンドラゴラのような特殊な素材は、その『お願い』をすべて省略し、世界の『仕組み』そのものに直接命令を下すための、いわば『支配者の印』だ」
「そんなものが、なぜ……」
「だが」と先生は言葉を遮った。「世界(きんこ)は、そう簡単に『支配』されてはくれん。その『鍵』には、この世で最も強力な『警報装置』が仕掛けられている」 アーキバルドは、真剣な目で五人を見据えた。 「その『悲鳴』だ。あれは、耳で聞く音ではない。君たちの『魂』そのものを直接揺さぶり、叩き潰す、『存在』への攻撃だ。聞いた者は、例外なく、その『自分という存在』の基盤を破壊され、廃人となるか、死ぬ」
ゴクリ、と誰かが唾を飲む音が、湿った空気の中でやけに大きく響いた。
「では、どうするのか。昔の偉い人たちは、実にずる賢い方法を考え出した」 アーキバルドは、どこからか、一本の縄と、犬の形を模した小さな魔力人形を取り出した。 「『身代わり』だ。この人形に縄を結びつけ、マンドラゴラを引っこ抜かせる。人形が『警報』の直撃を受けて壊れる間に、我々は遠くで(物理的に)耳を塞ぎ、安全に『鍵』を手に入れる」 彼は人形をカイトに放り投げた。 「監査官からの命令だ。この『鍵』の採取は、あの『現象』を鎮圧した諸君らに一任すると。……まあ、要するに、面倒事の押し付けだ」
***
温室の最奥。 そこだけ、ぽっかりと空間が空き、湿った黒土の中央に、それは生えていた。 数枚の、艶のない葉。その根元は、確かに、絡み合った人間の赤子のような、不気味な形をしていた。 周囲の空気は、他の場所とは比較にならないほど重く、濃密な「力」で澱んでいた。
「よし、カイト君、頼む。人形に縄を結んでくれ」 「へいへい。俺、こういう単純作業は得意なんすよ」 カイトは、自信満々にマンドラゴラの根元に歩み寄り、人形の胴体に縄を巻き付け始めた。 「見ててくださいよ、親父直伝の……あれ? ちょっ、滑るな……」 カイトは、不器用な手つきで縄を結ぼうとするが、人形のつるりとした表面と、湿った縄のせいで、何度やっても結び目が解けてしまう。 「くそっ、なんでだよ!」
「……遅い」 その後ろで、仁王立ちになって腕を組んでいたゴードンが、地を這うような低い声を漏らした。 「カイト。貴様の指は、筋肉が足りていないのではないか?」 「うっせえ! 今、集中してんだから!」
「チィ……」 ゴードンは、盛大な舌打ちを一つした。 「待ってられるか! 筋肉が、もう待てないと叫んでいる!」
「あ?」 カイトが振り返った瞬間、ゴードンは巨大な体でカイトを横に突き飛ばした。 「ゴードン!? お前、何を――」 ユウキとセレスティアが叫ぶが、もう遅い。
「要は、『音』が危ないのだろう!」 ゴードンは、アーキバルドの忠告を、彼なりの筋肉理論で解釈していた。 「ならば! 耳を塞げば、問題ない!」
そう叫ぶや否や、ゴードンは自らの巨大な両手の親指を、力任せに自分の両耳の穴にねじ込んだ! 「んんんんんーーーーーっ!!」
「馬鹿! 物理的に耳を塞いでも無駄だ!」 セレスティアの絶叫が飛ぶ。 だが、ゴードンにはもう何も聞こえていなかった。
彼は、耳を塞ぎ、目を固く閉じ、残った指でマンドラゴラの葉を鷲掴みにすると、 「ぬうううううううううんっっ!!!」 という気合と共に、それを力任せに、大地から引っこ抜いた。
ブチッ、と湿った嫌な音が響いた。
***
一瞬の静寂。
ゴードンは目を開け、勝利を確信した。 「ん! 見ろ! 簡単ではないか!」 彼が、そう言って笑おうとした、その瞬間。
『――――――――――――――ッ!!!』
それは「音」ではなかった。 それは、世界そのものが発した「拒絶」だった。 目に見えない、しかし絶対的な「力」の衝撃波が、五人の魂を、その核から直接握り潰した。 「自分」という存在が、足元から崩れていくような、根源的な恐怖。 意識が、沸騰した水のように、蒸発していく。
「あ……」 リリアの瞳から光が消え、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「がっ……」 カイトも、白目を剥いて泡を吹き、仰向けに倒れた。
「……な……ぜ……」 ゴードンは、最後まで何が起きたか理解できないまま、その巨体をゆっくりと、大地に横たえた。
「ひ……ぎ……そん、な、計算、外……」 セレスティアは、理論で防ぐことすらできず、頭を押さえたまま、うめき声を上げて倒れ伏した。
「ぐ……っ、うあああああああああああっ!!」
ユウキもまた、例外ではなかった。 両膝が砕け、石畳に手をつく。脳が、内側からかき混ぜられる。目の前が真っ赤になり、意識が遠のいていく。 死ぬ。 そう、思った。
だが、その激痛と、存在が消えていく感覚の、その奥底で。 (……あれ……?) ユキは、この「感覚」を知っていた。 (この、理不尽な、魂への直接攻撃……この、存在そのものを否定してくる感じ……)
彼の意識が、遠い過去へと飛んだ。
――雨が窓を叩く、深夜のオフィス。時刻は、午前三時四十五分。 ――納期は、明朝九時。 ――何日も徹夜を重ね、満身創痍で、最後の機能を実装し終え、あとは「実行」ボタンを押すだけ。 ――その、瞬間。
ジリリリリリリリリリリリ!!!!
鳴り響く、電話の音。 この世の終わりを告げるラッパのような、その音。 恐る恐る受話器を取った、その耳に叩きつけられた、クライアントの、妙に明るい、甲高い声。
『あ、ユウキさん? こんな夜中にごめんねー! いま、すっごく良いこと思いついちゃったんだけど!』
(これだ)
『あのね、今作ってるシステムの、根幹の部分なんだけどね? やっぱり、全部変えたいかも! 明日の朝までに、できるかな?』
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ユウキの魂が、前世の記憶(トラウマ)と、今、受けている「悲鳴(こうげき)」を、完全に「同一のもの」として認識した。 あの、逃げ場のない、理不尽な、存在そのものを否定される、絶望的な攻撃。
ユウキの魂は、あのデスマーチの果てに、この攻撃に対する「耐性」を、既に獲得してしまっていたのだ。
「う……おお……っ」
ユウキは、激痛に耐えながら、顔を上げた。 鼻から、びしゃりと音を立てて、大量の鼻血が石畳に滴り落ちる。 だが、彼は、立っていた。 意識を、保っていた。
「……き、クライアント……からの……仕様変更電話……よりは……」 ユウキは、ふらふらと立ち上がった。 「……マシ、だ……!」
「警報(ひめい)」が、まるで嵐が過ぎ去るかのように、ゆっくりと遠のいていく。 静寂が戻った温室には、鼻血まみれで仁王立ちするユウキと、床に転がる四人の仲間、そして黒土の上に無残に転がる「鍵(マンドラゴラ)」だけが、残されていた。
「……マジかよ……」
ユウキは、目の前の惨状と、自らの前世に、乾いた笑いを漏らすしかなかった。 彼は、震える手でマンドラゴラを拾い上げ、用意されていた箱にそっと収めた。
それから、まず、一番重くて邪魔な巨体――ゴードンの足首を掴んだ。 「この……脳筋……野郎が……!」 ユウキは、鼻血を袖で拭い、仲間たちを引きずって帰還するという、新たな重労働(デスマーチ)を開始した。
***
数日後。ドラゴは、マンドラゴラを主成分として調合された、強力な浄化薬によって、肉体的には「治癒」された。 彼の魂に癒着して暴れていた「呪い(マルウェア)」は、その強力すぎる「鍵」の力によって、根こそぎ削除(デリート)された。
お見舞いに訪れたリリアたちが安堵の声を上げる中、ドラゴは冷たく彼らを拒絶し、毛布を頭まで被ってしまった。
その様子を見て、ユウキだけが眉をひそめていた。
(マンドラゴラは強力なアンチウイルスだ。確かに「感染」は治った) (だが……ウイルスが侵入した「穴(セキュリティホール)」は塞がっていない。それに、もしあの影が、システム(魂)の深層に隠れた「ルートキット(潜伏型ツール)」だったとしたら?)
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『ノベマ! 異世界ファンタジー:8位(2025/04/22)』
※別サイトにも掲載しています。
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