精霊にさよならを。~巻き戻った世界で君は笑う~

真白 わゆ

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一章

1

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 はっ、と目が覚める。
 最初に見えたのは、ぼやけた薄暗い空間。
 一度、二度と瞬きを繰り返すうち、曖昧だった視界がだんだんと鮮明になってくる。まっすぐ先にあるのは白い面――つまり天井だ。
 つられて、少しずつ現実の感覚が戻ってきて。
 激しい動悸が耳につき、まだ残る指先の冷たさに気付く。けれど室温は快適で、背中には柔らかな生地の感触がある。
 そうしてここが自分の部屋だと、ようやく思い出した。


 まだ夜明け前なのだろう、燭台の炎は消えたままで窓の外はほの暗く、しん、と静まり返っている。しかし、先ほどまでの重々しい沈黙とはまったく違う、ただ穏やかな夜の静けさだった。

(また、か……)

 セラスは額に浮かぶ汗を袖で拭う。衣擦れの音が微かにし、質のいいシルクの寝間着が肌を滑る。
 同じ夢だ。何度も何度も、戒めのごとく現れる。嫌というほど覚えているというのに、それこそ窓の位置も、床の軋む音も、彼の座っていた場所も、肌を刺す気温も、五感で感じたものすべてが脳裏に焼き付いている、だというのに、決して忘れるなと言わんばかりに繰り返される。
 始まりは必ずあの凍える小屋。終わりは毎回似たような悍ましい光景だ。
 そしてセラスはいつも夢だと気づかずに、完璧に”かつてのセラス”を演じてしまう。バカみたいに同じ言葉を吐いて、同じ行動をして、同じ痛みと安らぎを抱く。
 自らの愚かさに乾いた笑いがこみ上げてくる。

 そう、あれはただの夢ではない。まぎれもなく、以前の記憶なのだ。
 正確にいえば、一度目の、なにもかもが手遅れだった自分自身のだ。
 この静かな夜は、その一切を巻き戻した”やり直し後”の世界に他ならない。いや、正しくはセラスが過去に戻ったというべきか。詳しくはにしか分からない。
 でもまあ、そんなことはどうでもいい。
 理不尽なほど吹っ掛けられた取引だったが、このチャンスを無駄にするわけにはいかないから。


 背を起こす。
 寝汗をかいたから、喉が渇いた。気分をすっきりさせたいのもあった。
 
 ベッド脇にある机の上。侍従が置いていったコップがある。
 それに手を伸ばした――はずだった。

 だが、叶うことはなかった。
 いきなり視界がぶれたからだ。ぐらりと世界が大きく傾き、手元も、壁もぐるぐると回転する。急速に平衡感覚が失われていく感覚に、すぐさまベッドに逆戻りになる。
 ぼすんと、勢いよく仰向けに倒れこんだ。
 目を瞑っても、まだ脳の奥がぐるぐると渦を巻いているようだ。なかなか鎮まってくれない。
「うぅ……」
 こみ上げてくる吐き気と戦いながら、なんとか堪えるが、喉の奥を無造作に触られているような不快感がある。
 きもちわるい……。
 しかし、それだけでは収まらなかった。
 周りの空気が妙に重苦しく感じるのだ。外に流れる穏やかな夜とは裏腹に、まるで空気が意思を持って押さえつけてくるかのような感覚に陥る。
 さっき身を起こせたのが冗談だったかのように、頭も体もだるくてたまらない。
 痛い、おもい。
 それでも――まだ大丈夫。息はできているし、少し耐えるだけだから。

 セラスは胸を上下させ、どうにか呼吸を整える。乾いた喉をひゅうと鳴らし、口を開けて空気を貪る。

 けれど、その健闘も長くは続かなかった。
 我慢空しく、意識が遠のきそうになった時。

「ほら、あーん」

 急に現れた軽い口調が聞こえたとともに、口のなかに何かが押し込まれた。飴のような……けれど甘くも美味しくもない。どちらかというと苦い。

「よく耐えるねぇ。それはそれでおもしろいけど、でもさぁ、その未完成ボディじゃ、すぐポキッといっちゃうよぉ。ちゃぁんと、結末まで見せてくれないと。まぁ、少しずつ慣らすんだね、かなしーいことにそれは治らないからさぁ。その間は頼ってくれていいよぉ、どうせ逃げられないんだしねぇ」
 妙に間延びした声は、軽やかでありながら、ねっとりしていてどこか耳の奥を撫で回すような気持ち悪さがある。
 
 口内の飴もどきが消える。同時に、すっと身体の重みが抜け、一気に楽になった。
(やっぱり、楽になる……でも、またやってしまった)
 思考も戻ってきて、されるがまま大人しく舐めてしまったことに後悔する。
 確かに奴の言っていることは正しい。ただ頼りたくないだけだ。頼っていいことなんて、何もないから。
「あ、効いた効いた。じゃあ帰るねぇ。ここの空気はあんまりすきじゃないから、あんまり出たくないんだよねぇ。あ。でも、かわいそぉなキミに頼られたらがんばっちゃうからね、期待してて」
 声の主はそれだけを言い残し、あっという間に消え去った。恐らくセラスの影に戻ったのだろう。
 異質な空間は、再び穏やかさを取り戻した。表面上は、だが。


 深く息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
 先ほどまでの症状は、やり直しの代償の一つ。あいつと契約したことで変化してしまった体質が原因だ。 
 しばらく過ごしさえすれば、改善はしなくともそれなりに慣れるとは思うが、いかんせんまだこっちに戻ってきて一か月もたっていない。それにやわやわな子供時代。大人の精神より、はるかに幼い身体が追い付かないのだ。



 セラスは左の袖を捲る。
 そこには、指の腹で撫でこすったかのような黒く滲んだ紋様がある。形だけは整っていて美しい。だから傷跡には見えない――けれど。決して誇れるものではない。
 ただの、不名誉な証だった。
 輝きを失ったこれはに見放された証拠なのだから。一度は愛され、そして見放された。その印として永遠に残り続けるもの。いっそのこときれいさっぱり消えてくれた方がよかった。
 当たり前だったことがある日突然なくなると人はそのありがたさに気付く、とはよく言うが、前回、何も考えずに享受していた恩恵は、今やすべて裏返って自分を突き刺していく。
 精霊の加護が消えたことの重みを、セラスは痛いほどに感じていた。


 この国では精霊かれらは良き隣人だ。
 姿形はなくとも、皆が祈り、誰もがその恩恵を受けれる。人間だけではなく、草木も、動物も、鉱物さえも。たとえ目立った”愛された証”などがなくとも、それはごく普通のことだった。
 むしろ今となっては彼らの力を扱える者の方が少ないのだから。ゆえに、そんなものがなくたって当たり前のように加護を受けていた。まさに陽光のぬくもりのように、また、風のそよぎのように。

 だからこそ。
 そんな国で精霊たちに嫌われた自分が生きていくのは、あまりにも居心地が悪い。よくも悪くも彼らは純粋だ。異質と見做したものには容赦がない。はっきりと拒絶し、遠ざけ、追い出そうとする。
 それが本能であり、理でもあるのだろう。
 嫌な気配の傍にいたくないというのは理解できる。
 ただ……少し寂しいだけだ。

 そもそも嫌がられているのに、堂々と居座る自分こそが滑稽なのだ。けれど、どうか。いずれくる悲劇を止めるまではここにいさせてほしい。
 戻ってきた理由は、他でもないそのためなのだから。

 セラスは、ぼんやりと窓の外を見つめた。
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