「なんとなく不調」の正体 ~気・血・水で読み解く自分の体質~

Gaku

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第四話:万物を分ける法則「陰陽」



午後の陽光は、もはや暴力的なまでの熱量を伴って、地上に降り注いでいた。
七月も半ばを過ぎ、暦の上では大暑の候。東堂クリニックの庭では、羽音も重たげに蜜を吸う蜂の姿も、どこか緩慢に見える。ぎらぎらと照りつける太陽は、あらゆるものの影を黒々と地面に焼き付け、その輪郭を際立たせていた。大気はゆらりと陽炎のように揺らめき、遠くから聞こえてくる蝉の声は、まるで空間そのものが飽和して鳴っているかのように、みんみんと、ほとんど絶え間なく降り注いでいる。

本田未来は、縁側に腰を下ろし、ぱたぱたと手にした団扇で首筋を扇いでいた。大学病院の、一年中一定の温度に管理された空調の中にいた身には、この容赦のない自然の熱気は、それだけで体力を奪っていくように感じられた。昨日までの雨が残した湿気が熱せられ、天然の蒸し風呂と化した空気は、呼吸をするたびに肺にまとわりつくようだ。

「……暑いですね、先生。これでは、外で働く人は熱中症になってしまいます」

うんざりしたような未来の声に、調剤室で生薬の整理をしていた東堂先生が、ゆっくりと顔を上げた。彼は、額に汗ひとつかいていない。まるで、この猛暑など存在しないかのように、涼しげな顔で茶をすすっている。

「未来先生。その『暑さ』こそが、万物を理解する、最も大きな手がかりの一つだよ」

「手がかり、ですか?」

「うむ。こっちへ来て、少し休むといい」

先生に手招きされ、未来はクリニックの奥、土間を抜けた先にある茶の間へと向かった。そこは、北側に面しているためか、直射日光が当たらず、ひんやりとした空気に満たされている。開け放たれた窓からは、裏の竹林を抜けてくる風が、さわさわと涼を運んできた。

先生は、ガラスの急須に氷と茶葉を入れると、水を注ぎ、時間をかけてゆっくりと冷たい茶を淹れてくれた。琥珀色に輝く液体が、未来の前の湯呑みに注がれる。一口飲むと、ほのかな苦みと甘みが、乾いた喉を優しく潤していった。

「未来先生。この世界にあるすべての物事は、二つの性質に分けることができる。わしらの祖先は、そう考えた」

先生は、縁側の外、カンカンと陽光が照りつける庭と、自分たちがいる薄暗く涼しい部屋とを、交互に指差した。

[cite_start]「あの、光に満ち、熱く、活動的な世界。あれが**『陽(よう)』**だ。そして、我々が今いる、影に覆われ、涼しく、静かな世界。これが**『陰(いん)』**だ」 [cite: 1]

陰陽。
それは、未来も言葉としては知っていた。だが、それがこれほどまでにシンプルで、具体的な感覚を伴うものだとは、考えたこともなかった。

[cite_start]「陽は、火や太陽のように、温かく、明るく、上昇し、活発で、興奮する性質を持つ。昼、夏、男性、体の背中側、そして昨日話した『気』も、陽に属する」 [cite:1]
[cite_start]「対して、陰は、水や月のように、冷たく、暗く、下降し、静かで、抑制する性質を持つ。夜、冬、女性、体のお腹側、そして『血』や『津液』は、陰に属する」 [cite: 1]

先生は、こともなげに言う。それはまるで、物理法則でも語るかのように、当たり前のこととして口にされた。
「この二つは、決して別々にあるものではない。互いに対立し合いながら、同時に、互いがなければ存在できない。光がなければ影は生まれず、影がなければ光の明るさも分からん。そうだろう?」

未来は、黙って頷いた。確かに、そうだ。
縁側の柱が落とす一本の影。それは、太陽の位置が変わるにつれて、ゆっくりとその長さと角度を変えていく。陽が動けば、陰もまた動く。二つは、分かちがたく結びついている。

[cite_start]「そして、この陰陽のバランスが取れている状態こそが、健康そのものなんだ」 [cite: 1]
先生の言葉は、医学の話へと戻ってきた。
「例えば、体の中の『陽』が過剰になったとする。すると、どうなる?」
「……体が、熱くなる?」
[cite_start]「その通りだ」と先生は頷いた。「ほてり、のぼせ、顔が赤くなる、口が渇いて冷たいものを欲しがる、汗をたくさんかく。脈は速く、力強くなる。これを『熱証(ねっしょう)』という。陽が強すぎて、陰の潤いを燃やし尽くしている状態だな」 [cite: 1]

それは、まさに今の、真夏の昼下がりのような状態だ。未来は、自分の火照った頬に手を当てた。

「では、逆に『陰』が過剰になったら?」
[cite_start]「今度は、体が冷える」と、先生は即答した。「手足が冷え、顔色は青白くなり、温かい飲み物を好む。脈は、ゆっくりと、弱々しくなる。これを『寒証(かんしょう)』という。陰が強すぎて、陽の熱が消されかかっている状態だ」 [cite: 1]

それは、これから訪れるであろう、静かな夜を思わせた。
未来は、自分の思考が、この陰と陽という、二つの極の間を振り子のように揺れ動くのを感じていた。複雑怪奇に見える人体の変調が、この二つのどちらかに偏った結果なのだとすれば、それは驚くほどシンプルな捉え方だった。

「ですが、先生……」未来は、科学者としての疑問を口にせずにはいられなかった。「人間の体は、もっと複雑です。ホルモンのバランス、自律神経の働き、免疫系の応答……。全てを、そんなに単純に、白か黒かのように二つに分けてしまっていいのでしょうか?」

その問いに、東堂先生は、少しも気を悪くした様子もなく、穏やかに微笑んだ。
「あんたの言うことは、もっともだ。もちろん、体は複雑だ。わしらのやっていることは、いわば、複雑な地形を理解するために、最も基本的な地図を描くようなものだよ」

先生は、湯呑みに残った茶を飲み干すと、言葉を続けた。
[cite_start]「あんたたちの西洋医学は、最新鋭の衛星写真を使い、その土地の地質や、そこに生えている草木一本一本までを、ミクロの視点で見事に分析する [cite: 2]。素晴らしいことだ。だが、その土地が『南向きの、日当たりの良い斜面』なのか、それとも『北向きの、湿った谷底』なのか、という最も大きな特徴を見なければ、なぜそこにその草木が生えているのか、本当の理由は分からんだろう」

[cite_start]「わしらの『陰陽』とは、その、最も大きな分類法だ。まず、その患者さんが、全体として『陽』に傾いているのか、『陰』に傾いているのか、という全体像、マクロな視点を捉える [cite: 2]。そこから、どの部分の陰陽が、なぜ乱れているのかを、細かく見ていくんだ」

陽に傾いているのなら、その熱を冷まし、陰を補う治療をする。
陰に傾いているのなら、その寒さを温め、陽を補う治療をする。
治療の大きな方向性が、まずそこで決まるのだという。

「それに、陰陽は単なる静的な分類ではない。常に動き、変化し、互いに転化するものだ」
先生は立ち上がると、縁側へ出て、西に傾き始めた太陽を見上げた。
一番の暑さの盛りは、もう過ぎようとしていた。太陽の光は、真昼の突き刺すような白さから、少しずつ、黄金色を帯びた、優しい色合いへと変わり始めている。庭の木々が落とす影は、先ほどよりも長く、東の方へと伸びていた。

「陽が極まれば、陰に転ずる。陰が極まれば、陽に転ずる。一日の中で、昼の暑さが頂点を過ぎれば、次第に夜の涼しさへと向かっていくように。一年の中で、夏至を過ぎれば、冬至へと向かっていくように。人の一生もまた、同じだ」

活動的な幼少期から青年期という「陽」の時代。そして、成熟し、静かに内省的になっていく老年期という「陰」の時代。その大きな流れの中に、誰もが存在している。

「病もまた、しかりだ。例えば、高熱(陽)が続いた後、急に体温が下がり、ぐったりとしてしまうことがある。これは、陽が極まって、体を支える陰陽両方のエネルギーを消耗し尽くしてしまった状態だ。陰陽のバランスを見極めるということは、病の勢いや、その進行段階を読み解くことにも繋がるんだよ」

いつの間にか、あれほどやかましかった蝉の声が、少しずつ勢いを失い始めていた。代わりに、どこかの庭先から、カナカナカナ……と、涼やかな蜩(ひぐらし)の声が聞こえ始める。昼から夜へ。夏から秋へ。その季節の移ろいの狭間で、世界が静かに表情を変えようとしていた。

風が、すうっと竹林を抜けてきた。それは、もはや熱風ではない。肌に心地よい、涼やかさをはらんだ風だった。
未来は、自分の体が、この自然の変化に呼応しているのを感じた。火照っていた頬の熱は自然と引き、高ぶっていた神経は鎮まり、穏やかな気持ちが心に満ちてくる。

「分かったかね、未来先生」と、東堂先生が言った。「陰陽とは、机の上で学ぶ理論ではない。この世界そのものだ。そして、あんた自身の体も、この陰陽のリズムの中で、絶えず揺れ動き、バランスを取ろうと懸命に働いている。その声を聞くことが、わしらの医学の第一歩なんだ」

陽の光が陰り、空が茜色に染まっていく。昼の間に熱せられた土や石が、その熱を静かに放ち、あたりには夕餉の支度をする匂いが漂い始める。活動の「陽」の時間が終わり、休息の「陰」の時間が、ゆっくりと世界を包み込んでいく。

未来は、この古びたクリニックに来てから、ずっと感じていた不思議な心地よさの正体が、少しだけ分かったような気がした。
ぎらぎらと照りつける「陽」の屋外と、ひんやりと静かな「陰」の屋内。その絶妙なバランスが、この空間を満たしているのだ。そして、東堂先生という人もまた、陽のような厳しさと、陰のような深い静けさを、その身に同居させている。

彼女は、自分の両手を見つめた。この体の中にも、陰と陽の、壮大なドラマが繰り広げられている。
それは、あまりにもシンプルで、しかし、あまりにも深遠な真理だった。
科学という名の、複雑な数式やデータばかりを追い求めてきた未来の頭に、すとんと、一つの美しい法則がインストールされたような、そんな不思議な感覚だった。

夜の帳が下りる頃には、草むらから、りん、りんと、涼やかな虫の声が聞こえ始めていた。
陰と陽。二つの要素が織りなす、終わりなき生命のタペストリー。未来は、その壮大な模様の、ほんの糸口を掴んだばかりだった。

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