ミステリー研究会は、謎を解かない

Gaku

文字の大きさ
7 / 15
第二部:深まる謎とメンバーの過去

第7話「電脳の部屋と聞こえないSOS」

しおりを挟む


あれほど猛威を振るった夕立は、まるで気まぐれな神の怒りが収まったかのように、夜半過ぎにはぴたりと止んだ。そして、翌朝。世界は、生まれ変わっていた。
空は、昨日の熱気と喧騒が嘘だったかのように、どこまでも澄み渡った瑠璃色をしていた。大気に含まれていた塵や埃は、すべて雨粒と共に地上に落ち、視界を遮るものは何もない。太陽の光は、洗い清められたガラスを通り抜けるように、まっすぐに、そして、鮮烈に地上へ降り注ぐ。
俺、佐藤健太は、通勤途中、思わず足を止めて、その光景に見入っていた。
道端の植え込みの葉の上で、昨日の雨の名残が、ダイヤモンドのようにきらきらと輝いている。蜘蛛の巣に引っかかった無数の水滴が、太陽の光を反射して、小さなプリズムのようになっていた。濡れたアスファルトや、木々の幹は、その色を一層と深め、まるで世界全体のコントラストが、一段階、強く、鮮やかになったかのようだ。
胸いっぱいに息を吸い込むと、オゾンと、湿った土の匂いが混じり合った、雨上がりの独特の、清浄な香りがした。蝉の声は、相変わらずやかましいが、その声色も、昨日までの、熱に浮かされたような狂騒曲から、生命の喜びを謳歌する、晴れやかな祝祭歌へと変わっているように聞こえた。
権田さんの、長い間、心に降り続いていた雨も、昨日の夕立と共に、きっと、上がったのだろう。そう思うと、俺の心も、この空のように、少しだけ、軽くなるのを感じた。
会社で一日を過ごした後、俺は、何か良いことがありそうな、そんな予感を胸に、ミステリー研究会の事務所へと向かった。

事務所のドアを開けると、思った通り、そこには、いつもより、少しだけ穏やかな空気が流れていた。
権田さんは、腕立て伏せではなく、窓際で、楽しそうに植物に霧吹きで水をやっている。その横顔は、憑き物が落ちたように、すっきりとしていた。
「おう、佐藤!昨日は、悪かったな、付き合わせちまって」
俺に気づくと、彼は、ニカッと、白い歯を見せて笑った。
「いえ、俺は何も…。でも、よかったです」
「ああ。おかげで、ぐっすり眠れたぜ」
麗華さんも、ソファで優雅に紅茶を飲んでいる。
「昨夜の雷鳴は、まるで、悩める獅子の咆哮を祝福する、天上のドラムのようだったわね」
彼女は、そう言って、権田さんにウィンクを送った。
『権田さん。昨夜の睡眠時間は、9時間12分。過去の平均データより、2時間以上長い。心身の安定が、睡眠の質を向上させたと推測されます』
電脳のノートパソコンも、どこか嬉しそうなAA『(´▽`)』を表示させていた。
仲間の一人が、大きな壁を乗り越えた。その事実が、この事務所全体を、温かい、連帯感のようなもので満たしていた。
その、穏やかな午後の空気を、破るように、ドアベルが、少し、遠慮がちに鳴った。
入ってきたのは、五十代くらいの、上品な雰囲気の女性だった。シンプルなブラウスに、ロングスカート。その顔には、深い悩みと、そして、息子を案じる、母親特有の、愛情の色が浮かんでいた。
彼女は、事務所の中を、少しだけ、不安そうな目で見回した後、影山さんの前に、深々と頭を下げた。
「あの…息子のことで、ご相談が、ありまして…」
女性は、小声で、事情を話し始めた。
彼女には、大学を中退して以来、もう何年も、自室に引きこもっている息子がいるという。
「あの子は、昔から、パソコンが得意で…。今も、部屋の中で、一日中、パソコンに向かっているようなんです。今までは、それでも、部屋の中で、静かに過ごしていたのですが…」
女性の顔が、曇った。
「ここ最近、様子がおかしくて…。夜中に、突然、部屋から、『ハッカーだ!』『システムが侵入される!』なんて、叫び声が聞こえてくるんです。誰か、悪い人たちに、ネットで狙われているんじゃないかって…。あの子が、何かの事件に巻き込まれてしまったらと思うと、心配で…」
ハッカー。システムへの侵入。
その言葉に、俺たちは、顔を見合わせた。その分野の専門家が、この事務所には、一人だけ、いる。
『ふむ…』
電脳が、パソコンのスピーカーから、珍しく、考え込むような声を出した。
『高度なサイバー攻撃の可能性も否定できません。標的のシステム環境、ファイアウォールの設定、使用言語…。情報が、必要です』
だが、影山さんは、電脳の言葉を、静かに手で制した。そして、目の前の女性に、穏やかな声で、尋ねた。
「奥さん。その、『ハッキング』が始まったのは、いつ頃からですか?」
「ええと…確か、先週、私が、新しいパソコンを買ってから、だと思います…」
「ほう。その新しいパソコンで、何か、新しいことを、始められましたかな?」
「はい…。息子と、少しでも、顔を見て話がしたくて…。お店の人に教えてもらって、ビデオ通話というのを、練習しているのですが…なかなか、うまく繋がらなくて…」
その瞬間、俺たちは、すべてを、察した。
ハッカーの正体。システムへの侵入の、本当の意味。
影山さんは、何も言わなかった。ただ、にやり、と、口の端を吊り上げた。そして、女性に向き直り、請け負った。
「分かりました、奥さん。その、息子さんを狙う、凶悪なハッカーは、我々が、必ず、突き止めてみせましょう。これは、我々の、頭脳(ブレイン)の、名誉に関わる事件です」
その言葉は、建前上は、女性に向けられたものだった。
だが、その真意は、この事務所にいる、もう一人の「頭脳」に、向けられているのが、俺には、痛いほど、分かった。

「これより、『要塞(フォートレス)・電脳への潜入(インフィルトレーション)作戦』を開始する!」
麗華さんが、アパートの廊下で、大げさに、しかし、小声で、宣言した。
俺たちは、電脳の実家の前に、立っていた。二階建ての、ごく普通の一軒家だ。問題の、電脳の部屋は、二階の奥にあるらしい。
今回の依頼は、ターゲットである電脳本人には、秘密にされている。彼の母親が、こっそりと、俺たちを家に招き入れてくれたのだ。
「いいこと?今回の作戦は、隠密行動が基本よ。敵(ターゲット)に、我々の存在を、気づかれてはならないわ」
麗華さんは、なぜか、特殊部隊の隊長のように、俺たちに指示を出し始めた。
「コードネームを、決めるわ。わたくしが、『イーグル』。権田さんは、『ベアー』。佐藤君は、『フォックス』。いいわね?」
なぜ、俺がキツネなんだ。
「おい、麗華。そんなことより、このドア、どうすんだよ。鍵、かかってるぞ」
権田さんが、電脳の部屋のドアを、ガチャガチャと、揺する。
「馬鹿ね、ベアー!そんな、力任せでは、敵に気づかれてしまうわ!こういう時は、ピッキングよ!」
麗華さんは、そう言うと、ヘアピンを取り出し、鍵穴に突っ込んで、いじり始めた。もちろん、開くはずもない。
「俺がやる!」
権田さんが、麗華さんから、ヘアピンを奪い取る。しかし、彼の、熊のように巨大な指先では、小さな鍵穴を、うまく扱うことなど、できるはずもなかった。ヘアピンは、すぐに、ぐにゃりと、曲がってしまった。
「作戦を、提案します」
麗華さんが、真剣な顔で、一枚のメモを広げた。そこには、部屋の見取り図と、矢印が、たくさん書き込まれている。
「まず、お母様が、陽動のために、家の電話を鳴らす。敵の注意が、電話に向いた、その隙に、我々が、一斉に、ドアに突入する!完璧な作戦だわ!」
陽動。突入。
ただ、息子の部屋に入るだけなのに、なぜ、こんなに、大げさな話になっているんだ。
俺は、もう、この茶番に付き合うのが、馬鹿馬鹿しくなり、ダメ元で、ドアノブに、そっと、手をかけた。
…カチャ。
軽い音を立てて、ドアは、あっさりと、開いた。
鍵など、最初から、かかっていなかったのだ。
物理的な壁など、そこには、なかった。本当の壁は、もっと、別の場所にある。
麗華さんと権田さんは、顔を見合わせ、そして、気まずそうに、咳払いをした。

俺たちは、音を殺して、部屋の中へと、足を踏み入れた。
そこは、まるで、宇宙船のコックピットのような空間だった。
窓は、分厚い遮光カーテンで閉め切られ、部屋は、薄暗い。その暗闇を、照らしているのは、大小、様々な、モニターの光だけだった。壁際には、サーバーラックが鎮座し、無数のLEDランプを、点滅させている。床には、おびただしい数のケーブルが、まるで、蛇のように、とぐろを巻いていた。
そして、その中央。リクライニングチェアに座り、ヘッドフォンをつけた、一人の青年がいた。
フードを目深にかぶっているため、顔はよく見えない。彼が、電脳。
彼は、俺たちの侵入に、全く気づいていなかった。その目は、正面のメインモニターに、釘付けになっている。指は、凄まじい速度で、キーボードの上を、踊っていた。
彼のノートパソコンも、すぐそばに置かれている。その画面には、いつものAAが表示されていた。ただし、今日は、極度にパニックに陥っているAAだ。
『((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル』
「…やばい、やばい、やばい…!こいつ、プロだ…!ファイアウォールの、第三層まで、突破された…!」
彼の、いつもの、合成音声が、スピーカーから、悲鳴のように、響き渡る。
彼は、仲間である俺たちが、すぐ後ろにいるとも知らず、パソコンを通して、俺たちに、助けを求めていたのだ。
その時だった。
影山さんが、廊下にいる電脳の母親に、目配せをした。最後の、「ハッキング」を、仕掛ける時だ。
直後、電脳の、メインモニターの中央に、一つのウィンドウが、ポップアップした。
それは、ビデオ通話の着信を知らせる、ウィンドウだった。
そして、その発信者の名前は…。
『おかあさん』
と、ひらがなで、表示されていた。
「…え?」
電脳の指が、ぴたり、と止まった。
彼は、信じられない、という顔で、モニターに表示された、その、あまりにも、間抜けな、三文字を、見つめている。
高度な技術を駆使する、正体不明のハッカー。システムの、根幹を揺るがす、サイバーテロ。
その正体が、パソコンを覚えたての、自分の母親だった。
その、あまりにも、残酷で、滑稽な、真実。
電脳は、ゆっくりと、ヘッドフォンを、外した。
そして、初めて、背後に立つ、俺たちの存在に、気づいた。
彼の顔が、絶望と、羞恥とで、ぐにゃりと、歪んだ。
「なんで…みんなが、ここに…」
初めて聞く、彼の、本当の声。それは、合成音声とは全く違う、少し、声変わりが終わったばかりのような、若々しい、人間の声だった。
彼は、その場で、崩れるように、椅子に座り込んだ。
そして、ぽつり、ぽつり、と、語り始めた。なぜ、彼が、この、電子の要塞に、引きこもるようになったのかを。
それは、中学時代の、出来事だった。
彼には、当時、同じ趣味を持つ、数人の仲間がいた。放課後、いつも、一緒に、ゲームをしたり、プログラムを組んだりしていた。それが、彼の、世界のすべてだった。
しかし、ある日、些細なきっかけで、彼は、仲間たちから、裏切られた。彼の、一番、自信のあったプログラムを、皆の前で、無茶苦茶に、笑われたのだ。
「キモい」「オタク」「人間じゃなくて、機械と話してろよ」
信頼していた仲間からの、その言葉は、鋭いナイフのように、彼の、柔らかい心を、深く、傷つけた。
「…人間は、嘘をつく。気まぐれで、平気で、人を傷つける。…でも、機械は、違う。機械は、正直だ。命令した通りに、動く。絶対に、裏切らない…」
だから、彼は、人間を信じるのを、やめた。そして、この、論理と、ゼロとイチだけで構成された、完璧な世界に、逃げ込んだのだ。
彼の、悲痛な、告白。
誰も、何も、言えなかった。
その、時だった。
電脳の、絶望が、ピークに達した、その瞬間。
バチチチチッ!!!
部屋中の、すべてのモニターが、一斉に、凄まじい光を放った!
サーバーのファンが、異常な高回転で、唸りを上げる!
天井の照明が、激しく、明滅を繰り返す!
まるで、この部屋全体に、落雷でも落ちたかのような、凄まじい、エネルギーの奔流。
停電するはずの、その状況で、逆に、すべての電子機器が、ありえないほどの、過剰なエネルギーで、満たされていく!
「な、なんだ、これ!?」
俺は、叫んだ。
これは、ソラの、気配だ。
だが、今までの、悲しみや、寂しさとは、違う。
電脳の、極度の恐怖と、孤独に、共鳴し、彼の、電子の世界に、直接、干渉しているのだ!
そして、その、エネルギーの嵐が、最高潮に達した、その時。
すべての光と、音が、ふっ、と、消えた。
まるで、何も、なかったかのように。
後に残されたのは、静寂と、モニターに、ただ一つ、表示されたままの、
『おかあさん』
という、ひらがなだけだった。
電脳は、その光景を、呆然と、見つめていた。
やがて、彼の、大きな瞳から、ぽろり、と、一筋の、涙が、こぼれ落ちた。
権田さんが、その、震える肩に、そっと、無骨な、しかし、優しい手を置いた。
麗華さんは、彼の隣に、静かに、寄り添った。
俺は、ただ、彼の、すぐそばに、立っていた。
俺たちは、彼を、笑わなかった。誰も、彼を、否定しなかった。
電脳は、ゆっくりと、立ち上がった。
そして、ドアのそばで、心配そうに、こちらを見つめていた、母親の前に、歩み寄った。
そして、言った。
彼の、本当の声で。
「…心配、かけて…ごめん。…ありがとう」
それは、長い、長い、冬の時代を終え、彼が、発した、最初の、春の、言葉だった。

数日後。
事務所には、いつもの、穏やかな時間が流れていた。
麗華さんと権田さんが、くだらないことで、言い争いをしている。
影山さんが、相変わらず、まずいコーヒーを淹れている。
その、いつもの会話の中に、一つの、新しい音が、混じっていた。
それは、電脳の、ノートパソコンから聞こえてくる、少し、照れくさそうな、でも、確かに、温かい、人間の声だった。
『…だから、その仕様では、バグが出る、と、言っているんです、権田さん』
「んだとぉ!男のロマンに、理屈はいらねえんだよ!」
俺は、その、新しい声が、加わった、いつもの光景を、微笑みながら、見つめていた。
窓の外は、雨上がりの、どこまでも、澄み渡った、青空が広がっている。
この事務所にも、一人の青年の心にも、長く、閉ざされていた、雨雲が晴れ、新しい、光が、差し込み始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...