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2年生編:調和とノイズの季節
第4話:『精神干渉学』とガラスの心
しおりを挟む夏が、牙を剥いて襲いかかってきた。
梅雨明けの宣言など待たずに、太陽はサディスティックなまでの熱量を地上に注ぎ込んでいた。
アーリア魔法学園の校庭では、地面から立ち上る熱気が陽炎(かげろう)となって揺らめき、遠くの校舎を歪ませている。
じりじりと肌を焦がす直射日光。
そして、光が強ければ強いほど、足元に伸びる「影」は、墨汁を流したように濃く、黒くなる。
「……溶ける」
ユウキは机に突っ伏して呻いた。
教室には冷房の魔法がかかっているはずだが、窓の外から入ってくる視覚的な暑さだけで、脳みそがバターのように溶け出しそうだ。
「軟弱ね、ユウキ。この程度の気温上昇で」
リリアが下敷きでパタパタと顔を扇ぎながら言うが、彼女の額にも汗が滲んでいる。
「気合が足りないのよ。暑いと思えば暑い。涼しいと思えば……やっぱ暑いわね、これ」
「ああ。思考で物理現象は覆せない……」
そんな気だるげな空気の中、2限目の授業『精神干渉学』が始まった。
教壇に立ったイライザ先生は、今日も今日とて派手なTシャツ(ドクロがアイスを食べている柄)を着て、気怠そうにガムを膨らませた。
「いいか、お前ら。今日は『心』の守り方だ」
先生は黒板にチョークで人の顔の輪郭を描き、その中をグチャグチャに塗りつぶした。
「お前らは、『私』という確固たる自分がいると思ってるだろ? 怒ったり、泣いたりするのは、『私』がそう感じてるからだと」
「違うんですか?」
最前列のセレスティアが問いかける。
「半分正解で、半分間違いだ」
先生は黒板を指差した。
「心なんてのは、ただの『反応装置』だ。誰かに悪口を言われた(入力)→ムカついた(出力)。それだけのシステムだ。『怒り』は、お前そのものじゃない。外から来た刺激に対して、心が勝手に作った『反応(ノイズ)』に過ぎない」
イライザ先生は自分の胸をトントンと叩く。
「なのに、お前らはそのノイズを『これが本当の私だ!』って抱え込むから、苦しくなるんだ。いいか、魔法使いのメンタル防御の基本はこれだ。『感情を客観視しろ』」
先生はニヤリと笑う。
「ムカついた時は、『あー、私、今ムカついてるなー』って、他人事みたいに実況中継しろ。そうすりゃ、幻術や精神攻撃(マインドハック)なんて怖くない。……ま、口で言うほど簡単じゃないけどな」
***
事件が起きたのは、その日の昼休みだった。
食堂へ向かう廊下で、突如として悲鳴が上がった。
「いやぁぁぁぁっ!! 見ないで! 見ないでぇぇ!」
「うおぉぉぉっ! 俺の筋肉があぁぁぁ!」
ユウキたちが駆けつけると、そこは地獄絵図だった。
生徒たちが何もない空間に向かって叫び、逃げ惑い、あるいは蹲(うずくま)って泣いている。
「なんだこれ……集団幻覚?」
ユウキが呟くと、隣を歩いていたセレスティアが急に立ち止まり、ガタガタと震え出した。
「……嘘よ。そんな……計算ミスだわ……」
彼女の瞳孔が開いている。
「私のテストが……0点!? しかも名前を書き忘れて!? 公式が全部文字化けして……ああっ! 私の完璧な世界が崩れていくぅぅぅ!」
「セレスティア! 落ち着け、それは幻覚だ!」
ユウキが肩を揺さぶるが、彼女には届かない。彼女は自分の最大の恐怖、「不完全な自分」を見せられているのだ。
振り返ると、ゴードンが廊下の隅で縮こまっていた。あの巨体が、子犬のように震えている。
「やめろ……やめてくれ……! プロテインを没収しないでくれ……! 俺の腕が、爪楊枝みたいに細くなっていく……! 筋肉(マッスル)が、蒸発するぅぅぅ!」
「お前の幻覚、具体的すぎるだろ」
どうやら、この廊下には「自分の一番嫌いな姿」や「トラウマ」を強制的に見せる幻術の罠(トラップ)が仕掛けられているらしい。
誰かのイタズラ魔法が、この異常な暑さで変質し、暴走しているのか。
「ユウキ、気をつけて! ここ、空気が変よ!」
リリアが叫んだ瞬間、ユウキの視界も歪んだ。
陽炎のように景色が揺らぎ、目の前に「自分」が現れる。
それは、無気力で、何にも関心がなく、ただ日々を消費するだけの、灰色の目をした自分だった。
――お前には何もない。空っぽだ。
幻影の自分が囁く。
ユウキは一瞬怯んだが、すぐに頭を振った。
「……知ってるよ、そんなこと。だから今、埋めようとしてるんだろ」
ユウキは自分の「弱さ」を自覚している分、耐性があった。幻影は霧散する。
だが、問題はシノだった。
普段は冷静沈着な彼女が、廊下の真ん中で刀を抜き、殺気立った目で虚空を睨みつけている。
「……来るな」
シノの声が震えている。
「私は、もう……道具じゃない」
彼女が見ているのは、過去の自分だろうか。
暗殺者の家系に生まれ、感情を殺し、ただの「刃」として生きることを強要されていた頃の記憶。
闇色の影が、シノに纏わりつく。
――お前は人殺しだ。幸せになる資格なんてない。お前の手は汚れている。
影の声が、ユウキたちにも聞こえるほど強い魔力となって響く。
「やあっ!!」
シノが影を斬る。だが、斬っても斬っても影は再生し、さらに濃くなる。
「消えろ……消えてくれ……!」
焦りと恐怖で、シノの呼吸が乱れる。
自分自身を否定すればするほど、その「否定する心」が影のエネルギーとなり、幻覚は強大化していく。悪循環だ。
「シノちゃん! そいつは偽物よ!」
リリアが叫ぶが、シノはパニック状態で耳に入らない。
このままでは、彼女の心が壊れてしまう。
ユウキは深呼吸をした。
――感情を客観視しろ。
イライザ先生の言葉を思い出す。
「シノ!!」
ユウキは影の中に飛び込み、シノの背中をバシッと叩いた。
「斬るな! そいつはお前じゃない!」
「ユウキ……殿……? でも、こいつは私で……私の過去で……!」
「違う。それはただの『記憶』だ! ただの『映像』だ!」
ユウキはシノの肩を掴み、強制的に自分の方を向かせた。
「いいか、シノ。お前は今、『怖い』と思っている。そうだろ?」
「は、はい……怖いです……」
「その『恐怖』は、お前の心が生み出した反応だ。でも、反応している『お前自身』は、そいつとは別物だ!」
ユウキは、まとわりつく影を指差した。
「空を見ろ。雲があるだろ?」
廊下の窓から、入道雲が見える。
「雲は空に浮かんでるけど、空そのものじゃない。風が吹けば流れて消える。お前の『過去』や『恐怖』もその雲と同じだ。お前という『空』の中に、一時的に浮かんでるだけだ!」
シノはハッとして、自分の胸元を見つめた。
ドクドクと脈打つ鼓動。冷たい汗。震える指先。
それらは確かに存在する。でも、それは「私」という存在の一部であって、すべてではない。
私は、恐怖を感じている「観察者」であって、恐怖そのものではない。
シノは刀をゆっくりと下ろした。
「……そうか。私は、恐れている」
彼女は静かに呟いた。
「過去が追いかけてくるのが怖い。今の幸せが壊れるのが怖い。……ああ、私はそう思っているんだな」
認めた瞬間。
今まで彼女を飲み込もうとしていた影の輪郭が、ぼやけ始めた。
戦うのをやめ、拒絶するのをやめ、ただ「そこにあるもの」として認めた時、幻覚は敵としての力を失う。
「……ただの、影だ」
シノがふっと息を吐くと、歪んでいた空間がガラスのようにパリーンと砕け散った。
後に残ったのは、いつもの廊下と、じりじりとした夏の熱気だけ。
「……助かりました、ユウキ殿」
シノは刀を鞘に納め、少し照れくさそうに頬を拭った。
「未熟でした。影法師相手に、本気になるとは」
***
騒動の後。
犯人はすぐに見つかった。
アランのクラスメイトで、目立たない男子生徒だった。
彼は生徒指導室で、小さくなっていた。
「……みんなが、僕のことを見てくれないから。ちょっと驚かせようと思って……」
寂しさからくる、歪んだ自己主張。
彼もまた、「自分を見てほしい」という執着(渇愛)に囚われ、自分の感情をコントロールできなくなっていたのだ。
教師たちに囲まれて怯える彼に、ユウキは声をかけた。
「いい魔法だったよ。ちょっと、タチが悪すぎたけどな」
「え……?」
「幻覚を見せるってことは、相手の心をよく見てるってことだ。その観察眼を、もっと楽しいことに使えば、きっと人気者になれるさ」
叱るのではなく、その「原因(寂しさ)」に寄り添う。
ユウキの言葉に、彼は初めて安心したように泣き出した。
夕方。
騒ぎが収まった校舎は、西日に照らされて長く伸びた影に覆われていた。
屋上で、ユウキたちはぬるくなった風に吹かれていた。
「あーあ、最悪だったわ」
セレスティアが疲れた顔で言う。
「自分の完璧主義があんなに醜いなんて。……少し、適当に生きる練習をしますわ」
「俺もだ……」
ゴードンがプロテインを飲みながら遠い目をしている。
「筋肉への愛が強すぎて、逆に恐怖を生んでいたとは。執着を捨ててこそ、真のパンプアップが得られるということか……」
シノは手すりにもたれかかり、夕焼けを見つめていた。
その横顔は、憑き物が落ちたように清々しい。
「ユウキ殿。……私は、雲になりたいです」
「え?」
「何にも囚われず、形を変えて、ただ流れていく。そんな心になれたら、きっと最強ですね」
ユウキは笑った。
「なれるさ。俺たちはまだ、形が決まってないんだから」
陽炎が揺らぐ。
現実と幻覚、自分と他人、光と影。
その境界線は曖昧で、だからこそ世界は面白い。
「私」という確かなものなんてない。
あるのは、その時々に感じ、反応し、変化し続ける、実体のない心だけ。
そう思えば、この酷暑も、青春の悩みも、少しだけ軽く感じられる気がした。
「帰ろっか。アイス奢ってよ、ユウキ」
リリアの言葉に、日常が戻ってくる。
ユウキたちは、長く伸びた自分たちの影を踏まないように、軽やかな足取りで家路についた。
夏はまだ、始まったばかりだ。
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