50 / 50
第五章:『色褪せた伝説と、記されざる魔導書』
第五十話:旅は続く、師と共に
しおりを挟む谷に、穏やかな日常が戻って、数週間が過ぎた。
帝国軍という圧倒的な脅威を、自分たちの力で退けたという経験は、民たちの心を、以前とは比べ物にならないほど強く、そして逞しくしていた。男たちはカインの指導の下、畑を耕し、家を建て、この谷を真の故郷とするための礎を、力強く築き始めている。女たちはレイヴンのもとで共同体を組織し、食料の分配や子供たちの教育といった、新しい国の「心」を育んでいた。
その中でも、子供たちの間で絶大な人気を誇っていたのが、ゼフが開いた、即席の「魔法教室」だった。
「よいか、小僧ども!魔法とは、ただの力ではない!世界の理(ことわり)との対話じゃ!」
塔の前の広場で、ゼフは子供たちを相手に、目を輝かせながら魔法の初歩を教えていた。子供たちが、小さな火の玉を指先に灯しては歓声を上げ、時には制御を誤って誰かの髪を少し焦がしては、ゼフに雷を落とされる。その光景は、もはや伝説の大魔導師の威厳など微塵もなく、ただの少し気難しいが、孫たちの成長が嬉しくてたまらない、どこにでもいる好々爺の姿だった。
その様子を、塔の窓から、フィオナとベルが呆れたような、しかし温かい目で見下ろしていた。
「先生、すっかり丸くなっちゃって」
「まあ、教育という、新しい研究テーマを見つけたみたいだから、いいんじゃない?それよりベル、ここの術式、やっぱり私の理論の方が効率的よ!」
「甘いわねフィオナ!あんたの理論は安定性が欠如してるのよ!私の制御システムを組み込めば、失敗の爆発音でじーさんを叩き起こすこともなくなるわ!」
二人の天才は、ゼフの書庫に完全に籠りきりとなり、古代魔法と現代魔法、そして科学を融合させるという、誰も成し遂げたことのない新しい学問体系の構築に、寝食も忘れて没頭していた。
しかし、この牧歌的な平和が、永遠に続くものではないことを、誰もが心のどこかで理解していた。帝国の脅威は去ってはいない。この谷は、あくまで一時的な聖域(サンクチュアリ)に過ぎないのだ。
◇
その日、レイヴンとカイン、そしてアレクが中心となり、民の代表者たちを集めた会議が開かれていた。議題は、ただ一つ。今後の、この共同体の進むべき道について。
「この谷に籠城し、守りを固めるべきだ」
「いや、帝国に見つかった以上、ここに留まるのは危険すぎる」
意見は割れた。恐怖から、この安全な谷を離れたくないと願う者。しかし、ただ怯えて隠れ住むだけの未来に、疑問を呈する者。
議論が平行線を辿りかけた時、一人の若い母親が、静かに、しかし、凛とした声で言った。
「私たちは、もうただ逃げるだけの、哀れな難民ではありません」
その言葉に、全員が息を呑む。
「私たちは、あの日、自分たちの力で未来を勝ち取った。だから、これからもそうあるべきです。いつか見つかるかもしれないと怯えながらここで暮らすより、私たちの子供たちが、胸を張って『ここが私たちの国だ』と言える、真の新天地を、この手で探し、築き上げるべきです」
その言葉は、民たちの心に眠っていた、新しい誇りの炎に、火をつけた。そうだ、私たちは、もう被害者ではない。未来を自分たちの手で切り拓く、「開拓者」なのだ。
会議の結論は、決まった。
一行もまた、その決意を支持した。そして、谷の民の中から、カインやレイヴンが認めた有能な若者たちに、この谷を守るための自治を任せると、再び、あの広大な世界へと旅立つことを決意した。
出発の朝。谷の民、全員が見送りのために集まっていた。あちこちで、別れを惜しむ涙と、未来への希望を託す激励の言葉が交わされている。
ゼフも、杖を突きながら、見送りのために塔から下りてきた。
「世話になったな、賢者殿。あなたの知恵は、この谷の礎となるでしょう」
カインが、深々と頭を下げる。
しかし、ゼフは、その言葉に答える代わりに、当たり前のような顔で、自分の質素な旅支度を、ベルが改造した馬車の荷台へと、ひょいと積み込み始めた。
「え?」
「じーさん?」
驚き、固まる一行に、彼は悪戯っぽく、しわくちゃの顔で笑った。
「何を言っておる。ワシも行くに決まっておるじゃろうが」
「お前さんたちのような、やかましくて、危なっかしい若者たちだけでは、心配で見ておれんわい」
そして、彼は、どこまでも広がる青い空を見上げながら、遠い目をして、付け加えた。
「それに、ワシも、もう一度、この目で、世界の未来とやらを、見てみたくなったのでな」
こうして、7人目の仲間、賢者ゼフが、正式にパーティに加わった。そのあまりにも自然な合流に、仲間たちは呆気に取られた後、誰からともなく、温かい笑い声を上げた。
◇
7人となったパーティが、谷の民たちの、いつまでも続く盛大な見送りを受けながら、再び、広大な世界へと歩き出す。馬車の中は、以前よりも格段にやかましく、そして、比較にならないほど、賢くなっていた。
レンが、いつものように、後部座席で静かに外を眺めているエリスに、こっそりと耳打ちした。
「なあエリス、自分がガンガン前に出て戦うんじゃなくてさ、フィオナたちみたいな若い奴らに、自分の知ってることをぜーんぶ教えてやって、そいつらがどんどんすげぇ奴になっていくのを見て喜ぶのって、一体、どんな気持ちなんだろうな?」
「あれも、『愛』の一種なのかな?」
エリスは、馬車の前の方で、早速フィオナとベルに「先生!」「じーさん!」と質問攻めにされ、面倒くさそうに、しかし、その口元は確かに笑っているゼフの姿を、じっと、その宝石のような瞳で記録していた。
そして、彼女は、レンにだけ聞こえるような、静かな声で答えた。
「個体の生存戦略は、そのライフステージに応じて、自己の直接的な利益の最大化から、次世代への、遺伝子やミーム(文化的情報)の伝達へと、その目的関数がシフトします」
「これは、種という、より大きなシステムを存続させるための、極めて合理的な行動です"
「しかし」
エリスは、ゼフの皺くちゃの笑顔の中に、ただの合理性だけでは到底説明できない、温かい光を見た。
「彼の表情から、以前観測された『孤独』『焦燥』のパラメータは完全に消滅し、新たに『充足』『平穏』と名付けるべき、極めて安定した信号を検出します"
「この状態変化も、私のデータベースに、新しい項目として記録します"
彼女は、一瞬だけ躊躇い、そして、その新しいファイルに、名前を付けた。
「名称は、『師の喜び』と、仮定します」
賢者を加え、知性と経験という、計り知れないほどの深みを増した一行の旅は、いよいよ物語の核心、帝国との対決へと向けて、新たな一歩を踏み出すのだった。
これが、色褪せた伝説が終わりを告げ、記されることのなかった魔導書が、新しい世代の手に託された、その物語の、一幕である。
10
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(7件)
あなたにおすすめの小説
魔眼の剣士、少女を育てる為冒険者を辞めるも暴れてバズり散らかした挙句少女の高校入学で号泣する~30代剣士は世界に1人のトリプルジョブに至る~
ぐうのすけ
ファンタジー
赤目達也(アカメタツヤ)は少女を育てる為に冒険者を辞めた。
そして時が流れ少女が高校の寮に住む事になり冒険者に復帰した。
30代になった達也は更なる力を手に入れておりバズり散らかす。
カクヨムで先行投稿中
タイトル名が少し違います。
魔眼の剣士、少女を育てる為冒険者を辞めるも暴れてバズり散らかした挙句少女の高校入学で号泣する~30代剣士は黒魔法と白魔法を覚え世界にただ1人のトリプルジョブに至る~
https://kakuyomu.jp/works/16818093076031328255
戦国鍛冶屋のスローライフ!?
山田村
ファンタジー
延徳元年――織田信長が生まれる45年前。
神様の手違いで、俺は鹿島の佐田村、鍛冶屋の矢五郎の次男として転生した。
生まれた時から、鍛冶の神・天目一箇神の手を授かっていたらしい。
直道、6歳。
近くの道場で、剣友となる朝孝(後の塚原卜伝)と出会う。
その後、小田原へ。
北条家をはじめ、いろんな人と知り合い、
たくさんのものを作った。
仕事? したくない。
でも、趣味と食欲のためなら、
人生、悪くない。
屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです(完結)
わたなべ ゆたか
ファンタジー
タムール大陸の南よりにあるインムナーマ王国。王都タイミョンの軍事訓練場で、ランド・コールは軍に入るための最終試験に挑む。対戦相手は、《ダブルスキル》の異名を持つゴガルン。
対するランドの持つ《スキル》は、左手から棘が一本出るだけのもの。
剣技だけならゴガルン以上を自負するランドだったが、ゴガルンの《スキル》である〈筋力増強〉と〈遠当て〉に翻弄されてしまう。敗北する寸前にランドの《スキル》が真の力を発揮し、ゴガルンに勝つことができた。だが、それが原因で、ランドは王都を追い出されてしまった。移住した村で、〝手伝い屋〟として、のんびりとした生活を送っていた。だが、村に来た領地の騎士団に所属する騎馬が、ランドの生活が一変する切っ掛けとなる――。チート系スキル持ちの主人公のファンタジーです。楽しんで頂けたら、幸いです。
よろしくお願いします!
(7/15追記
一晩でお気に入りが一気に増えておりました。24Hポイントが2683! ありがとうございます!
(9/9追記
三部の一章-6、ルビ修正しました。スイマセン
(11/13追記 一章-7 神様の名前修正しました。
追記 異能(イレギュラー)タグを追加しました。これで検索しやすくなるかな……。
【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!
HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。
跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。
「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」
最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!
スキル【迷宮管理者】に目覚めた俺氏、スレ民たちとめちゃくちゃに発展させるw
もかの
ファンタジー
『【俺氏】なんかダンジョン作れるようになったからめちゃくちゃにしようぜwww【最強になる】』
ある日急に、【迷宮管理者】なるダンジョンを作って運営できるスキルを……あろうことかそのへんの一般スレ主が手に入れてしまった!
スレ主:おいww一緒にヤバいダンジョン作ろうぜwww
長年の付き合いであるスレ民たちと笑いながら『ぼくのかんがえたさいきょうのダンジョン』を作っていく。
それが世界を揺るがすことになるのは、まだ先のお話である。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた
歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。
剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。
それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。
そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー
「ご命令と解釈しました、シン様」
「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」
次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
世界の美しさ、魅力的なキャラクター、謎と期待感を煽る設定、そして心温まる読後感。物語の始まりとして、これ以上ないほど完璧な構成だと感じました。夕焼けという一つの風景を通して、レンとエリスの人物像と関係性を鮮やかに描き出し、同時に彼らが何者であるかという謎を提示する手腕は見事です。そして物語の最後には、次の町への冒険と新たな出会いを予感させ、自然と続きを読む意欲を掻き立てられます。美しい文章とコミカルな展開、そして壮大なファンタジーの要素が絶妙に融合した、極上のエンターテインメント作品です。
詩的で美しい情景描写にうっとりしていたら、突然崖から落ちて「下から見る夕焼けも乙なもんだぞー!」と叫ぶ主人公。このシリアスとコメディの絶妙なバランス感覚が最高に面白いです。熊に食われている美女が「口腔内の唾液成分を分析中」と呟く冒頭から、読者の予想を気持ちよく裏切ってくれます。「エモい」という感情を理解させようと胸を叩くレンと、それを心臓の不具合と診断するエリスのやり取りは、まるで上質なコントのようでした。美しい世界観の中で繰り広げられるテンポの良い会話が心地よく、声を出して笑ってしまうほど楽しい読書体験でした。
物語を通して無表情と論理を貫いていたエリスが、最後に星空を見上げ、その光を「温かい」と感じるシーンに胸を打たれました。それは、彼女自身もまだ気づいていない、小さな変化の兆しです。レンという予測不能な存在と触れ合うことで、彼女の完璧なシステムの中に生まれた、論理では説明できない「何か」。その小さな揺らぎが、満天の星の輝きと相まって、静かで深い感動を呼び起こします。これから彼女が「好き」という感情をどう理解していくのか、その過程を見届けたいと強く思わせる、希望に満ちた結びでした。