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鬼の首52
しおりを挟む天秤の腰がストンと落ちる。
啓一郎が何かをしたわけではない――座ったのだ、自ら。
「やめだ」
やる気がなくなりました、と全身で示すように天秤は脱力して手を振る。鬱陶しいといわんばかりに。
そんな姿に戸惑いすぎて、啓一郎は攻撃することも一瞬忘れてしまう。
あり得ない姿だ。
どうなろうと、生きることに全力を尽くしてきたことだけは確かな天秤から考えれば、あり得ない姿。
「なんだって?」
「やめだといったんだ。あぁ、いいぜぇ。認めてやる。今回はてめぇの勝ちみてぇだなぁ……?」
底なしの穴のような目で、へらへらと笑う。
何か、何かぞっとしたものが啓一郎に駆け巡った。
天秤の姿に。
そして、己は何か単純なことを見落としでもしているのではないか、という直感。
ころん、と小瓶が存在を主張した。今まで存在を忘れていたものだ。
無意識に、こんな状況でもなんとか破れず保っていたダンジョン製のズボンのポケットにあり、不自然に割れさえしなかったそれに触れる。
「お前が? 死ぬ覚悟でもできたって……? 何を考えてる」
死ぬ。
その言葉に一瞬天秤は反応したのだろう、びくりと震える。
だが、その態度は変わらなかった。
「は――はは! 殺すのか、殺すのか! いいよ、やれよ……! ぜぇんぶ、無駄だけどなぁ」
粘着質な声が啓一郎の不快感をさらに増大させる。
不安感も。
「思い出せよ。思い出せ! 気付かねぇふりはてめぇもだなぁ! おい!
いいぜ、いいぜ! 殺されてやるよ! そんでよぉ……お前の支配下にはいるってわけだ! 俺もな!
そんで……わかるだろ? なぁ……他のそれと違って、この……鬼って奴ぁよぉ……素敵だよなぁ……?」
「――」
絶句するのは、啓一郎の番だった。
その通りだ。
純度が高い鬼の状態であった頃は当たり前にやろうとしていた事。
恐らく、ダンジョンを出るための手段。
支配者になる事。それはつまり、このダンジョン、切り取られた終わりの一部が蠢く領域の鬼を掌握する事。
全てだ。全ての支配者となるのだ。
それは、もちろん目の前にいるものを含めて。
鬼になったその時に、そんなことは理解していたはずなのに。
「なぁ、できんのか? できねぇだろ? てめぇには、俺ごと受け入れるなんて真似はよぉ! それでも、もういいけどな! 元々、第二案としてはあったんだ! 気に食わねぇのはそうだが、結局生きれるならそれもってのはな! テメェと違って頭いいだろ俺は。どう転んでも、死なねぇようにはしてたんだぁ……あは、はははははははは!」
「今度は、寄生虫にでもなるって……?」
啓一郎の思わず返す煽るような軽口は、今までの強さを持ち得てはいなかった。
「は、ははははははははは! 弱弱しい、弱弱しいねぇ悲しいねぇ! なんだお前! なーんだお前! ここで俺を見た時見てぇな面に戻ってんじゃねぇか! 苦しそうだなぁ……なんだ、寄生虫に腹でも食われて痛い痛いなのかなぁー? ざまあみさらせぇっ……! せめて苦しむんだよ、もっともっと、てめぇもなぁ!」
今は物理的に一部のものが融合しているが、支配下全てがそうなっているわけではない。支配とは群れになるという事で、その種の王となることではあっても、本来一つになる事ではない。
しかし支配下に置くとは、逆らえない僕になるということでもあるが――鬼という性質が関わってくる。本来はそうでなくとも、鬼という要素が関わってしまう事で、1つになる事でもあるのだ。
体が融合しなくとも、鬼という多にして一つの存在によって更に魂が癒着するとでもいえばいいだろうか。
強く強く、鬼という多であり一である因子が、互いを否応なく結びつけてしまう。離さなくても互いをわかってしまうくらいに、無理やり近づかせ続けてしまう。
死しても離れぬ一となる。なってしまうのだ。
それが、ここにある鬼という存在の形だから。
「ははははははは! 楽しんで楽しんで、中にいるやつらぁ苦しめて苦しめて! そんで最後はてめぇも絶対に食い破ってやるからよぉ……! なぁ、支配者様。どうした。勝ち誇れよ。さっき見てぇに気持ちよく歌って見せろ」
天秤だけを切り離すことはできないのだ。
選択は、できないのだ。
誰かを残すことはできない。特に、終わりをもたらす存在は。一欠片でも残すことは許されていない。それはシステム側としてだろう。
啓一郎がどう思うかなどは関係ない。ここにいるのは、確かに鬼の因子が絡みついている支配下に置かねばならない存在なのだから。
(ここが、檻でもあるからか)
特に終わりをもたらす存在は互いに連携していることが多いのだから、1つでも逃してそれが大元に合流したり、他の終わりに接触したりすれば例外がいることが悟られるだろう。
そんなことを、作った側が許すとは思えなかった。知ればわかる。危険すぎる存在なのだ、一部を切り取っている時点でリスクがあるのにそれ以上をすればもろとも終わってしまう可能性がある。完成を予想できたからこそわかる。
どこか別の星か世界かから集まったのだろうが、恐らく同じような存在なのだろうことがわかる。だから、ありえない。
どうなろうが、自分の命が必要以上に危険になる状況に自らを置くことはない。
必ず、安全マージンをとってやっている。それがわかるのだ。
だから、何を目的としているのか詳しいことまでは啓一郎にはわからないが、それでもばれてもいいと思っているとは考えられない。
だからこそ、条件それ自体を捻じ曲げることはできない。
全ての鬼を支配下に置く、全てが一として自らが支配しなければならない。
「いいなぁ……いいなぁ! その表情、いかしてるぜ!」
この場、この時点ではもう、殺した瞬間取り込みが決まってしまう。
そのほか全てはもう啓一郎の支配下にはいっている。その資格を得たから。それを示したから。
一時的そうなのか、そういう風になっているのかは啓一郎にはわからないが、集中しているのだ。死を巡る機能等全てがオミットされて、今は支配しなければクリア等できないという縛りだけが協力に作用するように。
「支配者にならなきゃ、終わりはねぇんだからよ……これからも、なぁ、仲良くやろうぜ……?」
それを、前から知らされていたのか本能で理解しているのか。
選びたくなかったかもしれないが、わかっているからこその天秤のこの態度。
思わず頭に血が上り――その結果を想像してしまって一瞬で下がった。
『俺の力でどうにか――』
『無理だろ。私がやっても無理だ。工大の力は根本には敵わないし、私のそれは自殺行為にしか多分ならない』
内側から聞こえる友人たちの声にも肯定するしかない。
無駄だ。無駄なのだ。
ここで鬼になっている時点で、それより下の存在であることが証明されてしまっている。
竹中のそれは――鬼の巨大なエネルギーを利用してさえ一時的に薄くするので精一杯だ。切り離せるほどじゃない。
浅井は言うに及ばず。むしろ、人であった頃のような事をして成功すればもろともすり潰されるだけだろう。
鬼という存在を超越できるような何かを持っていなければ、そもそも無駄なのだ。
(せっかく、せっかく家族と、ついでに友人たちともう一度――)
鬼に近づいたときには、悩む必要もなかったことであるのに。
人間にまた近づいたから、どうしても迷ってしまう。
楽なのだ。
それは、楽なことだったのだ。
だから、それを拒否できず滅びを迎えてきたのだ。
鬼になれる存在にとって、鬼になることは楽になる事であるのだ。考えなくていい、囚われなくていい、それ以外には。そんな存在としてあれる。一直線に進んでいける。
復讐するため、外敵を排除するため、嫉妬した相手を殺すため。超えるため。何をおいても子供を守るため等々。
そうするためには、手段さえ択ばない存在になれる。そのことについて悩みもしない。できない。
そういう状況というのは、一種の救いとなる。
狂える人間にとって、狂ってしまう事は皮肉にもそうであることと同じように。
(そうだ、小瓶――)
現実逃避気味に、その存在の事をもう一度思い出す。
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