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第16話:仕組みの脆弱性
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凍てついた大地が、長い溜息をつくようにして、ゆっくりと息を吐き始めた。 王都を覆っていた分厚い雪は、ここ数日の陽気でその権勢を失い、学園の屋根や石畳の端で、名残惜しそうに不格好な染みとなって残っている。軒先からは、雪解け水が絶え間なく滴り落ち、地面を叩くその音は、まるで止まっていた時間が再び動き出すかのような、せわしないリズムを刻んでいた。
アーリア魔法学園を吹き抜ける風は、まだ冬の厳しさを肌に刺してくるものの、その冷たさの奥に、ほんのわずかだが湿った土の匂いと、固い蕾が内側から放つ青臭い生命の気配を含んでいた。 空は高く、薄い雲が刷毛で引いたように流れていく。陽光は白く、鋭さを失ってはいないが、石造りの校舎に反射するその光には、絶望的なまでの冬の厳しさとは違う、微かな「兆し」のようなものが感じられた。
長い冬休みが終わり、学園に生徒たちの声が戻ってきた。 リリアの故郷での一件(あるいはユウキにとっては一件以上)を経て、ユウキ・アマネは、どこか現実感のない心地で、久しぶりに「補習仲間」たちと並んで学園の廊下を歩いていた。
「うわー、寒いけど、なんか空気が違う! 春の匂いがする!」 リリア・サンシャインが、分厚い冬用のローブの袖を振り回しながら、太陽のように笑う。彼女の明るい声は、重く冷え切った廊下の空気を少しだけかき混ぜた。 「いや、普通にまだ冬だろ。春とか言ってるから、お前は雪崩を起こすんだ」 カイト・ウィンドが、首元までマフラーを巻き付け、やる気なさそうに欠伸を噛み殺しながら返す。 「何を言うカイト! 筋肉も冬の寒さで一度収縮し、春の陽気で一気に解放(バルクアップ)される! 季節の変わり目こそ、筋肉にとっての祝祭だ!」 ゴードン・マッスルは、なぜか制服の袖をまくり上げ、極寒の廊下で力こぶに力を込めながら熱弁している。
いつもの光景。 ユウキは、そのどうしようもなく「いつも通り」なやり取りに、思わず頬を緩ませた。聖なる森でリリアと二人きりになったあの瞬間。雪の中で、隣にいる彼女の温もりだけが「今、ここ」の現実だと感じた、あの静かな時間。 あれは夢ではなかったが、こうして学園の喧騒に戻ってくると、あまりにも静かで、美しすぎる記憶だったせいで、まるで前世の記憶と同じように、手の届かない大切な「記録(ログ)」のように感じられた。
(いや、ダメだ) ユウキは小さく首を振った。 (「過去」を参照するな。「今」を見ろ) あの森で学んだことだ。隣を歩くリリアの横顔。彼女が笑うたびに弾む、太陽の色をした髪。それこそが「今」だ。
彼らが1年次のほとんどを過ごした教室――「落ちこぼれ補習クラス」の扉を開けると、すでに多くの生徒が集まっていた。だが、その雰囲気は、冬休み前とは明らかに異なっていた。 誰もが大声で笑うことを躊躇い、ひそひそと声を潜めて、ある一点の空席――あるいは、その席に座るはずだった一人の生徒について、噂話を交わしている。 重く、淀んだ空気。 あの期末テストでの「事件」。ドラゴ・ヴァイスが禁断の召喚を強行し、学園を未曾有の危機に陥れた一件。 あの後、学園は監査官の立ち入りで厳戒態勢となり、生徒たちは箝口令に近い形で詳細を知らされず、不安なまま冬休みになだれ込んだのだ。
「……で、ドラゴ様、どうなるのかしら」 「実家のヴァイス家が、王家に莫大な寄付金(もみけしりょう)を積んだって話よ」 「でも、あれだけのことをして、退学にならないなんて」 「魔力(ちから)は失ったって聞いたけど……」
その、悪意と好奇の視線が集中する教室の後方、窓際の席。 ドラゴ・ヴァイスが、そこにいた。
以前の彼が放っていた、他者を威圧するような傲慢な魔力(オーラ)は、今は完全に消え失せていた。 噂では「魔力を失った」と言われている。だが、ユウキの目には違って見えた。
(違う。魔力(エネルギー)そのものは残ってる。だが、それを魔法として出力するための「回路(ハードウェア)」が、あの事件の負荷で完全に焼き切れてるんだ)
彼は、ガソリンは満タンだがエンジンが壊れた車のようなものだった。 「力」はあるのに「使えない」。そのどうしようもないフラストレーションが、彼の内側でドロドロと煮えたぎっているのが、ユウキには痛いほど分かった。
「……触るな」 ドラゴが、心配して近づいたリリアの手を振り払う。 「お前たちのような、当たり前に『動く』連中が……! 俺を笑いに来たのか!?」
憎悪。恐怖。焦燥。そして、救いようのない劣等感。 彼を「呪い」に感染させた、あの時とまったく同じ「弱さ」が、そこにあった。
「なっ……私、そんなつもりじゃ……!」 リリアは、真正面から叩きつけられた拒絶に、顔を青ざめ、言葉を失う。 教室の空気は、完全に凍りついた。 ドラゴは、怯んだリリアの肩を乱暴に突き飛ばし、教室を飛び出していった。
「リリア、大丈夫か」 ユウキが駆け寄り、よろけたリリアの肩を支える。 「……うん。ごめん、私、また……」 「お前は悪くない。悪くないが……」 ユウキは、ドラゴが消えていった廊下の先を見つめた。 (ダメだ。何も、解決してない)
ユウキだけが知っている。あの事件の最後、穴が閉じる寸前に、ドラゴの体内に侵入した微小な「黒い影」の存在を。 マンドラゴラの浄化薬は、確かにドラゴを蝕んでいた「呪い(プログラム)」そのものは消去(アンインストール)したのだろう。 だが、彼のOS(たましい)には、致命的な「脆弱性(セキュリティホール)」が残ったままだ。 いや、違う。 「弱さ」は最初からそこにあったのだ。 力への渇望。兄への劣等感。他者を見下すことでしか自分を保てない脆さ。 「呪い」は、その「弱さ」という「穴」を見つけて、そこから侵入したに過ぎない。
(マンドラゴラ(アンチウイルス)は、侵入した『ウイルス』は駆除した。でも、ウイルスが侵入した『穴(弱さ)』は塞いでないし、ウイルスに『感染した』っていう『履歴(ログ)』は、ドラゴの中に最悪の『傷(トラウマ)』として残った) そして、あの「黒い影」。 もしあれが、次の侵入に備えて潜伏する「スリーパー(休眠型マルウェア)」だとしたら? ドラゴの「弱さ」が――今、リリアの善意さえ憎悪に変えてしまったあの「苦しみ」が――再び「栄養」となって、あの「影」を育ててしまったら?
ユウキは、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。 それは、前世で、完璧だと思ったシステムに致命的な「バックドア(裏口)」を見つけてしまった時の感覚と、よく似ていた。
その日の放課後。 ユウキは、アーキバルド先生に呼び出され、人気のない魔法史の資料室にいた。 他の生徒はもういない。夕方になり、窓から差し込む光はオレンジ色を帯び、部屋に並ぶ膨大な書物の背表紙を、ノスタルジックな色合いで染めている。古紙と、埃と、微かなインクの匂い。
「ドラゴ君のことかね? 先生、何か」 「いや、今日は君の話だ。ユウキ・アマネ君」 アーキバルドは、いつも飄々とした表情を消し、珍しく真剣な目で、棚から一冊の、ひどく古びた本を取り出した。それは、ユウキたちが見た、あの『禁書』の写しではなかったが、似たような不吉な装丁が施されていた。
「ドラゴ君は、この世界の『仕組み(理)』を、自分の『願い(執着)』で捻じ曲げようとした」 先生は、本の表紙を指でなぞりながら、静かに言った。 「彼は、『詠唱(安全装置)』という、この世界の先人たちが築き上げてきた『決まり事(ルール)』を無視し、禁書(きんしょ)という『不正な道具(ツール)』を使って、力(結果)だけを求めようとした。その結果が、あれだ」
ユウキは息を呑んだ。 「……はい。彼のやり方が、この世界(システム)の決まり事を破る、危険な行為だったことは理解しています」
「うむ。だが、ユウキ君。問題はここからだ」 アーキバルドは、ユウキの目を真っ直ぐに見据えた。 「君の『無詠唱(それ)』は、一体なんだね?」
「え……?」 「ドラゴ君は、『安全装置(詠唱)』があると知りながら、それを意図的に『破壊』しようとした。だが君は、そもそも『安全装置(詠唱)』という存在そのものを『知らなかった(・・・・・)』。違うかね?」
ユウキは、核心を突かれて言葉に詰まった。 入学式の日。コップの水を爆散させた、あの日のことを思い出す。 「それは……はい。俺は、それが『普通』だと思っていたので」
「そう。そこだ」 アーキバルドは、資料室の窓辺に立ち、外を眺めた。生徒たちの帰っていく姿が、夕日の中で長い影を落としている。 「この世界の魔法(仕組み)は、非常に危ういバランスで成り立っている。だからこそ、先人たちは『詠唱』という『クッション』であり『安全弁』を組み込んだ。術式(願い)が暴走しないよう、一度『言葉』という『型』にはめて、世界(理)に優しく問いかける。それが『詠唱』だ」
「……」 「ドラゴ君は、その『安全弁』を『不正な道具(禁書)』でこじ開けようとして、失敗し、自爆した。彼は『鍵穴』を壊そうとした泥棒だ」 先生は、そこで言葉を区切り、ユウキに向き直った。 「だが、ユウキ君。君は違う」 「君は、その『鍵穴(詠唱)』の存在に気づかず、いつの間にか『壁そのものをすり抜けて(・・・・・・・・)』、金庫(理)のど真ん中に立っていたようなものだ」
ユウキは、その例えの意味を理解し、全身の血の気が引くのを感じた。
「ドラゴ君の『禁書』も、君の『無詠唱』も、この世界の仕組み(OS)から見れば、まったく同じ『異常事態』なのだよ」 「!?」 「どちらも、『安全装置(詠唱)』という正規の『手順(プロセス)』を踏んでいない。『あってはならないやり方』で、世界の根幹(理)に直接アクセスしている」 先生の声は、非難しているのではなく、ただ淡々と、冷たい「事実」を告げていた。 「ドラゴ君は、その危険な行為(不正アクセス)の『代償』として、呪われ、全てを失った。だが、君は?」 「俺、は……」 「君は、その『危険な状態(壁抜け)』を、『才能』だ『便利だ』と無自覚に使い続けている」
アーキバルドは、ユウキの目の前に、人差し指を立てた。 「ユウキ君。もし、ドラゴ君の『弱さ(力への執着)』が、あの『禁書(不正な道具)』と出会わなければ、彼は道を踏み外さなかったかもしれない」 「……」 「では、君の『優しさ(他者を助けたいという思い)』が、その『無詠唱(危険な力)』と結びついた時、何が起きると思う?」
「それは……仲間を、助けられます」
「本当に? 本当にそうかね?」 先生は、悲しそうに目を細めた。 「私は君に『外部(他者)との接続を拒絶している』と言った。君は、今も自分の『力(我)』だけで、すべてを完結させようとしてはいないかね?」 「……っ」 「君の『無詠唱(壁抜け)』は、ドラゴ君の『禁書(鍵穴破り)』と、紙一重の危険な技術だ。どちらも、この世界の『仕組み』の『弱点(穴)』そのものだ。君は『安全装置』を知らない。君の『魂(OS)』は、常に『危険』に晒されている」
「君自身が、この世界の『穴(バグ)』であるという自覚を、持ちなさい」
夕日は、もうほとんど沈みかけていた。 資料室の薄闇の中で、ユウキは立ち尽くしていた。 前世で、過労死するまで「バグ(不具合)」を潰し続けてきた自分が、この世界では、自分自身が「バグ(不具合)」そのものだった。
ドラゴを破滅させた「仕組みの穴」と、自分が「普通」だと思い込んでいた「力」。 その二つが、本質的に同じ「危険なもの」であると、ユウキはこの日、初めて、そして残酷なまでに明確に、突きつけられたのだった。 彼の「チート」だと思っていた能力は、世界を救う力ではなく、世界を壊す「欠陥」なのかもしれない。 ユウキの心に、これまで感じたことのない、底冷えのするような「恐怖」が、ゆっくりと広がっていった。
アーリア魔法学園を吹き抜ける風は、まだ冬の厳しさを肌に刺してくるものの、その冷たさの奥に、ほんのわずかだが湿った土の匂いと、固い蕾が内側から放つ青臭い生命の気配を含んでいた。 空は高く、薄い雲が刷毛で引いたように流れていく。陽光は白く、鋭さを失ってはいないが、石造りの校舎に反射するその光には、絶望的なまでの冬の厳しさとは違う、微かな「兆し」のようなものが感じられた。
長い冬休みが終わり、学園に生徒たちの声が戻ってきた。 リリアの故郷での一件(あるいはユウキにとっては一件以上)を経て、ユウキ・アマネは、どこか現実感のない心地で、久しぶりに「補習仲間」たちと並んで学園の廊下を歩いていた。
「うわー、寒いけど、なんか空気が違う! 春の匂いがする!」 リリア・サンシャインが、分厚い冬用のローブの袖を振り回しながら、太陽のように笑う。彼女の明るい声は、重く冷え切った廊下の空気を少しだけかき混ぜた。 「いや、普通にまだ冬だろ。春とか言ってるから、お前は雪崩を起こすんだ」 カイト・ウィンドが、首元までマフラーを巻き付け、やる気なさそうに欠伸を噛み殺しながら返す。 「何を言うカイト! 筋肉も冬の寒さで一度収縮し、春の陽気で一気に解放(バルクアップ)される! 季節の変わり目こそ、筋肉にとっての祝祭だ!」 ゴードン・マッスルは、なぜか制服の袖をまくり上げ、極寒の廊下で力こぶに力を込めながら熱弁している。
いつもの光景。 ユウキは、そのどうしようもなく「いつも通り」なやり取りに、思わず頬を緩ませた。聖なる森でリリアと二人きりになったあの瞬間。雪の中で、隣にいる彼女の温もりだけが「今、ここ」の現実だと感じた、あの静かな時間。 あれは夢ではなかったが、こうして学園の喧騒に戻ってくると、あまりにも静かで、美しすぎる記憶だったせいで、まるで前世の記憶と同じように、手の届かない大切な「記録(ログ)」のように感じられた。
(いや、ダメだ) ユウキは小さく首を振った。 (「過去」を参照するな。「今」を見ろ) あの森で学んだことだ。隣を歩くリリアの横顔。彼女が笑うたびに弾む、太陽の色をした髪。それこそが「今」だ。
彼らが1年次のほとんどを過ごした教室――「落ちこぼれ補習クラス」の扉を開けると、すでに多くの生徒が集まっていた。だが、その雰囲気は、冬休み前とは明らかに異なっていた。 誰もが大声で笑うことを躊躇い、ひそひそと声を潜めて、ある一点の空席――あるいは、その席に座るはずだった一人の生徒について、噂話を交わしている。 重く、淀んだ空気。 あの期末テストでの「事件」。ドラゴ・ヴァイスが禁断の召喚を強行し、学園を未曾有の危機に陥れた一件。 あの後、学園は監査官の立ち入りで厳戒態勢となり、生徒たちは箝口令に近い形で詳細を知らされず、不安なまま冬休みになだれ込んだのだ。
「……で、ドラゴ様、どうなるのかしら」 「実家のヴァイス家が、王家に莫大な寄付金(もみけしりょう)を積んだって話よ」 「でも、あれだけのことをして、退学にならないなんて」 「魔力(ちから)は失ったって聞いたけど……」
その、悪意と好奇の視線が集中する教室の後方、窓際の席。 ドラゴ・ヴァイスが、そこにいた。
以前の彼が放っていた、他者を威圧するような傲慢な魔力(オーラ)は、今は完全に消え失せていた。 噂では「魔力を失った」と言われている。だが、ユウキの目には違って見えた。
(違う。魔力(エネルギー)そのものは残ってる。だが、それを魔法として出力するための「回路(ハードウェア)」が、あの事件の負荷で完全に焼き切れてるんだ)
彼は、ガソリンは満タンだがエンジンが壊れた車のようなものだった。 「力」はあるのに「使えない」。そのどうしようもないフラストレーションが、彼の内側でドロドロと煮えたぎっているのが、ユウキには痛いほど分かった。
「……触るな」 ドラゴが、心配して近づいたリリアの手を振り払う。 「お前たちのような、当たり前に『動く』連中が……! 俺を笑いに来たのか!?」
憎悪。恐怖。焦燥。そして、救いようのない劣等感。 彼を「呪い」に感染させた、あの時とまったく同じ「弱さ」が、そこにあった。
「なっ……私、そんなつもりじゃ……!」 リリアは、真正面から叩きつけられた拒絶に、顔を青ざめ、言葉を失う。 教室の空気は、完全に凍りついた。 ドラゴは、怯んだリリアの肩を乱暴に突き飛ばし、教室を飛び出していった。
「リリア、大丈夫か」 ユウキが駆け寄り、よろけたリリアの肩を支える。 「……うん。ごめん、私、また……」 「お前は悪くない。悪くないが……」 ユウキは、ドラゴが消えていった廊下の先を見つめた。 (ダメだ。何も、解決してない)
ユウキだけが知っている。あの事件の最後、穴が閉じる寸前に、ドラゴの体内に侵入した微小な「黒い影」の存在を。 マンドラゴラの浄化薬は、確かにドラゴを蝕んでいた「呪い(プログラム)」そのものは消去(アンインストール)したのだろう。 だが、彼のOS(たましい)には、致命的な「脆弱性(セキュリティホール)」が残ったままだ。 いや、違う。 「弱さ」は最初からそこにあったのだ。 力への渇望。兄への劣等感。他者を見下すことでしか自分を保てない脆さ。 「呪い」は、その「弱さ」という「穴」を見つけて、そこから侵入したに過ぎない。
(マンドラゴラ(アンチウイルス)は、侵入した『ウイルス』は駆除した。でも、ウイルスが侵入した『穴(弱さ)』は塞いでないし、ウイルスに『感染した』っていう『履歴(ログ)』は、ドラゴの中に最悪の『傷(トラウマ)』として残った) そして、あの「黒い影」。 もしあれが、次の侵入に備えて潜伏する「スリーパー(休眠型マルウェア)」だとしたら? ドラゴの「弱さ」が――今、リリアの善意さえ憎悪に変えてしまったあの「苦しみ」が――再び「栄養」となって、あの「影」を育ててしまったら?
ユウキは、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。 それは、前世で、完璧だと思ったシステムに致命的な「バックドア(裏口)」を見つけてしまった時の感覚と、よく似ていた。
その日の放課後。 ユウキは、アーキバルド先生に呼び出され、人気のない魔法史の資料室にいた。 他の生徒はもういない。夕方になり、窓から差し込む光はオレンジ色を帯び、部屋に並ぶ膨大な書物の背表紙を、ノスタルジックな色合いで染めている。古紙と、埃と、微かなインクの匂い。
「ドラゴ君のことかね? 先生、何か」 「いや、今日は君の話だ。ユウキ・アマネ君」 アーキバルドは、いつも飄々とした表情を消し、珍しく真剣な目で、棚から一冊の、ひどく古びた本を取り出した。それは、ユウキたちが見た、あの『禁書』の写しではなかったが、似たような不吉な装丁が施されていた。
「ドラゴ君は、この世界の『仕組み(理)』を、自分の『願い(執着)』で捻じ曲げようとした」 先生は、本の表紙を指でなぞりながら、静かに言った。 「彼は、『詠唱(安全装置)』という、この世界の先人たちが築き上げてきた『決まり事(ルール)』を無視し、禁書(きんしょ)という『不正な道具(ツール)』を使って、力(結果)だけを求めようとした。その結果が、あれだ」
ユウキは息を呑んだ。 「……はい。彼のやり方が、この世界(システム)の決まり事を破る、危険な行為だったことは理解しています」
「うむ。だが、ユウキ君。問題はここからだ」 アーキバルドは、ユウキの目を真っ直ぐに見据えた。 「君の『無詠唱(それ)』は、一体なんだね?」
「え……?」 「ドラゴ君は、『安全装置(詠唱)』があると知りながら、それを意図的に『破壊』しようとした。だが君は、そもそも『安全装置(詠唱)』という存在そのものを『知らなかった(・・・・・)』。違うかね?」
ユウキは、核心を突かれて言葉に詰まった。 入学式の日。コップの水を爆散させた、あの日のことを思い出す。 「それは……はい。俺は、それが『普通』だと思っていたので」
「そう。そこだ」 アーキバルドは、資料室の窓辺に立ち、外を眺めた。生徒たちの帰っていく姿が、夕日の中で長い影を落としている。 「この世界の魔法(仕組み)は、非常に危ういバランスで成り立っている。だからこそ、先人たちは『詠唱』という『クッション』であり『安全弁』を組み込んだ。術式(願い)が暴走しないよう、一度『言葉』という『型』にはめて、世界(理)に優しく問いかける。それが『詠唱』だ」
「……」 「ドラゴ君は、その『安全弁』を『不正な道具(禁書)』でこじ開けようとして、失敗し、自爆した。彼は『鍵穴』を壊そうとした泥棒だ」 先生は、そこで言葉を区切り、ユウキに向き直った。 「だが、ユウキ君。君は違う」 「君は、その『鍵穴(詠唱)』の存在に気づかず、いつの間にか『壁そのものをすり抜けて(・・・・・・・・)』、金庫(理)のど真ん中に立っていたようなものだ」
ユウキは、その例えの意味を理解し、全身の血の気が引くのを感じた。
「ドラゴ君の『禁書』も、君の『無詠唱』も、この世界の仕組み(OS)から見れば、まったく同じ『異常事態』なのだよ」 「!?」 「どちらも、『安全装置(詠唱)』という正規の『手順(プロセス)』を踏んでいない。『あってはならないやり方』で、世界の根幹(理)に直接アクセスしている」 先生の声は、非難しているのではなく、ただ淡々と、冷たい「事実」を告げていた。 「ドラゴ君は、その危険な行為(不正アクセス)の『代償』として、呪われ、全てを失った。だが、君は?」 「俺、は……」 「君は、その『危険な状態(壁抜け)』を、『才能』だ『便利だ』と無自覚に使い続けている」
アーキバルドは、ユウキの目の前に、人差し指を立てた。 「ユウキ君。もし、ドラゴ君の『弱さ(力への執着)』が、あの『禁書(不正な道具)』と出会わなければ、彼は道を踏み外さなかったかもしれない」 「……」 「では、君の『優しさ(他者を助けたいという思い)』が、その『無詠唱(危険な力)』と結びついた時、何が起きると思う?」
「それは……仲間を、助けられます」
「本当に? 本当にそうかね?」 先生は、悲しそうに目を細めた。 「私は君に『外部(他者)との接続を拒絶している』と言った。君は、今も自分の『力(我)』だけで、すべてを完結させようとしてはいないかね?」 「……っ」 「君の『無詠唱(壁抜け)』は、ドラゴ君の『禁書(鍵穴破り)』と、紙一重の危険な技術だ。どちらも、この世界の『仕組み』の『弱点(穴)』そのものだ。君は『安全装置』を知らない。君の『魂(OS)』は、常に『危険』に晒されている」
「君自身が、この世界の『穴(バグ)』であるという自覚を、持ちなさい」
夕日は、もうほとんど沈みかけていた。 資料室の薄闇の中で、ユウキは立ち尽くしていた。 前世で、過労死するまで「バグ(不具合)」を潰し続けてきた自分が、この世界では、自分自身が「バグ(不具合)」そのものだった。
ドラゴを破滅させた「仕組みの穴」と、自分が「普通」だと思い込んでいた「力」。 その二つが、本質的に同じ「危険なもの」であると、ユウキはこの日、初めて、そして残酷なまでに明確に、突きつけられたのだった。 彼の「チート」だと思っていた能力は、世界を救う力ではなく、世界を壊す「欠陥」なのかもしれない。 ユウキの心に、これまで感じたことのない、底冷えのするような「恐怖」が、ゆっくりと広がっていった。
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家電を自在に魔改造して『家電量販店』で過ごしていくうちに、メビウスは周りから天才発明家として扱われ、やがて小国の長として建国を目指すことになるのだった。
メビウスは知るはずがなかった。いずれ、自分が『機械仕掛けの大魔導士』と呼ばれ存在になるなんて。
努力しても最強になれず、追放先に師範も元冒険者メイドもついてこず、領地どころかどの国も管理していない僻地に捨てられる……そんな踏んだり蹴ったりから始まる領地(国家)経営物語。
『ノベマ! 異世界ファンタジー:8位(2025/04/22)』
※別サイトにも掲載しています。
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