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第零章 プロローグ
出発
しおりを挟む夜が明けたにも関わらず、コラーダの町は静寂に支配されていた。
人の出はあるにはあるが、それでも全盛期の活気に比べれば些細なもので、日が昇っていても締め切ったままの商業施設も未だ多く、観光業で賑わっていたはずの面影は残っていなかった。
フランツが引き起こした、連続猟奇殺人事件。
全ては魔人が引き起こした出来事なのだが、その傷跡は町の経済にも大打撃を与え、それはしばらく癒えることはないだろう。
事件を解決したには違いないが、人の心に巣食った恐怖や傷を取り除くには時間が必要であり、何よりも魔人という存在が認知される必要があった。
事件を引き起こしたのが魔人という存在であり、そしてその魔人が討伐されたということを理解されなければ、いつまでもこの傷跡が消えることはないのだから。
ヨエルとフランツの戦いから、二日後の朝。
「…もう、行くの?」
朝日が昇り切っていない中で、車の荷台に荷物を搬入していたヨエルに対し、それを見守っていたクロエは声を掛ける。
まだ早朝であったが、ヨエルは当初の目的であるフォーキールに向かう準備をしていたのだった。
「ああ。あんたには、何だかんだで色々と世話になったな。ありがとう」
力のない笑みを浮かべながら、クロエはヨエルの言葉に対して首を横に振るって答える。
「いいのよ。私の方が、あなたに助けてもらったから…」
憔悴した様子のクロエの声には覇気がなかったが、それも当然だった。
日々の激務に終われながらもヨエルがフォーキールに向かえるように、保護観察処分とされていたその身を一刻も早く解放できるよう手配を済ませ、また目的地に辿り着けるよう車や食料などの準備も済ませたのだった。
何より、フランツを亡くした悲しみによって、あれから涙を流さなかった日は無く、未だに眠れないとのことで、疲れと悲しみに包まれたクロエの印象は、初対面の時に見せたそれとは全く異なっている。
しかし、それでもこんなに早くヨエルが動けるようになったのは、悲しみに呑み込まれないでいられる彼女自身の強さと、彼に対する感謝の顕れだろう。
「でも、そんなに急いで行かなくても良いんじゃない?もう少し、ゆっくりしてても良いと思うけど」
「そうしたいところなんだけど、この剣を手にすることができたら、一刻も早くスクールに来いっていう昔からの約束があるからな。まあ、確かにもう少しゆっくりしてても罰は当たらないと思うけど、もしバレたら殺されるかも」
「殺されるかもって…本当に、あなたのことがよく分からなくなってくるわ」
冗談や比喩でそのようなことを言う者はいるが、しかしヨエルのような実力者が言うとなると、それはあながち冗談や比喩で済むような話では済まなくなってくる気がする。
伝説の勇者の息子であるヨエルを、ここまで振り回すような約束をする人物とはどういう者なのか気になるが、恐らく知らない方が良いだろうとクロエは思った。
「…それよりも、あんたは大丈夫なのか?」
一通りの積み込みを終えたヨエルは、クロエの体調を気遣う。
憔悴しながらも、また日々の仕事の合間を縫ってまで、ここまで施しをしてくれたことには素直に感謝しているが、逆にそこまで尽くそうと奮起するクロエの姿は痛々しくさえ見える。
そうでもしなければ、悲しみと苦しみに圧し潰されてしまうのだろうが、そうしたことで彼女の心の傷が消えるわけでもなく、ただ誤魔化しているに過ぎないのだから。
「大丈夫、と言えば噓になるけど……大丈夫。私には、夢ができたから」
「夢?」
しかし、返ってきたクロエの言葉は意外なものであり、ヨエルは思わず聞き返した。
「魔人なんかに負けない、治安と平和を保てる立派な警官になって、私とフランツが育ったこの町を『魔神』や魔人から守ること。それが、私の夢よ」
徐々に顔を見せる朝日に照らされたクロエの表情に、迷いはなかった。
そこには、初めて会った頼りない婦警ではなく、自身の心に従い、そして強く生きようとする一人の人間が確かに存在しており、改めて初対面の時に抱いた印象は覆される。
確証などなくとも、彼女ならその夢を叶えることができるのではないかと思わせるような説得力が、その表情からは感じ取れた。
「立派な夢じゃないか。まるで勇者だな」
ヨエルは口元に笑みを浮かべるも、決してその心は嘲笑っているわけではなく、寧ろ優しく穏やかな表情であった。
フランツを失っても、悲しみに暮れることなく前に進もうと決めたクロエの強さに対して敬愛の念を抱いたことから来るものであり、それは初めてクロエに見せる表情であった。
「やめてよ。私に勇者なんてなれないわ」
「いいや、どうだろうな?そもそも勇者ってのは、勇敢な者のことを言うんだ。それが、いつしか『魔神』を倒す者の呼称になったってだけのことだよ」
照れくさそうに否定するクロエだったが、ヨエルにとって彼女は紛れもない勇者に違いなかった。
『魔神』と戦う者だけではない、勇敢なる者、勇気ある者。
勇者とは、そういう存在であるべきだという考えが、ヨエルの持論だった。
「言葉や人は、都合の良い解釈でいくらでも変えられて、次第に曖昧なものに塗り替えられて、どうとでもなるように仕立て上げられていく…。勇者って存在が一番良い例さ。『魔神』を倒すことを目的とした者だけが、勇者であるはずがないのにな」
「…だから、あなたは勇者のことを快く思っていないの?」
皆が望む、勇者という存在に否定的だったヨエルの心を垣間見えた気がしたクロエは問い掛ける。
本来の形とは異なる者になるのが、誰かの都合の良い存在になることが嫌なのかも知れないというクロエの憶測は、どうやら遠からず近からずといったところだろうか、ヨエルの表情は誤魔化すように笑みを浮かべたままだった。
「さあ?ただ、親父が気に食わなかったからなのかもな」
「どういうこと?」
「確かに、親父はみんなにとって伝説の勇者だったかも知れない。でも、俺にとっては勇者どころか、まともな父親じゃなかったってことさ」
伝説の勇者の息子という肩書きは、この時代にとって誰もが羨み、誰もが望むものであろうが、どうやらヨエルにとってはそうではないらしい。
ただ、ヨエルしか知らない、彼しか感じたことがない父親との確執があることは確かで、それは彼にとって間違いなく自らを縛り付ける呪縛のようなものなのだろう。
「でも、あんたはどうして勇者を否定してたんだ?」
ヨエルにしては珍しく、それ以上の追及を拒むかのように話題を変える。
表情こそ変えないものの、それ程父親との確執は深いようで、どうやらこの手の話題はあまりしたくないのだろう。
「……フランツが、勇者を目指してたから」
だが、それはクロエも同じようで、顔を俯かせて答える。
その声は震えており、やはりフランツを失った悲しみが大きいのか、彼のことを思い出しただけでその胸の内は苦しくなっていた。
「私を守る為に勇者になるって、この町を出て行って…。いろんな所で修行をしたけど、勇者になれなくて…。それから何年も連絡が無くなって…、ある日突然帰ってきたわ…」
「…魔人になって、か…」
全てを打ち砕かれて絶望し、夢も希望もなくなったフランツは、魔人に姿を変えて帰ってきた。
無論、魔人になったということを知ったのは昨晩のことであったのだが、久方ぶり再会したフランツに変化や兆候などは見受けられたようで、それが捜査をするときに言った、クロエにとって思い当たることに繋がったのだった。
「酷く落ち込んでいたかと思えば、まるで何かを隠すかのように妙に取り繕った笑顔を向けてきたり…。最初は大人しかったけど、何時しか深夜に町を徘徊している噂を聞くようになったの。事件が起きるようになったのもその位の時期で、私が知ってるフランツはもうどこにもいなかった…」
何を聞いてもはっきりと答えず、誰が見ても異様さを感じる行動をするフランツには、ただ怪しさと疑心しか抱けなかった。
自分の思い出の中のフランツと同じ顔をした、しかし自分が知らないフランツは、クロエにとって既に信じられる存在ではなくなっていた。
認めたくはないが、しかし自分が間違っていたということを信じたい。
だからこそ、それを確かめる為に、身の危険を顧みることなく昨晩フランツを呼び出したのだった。
「普通の人と何ら変わりないように擬態して隙を作り、人を襲うってことが魔人の常套手段だ。人間に擬態すれば、人間の真似事を演じてるだけだとしても、動揺を誘って迂闊に手出しされないってことを理解してる。それがどんなに不自然であっても、奴らにとってはそれだけで十分なのさ」
「魔人のことを知ってるの?」
「詳しくは知らない。ただ、何度も魔人と戦っているうちに、奴らの行動がある程度読めるまでにはなったし、擬態した魔人もある程度分かるようになった。そして魔人を倒した後に、その誰もが礼を言うことも分かったよ」
ヨエルに倒されたフランツは、最期に謝辞を述べた後、肉体も骨すらも残らず跡形もなく消え去った。
その骸を拾う者すらいないまま迎える、虚しい最期であるにも関わらず。
「そんなことを分かっても、どうしようもないのにな」
まだ年端もいかない少年は、何を願って剣を振るい、何を願って魔人を斬り捨ててきたのか。
何体の魔人になった者を斬ってきて、何度その謝辞の言葉を贈られてきたのか。
そして、その果てに何が残ったのか。
視線を落とすヨエルの瞳には憂いが秘められており、またそれは同年代の少年が見せられるものではない程に重く、哀しいものであった。
「…ねえ、ヨエル君。フランツは、正しかったのかな?」
「ん?」
「何で彼が魔人になったのか分からないけど…。それでも、勇者になろうとしなければ、魔人にならなかったことも事実よ…。勇者になるって選択肢しか選ばなかったあの人は、本当に正しかったのか分からないのよ…」
勇者になろうとしなければ、勇者というものさえなければと、どれだけ怨嗟の念と言葉を並べたとしても、フランツが帰ってくることはない。
しかし、どうしてもそう考えてしまう今の自分を落ち着かせ、納得させる答えが、クロエにとっては何よりも必要だった。
「正しいかどうかなんて、俺には分からねえよ。それでも、あんたを守る為に『魔神』と戦うと決めたんだったら…。勇気を振り絞って、あんたにそう言ったのなら…。魔人になっても、自分の魂に従ってあんたの場所に帰ってきたのなら…、それはきっと、フランツも紛れもない勇者だったってことだよ」
それが正解なのか、そして今は亡きフランツの本当の想いと行動だったのかは、もう誰も知る由もない。
だが、それでもヨエルは、決して慰めではない自分なりの言葉で、はっきりと答えた。
「…ありがとう。その言葉があれば、フランツもきっと報われるわ」
「あんたのことが、何よりも大切だったんだろうな。一人の男にそこまでさせるなんて、なかなかあるもんじゃないぜ?」
果たしてそれが、クロエにとって求めていた言葉だったのかは分からないが、しかしヨエルが自分なりの言葉で返したことが胸に響いたのか、落ち込んでいた彼女に柔らかな笑みを浮かべさせる。
フランツは、皆が定義とする勇者になれずとも、誰か一人にとっての、クロエにとっての勇者であればそれで良かったのだろう。
そして、このような形になってしまったが、そう思えただけでもクロエにとっては報われることであった。
「…さて、と。あんまり運転手のおっちゃんを待たせるのも悪いし、そろそろ行くとするか」
話も一段落したところで、ヨエルは大きく伸びをする。
「改めて、本当に世話になったよ。ありがとな、クロエさん」
先程、初めてクロエがヨエルの名前を呼んだように、この時ヨエルも初めてクロエの名前を呼んで礼を言う。
二人が出会ってから僅かな時間であり、そして今この時初めて名前を呼びあうような奇妙な間柄でもあったが、それでも二人にとっては掛け替えのない時間であった。
「こちらこそ、本当にありがとう。またあなたが立ち寄った時には、このコラーダを元通りにしておくわ」
「ああ。その時は、また飯でも食わせてもらうよ」
クロエは警官らしく、ヨエルに敬礼をする。
そんなクロエに倣うように、ヨエルも敬礼をした。
『魔神』を倒す勇者になることを望まぬ、魔人という存在と戦うヨエルという少年。
そんな彼は、これから先待ち受ける運命など今はまだ知る由もない。
しかし、やがて彼は求めるようになる。
真の勇者というものを。
何故、勇者を拒む彼が真の勇者という称号を求めるようになるのか。
それは、これから先に広がる未来の中にある。
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