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第100話 公爵の降臨
私が恐る恐る目を開けると、私の目の前数センチのところで、キースの握っていたナイフが宙を舞っていた。
いや、違う。ナイフだけではない。キースの体そのものが目にも留まらぬ速さで蹴り上げられ、数メートル後方のレンガ壁に激突して崩れ落ちていたのだ。
後で分かったことだが、クライド様がキースのナイフを剣で受け止めてから攻撃したのだ。
「がっ……は……!?」
壁に叩きつけられたキースは、肺の中の空気をすべて吐き出して白目を剥いて痙攣している。何が起きたのか全く理解できずにジュリアたちが硬直する。
私の目の前には、いつの間にか、広くて頼もしい背中があった。漆黒の上質なフロックコートを身に纏い、夜の闇を溶かしたような黒髪を揺らす長身の男。
王国の宰相で暗部を統べる冷徹なる覇王にして、私の世界でたった一人の最愛の騎士。
「ク、クライド様……!」
震える声で呼ぶと、彼は私の方を振り返った。
普段の彼が見せる私だけに向ける甘く蕩けるような眼差しではなかった。その漆黒の瞳は、燃え盛る怒りと冷酷な殺意を湛え、深淵を覗き込んでいるかのような恐ろしさがあった。
「遅くなってすまない、私のアリーナ。……怪我はないか? 学園まで迎えに来たが、君の姿が見えず気になってな」
しかし、彼が私を見つめたときだけ、その瞳にほっとした表情が浮かんだ。
「はい……。クライド様が、間に合ってくださったから……」
私が小さく頷くと、彼は長い指で私の頬をそっと撫で、その髪に軽く口づけを落とした。
その触れ方は、壊れ物を扱うように優しかった。しかし、彼が再び振り返り、硬直しているジュリアたちへと視線を向けた瞬間、その優しさは一切の慈悲を持たない氷の刃へと変貌した。
「ひっ……!?」
ジュリアはクライド様の視線に圧され、恐怖で表情がこわばりながら後ずさりをする。
それは、本能的な死の恐怖だった。失うものが何もない無敵の人であっても、圧倒的な捕食者を前にした小動物の絶望からは逃れられない。
公爵が全身から放つ殺気は、彼らの狂気など赤子のように捻り潰すほどの次元の違う重圧を持っていた。
「貴様らのような泥虫が、アリーナの視界に入るだけでも万死に値する。それを、あろうことかその手に刃を握り、彼女を傷つけようとした」
クライド様はブーツの踵を鳴らし、平然とジュリアたちへ近づいていく。その足音は、死神のカウントダウンのように重く響いた。
「『失うものがない』だと? 勘違いをするな。貴様らにはまだ、その無価値な命と、肉体が感じる無限の苦痛という立派な財産が残っているではないか」
極北の氷河よりも冷たい声でクライド様は宣告した。
「いいだろう。貴様らがどれほど社会の底辺に落ちようと、そんなことは私の知ったことではない。だが、私の愛する者に触れようとしたその罪だけは、貴様らの血と肉と、その矮小な魂を擦り潰してでも購わせる」
「あ、あああ……っ!」
ララの同級生だった取り巻きたちが腰を抜かし、地面を這いずりながら逃げようとする。だが、クライド様はすでに彼らを人間として見ていなかった。ただの排除すべき障害物という感覚だろう。
「……それに」
ふと、クライド様は歩みを止め、旧校舎の奥に広がる鬱蒼とした森の闇に鋭い視線を向けた。
「そこで震えているネズミ共。いつまで隠れているつもりだ? この愚か者たちに小銭で雇われ、甘い汁を吸おうと集まったスラムのゴミ共が。……まとめて消し炭にしてやる。這い出てこい」
クライド様の言葉に私は息を呑んだ。森の奥から、ガサガサと木々を揺らす音が響く。
そこから現れたのは、キースやジュリアのような元貴族ではなく、生まれながらにして裏社会で生きる薄汚れたスラムのゴロツキたち数十名だった。彼らの手には、錆びた剣や鉄パイプが握られている。
キースたちは、自分たちの力だけでは心許ないと、ならず者たちを背後に待機させていたのだ。
いや、違う。ナイフだけではない。キースの体そのものが目にも留まらぬ速さで蹴り上げられ、数メートル後方のレンガ壁に激突して崩れ落ちていたのだ。
後で分かったことだが、クライド様がキースのナイフを剣で受け止めてから攻撃したのだ。
「がっ……は……!?」
壁に叩きつけられたキースは、肺の中の空気をすべて吐き出して白目を剥いて痙攣している。何が起きたのか全く理解できずにジュリアたちが硬直する。
私の目の前には、いつの間にか、広くて頼もしい背中があった。漆黒の上質なフロックコートを身に纏い、夜の闇を溶かしたような黒髪を揺らす長身の男。
王国の宰相で暗部を統べる冷徹なる覇王にして、私の世界でたった一人の最愛の騎士。
「ク、クライド様……!」
震える声で呼ぶと、彼は私の方を振り返った。
普段の彼が見せる私だけに向ける甘く蕩けるような眼差しではなかった。その漆黒の瞳は、燃え盛る怒りと冷酷な殺意を湛え、深淵を覗き込んでいるかのような恐ろしさがあった。
「遅くなってすまない、私のアリーナ。……怪我はないか? 学園まで迎えに来たが、君の姿が見えず気になってな」
しかし、彼が私を見つめたときだけ、その瞳にほっとした表情が浮かんだ。
「はい……。クライド様が、間に合ってくださったから……」
私が小さく頷くと、彼は長い指で私の頬をそっと撫で、その髪に軽く口づけを落とした。
その触れ方は、壊れ物を扱うように優しかった。しかし、彼が再び振り返り、硬直しているジュリアたちへと視線を向けた瞬間、その優しさは一切の慈悲を持たない氷の刃へと変貌した。
「ひっ……!?」
ジュリアはクライド様の視線に圧され、恐怖で表情がこわばりながら後ずさりをする。
それは、本能的な死の恐怖だった。失うものが何もない無敵の人であっても、圧倒的な捕食者を前にした小動物の絶望からは逃れられない。
公爵が全身から放つ殺気は、彼らの狂気など赤子のように捻り潰すほどの次元の違う重圧を持っていた。
「貴様らのような泥虫が、アリーナの視界に入るだけでも万死に値する。それを、あろうことかその手に刃を握り、彼女を傷つけようとした」
クライド様はブーツの踵を鳴らし、平然とジュリアたちへ近づいていく。その足音は、死神のカウントダウンのように重く響いた。
「『失うものがない』だと? 勘違いをするな。貴様らにはまだ、その無価値な命と、肉体が感じる無限の苦痛という立派な財産が残っているではないか」
極北の氷河よりも冷たい声でクライド様は宣告した。
「いいだろう。貴様らがどれほど社会の底辺に落ちようと、そんなことは私の知ったことではない。だが、私の愛する者に触れようとしたその罪だけは、貴様らの血と肉と、その矮小な魂を擦り潰してでも購わせる」
「あ、あああ……っ!」
ララの同級生だった取り巻きたちが腰を抜かし、地面を這いずりながら逃げようとする。だが、クライド様はすでに彼らを人間として見ていなかった。ただの排除すべき障害物という感覚だろう。
「……それに」
ふと、クライド様は歩みを止め、旧校舎の奥に広がる鬱蒼とした森の闇に鋭い視線を向けた。
「そこで震えているネズミ共。いつまで隠れているつもりだ? この愚か者たちに小銭で雇われ、甘い汁を吸おうと集まったスラムのゴミ共が。……まとめて消し炭にしてやる。這い出てこい」
クライド様の言葉に私は息を呑んだ。森の奥から、ガサガサと木々を揺らす音が響く。
そこから現れたのは、キースやジュリアのような元貴族ではなく、生まれながらにして裏社会で生きる薄汚れたスラムのゴロツキたち数十名だった。彼らの手には、錆びた剣や鉄パイプが握られている。
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