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第2話「エリートたちの楽園」
しおりを挟む数週間後、うららかな春の陽気とは裏腹に、三人のもとには重々しい書留で合格通知が届いた 。
地球防衛隊養成所の敷地は、ちょっとした都市と見紛うほどの異常な広さを誇っていた。
春の生温かい風が吹き抜け、沿道に植えられた桜の枝を大きく揺らす。
花びらがピンク色の吹雪となって舞い散り、真新しいアスファルトの上に落ちては、乾いた音を立てて転がっていく。
太陽の光は容赦なく降り注ぎ、空気中の微小な埃さえもキラキラと乱反射させていた。
荷物をまとめ、養成所の巨大な寮へと続く長い坂道を歩く三人 。
「……ここで、暮らすんだ」
施設の規格外の広さに圧倒されたのか、陽葵がキャリーケースの持ち手を両手で握りしめながら、ふわりと小さく呟いた 。
彼女の足元では、小石がコロンと転がる軽快な音がした。
「ハッ、やってやろうじゃねえか。なんだか、勝てる気がするな」
颯太は、自分の背丈ほどもある巨大なボストンバッグを片手で軽々と持ち上げながら、もう片方の手でボキボキと指の関節を鳴らした 。
彼の有り余るエネルギーが、周囲の空気をビリビリと振動させているようだった。
その横で、譲の視界はチカチカと明滅していた。
(キャリーケースの総重量18.5キロ。斜め45度に傾け、車輪の摩擦係数を最低限に抑えるベクトルを維持すれば、理論上、僕の腕力でも時速4キロでの運搬は可能なはず……!)
譲の優秀な脳は、物理法則を駆使して完璧な荷物運搬の最適解を弾き出していた。
しかし、肉体という名のハードウェアは、その高度な計算に全くついてきていなかった。
「ぐっ、がぁっ……!」
坂道の途中のわずかな段差に車輪が引っかかった瞬間、計算式は脆くも崩れ去った。
慣性の法則によりキャリーケースは前方に倒れ込み、それを引き止めようとした譲の右腕の筋繊維から「ブチッ」という悲鳴が上がった。
計算上は完璧なはずなのに、なぜ現実はこうも重いのか。
己の肉体への苛立ち(執着)が、さらなる疲労を呼ぶ。アスファルトの照り返しが容赦なく顔面を焼き、譲は額から滝のように流れる汗を拭うことすらできず、ただゼエゼエと肩で息をした。
翌朝。
入学式を前に、真新しい制服に身を包んだ三人は、巨大なガラス張りの渡り廊下を歩いていた 。
靴底の硬いゴムが、磨き上げられたリノリウムの床を叩く「キュッ、キュッ」という音が、高い天井に反響している。
ふと、中庭に差し掛かった時、三人の視線がまるで強力な磁石に引かれるように、一点へと吸い寄せられた 。
春の陽光が降り注ぐ芝生の上を、一人の少女が歩いていた 。
艶やかな長い黒髪が、風が吹くたびに滑らかな水の流れのように揺れる 。
周囲には新入生たちが騒がしく行き交っているというのに、彼女の周囲だけは、まるで真空地帯のように音が消え失せていた。
周囲の喧騒を一切意に介さない、深海のように静かな目 。
それでいて、彼女が芝生を「サクッ……サクッ……」と踏みしめる足音だけが、なぜか鼓膜の奥に直接響いてくるような、異様な存在感を放っていた 。
大財閥の令嬢にして、特殊能力を持つアース。
その名は入学前から業界に知られていた――芹沢 玲奈(せりざわ れいな) 。
「……あれだけの美貌で、わざわざこんな危ないとこに来るってなんでなんだろうな」
普段は声の大きい颯太が、珍しく声をひそめて呟いた 。
「もっと安全で楽な生活ができるだろうに」
「不思議だよね……」
陽葵が、その言葉に同意するように言いかけた、まさにその時だった 。
ピタリ、と。
数十メートル離れた芝生を歩いていた玲奈の足が止まった。
そして、長いまつ毛に縁取られたその黒い瞳が、一瞬だけ、真っ直ぐに三人の方を向いたのだ 。
――ドクン。
譲の心臓が、早鐘を打つどころか、完全に一拍停止した。
冷気。
いや、物理的な温度変化ではない。
圧倒的な「個」の強さから放たれる、研ぎ澄まされた刃のような視線。
それがガラス越しに突き刺さり、譲の背筋をゾクリと凍らせた。
額から一筋の冷や汗がツーッと流れ落ち、真新しいワイシャツの襟元に吸い込まれていくのが、やけに生々しく感じられた。
玲奈は何も言わず、表情一つ変えることなく、再び静かに歩き去っていった 。
残された三人は、しばらくの間、息をすることすら忘れてその背中を見送るしかなかった。
この年の入学者には、玲奈を含め、数名の特殊なアースが在籍していた 。
それぞれが独自の固有能力を持ち、教官たちの間でも注目を集めていたのだ 。
入学式の会場である大講堂は、荘厳な空気に包まれていた。
パイプ椅子が規則正しく並べられ、数百人の新入生が座る衣擦れの音や、緊張を含んだ小さな咳払いが、ドーム型の天井に幾重にも反響している。
その重苦しい空気の中で、譲の首の後ろの産毛が、ビリビリと逆立った。
野生の獣が背後に回った時のような、原始的な恐怖のアラート。
『どいつもこいつも、俺の前に立てる奴がいるのか』
後ろの席から、地を這うような低い声が響いた 。
声量は決して大きくない。
しかし、その声は空気を振動させるだけでなく、譲の肋骨を内側から直接ビビリと震わせた。
振り向かずともわかる。そこにいるのは、純粋な「暴力」の結晶だ。
塚本 剛(つかもと ごう) 。
攻撃特化のアース 。
粗削りで傲慢、しかしその実力は本物だという話は、すでに新入生たちの間でも恐れと共に広まっていた 。
譲は、自分のポンコツな肉体が、剛の放つプレッシャーだけで細胞レベルで悲鳴を上げているのを感じた。
手元のプログラムを握る指先が、微かに震えている。
やがて式が終わり、新入生たちは教室へと向かうため、初めて同じ廊下に立った 。
アース枠の学生と、一般枠の学生。
大きな衝突も、派手な言い争いも、そこには一切ない 。
廊下の窓から差し込む春の光は、誰にでも平等に降り注いでいるように見える。
ただ――決定的な『見えない壁』がそこにあった 。
歩く速度、足音の力強さ、背筋の伸び方、そして何より、目に宿る光の強さ。
自分たちは特別であり、この世界の最前線に立つ運命にあるという、無意識の自負。
それが、アースの学生たちの周囲に、一般枠の学生を寄せ付けない透明な力場を形成していた。
養成所は2年制。
1年目はアース枠と一般枠が同じ教室で学ぶ 。
しかし、「同じ空間にいる」ということと、「同じ場所に立っている」ということは、まったく別の話なのだ 。
譲は、その残酷な事実を脳内で冷徹に分析しながら、教室の自分に与えられた席へと重い足取りで向かい、静かに腰を下ろした 。
木製の椅子の硬い感触が、臀部を通して骨盤に伝わる。
これが、僕の現在地。
最底辺から見上げる、エリートたちの楽園。
肉体の弱さという現実を受け入れきれず、それでも「並び立ちたい」と執着してしまう己の滑稽さに、譲は小さく自嘲の笑みをこぼした。
だが、彼の瞳の奥の光は、決して死んではいなかった。
肉体で勝てないのなら、この教室という空間で、この灰色の脳細胞を使って、彼らの領域を力ずくでこじ開けてやる。
その時、教室の前のドアがガラリと荒々しく開き、威圧的な足音と共に、最初の教官が姿を現した。
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