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発情期1
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……────。
──ん……なんか、ふわふわしてる……。
時間の間隔があやふやだ。スマートフォン、どこにあったっけ?
大事なものが手元にないのに、それほど危機感もやってこないし、それを異常だとも感じない。
「立花くーん……って、大丈夫?」
「酔い潰れてんなぁ。ちゃんと見てなかったのかよ」
「えー、あの後梅酒1杯しか飲んでなかったのに」
ぺちぺち、と冷たい手の甲を当てられて、立花は無意識のうちに頬擦りをする。正座のままで、宴会用の低いテーブルに突っ伏している立花の意識は、いくら揺り起こされても浮上しない。
「俺は立花君を送るから、適当に行ってきなよ。二次会、予約してるんだろ」
「郁ちゃん、こういうときはスマートなんだからっ」
──涼風さん……? 涼風さんの匂いが、すごく、近い……。
「立花君立てる? 顔赤いな……気持ち悪くはない?」
「……ん、涼風さんだぁ……。手、冷たくて気持ちいい……」
癖のある紅茶色の前髪をかき上げて、立花の表情を確認する。涼風の整った顔が普段より近いのに、それを認識出来ていない立花は、ごろごろと陽だまりの下でリラックスする猫のようにただ甘えている。1人ではふらふらと千鳥足になってしまうので半身を支えられ、立花は店の外へ出た。
涼風の手よりも冷たい温度の夜風が、汗ばんだ頰や首筋に吹きつけてくる。次第に寒くなってきて、自然に涼風のほうへと身を寄せた。
「……家の近くまで送るよ。タクシーで運んでもらうのも、ちょっと心配だから」
「う……何でぇ……? なんで、さっき、似合ってるって言ってくれなかったんですかぁ……? 涼風さんのために、選んだ服なのに……」
まるで噛み合わない会話に涼風は苦笑しながら、立花の言うことを肯定したり、短い返事で誤魔化す。それでも新しく買った服についての感想を、吐き出させるまで絡むのを止めない。
「似合ってるよ。働いてるときのエプロン姿も好きだけど、私服姿の立花君も素敵だ」
「えへへ……涼風さんに褒められた……やったぁ」
赤ら顔をふにゃりとだらしない表情に変えると、立花は涼風の腕へより密着する。レモンイエローの薄手のニットとリネン生地のコットンパンツは、いつものようなきっちりとした黒地の仕事着とは対照的に、緩いシルエットでつくられていて、そのギャップが涼風には好評だった。
「白衣の涼風さんも格好よかったんですけど……いつもの涼風さんも、好き」
「え……? あ、ありがとう……」
染まる頰に負けないくらいに、涼風の首筋も熱をもって赤くなる。狼狽える涼風がおかしくて、立花はくすくすと笑った。半ば意識のない立花との不毛な会話は、駅の改札まで着くとぴたりと止んだ。
「住所はどこだろう。ご両親と連絡を取ってもいい?」
そう言いながら涼風は、立花の鞄からスマートフォンをごそごそと探す。「家に連絡する」と聞いた立花は、やだやだと子供のように駄々を捏ねた。
「お仕置き……されるの、やだ……。お薬も、注射も、したくない……っ。こわい……怖い……!」
「立花君……?」
取り乱し過呼吸状態になる立花の背中をさすり、ゆっくりと深く呼吸をするように促す。
「帰りたくないっ……! 痛いのも、気持ちいいのも……苦しいのも、いや……」
「……大丈夫だよ。今日は違う場所に泊まろう」
立花の漏らした言葉については言及せずに、涼風はひたすらに宥めた。明るい駅の構内を背にして、穏やかに光る街灯の道へ入っていく。学生向けの小さなアパートが集まっているこの道は、立花も昔通った記憶がある。志望していた大学のオープンキャンパスに参加したときに、借りる部屋も下見していたからだ。
「泊まるの? 涼風さんと一緒?」
「申し訳ないけど部屋は1つしかなくて。寝る場所はちゃんと分けるから」
「やった。涼風さんと一緒だ……」
介抱されているというよりは、立花自らが抱きついているような姿勢になってしまっている。涼風の借りている部屋に着くまですれ違った他人に、何度も奇異なものを見るような視線をぶつけられたが、酔った立花は気づいていない。抑制剤の効果が少しずつ切れてきて、その他の性を誘うフェロモンを出していることにも。
涼風は立花を抱えたまま、片手で部屋の鍵を器用に開けた。客人であるはずの立花をリビングには入れずに、廊下の途中にある浴室へ閉じ込める。
「手荒な真似をしてごめん。その……汗をかいて匂いが強くなっているから、1度洗い流したほうがいい。俺は外で頭を冷やしてくる」
「え、あの……どういう……」
──もしかして、お酒くさかったのかな。
胸元をぱたぱたとさせて、自身が発している匂いを嗅いでみるけれど、やはり何も感じない。脱衣所でぺたんと膝をついて座る立花は、そのまま眠ってしまいそうになる。やがてドアの反対側からノックの音が聞こえて、涼風が確認のために立花の名前を呼ぶ。
「は、入りますっ。ちゃんと洗ってきます!」
居眠りが先生にばれてしまった生徒のような気分になりながら、身につけている服を脱いで頭からシャワーを浴びる。人肌よりも少し熱いくらいの水温が降ってくるのだと期待したが、現実はそうじゃなかった。
捻る詮を間違えたらしく、立花は頭から冷水を浴びる。「ひゃっ……!」と短い悲鳴を叫びながら飛び上がった。アルコールで火照っていた肌が一気に冷やされて、程よく酔ってほわほわと気持ちよくなっていた頭も、次第に覚醒してくる。
──ん……なんか、ふわふわしてる……。
時間の間隔があやふやだ。スマートフォン、どこにあったっけ?
大事なものが手元にないのに、それほど危機感もやってこないし、それを異常だとも感じない。
「立花くーん……って、大丈夫?」
「酔い潰れてんなぁ。ちゃんと見てなかったのかよ」
「えー、あの後梅酒1杯しか飲んでなかったのに」
ぺちぺち、と冷たい手の甲を当てられて、立花は無意識のうちに頬擦りをする。正座のままで、宴会用の低いテーブルに突っ伏している立花の意識は、いくら揺り起こされても浮上しない。
「俺は立花君を送るから、適当に行ってきなよ。二次会、予約してるんだろ」
「郁ちゃん、こういうときはスマートなんだからっ」
──涼風さん……? 涼風さんの匂いが、すごく、近い……。
「立花君立てる? 顔赤いな……気持ち悪くはない?」
「……ん、涼風さんだぁ……。手、冷たくて気持ちいい……」
癖のある紅茶色の前髪をかき上げて、立花の表情を確認する。涼風の整った顔が普段より近いのに、それを認識出来ていない立花は、ごろごろと陽だまりの下でリラックスする猫のようにただ甘えている。1人ではふらふらと千鳥足になってしまうので半身を支えられ、立花は店の外へ出た。
涼風の手よりも冷たい温度の夜風が、汗ばんだ頰や首筋に吹きつけてくる。次第に寒くなってきて、自然に涼風のほうへと身を寄せた。
「……家の近くまで送るよ。タクシーで運んでもらうのも、ちょっと心配だから」
「う……何でぇ……? なんで、さっき、似合ってるって言ってくれなかったんですかぁ……? 涼風さんのために、選んだ服なのに……」
まるで噛み合わない会話に涼風は苦笑しながら、立花の言うことを肯定したり、短い返事で誤魔化す。それでも新しく買った服についての感想を、吐き出させるまで絡むのを止めない。
「似合ってるよ。働いてるときのエプロン姿も好きだけど、私服姿の立花君も素敵だ」
「えへへ……涼風さんに褒められた……やったぁ」
赤ら顔をふにゃりとだらしない表情に変えると、立花は涼風の腕へより密着する。レモンイエローの薄手のニットとリネン生地のコットンパンツは、いつものようなきっちりとした黒地の仕事着とは対照的に、緩いシルエットでつくられていて、そのギャップが涼風には好評だった。
「白衣の涼風さんも格好よかったんですけど……いつもの涼風さんも、好き」
「え……? あ、ありがとう……」
染まる頰に負けないくらいに、涼風の首筋も熱をもって赤くなる。狼狽える涼風がおかしくて、立花はくすくすと笑った。半ば意識のない立花との不毛な会話は、駅の改札まで着くとぴたりと止んだ。
「住所はどこだろう。ご両親と連絡を取ってもいい?」
そう言いながら涼風は、立花の鞄からスマートフォンをごそごそと探す。「家に連絡する」と聞いた立花は、やだやだと子供のように駄々を捏ねた。
「お仕置き……されるの、やだ……。お薬も、注射も、したくない……っ。こわい……怖い……!」
「立花君……?」
取り乱し過呼吸状態になる立花の背中をさすり、ゆっくりと深く呼吸をするように促す。
「帰りたくないっ……! 痛いのも、気持ちいいのも……苦しいのも、いや……」
「……大丈夫だよ。今日は違う場所に泊まろう」
立花の漏らした言葉については言及せずに、涼風はひたすらに宥めた。明るい駅の構内を背にして、穏やかに光る街灯の道へ入っていく。学生向けの小さなアパートが集まっているこの道は、立花も昔通った記憶がある。志望していた大学のオープンキャンパスに参加したときに、借りる部屋も下見していたからだ。
「泊まるの? 涼風さんと一緒?」
「申し訳ないけど部屋は1つしかなくて。寝る場所はちゃんと分けるから」
「やった。涼風さんと一緒だ……」
介抱されているというよりは、立花自らが抱きついているような姿勢になってしまっている。涼風の借りている部屋に着くまですれ違った他人に、何度も奇異なものを見るような視線をぶつけられたが、酔った立花は気づいていない。抑制剤の効果が少しずつ切れてきて、その他の性を誘うフェロモンを出していることにも。
涼風は立花を抱えたまま、片手で部屋の鍵を器用に開けた。客人であるはずの立花をリビングには入れずに、廊下の途中にある浴室へ閉じ込める。
「手荒な真似をしてごめん。その……汗をかいて匂いが強くなっているから、1度洗い流したほうがいい。俺は外で頭を冷やしてくる」
「え、あの……どういう……」
──もしかして、お酒くさかったのかな。
胸元をぱたぱたとさせて、自身が発している匂いを嗅いでみるけれど、やはり何も感じない。脱衣所でぺたんと膝をついて座る立花は、そのまま眠ってしまいそうになる。やがてドアの反対側からノックの音が聞こえて、涼風が確認のために立花の名前を呼ぶ。
「は、入りますっ。ちゃんと洗ってきます!」
居眠りが先生にばれてしまった生徒のような気分になりながら、身につけている服を脱いで頭からシャワーを浴びる。人肌よりも少し熱いくらいの水温が降ってくるのだと期待したが、現実はそうじゃなかった。
捻る詮を間違えたらしく、立花は頭から冷水を浴びる。「ひゃっ……!」と短い悲鳴を叫びながら飛び上がった。アルコールで火照っていた肌が一気に冷やされて、程よく酔ってほわほわと気持ちよくなっていた頭も、次第に覚醒してくる。
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