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第二章

12. ミッション④

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「その四、真剣な話ができる関係になろう……かぁ」

 とある休日の夜。
 昼過ぎに出かけた早川は夕食はいらないとのことで、久しぶりに一人でご飯を済ませた俺は、ソファーに寝転がり作戦を練っていた。
 その一、その二、その三と、ここまで何とか順調にきているものの肝心な『好き』という言葉が聞けていない。
 モヤモヤとする胸から込み上げる乾いた声が、広いソファーの上で静かに響く。


「嫌われてはいねぇ筈なんだけど……」


 ……ーーむしろ、


 ガチャン


 鍵を開ける音が玄関から聞こえた。
 慌てて時計を確認すれば、考え込んでいたせいで、いつの間にか随分と夜が更けていたことを知る。
 パタパタとスリッパを鳴らしながら出迎えれば、早川は靴を脱いでいる所だった。

「おかえり!」

 そう声をかければ、驚いたようにヘーゼルの瞳が見開かれる。

「ただいま。まだ起きてたの? 遅くなるから先に寝ててってメッセージ送ったんだけど……、ごめんね」
「別にっ、漫画読んでただけだから! 気にしないでよ。それより、ちゃんと夕飯食べた? また抜いたりしてない?」
「うん、食べたよ。……ふふっ」

 不意に笑った早川に首を傾げると、大きな手が俺の髪をかき混ぜた。


「蒼大くん、新妻みたいだね」


 その言葉に、一気に顔に熱が集まる。
 そんな顔を見せたくなくて俯いたまま動けずにいると、早川が先に歩き出した。


「シャワー浴びてくるね」
「…………、っ!」


 返事をしようとした時だった。

「…………ぁ」
 小さく零れた呟きに、俺の横を通り過ぎた早川が振り返る。

「ん? なぁに?」
「あ、えっと……、なんでもねぇ。風呂いってらっしゃい」

 ヒラリと手を振れば、早川もまた歩き出した。その後ろ姿を見つめながら、飲み込んだ言葉が頭に反響する。


 でも、多分。気のせいだ。


 ソファーで適当に漫画本をめくっていると、シャワーを終えた早川が戻ってきた。
 何気なくその姿を目で追っていれば、不意に濡れて色を濃くしたミルクティー色の髪がこちらを振り向く。
 ばっちり目と目が合ってしまい、俺はとっさに漫画本で顔を隠した。
 そのまま本にかじりつき動かずにいると、突然漫画を取り上げられてしまう。


「そんなエッチなページに顔を近づけちゃって……、欲求不満なの?」


 いつの間にか近くにいた早川が、開いたページを見せてくる。それは、なんとBL漫画の濃厚なラブシーンだった。

「っちが……、!」
「違うの? あんなに熱心な視線で誘ってきたくせに」
「そんな、早川さんのことなんて全然誘ってなーー……ぁ」

 とっさに口元を押さえるが遅かった。
 逞しいその腕が、俺を捉える。


。また、おしおきだね」


 ちゅっ、と押さえる手の甲に口付けが落ちたかと思えば、勢いよく体を横抱きにされて持ち上げられた。

「わっ! まっ……、まって…………」
「待たないよ。せっかく起きて待っててくれたみたいだし。名前で呼んでくれるまで、今夜は離さないから」

 愉快そうに囁くその声を聞きながら、そっと彼の首元に鼻を寄せる。
 慣れ親しんだ石鹸の香りを胸いっぱいに吸い込めば、ようやくほっとできた。


「……なぁ。さっきの」


 香水の香り、なに?


 言いかけてやはり喉に詰まる。


 早川は、普段香水なんてつけない。
 少なくとも、昼間見送った時には、そんな香りなんてしなかったのに。

 玄関で鼻をぬけたのは、薔薇のような華やかな女性の香りだった。


 けれどー……、
 


「…………なんでもない」


 多分、気のせいだから。


 寝室のドアを閉める音が静かに鳴り響く。


『俺のこと好き?』


 体から香った香水の理由すら聞けないのに、そんなこと聞けるはずもなかった。
 たった七文字の言葉すら紡げない俺の唇は、熱い吐息に絡め取られてゆく。


 ミッションその四は、失敗だ。
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