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第一章

31. もっと

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 二人でマンションに帰った後、いつも通りにご飯を食べて入浴まで済ませた。

 リビングへと戻れば、ソファーの上には俺に冷却シートを貼られた状態のまま、大人しく漫画を読む早川の姿があった。
 ゆったりとしたリネンのルームウェアに銀縁眼鏡をかけている横顔はどこか色っぽいのに、そのおでこを冷やす物のせいで大人の色気も台無しだ。
 思わず吹き出せば、俺に気づいた早川が振り返った。

「おかえり」

 軽く手を広げられソファーへと招かれる。
 その隣に座り顔を見れば、またニヤニヤしてしまう。そんな俺に、早川ば不満そうに頬を膨らませた。

「笑わないでよ。君が貼ったんでしょうが。もう外していい?」
「ごめんて。ちょっと見せて……、うん。大丈夫そう。いいよ」
「……ふぅ。馴れないことはするものじゃないね、なんて」

 剥がしたシートを丸めながら呟く彼の顔を、もう一度覗き込む。赤みが引いた額に安堵の溜息を零せば、いつの間にか彼の方から距離を縮められていた。
 鼻先がつきそうな距離で見つめ合うと、ヘーゼルの瞳の緑がより濃くなる。その不思議な色から目を離せずにいれば、耳元で低い声が囁いた。

「ねぇ……、触れてもいい?」

 頬に大きな手が添えられる。
 その親指で唇をそっと撫でられれば、背筋に甘い痺れが走った。

 小さく頷くと、彼の唇が額に触れた。

 そのまま、鼻先、瞼、頬……とゆるやかにキスが降りてくる。触れられた箇所から熱を持つような感覚が全身に広がっていった。

「……っ、ぁ」

 たまらずに熱い吐息を吐き出せば、それすらも呑み込むように唇が触れた。
 何度も角度を変えて、柔らかな唇が触れ合うのを繰り返す。呼吸が苦しくなって薄く唇を開けば、より深い口付けに変わってゆく。

「っん、ぁ、ぅ……」

 ゆっくりと舐め上げられ、舌先を吸われる度に声が零れてしまう。
 それが堪らなく恥ずかしい筈なのに、与えられる気持ち良さに抗えなかった。

 最後に唇は、ちゅっと可愛らしい音を響かせて離れていった。
 名残を惜しむかのように糸を引く唇を見つめながら、その腕の中に身を委ねる。
 一度だけ強く抱きしめられたかと思えば、静かにその腕は解かれた。

「許してくれてありがとう。今日は疲れたでしょう?もう部屋に戻りな」

 そう言うと、早川はソファーから立ち上がろうとする。
 しかし、それを遮ったのは俺の方だった。


「……っ、まって」


 咄嗟に、去ろうとする彼の袖を掴む。
「間宮くん……?」
 戸惑うような声に、羞恥心が湧き上がる。
 胸はバクバクと煩いが、どうしても止まれなかった。

「…………もっと、さ」

 火照る体のせいで、声が掠れる。
 縋る指先を緊張で震わせていると、上から大きな手に握り込まれた。

「もっと?」

 聞き返す瞳は、悩ましく揺れている。
 握りしめたリネンのシャツを強く引き、今度は俺からそっと唇を重ねた。


 先程までの名残りを燻らせた熱と熱が、静かに触れ合う。



「もっと……、触ってほしい」



 そう吐息と共に吐き出した瞬間、俺の体は抱き上げられた。急な浮遊感に驚くが、首筋に腕を回せばシャンプーの香りに安心する。

 恥ずかしくて、何も言えずに胸元に顔を埋めると、強く抱きしめられた。


 向かう先は、彼の寝室ー……


 扉を閉める音だけが、部屋に響いた。
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