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第二章

2. 課題

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 季節は移り変わり、すっかり夏だ。
 新緑が青々と輝く爽やかな季節に、俺には二つ課題があった。


 一つは、トレードマークのパーカーから、何故かお洒落な服へと進化すること。
 きっかけは、些細な会話だった。

「君の服は、いつもオーバーサイズだね」

 そう言って揶揄うように笑う早川に、服なんて着られれば良い主義の俺は「友達のおさがりだからな!」と何気なく答た。
 すると、彼は途端に真顔になった。

 え、表情筋死んだ?

「俺、パーカー好きじゃん? ついパーカー着てる奴いるとめっちゃ褒めて、素材の確認とかしたくなっちゃうんだけど……。なんでか皆おもむろに着てるやつ脱いで、プレゼントしてくれるんだよなぁ」
「な……、なんて褒めるの?」
「え? 普通に。『お前が着てるやつが欲しいな』って。おかげで服要らずでさ!」
「そ……、素材の確認とは?」
「お? そりゃあもちろん、モフモフしたりギュッて抱きしめたりっしょ」
「な……、なんて言って皆くれるの?」
「ん? あー。よくわかんねぇけど『さみしい思いさせてごめんな』とか『彼シャツならぬ彼パーカーもいいね』とか言ってたかな。かわいいなんてよく馬鹿にしてくるけど、なんだかんだ皆いい奴らだよな!」

 優しい友人達のエピソードを語れば語るほど、早川はますます真顔になった。
 そして、なんとその日のうちに買い物に連れ出され、着せ替え人形にされ、大量の服を贈られたのだ。値札がついていない服屋なんて初めてで断固として断りたかったのに、真顔の圧には耐えきれなかった。

(イケメンの真顔……、怖っ!!)

 そう心の中で叫ばずにはいられなかった。
 後日、早川に燃やされそうになったパーカー達を丁重に返却して、その優しい友人達を泣かせてしまった話は、ここだけの秘密だ。


 そして、もう一つ課題はーー……


「ほら、呼んでごらん?」
 重ねた手を指先で撫でながら、甘い声が低く囁く。

「…………っ、ゆっ、ゅ、ゆっ」
「ゆ?」
「ゅ、……ゃだ。も、無理!」
「じゃあ、今日もお仕置きだね」

 その言葉に、息を詰める。
 間近に迫る整った顔が、この時ばかりは酷く憎らしい。

「っ、ここ。カフェだし!」
「一番端の席だから、他の客からは死角になってて見えないよ」
「そういうことじゃ、ねぇって……」
「でも、で呼べなかった方が自分からキスするって約束したじゃない」

 慌てて並べた言い訳すら聞き入れて貰えず、机越しに互いの鼻先が掠める。


「キスしてよ、蒼大くん」


 毒のように甘い声に、思考なんて奪われる。俺は甘い蜜に誘われてしまう獲物のように、いつだって彼の言葉に逆らえない。

 そっと、唇同士が触れ合う。

 ちゅ……、と軽いリップ音を響かせた先には、満足そうなヘーゼルの瞳が見えた。


「良い子だね」

 
 キスの名残を惜しむように、ペロリと唇の端を舐める赤い舌に、思考はノックアウト寸前だ。俺が照れくさくて名前で呼べないのを分かってるくせに、彼はずるい。

 こう言う訳でもう一つの課題は、互いを名前で呼び合うこと。

 なのにーー……、

 こうして今日も、俺はもう一つの課題を達成できずに悪戦苦闘しているのだ。
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