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1章
第1話
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ここは校舎1階の一番隅にある音楽室だ。
グランドピアノ以外貴重品は何もないという理由で常に鍵はかかっておらず、音楽担当の先生に許可さえ貰えば在校生が利用することは可能だった。
この学校には音楽系の部活がないため、音楽室の利用者数は少なく……。
静かで、とても居心地の良い場所でもあった。
そんな場所で俺は、ほぼ毎日のようにピアノを弾いていた。
弾かずに、ぼーっとしていることもある。
――――正直、気を紛らわすことができるなら、ピアノでなくても何でもいいのかもしれない。
――――さっきみたいな、謎の白い塊でも……。
椅子に腰かけ、ピアノの鍵盤に指を置いた。深呼吸。
再開の指慣らしに、思いついた曲の中から適当に弾き始める。
テンポとか気にせず、とにかくゆっくり慎重に丁寧に。
――――久々に弾く曲だとちょっと違和感あるけど、まぁ弾けるかな……。
「……?」
弾いている最中、ところどころで妙な音が混じるのが気になって手を止めると、音は後ろの方にある窓から聞こえ……
目をこらしてよく見ると、何かが外から音を立てて窓ガラスを叩いていた。
窓の外にいる何か……いや、誰か?は、窓を叩いたり手を振ったり鍵を指差したりと、とにかく忙しい。
ガラスが曇っていてよく見えないが、ぴょんぴょん跳ねているように見えるので、おそらく先ほど見かけた子供ではないかと推測できた。
「……」
少し迷ったが、開けることにした。
ここは学校という名の公共の場だ。子供が学校の関係者であれば音楽室を使う権利はある。
窓から入るのは黙認になるが、俺は教員ではないし、校則マニアでもない。
そして、ほんの少しの好奇心もある。
それに居すわられて不快なら、自分がここを去ればよいのだ。
俺が窓に近づくと、子供は動きを止めてじっとこちらを見つめていた。
鍵を開けてやると、子供は小さな手を伸ばして自分で窓を開け、「よいしょ」と窓枠に手をかけて器用によじ登りながら入ってきた。しかし足元はおぼつかない。
でも犯罪と間違われるのが怖いので、何かあるまでは手を貸さないつもりだった。
すとんっと軽い音を立てて子供は室内に降り、窓を閉めた後で俺を見上げた。
最初の印象通り小さな子供で……
実際の年齢はわからないが、ぱっと見だけならやはり小学校低学年くらいの女の子に見える。
色白の肌を真っ白なフード付きのポンチョで隠し、素足の膝の先に白い長靴を履いていた。
かぶったフードの下からは栗色の前髪が少しだけ覗き、ぱっちりとした大きな2つの瞳が俺を観察するように見つめていた。
「あたし、ひなた。あなたは?」
「え、俺?」
初めて会った小さな子供に対し、名前で答えるべきか、名字で答えるべきか、またはフルネームで答えるべきか……。
「ええと……」
吸い込まれそうな大きな瞳の前で動けないでいると、激しい足音と共に勢いよくドアが開いた。
「おーい、史朗!そろそろ帰れ!」
高校教師をしている俺の姉、阿比留真季だった。
セミロングの髪にきつい顔立ちをしているが、実はナイスバディと評判だ。
「あ、姉貴!大変だ!女の子が入り込んで……」
焦りとビビリで変な反応をしてしまった。
「女の子ぉ?」
姉貴はきょろきょろっとあたりを見回し、「どこよ?」と俺に視線を戻した。
「え……」
振り向くと、目の前にいたはずの女の子……ひなたはいなくなっていた。
――――窓から出て行った?
――――でも……窓が開く音はしなかったような……?
俺が考え込んでいると、姉貴に怖い表情で睨まれた。
「何か悪いことしようとしてたんじゃないだろね?愚痴ならいくらでも聞いてやるけど、さすがに犯罪は許さないよ!?」
「ち、違う!誤解だ!ピアノを弾いてたらそこの窓から小さい女の子が入ってきて、名前はひなたとか言って……」
「え、ひなた!?ひなたって…」
どう説明したものか……と悩んでいた俺の心とは裏腹に、姉貴の表情が怒りから驚きに変わった。
「もしかして全体的に白い子じゃなかった?」
「そう!知ってんの?」
「ははっ!こりゃ驚いた!」
驚いたのはこっちの方だよ!と思っていた俺に近づいて来た姉貴が、俺の背中をバンバン叩いた。
「その子はね、何故かこの学校に出没する守り神らしいよ。いわゆる座敷童子ってやつ。あたしがこの学校に在学していた頃から噂があったよ!条件の合ったやつの前にしか現れないんだって。あんた見込まれたんだね。よかったジャン」
「何だよそれ……人間じゃないのかよ!?」
これ以上叩かれないよう、俺は姉貴のそばから離れた。
「さあね?あたしは会ったことないし、噂でしか知らないから。まさか弟が遭遇するとは思わなかったよ。今度会ったら話を聞いてやりな」
「……話?何で?」
「そりゃ……あんたに言いたいことがあるから、あんたの前に現れたんだろうよ。それに座敷童子ってくらいだから、何か願い事を叶えてくれるのかもしれないよ?」
「…………」
話が突発的すぎて、俺はどう答えていいか訳わからなくなっていた。
「まぁそれはさておき……とにかく今日は帰った帰った!あたし今週週番担当だからさ~、手間かけさせんな、メンドクサイ」
「……わかったよ」
腑に落ちないと思いながらも、従うことにした。考えるだけなら家でも出来る。
「あ、史朗!」
姉貴に背を向けていた俺は振り向いた。
「……なるべく大通りから帰りなよ。雪積もってて危ないから……さ」
「うん……」
壁に立てかけてあった通学用の鞄を持ち上げ、「ストーブは消しとくから急げ~」という姉貴に押されるように音楽室を出た。
そのせいで、本になっている楽譜をグランドピアノの譜面台に置いたままなのをすっかり忘れて帰宅してしまっていた……。
-続く-
グランドピアノ以外貴重品は何もないという理由で常に鍵はかかっておらず、音楽担当の先生に許可さえ貰えば在校生が利用することは可能だった。
この学校には音楽系の部活がないため、音楽室の利用者数は少なく……。
静かで、とても居心地の良い場所でもあった。
そんな場所で俺は、ほぼ毎日のようにピアノを弾いていた。
弾かずに、ぼーっとしていることもある。
――――正直、気を紛らわすことができるなら、ピアノでなくても何でもいいのかもしれない。
――――さっきみたいな、謎の白い塊でも……。
椅子に腰かけ、ピアノの鍵盤に指を置いた。深呼吸。
再開の指慣らしに、思いついた曲の中から適当に弾き始める。
テンポとか気にせず、とにかくゆっくり慎重に丁寧に。
――――久々に弾く曲だとちょっと違和感あるけど、まぁ弾けるかな……。
「……?」
弾いている最中、ところどころで妙な音が混じるのが気になって手を止めると、音は後ろの方にある窓から聞こえ……
目をこらしてよく見ると、何かが外から音を立てて窓ガラスを叩いていた。
窓の外にいる何か……いや、誰か?は、窓を叩いたり手を振ったり鍵を指差したりと、とにかく忙しい。
ガラスが曇っていてよく見えないが、ぴょんぴょん跳ねているように見えるので、おそらく先ほど見かけた子供ではないかと推測できた。
「……」
少し迷ったが、開けることにした。
ここは学校という名の公共の場だ。子供が学校の関係者であれば音楽室を使う権利はある。
窓から入るのは黙認になるが、俺は教員ではないし、校則マニアでもない。
そして、ほんの少しの好奇心もある。
それに居すわられて不快なら、自分がここを去ればよいのだ。
俺が窓に近づくと、子供は動きを止めてじっとこちらを見つめていた。
鍵を開けてやると、子供は小さな手を伸ばして自分で窓を開け、「よいしょ」と窓枠に手をかけて器用によじ登りながら入ってきた。しかし足元はおぼつかない。
でも犯罪と間違われるのが怖いので、何かあるまでは手を貸さないつもりだった。
すとんっと軽い音を立てて子供は室内に降り、窓を閉めた後で俺を見上げた。
最初の印象通り小さな子供で……
実際の年齢はわからないが、ぱっと見だけならやはり小学校低学年くらいの女の子に見える。
色白の肌を真っ白なフード付きのポンチョで隠し、素足の膝の先に白い長靴を履いていた。
かぶったフードの下からは栗色の前髪が少しだけ覗き、ぱっちりとした大きな2つの瞳が俺を観察するように見つめていた。
「あたし、ひなた。あなたは?」
「え、俺?」
初めて会った小さな子供に対し、名前で答えるべきか、名字で答えるべきか、またはフルネームで答えるべきか……。
「ええと……」
吸い込まれそうな大きな瞳の前で動けないでいると、激しい足音と共に勢いよくドアが開いた。
「おーい、史朗!そろそろ帰れ!」
高校教師をしている俺の姉、阿比留真季だった。
セミロングの髪にきつい顔立ちをしているが、実はナイスバディと評判だ。
「あ、姉貴!大変だ!女の子が入り込んで……」
焦りとビビリで変な反応をしてしまった。
「女の子ぉ?」
姉貴はきょろきょろっとあたりを見回し、「どこよ?」と俺に視線を戻した。
「え……」
振り向くと、目の前にいたはずの女の子……ひなたはいなくなっていた。
――――窓から出て行った?
――――でも……窓が開く音はしなかったような……?
俺が考え込んでいると、姉貴に怖い表情で睨まれた。
「何か悪いことしようとしてたんじゃないだろね?愚痴ならいくらでも聞いてやるけど、さすがに犯罪は許さないよ!?」
「ち、違う!誤解だ!ピアノを弾いてたらそこの窓から小さい女の子が入ってきて、名前はひなたとか言って……」
「え、ひなた!?ひなたって…」
どう説明したものか……と悩んでいた俺の心とは裏腹に、姉貴の表情が怒りから驚きに変わった。
「もしかして全体的に白い子じゃなかった?」
「そう!知ってんの?」
「ははっ!こりゃ驚いた!」
驚いたのはこっちの方だよ!と思っていた俺に近づいて来た姉貴が、俺の背中をバンバン叩いた。
「その子はね、何故かこの学校に出没する守り神らしいよ。いわゆる座敷童子ってやつ。あたしがこの学校に在学していた頃から噂があったよ!条件の合ったやつの前にしか現れないんだって。あんた見込まれたんだね。よかったジャン」
「何だよそれ……人間じゃないのかよ!?」
これ以上叩かれないよう、俺は姉貴のそばから離れた。
「さあね?あたしは会ったことないし、噂でしか知らないから。まさか弟が遭遇するとは思わなかったよ。今度会ったら話を聞いてやりな」
「……話?何で?」
「そりゃ……あんたに言いたいことがあるから、あんたの前に現れたんだろうよ。それに座敷童子ってくらいだから、何か願い事を叶えてくれるのかもしれないよ?」
「…………」
話が突発的すぎて、俺はどう答えていいか訳わからなくなっていた。
「まぁそれはさておき……とにかく今日は帰った帰った!あたし今週週番担当だからさ~、手間かけさせんな、メンドクサイ」
「……わかったよ」
腑に落ちないと思いながらも、従うことにした。考えるだけなら家でも出来る。
「あ、史朗!」
姉貴に背を向けていた俺は振り向いた。
「……なるべく大通りから帰りなよ。雪積もってて危ないから……さ」
「うん……」
壁に立てかけてあった通学用の鞄を持ち上げ、「ストーブは消しとくから急げ~」という姉貴に押されるように音楽室を出た。
そのせいで、本になっている楽譜をグランドピアノの譜面台に置いたままなのをすっかり忘れて帰宅してしまっていた……。
-続く-
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