官能小説家であることは絶対に隠したい大学生――好きな子にだけは純文学作家として胸を張って見せたい僕の、胸キュンと秘密だらけの毎日

すくらった

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14.彼女はやっぱり、プロだった(後編)

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 数日後。
 書き直した原稿を渡すとき、前よりは手が震えなかった。

 ダメ出しされる覚悟は、もうできている。
 少なくとも前回ほど、裸で突き出す感じじゃない。

 綿野さんは、前と同じように、でも前より少し真剣な顔で読み始めた。
 ページをめくる速度は、遅くも早くもない。

 十分ほどして、彼女は原稿を閉じた。

「……まだまだ、売り物にはならないと思います」

 即答。
 でも、その声はどこか柔らかかった。

「うん」

 俺は、素直に頷いた。

「でも」

 彼女は、そこで一拍置く。

「やりたいことは、分かるようになりました」

 胸の奥が、わずかに動く。

「前は、書けることを書いている感じでしたけど……今回は、書きたい方向がちゃんと見えます」

 綿野さんは、原稿の端を指でなぞりながら続けた。

「この方向性で、官能なしでも山場を作れるようになるのが、これからの先生の課題だと思います」

 淡々とした口調。
 でも、それは『期待をこめた言葉』だった。

「……そっか」

 それだけで、十分だった。

 すると、次の瞬間。

 ふっと、彼女の肩から力が抜けた。

「あー……」

 そして、あの顔になる。

 目が少し垂れて、口元がゆるんだ、
 いつもの気の抜けたたぬき顔。

「……というか」

 急に、申し訳なさそうにこちらを見る。

「これが、この前のお礼でいいんでしょうか」

「ん?」

「ケーキおごってもらって、話聞いてもらって……そのお返しが、先生の力作を批判することだなんて……」

 声が、だんだん小さくなる。

「私、人間として最低じゃないですか……」

 今にも泣きそうだ。

 思わず、吹き出しそうになるのを堪えた。

「いや」

 苦笑しながら、首を振る。

「これ以上ない『お返し』でした」

「……え?」

「本気で読んで、本気で言ってくれた。それだけで十分です」

 綿野さんは、きょとんとした顔をしたあと、少しだけ目を丸くした。

「……ほんと、ですか」

「ほんと」

 僕は、コーヒーを一口飲む。

 綿野さんは、しばらく黙っていた。

 それから、小さく、息を吐く。

「……よかった」

 そう言って、ようやく笑った。

 その笑顔は、編集者でも、仕事相手でもなく。

 ただの、少し泣き虫で、ぽやぽやした一人の女の子のものだった。

「じゃあ……」

 彼女は、少し照れたように言う。

「次も、『まだまだ売れないけどもっと良くなった原稿』、待ってますね」

「ハードル上げないでください」

「編集者ですから」

 胸の奥が、少しだけ軽くなった。

 純文学作家への道はまだ遠い。
 でも、進む方向は見えた。

 それを指差してくれる人が、目の前にいる。

 それだけで、今は十分だった。

 でも。また別の考えが湧いてくる。

 ただ物書きとして評価されたいなら、僕は官能小説家として既に十分に評価されている。

 僕が「純文学作家」として名を成したい理由は、なんなのだろう?

 僕はちらっと、向かいの綿野さんを見る。

 ぽやぽやに戻った綿野さんは、「んー?」という感じで僕を見返す。

 こんなに見てもらって、「やっぱり官能小説家一本でいきます」というのは、この人を裏切ることになる。

 この人を裏切れない、というのは動機としては少し不純だけど……理由はそれでもいいか、と僕はたぬき顔を見ながら考えた。
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