無詠唱の俺、詠唱を知らなかった~転生SE(元25歳)、予測不能な仲間たちと『世界の理』を最適化する~

Gaku

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第15話:冬休みと『聖域』の平穏

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冬休みが訪れた。 王都の重苦しい空気から逃れるように、ユウキたち補習仲間とシノは、リリアの誘いで彼女の故郷の村へと向かっていた 。 王都を離れ、北へ向かう馬車に揺られること二日。風景から石造りの建物は消え、世界はどこまでも白一色に染まっていった。

「うわ……さっむ……」 馬車の窓の隙間から入り込む冷気に、カイトが毛布にくるまりながら呻いた。 「なんというか、王都の寒さとは質が違いますね」 シノも、小さな吐息を白く染めながら、窓の外の雪景色に見入っていた。

リリアの故郷は、山脈の懐深くに抱かれた、雪深い小さな村だった 。 馬車が村の入り口に着くと、そこにはまるで絵本から抜け出したかのような、深い雪に半分埋もれた丸太造りの家々が並んでいた。どの家の煙突からも、薪ストーブの、少し甘く懐かしい匂いの煙が、真っ直ぐに、凍てついた空へと昇っていた。 空気はガラスのように澄み切り、雪を踏みしめる音だけが、静寂な村に響いていた。

「おー! リリア、帰ったか!」 馬車を降りた一行を迎えたのは、リリアの父親であり、この村の長老でもある、熊のように大柄な男だった。 「父さん、ただいま! お客さん、連れてきたよ!」 「おお、ユウキ殿たちか。長旅ご苦労。さあ、中へ入れ。熱いスープでまず温まらんとな」

その夜は、温かなもてなしと、村の素朴だが滋味深い料理で、旅の疲れはすっかりと癒された。

問題が起きたのは、翌日の昼過ぎだった。 降り積もった、腰まで届くほど新雪に、カイトとゴードンの目が輝いた。 「おいカイト! 雪合戦(ゆきがっせん)という名の筋肉のぶつかり合いをしようではないか!」 「望むところだゴードン! お前のその無駄な筋肉(にく)に、俺の華麗な技(かぜ)が勝ることを教えてやる!」

最初は、子供のように雪玉を投げ合っていた二人だったが、すぐに「ドタバタ」が始まった。 「遅いぞゴードン! 風よ、我が弾丸を加速させよ!」 カイトが放った雪玉が、風の魔法を纏い、砲弾のような速度でゴードンの頬を撃ち抜いた。 「ぐ……やるなカイト! だが、筋肉の前では無意味!」 ゴードンは、近くの雪だまりを、その丸太のような両腕で抱え上げた。 「我が筋肉(ちから)こそが、最大の質量(まほう)なり!」 直径一メートルはあろうかという巨大な雪塊が、カイトめがけて放り投げられた。 「うおっ、バカ! デカすぎるだろ!」 カイトは慌てて風の壁で受け流すが、二つの力がぶつかった衝撃で、村の広場の背後にある小さな雪山が、ゴゴゴゴゴ……と不穏な音を立て始めた。

「「あ」」 二人の声が重なった瞬間。 「やめろお前ら!」 ユウキの制止も間に合わず、小規模な雪崩(じなだれ)が、広場脇の納屋へと勢いよく流れ込み、その半分を雪の中に埋めてしまった 。

「――お前らああああああああっ!!!」

村中に響き渡る、長老(リリアの父)の怒声。 結局、その日の午後は、カイトとゴードン(と、なぜか監督責任として巻き込まれたユウキとシノ)による、納屋の雪かき作業で潰れることになった。 リリアは、腹を抱えて笑い転げていた。

***

そのドタバタが落ち着いた、翌日の午後。 村を覆う雪は、午後の淡い日差しを浴びて、きらきらとダイヤモンドダストを散らしていた。 ユウキは、一人で村の外れにある小道を、雪をかき分けながら散歩していた。前世では考えられなかった、静かで、穏やかな時間だった。

「ユウキ!」 背後から、明るい声がした。リリアが、厚手のコートを着込んで息を弾ませながら追いついてきた 。 「昨日は父さんがごめんね。カイトたちも、懲りてないといいんだけど」 「いや、こっちこそ。あの二人は、ああじゃないと調子が狂うんだろう」 ユウキが苦笑すると、リリアも「だよねー」と笑った。

「ねえ、ユウキ」 リリアは、いたずらっぽく目を細めた。 「せっかくだから、とっておきの場所、案内してあげる」

リリアに導かれるまま、ユウキは村の裏手にある、さらに深い森へと足を踏み入れた。 雪は、さらに深くなり、大人の腰ほどまで積もっている。ユウキは息を切らしながら、必死でリリアの足跡を追った。 「まだ……?」 「もう、ちょっとだけ!」

リリアが、ある場所で立ち止まった。そこは、他の場所と何も変わらない、雪深い獣道のように見えた。 「いくよ。……せーの!」 リリアは、ユウキの手を掴むと、その先の、まるで「壁」でもあるかのような雪の吹き溜まりに向かって、一気に飛び込んだ。

「うおっ!?」 ユウキは、一瞬、視界が白に染まるのを覚悟した。 だが、次の瞬間、彼は息を呑んだ。

そこは、雪がなかった。 嘘のように、一片の雪も。

外は、猛烈な吹雪の音が遠くで響いているというのに、そこだけは、まるで春の陽だまりのように、不思議と暖かな空気に満ちていた 。 地面は雪ではなく、みずみずしい苔に覆われ、冬だというのに、いくつかの木々は青々とした葉を茂らせていた。 空を見上げると、木々の隙間から、穏やかな、黄金色の光が降り注いでいた。

「すごい……」 ユウキは、呆然と呟いた。 「ここだけ、まるで……」

「ご、ごめんなさい!」 その時、二人が入ってきた場所とは別の、森の茂みから、小さな声がした。 シノ・ミヅキが、顔を真っ赤にして、気まずそうに立っていた 。 「あの、つけてきたわけじゃ、なくて……。村を散歩してたら、ここだけ様子がおかしいなって……」 「なーんだ、シノもいたの!」 リリアは、驚いた顔をしたが、すぐに笑って手招きした。 「おいでよ! ここ、すごいでしょ。村の『聖なる森』って言われてる場所なんだ」

シノは、おずおずと、その不思議な空間に足を踏み入れた。 そして、数歩歩いたところで、ハッと目を見開き、空間の「境界線」――雪がある世界と、苔の世界の境目――に、そっと手を触れた。 「……おかしい」 彼女は、自分の専門分野に触れた学者のように、真剣な目で呟いた。 「いつもの、『壁』の感じがしない……」 

「壁?」

「うん。誰かが、強い力で『守ってる』んじゃない。……なんていうか、ここだけ、世界の『仕組み』が違うみたい。吹雪(わるいもの)も、寒さ(わるいもの)も、ここには『入ってはいけない』って、最初から『決められてる』感じ……」 

シノのその言葉に、ユウキは、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた。 (シノの言う通りだ……) 彼は、前世の「設計者」としての感覚で、この空間の「仕組み」を直感していた。

(これは「壁」じゃない。誰かが頑張って、外部からの攻撃を防いでいるんじゃない) (もっと根本的な……この空間、この土地そのものに、世界の『決まりごと』が直接書き込まれてるんだ) (『悪意あるものは、ここに入ってはならない』) (『冬の寒さは、この地を凍らせてはならない』) (誰かが力ずくで守ってるんじゃない。世界の『仕組み』そのものが、ここを『例外』として、絶対的に守護してるんだ……)

この、絶対的な平穏。 何の脅威もない、何の不安もない、ただ「在る」ことだけが許された空間。 その感覚に、ユウキは、強烈な「対比」を覚えていた。

前世の記憶が、鮮明に蘇る 。 常に「過去」に起きた失敗(バグ)の修正に追われ、「未来」に迫る締め切り(納期)に怯え続けていた日々 。 休むことも、眠ることも許されず、ただ「今、この瞬間」を、未来のために消費し続けていた。 あの時の自分には、「今、ここ」という感覚は、なかった。 すべては、過去への贖罪か、未来への生贄だった。

(あの頃の俺には、確かなものなんて何もなかった) ユウキは、黄金色の木漏れ日を見上げた。 (思い通りにならないことだらけで、確かな『俺』なんてものも、どこにもなかった)

ふと、隣にいるリリアを見た。 彼女も、この不思議な空間の穏やかさに、うっとりとした表情で木々を見上げていた。 その横顔は、いつもドタバタしている時とは別人のように、静かで、美しかった。

(でも……)

ユウキは、そっと手を伸ばした。

(『今』、この手の温もりだけは……)

ユウキの手が、リリアの、分厚い手袋に覆われていない、素肌の手に、そっと触れた 。

「!」 リリアが、ビクッと肩を震わせ、ゆっくりとユウキを見た。 その頬が、聖域の暖かさとは別の理由で、急速に赤く染まっていく。 ユウキも、自分の顔が熱くなるのを感じた。だが、手は離さなかった。

(この『つながり』だけは、確かに『在る』) 

リリアは、何も言わなかった。 ただ、その大きな瞳をわずかに潤ませて、ユウキの手を、ゆっくりと、強く握り返した 。

雪に閉ざされた世界の中で、ここだけが、時が止まったかのような、温かな平穏に満ちていた。

その光景を、数十メートル離れた木の陰から、シノが、息を詰めて見つめていた 。 彼女の表情は、黄金色の木漏れ日の中に隠れて、誰にも読み取れなかった。
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