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天に吠える狼少女
第四章 招かれざる者・6
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集落にやってきた聖堂騎士、その全てが同時に首と胴体を分かたれていた。自分達が死んだことに彼ら自身が気づいていまい。それほどまでに一瞬の出来事。悲鳴も、苦痛もなく一撃の下に葬り去られている。切断面は繋ぎ合わせばくっつきそうなほど鮮やか。レイの技量をもってしてもここまで綺麗には切断できまい。いや、レイでなくとも物理的な刃ではこうはいくまい。
その刃の正体を知るセラは咄嗟にユウと共に身を伏せたが、攻撃を受けたのは聖堂騎士だけだった。狼人族側にはその刃は飛来していない。身を伏せていない他の者も皆無傷だ。
「魔族が人間に頭を下げるなど、人間領で暮らしている内に魔族としての誇りを失ってしまったようですね」
シェサのすぐ目前で、ぐにゃりと空間が歪んだ。厳密には戻ったという方が正しい。歪められていた光の屈折率が元に戻り、あるべき光の反射を取り戻しそこにいる者の姿を正しく映し出したのだ。
その白皙の顔貌を目にした瞬間、シェサは動けなくなった。恐怖、とはまた違う。言うなれば畏怖。絶対的上位の存在への畏敬。彼の者には勝てない。彼の者には従わねばならない。感情や理性、記憶といったものではなく、生まれ持った本能がそう教えるのだ。
「――妙な匂いがするとは思っていた。だが、まさか……ありえねぇ……」
目の前にいる存在がこの場所にいることが信じられず、テヴォは目を見開いて胸中を吐露する。
その場にいる狼人族は皆、シェサと同じ感覚を感じていた。長らく感じたことのなかったその感覚。この集落で生まれた若者にとっては初めての感覚。この感覚を与える存在から逃げるためにここまで来たというのに。
人間より関節が一つ多い指がゆらりと動き、幼い狼人族の首筋を這った。肩から側頭部に向けて登る感触にシェサは声にならない悲鳴を漏らした。まるで身体を巨大な蜘蛛が登ってきているかのような怖気。全身を巡る血液の温度が一瞬にして氷点下まで下がってしまって動こうにも動けない。極度の緊張で呼吸が浅く小さくなり、酸素を求めて無意識に空いた口から水分が失われる。
先ほどまでの比ではない。同じ魔族という分類をされつつも敵対する人間より遥かに恐ろしい存在がすぐ側にいた。その者の気分次第で自分の生死が決められる。
「私とて、こんな人間領のただ中まで来たくはありませんでしたよ」
人間的基準で言えば十分に美しいと言える美貌が憎々し気に歪められた。その額に象嵌された紅い宝石のような器官が怪しく光を反射する。生まれ持った魔力の流れを見る第三の目、この世に生を受けたその瞬間から強力無比な魔法という技術を操る術を識る存在。魔族の階級最上位の次点に数えられる、その種族の名は――
「長指族――」
ユウを抱き留めた姿勢のまま、セラがその名を呟いた。魔族階級は魔神族に次いで二位、それは人間にとっても最上位の脅威ということだ。その生まれ持った魔法技術に人間が追いつくのに、いったいどれほどの才能と努力が必要だろう。努力をいくら重ねたとて、その境地まで辿り着ける者はほとんどいまい。人間が魚に泳ぎで勝とうとするのと同じだ。そもそもの身体の作りが違う。長指族にとって魔法を使うことはただ身体を動かすようなものなのだ。
「何の、用だ」
誰もがあまりの出来事と恐怖に動けない中で、テヴォだけがその上位魔族に問いを投げかけることができた。本能よりくる従属心は族長としての誇りで押さえつける。今はこの突然現れた上位魔族の真意を探らなければならない。
「何の用とはご挨拶ですね。人間に襲われていた同胞を助けてやったというのに」
ひとひとと、細長い指先がシェサの首筋を這う。助けた、というがテヴォ達からしてみれば人質を取られている状況はまったく変わっていない。
「まぁいい。わざわざこんな場所にまで来たのです。多少の礼を欠いた言動は看過しましょう」
蝋でできた人形のように白く、整った顔の造り。しかしてその細すぎる身体の節々は昆虫を想起させる。いや、不気味でありながらどこか蠱惑的なその容姿を例えるのならば蜘蛛、か。その糸に絡めとられてしまったシェサは、もう自力では逃げ出すことができない。
「少々戦力が足りないのです。なので私と共に魔族領まで来てもらいます。安心してください。それなりの立場をご用意しましょう。人間に怯えて生きる日々も今日までです。寧ろその逆、これからは貴方達が人間を怯えさせ、殺すのです。あるべき姿に戻るのですよ」
その刃の正体を知るセラは咄嗟にユウと共に身を伏せたが、攻撃を受けたのは聖堂騎士だけだった。狼人族側にはその刃は飛来していない。身を伏せていない他の者も皆無傷だ。
「魔族が人間に頭を下げるなど、人間領で暮らしている内に魔族としての誇りを失ってしまったようですね」
シェサのすぐ目前で、ぐにゃりと空間が歪んだ。厳密には戻ったという方が正しい。歪められていた光の屈折率が元に戻り、あるべき光の反射を取り戻しそこにいる者の姿を正しく映し出したのだ。
その白皙の顔貌を目にした瞬間、シェサは動けなくなった。恐怖、とはまた違う。言うなれば畏怖。絶対的上位の存在への畏敬。彼の者には勝てない。彼の者には従わねばならない。感情や理性、記憶といったものではなく、生まれ持った本能がそう教えるのだ。
「――妙な匂いがするとは思っていた。だが、まさか……ありえねぇ……」
目の前にいる存在がこの場所にいることが信じられず、テヴォは目を見開いて胸中を吐露する。
その場にいる狼人族は皆、シェサと同じ感覚を感じていた。長らく感じたことのなかったその感覚。この集落で生まれた若者にとっては初めての感覚。この感覚を与える存在から逃げるためにここまで来たというのに。
人間より関節が一つ多い指がゆらりと動き、幼い狼人族の首筋を這った。肩から側頭部に向けて登る感触にシェサは声にならない悲鳴を漏らした。まるで身体を巨大な蜘蛛が登ってきているかのような怖気。全身を巡る血液の温度が一瞬にして氷点下まで下がってしまって動こうにも動けない。極度の緊張で呼吸が浅く小さくなり、酸素を求めて無意識に空いた口から水分が失われる。
先ほどまでの比ではない。同じ魔族という分類をされつつも敵対する人間より遥かに恐ろしい存在がすぐ側にいた。その者の気分次第で自分の生死が決められる。
「私とて、こんな人間領のただ中まで来たくはありませんでしたよ」
人間的基準で言えば十分に美しいと言える美貌が憎々し気に歪められた。その額に象嵌された紅い宝石のような器官が怪しく光を反射する。生まれ持った魔力の流れを見る第三の目、この世に生を受けたその瞬間から強力無比な魔法という技術を操る術を識る存在。魔族の階級最上位の次点に数えられる、その種族の名は――
「長指族――」
ユウを抱き留めた姿勢のまま、セラがその名を呟いた。魔族階級は魔神族に次いで二位、それは人間にとっても最上位の脅威ということだ。その生まれ持った魔法技術に人間が追いつくのに、いったいどれほどの才能と努力が必要だろう。努力をいくら重ねたとて、その境地まで辿り着ける者はほとんどいまい。人間が魚に泳ぎで勝とうとするのと同じだ。そもそもの身体の作りが違う。長指族にとって魔法を使うことはただ身体を動かすようなものなのだ。
「何の、用だ」
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「何の用とはご挨拶ですね。人間に襲われていた同胞を助けてやったというのに」
ひとひとと、細長い指先がシェサの首筋を這う。助けた、というがテヴォ達からしてみれば人質を取られている状況はまったく変わっていない。
「まぁいい。わざわざこんな場所にまで来たのです。多少の礼を欠いた言動は看過しましょう」
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「少々戦力が足りないのです。なので私と共に魔族領まで来てもらいます。安心してください。それなりの立場をご用意しましょう。人間に怯えて生きる日々も今日までです。寧ろその逆、これからは貴方達が人間を怯えさせ、殺すのです。あるべき姿に戻るのですよ」
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