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天に吠える狼少女
第二章 紅髪の異端審問官・3
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ウオオオオオオオオオオオオオオオ――!!
遠く離れていてもビリビリと鼓膜を震わせる鬨の声。それを耳にした全ての人間達に湧き上がる感情があった。
恐怖。
長指族を前にしても恐れなかった兵ですら、奥から何が迫ってくるのかを目視するや奥歯がカチカチと音を立て始める。魔族階級がそのまま人間が恐怖する度合いを示すわけではない。階級がどうあれ、最前線で戦う兵士達がもっとも恐れる魔族が存在していた。それがこっちに近づいてくる。
「ひ……引けええェッ!!」
撤退命令が出されると、恐怖に慄く兵士達が一目散に自分達の領土へと走り出した。本陣へ戻れば後詰の魔法師達がいる。魔法なしでは奴らに勝つことは不可能に近い。ラドカルミア王国最強の対魔組織である一の騎士団とて、まともにやりあって勝てるかどうか……。
ならば、欲を出さずに逃げるのが最良の選択肢だ。もとより突発的に発生した此度の戦闘、最初に攻めたわけでもなし、領地が防衛できた段階で人間側の勝利なのである。
人間の兵士達が尻尾を巻いて逃亡すると、不意に何もない空間がぐにゃりと歪む。次の瞬間には最初とまったく変わらぬ位置に長指族の女が佇んでいた。光の屈折率を魔法によって変え、姿を隠していたのである。
人間がいなくなったことで戦場に束の間の静寂が満ちた。時折か弱い呻きが風に乗って聴こえてくるが、それもすぐに消える。そうなると今度は腹を空かせた獣達が寄ってきてまた別種の騒々しさがこの場を満たすだろう。人も魔族も最後は等しく獣の腹の中だ。
戦場に訪れた刹那の静けさを壊さぬよう、幾分か抑えられたいくつかの足音が指長族の女に近づいた。その足音の主こそ今しがた人間達を恐慌に陥れた張本人である。
人型だが、人間の成人男性よりも一回り大きい。そしてその骨格的な大きさ以上に目を引く、身体の各所の盛り上がった筋肉。その巌のような暗緑色の上半身は惜しげもなく外気にさらされている。分厚い胸板、上腕などもはや丸太だ。その筋肉の鎧は矢はおろか剣や槍といった白兵武器すらも弾く。表情筋すらも硬そうなその双眸は、逃げ去る人間達をたいした感慨もなく見つめていた。
振るう相手を失った槌が所在なさげに大地に降ろされた。もっとも、それを果たして槌と呼んでよいものか。それはただ巨大な鉄の塊に棒を突き刺しただけのものである。いったいどれほどの重量があるのか、置いた場所にたまたま横たわっていた小鬼族の骸がメシリと音を立てて潰れた。
やってきたその大柄の魔族は三体。そのたった三体に人間達は恐れを為した。兵士達にとっては、滅多に戦線に出てくることのない指長族や魔神族よりもよっぽどその魔族の方が恐ろしいのである。
戦鬼族。彼らこそ戦場でもっとも恐れられる魔族。戦いに生き、戦いに死ぬ戦闘種族。魔族側にとっても虎の子の戦力である。魔族側は彼らを出さざるをえないほど深くまで敵の侵攻を許してしまった、ということか。
「――ラチラサ殿、いかがいたす」
戦鬼族の一人が代表して口を開いた。地の底から響いてくるような重低音。視線は逃げる人間に向けられたまま。
「追う必要はない。持ち場に戻れ」
「御意」
遠く離れていてもビリビリと鼓膜を震わせる鬨の声。それを耳にした全ての人間達に湧き上がる感情があった。
恐怖。
長指族を前にしても恐れなかった兵ですら、奥から何が迫ってくるのかを目視するや奥歯がカチカチと音を立て始める。魔族階級がそのまま人間が恐怖する度合いを示すわけではない。階級がどうあれ、最前線で戦う兵士達がもっとも恐れる魔族が存在していた。それがこっちに近づいてくる。
「ひ……引けええェッ!!」
撤退命令が出されると、恐怖に慄く兵士達が一目散に自分達の領土へと走り出した。本陣へ戻れば後詰の魔法師達がいる。魔法なしでは奴らに勝つことは不可能に近い。ラドカルミア王国最強の対魔組織である一の騎士団とて、まともにやりあって勝てるかどうか……。
ならば、欲を出さずに逃げるのが最良の選択肢だ。もとより突発的に発生した此度の戦闘、最初に攻めたわけでもなし、領地が防衛できた段階で人間側の勝利なのである。
人間の兵士達が尻尾を巻いて逃亡すると、不意に何もない空間がぐにゃりと歪む。次の瞬間には最初とまったく変わらぬ位置に長指族の女が佇んでいた。光の屈折率を魔法によって変え、姿を隠していたのである。
人間がいなくなったことで戦場に束の間の静寂が満ちた。時折か弱い呻きが風に乗って聴こえてくるが、それもすぐに消える。そうなると今度は腹を空かせた獣達が寄ってきてまた別種の騒々しさがこの場を満たすだろう。人も魔族も最後は等しく獣の腹の中だ。
戦場に訪れた刹那の静けさを壊さぬよう、幾分か抑えられたいくつかの足音が指長族の女に近づいた。その足音の主こそ今しがた人間達を恐慌に陥れた張本人である。
人型だが、人間の成人男性よりも一回り大きい。そしてその骨格的な大きさ以上に目を引く、身体の各所の盛り上がった筋肉。その巌のような暗緑色の上半身は惜しげもなく外気にさらされている。分厚い胸板、上腕などもはや丸太だ。その筋肉の鎧は矢はおろか剣や槍といった白兵武器すらも弾く。表情筋すらも硬そうなその双眸は、逃げ去る人間達をたいした感慨もなく見つめていた。
振るう相手を失った槌が所在なさげに大地に降ろされた。もっとも、それを果たして槌と呼んでよいものか。それはただ巨大な鉄の塊に棒を突き刺しただけのものである。いったいどれほどの重量があるのか、置いた場所にたまたま横たわっていた小鬼族の骸がメシリと音を立てて潰れた。
やってきたその大柄の魔族は三体。そのたった三体に人間達は恐れを為した。兵士達にとっては、滅多に戦線に出てくることのない指長族や魔神族よりもよっぽどその魔族の方が恐ろしいのである。
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「――ラチラサ殿、いかがいたす」
戦鬼族の一人が代表して口を開いた。地の底から響いてくるような重低音。視線は逃げる人間に向けられたまま。
「追う必要はない。持ち場に戻れ」
「御意」
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