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第10話:交換された殺意
しおりを挟む十月も下旬に差しかかると、街は、どこか浮かれた、それでいて奇妙な喧騒に包まれ始めた。
ショーウィンドウには、オレンジと黒の飾り付けが施され、かぼちゃをくり抜いたランタンが、にやりと笑っている。ハロウィン。古代ケルト人の収穫祭に起源を持つというその祭りが、今やこの国では、大人たちが堂々と仮装をして街を練り歩く、一大イベントと化していた。
誰もが、偽りの姿をまとい、一夜限りの変身を楽しむ。
その喧騒が、僕、速水健人には、僕らが追う事件の本質を、皮肉に映し出しているように思えてならなかった。
「――篠田正樹(しのだまさき)。二十八歳。職業、フリーター。そして、これが十年前、雨宮家のパーティーで撮られた、彼の姿だ」
速水探偵事務所の、重苦しい空気の中で、神宮寺所長が、一枚の写真をテーブルの上に置いた。
そこには、まだあどけなさの残る、十代の少年が写っていた。他の招待客の華やかな輪から、少しだけ離れた場所で、所在なげに俯いている。その姿は、今の、世間から身を隠すように生きる彼の姿と、どこか重なって見えた。
「ノスタルジア事件」の実行犯は、彼で間違いない。
僕と所長の推理は、一致していた。
だが、確証がない。そして、彼を捕らえたところで、その背後にいる、真の黒幕の尻尾を掴める保証は、どこにもなかった。
「……健人くん。行くぞ」
「え?」
「篠田に、会いに行く。警察が動く前に、我々で、話を聞く」
所長の瞳には、危険な光が宿っていた。それは、法やルールを度外視してでも、真実にたどり着こうとする、覚悟の光だった。
「ですが、所長。それは、あまりに危険じゃ……」
「危険は承知の上だ。だが、このままでは、また誰かが殺される。我々が、終わらせるんだ。この、歪んだ復讐劇を」
僕らは、篠田正樹が暮らす、川沿いの古いアパートの前に立っていた。
夕暮れの冷たい風が、枯れ葉を、カサカサと音を立てて運んでいく。冬の匂いが、すぐそこまで来ている。
警察には、所長から連絡を入れてある。斎藤さんたちが、アパートの周囲を、それとなく固めているはずだ。だが、僕らがこれからやろうとしていることは、ほとんど賭けに近かった。
二階の一番奥の部屋。錆びついた鉄のドアを、所長が、ゆっくりとノックする。
「……どちら様ですか」
ドアの向こうから、くぐもった、警戒心に満ちた声が聞こえた。
「篠田正樹くんだね。私は、神宮寺という。十年前、君とも会っているはずだが、覚えているかな」
所長が、静かに、しかし、有無を言わさぬ響きで言う。
ドアの向こうで、息を呑む気配がした。
数秒の沈黙の後、ぎ、と音を立てて、ドアが、わずかに開いた。チェーンが、かかったままだ。隙間から、痩せた、不健康そうな顔が、こちらを覗いている。紛れもなく、写真の少年が、十年という時間を経て、歪に成長した姿だった。
「……何の用です。俺は、昔のことなんて、何も覚えてない」
「嘘をつくんじゃない」
健人が、一歩前に出た。
「あなたは、覚えているはずだ。いや、忘れたくても、忘れられないはずだ。『かごめかごめ』の、あの歌を」
その言葉に、篠田の瞳が、大きく見開かれた。
「……中へ、入れ。話を聞こう」
チェーンが外され、僕らは、彼の城であり、そして、おそらくは牢獄でもある、その部屋へと、足を踏み入れた。
部屋の中は、彼の心の状態を、そのまま映し出しているかのようだった。
床には、コンビニの弁当の容器や、雑誌が散乱し、万年床になった布団の周りだけが、彼の生活空間であることを示している。窓は閉め切られ、澱んだ空気が、重く垂れ込めていた。
「単刀直入に聞こう」
所長が、口火を切った。
「相馬悟郎氏と、ジャーナリストの矢崎浩介氏を殺害したのは、君かね」
篠田は、答えなかった。ただ、血の気の引いた顔で、僕らを睨みつけている。
僕は、続けた。自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
「僕らは、分かっているんです。あなたが、なぜ、あんな劇場的な殺人を犯したのか。それは、あなたの意志じゃなかった。あなたは、誰かに、操られていた」
「……何が言いたい」
「交換殺人ですよ」
僕が、その言葉を口にした瞬間、篠田の肩が、びくりと震えた。
「あなたは、相馬さんと矢崎さんを殺した。だが、亀山弁護士を殺し、鶴岡さんを襲ったのは、あなたじゃない。あなたは、誰かと、『殺したい相手』を、交換したんだ! そうでしょう!」
僕の言葉が、その部屋の、澱んだ空気を切り裂いた。
篠田は、観念したように、がくり、と膝から崩れ落ちた。
その瞳から、堰を切ったように、涙が溢れ出す。
それは、彼が、十年という長い間、一人で抱え込んできた、絶望と、憎悪と、そして、悲しみの色をしていた。
篠田の、途切れ途切れの告白は、あまりにも、悲痛なものだった。
彼の父親は、小さな町工場を経営していた。真面目だけが取り柄の、優しい父親だったという。だが、十年以上前、取引先の不正経理の罪を、一方的に被せられ、会社は倒産。父親は、それを苦に、自ら命を絶った。
その、不正を仕組んだ相手こそ、郷土史家として、温厚な人柄で知られていた、相馬悟郎だったのだ。
「……俺は、ずっと、あいつを殺すことだけを考えて生きてきた。でも、俺みたいな、何の力もない人間に、何ができる? 警察に訴えても、誰も、相手にしてくれなかった……」
そんな、彼の絶望の中に、一筋の、悪魔的な光が差し込んだのは、数ヶ月前のことだった。
ネットの、闇サイト。復讐代行を謳う、その掲示板に、彼は、藁にもすがる思いで、自分の境遇を書き込んだ。
すると、すぐに、一人の人物から、連絡があった。
ハンドネームは、「K」。
『君の復讐、手伝ってやろう』
「K」は、そう言ったという。
『その代わり、私の復讐も、手伝ってほしい』
顔も、声も、本名も知らない、謎の人物「K」。
篠田は、その「K」と、暗号化されたチャットだけで、やり取りを続けた。
そして、「K」の指示通り、彼の父親を陥れた相馬悟郎を殺害した。その見返りとして、「K」は、篠田が憎んでいた、もう一人の共犯者を、事故に見せかけて、社会的に抹殺したという。
その後も、篠田は、「K」の指示通り、ジャーナリストの矢崎を殺害し、「ノスタルジア事件」という、劇場型犯罪の、哀れな道化師を、演じ続けていたのだ。
「『K』の正体は、知らないのか」
所長の問いに、篠田は、力なく首を振った。
「何も……。指示は、いつも、一方的に送られてくるだけだった。俺は、ただ……ただ、操り人形だったんだ……」
彼は、加害者だ。二人の人間を、その手にかけた、紛れもない殺人犯。
だが、同時に、彼もまた、顔の見えない黒幕「K」に、その人生と魂を利用された、哀れな被害者だったのかもしれない。
僕の胸に、怒りと、そして、どうしようもないほどの、悲しみが、込み上げてきた。
篠田は、僕らの説得に応じ、静かに、警察に投降した。
だが、僕らの心は、晴れることはなかった。
実行犯は、捕まった。だが、事件は、全く、終わっていない。
捜査は、実質、振り出しに戻ってしまったのだ。
黒幕「K」は、今頃、どこかで、僕らの無様な姿を、嘲笑っているのだろうか。
その日の夜。
僕は、重い足取りで、喫茶「月読」の、カウンター席に座っていた。
店の中は、ハロウィンの飾り付けが、楽しげな雰囲気を醸し出している。ひな子さんが、カウンターの隅で、かぼちゃの形をしたクッキーに、チョコペンで、楽しそうに、顔を描いていた。
笑った顔、怒った顔、泣いた顔……。色々な表情の、かぼちゃたち。
僕が、事件の顛末を、力なく話すと、ひな子さんは、作業の手を止め、僕の顔を、じっと、見つめた。
そして、テーブルの上に並べられた、クッキーの一つを、指差した。
それは、まだ、何も描かれていない、のっぺらぼうの、クッキーだった。
「犯人さん……」
彼女は、静かに、呟いた。
「まだ、お顔が、ないんですね」
「……顔が、ない?」
僕は、聞き返した。
「はい。笑ってるのか、怒ってるのか、泣いてるのか……。それが、誰にも、分からない」
彼女は、その、のっぺらぼうのクッキーを、そっと、手に取った。
「でも、きっと……。この人も、誰かに、お顔を描いてほしかったんじゃないかなって、思います」
「本当の、自分を……。見てほしかったんじゃないかなって」
その言葉が、僕の、ささくれだった心に、静かに、静かに、染み渡っていった。
顔のない、黒幕「K」。
彼、あるいは彼女もまた、この歪んだ、悲しい復讐劇の果てに、誰かに、自分を見つけてほしがっているというのか。
僕らの最後の敵の姿が、より一層、大きく、そして、どこまでも悲しく、僕の前に、立ちはだかったように、思えた。
僕らが、描くべき、最後の顔。
その正体を、僕らは、まだ、知らない。
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