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唯人
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「……入るよ」
包海の1人息子がこの部屋から出たところを、もう久しく見ていない。適度に外にも出ず、まともに栄養を摂っていないから身体は相変わらず幼少のままで、か弱い。一切の光が差さない部屋は湿っぽくて陰鬱だ。外の廊下の照明が届いて、部屋の中の輪郭がかろうじて目に見える。ベッドの上の不自然なシーツの盛り上がり方を見て、立花はその方向へ声を投げた。
「唯人」
目の前の山が「んー……」と低い声を発しながら、形を崩していく。シーツの端からはみ出た足首が、枝葉を削ぎ落とされた細い幹みたく貧相だった。
「ん……どのくらい寝てた? 頭ずきずきして割れそ……」
「知る訳ない。鍵を返して」
「鍵? 何の?」
いちいち相手をしている余裕も時間もない。立花は部屋の主の了承を得ずに、手当たり次第に目につくところのものを引っくり返しながら、形などとうに忘れてしまったものを探す。唯人は昔から立花の行動には疑問を持たないし、むっとしたりもしない。受け入れている、とは少し違うが、無関心という訳でもないようで。立花の知る言葉だけでは、表せない何かは、大人になった今でも分からない。
「ねぇ……立花」
熱の抜けた青白い腕が、立花の胸に絡まる。後ろから、唯人に抱き締められている。掴んだら脆い音を立てて折れてしまいそうなほど、痩せて肉のなくなった手足が痛々しい。温度のない、無機質にも思えてしまうそれが、だんだんと立花の腹へ降りてくる。
「名前をね、たくさん考えたよ。俺と立花の子が……ここにちゃんといるんだよね?」
「そんなの……もうとっくにいない」
あの夜から……立花が初めての発情期を迎えて、包海家の2人に抱かれた日から、唯人はおかしくなってしまった。立花が中学に上がったときの……8年も前の出来事を、まるで最近のことのように話す。見た目も情緒も含めて、唯人の時間は止まってしまっている。どちらかも分からない子は、未成熟の器官では育たずに、酷い腹痛とともに消えてしまった。
「嘘つき。立花は優しいから俺の子を殺したりしないよね?」
落ち着き払った声で、じくじくと心を抉られる。そんなありきたりな言葉は慣れてしまったと思い込んでいたから、いっそう辛かった。
もう、この家には戻らない。番の契約を結んで、立花は一生をアルファに捧げるのだ。
こつ、と指先に冷たい感触がぶつかる。道具箱の1番奥に、探していた鍵は押し込まれていた。唯人に見られないようにそれを回収すると、立花は身体にまとわりついた腕を剥がして、部屋を出た。扉を越えて、唯人が追ってくる気配はなくて、煩かった心臓の音は平時に戻っていく。
ここにずっといて無駄に心を磨り減らすよりかは、仁居に飼われたほうがよほどいいのかもしれない。望まないにしても、最低限の生活は保障されていて、発情期の問題も噛まれることで解決する。涼風との未来が消えた今では、そうやって自分自身を慰めなければ、とても正気ではいられない。
──助けて。助けて……涼風さん……。
涼風の1番大事なものを、自分が隣にいることを望めば、壊してしまう。それを涼風が知ったら、立花を酷く罵るだろう。唯人の言葉や、アルファ達に与えられる凌辱には堪えられても、涼風にそうされたら、この世から消えることを迷いなく選ぶ。
涼風の努力の結果が世に出ないどころか、結ばれた先の不幸の渦中で、立花を取り巻いている事情はきっと見つかる。自分が恐れているのは、きっとそちらのほうだ。失望されるほうが嫌だなんて、とことん身勝手で嫌になる。
……────。
その日の夜、立花は瑛智の部屋へ呼び出された。客を取らされているホテルの一室ではなくて、自宅にある瑛智のプライベートの部屋だ。仕事用の部屋は近寄らないように言い聞かされていたので、その周辺がどういう構造になっているのか、全く分からない。その階へ行くための階段は1つしかなく、包海家に訪れてから生まれて初めて、立花はそれを使った。
まるで、絞首台に上がるような気分だ。階段の折り返しに当たる場所に、ステンドグラスが嵌まっていて、夕陽に溶け込んだ色が柔らかく地面に差している。眼前の美しい情景に、弱りきった心が揺さぶられることはなかった。
「入りなさい」
ノックの音が、有無を言わさない命令の言葉で返ってくる。弱味を悟られないように、立花は視線を落としたままで瑛智と対面する。
「私の言いたいことは分かるね。立花。これからの仕置きの内容は、お前の今からの誠意次第だよ」
仕置きと聞いて、立花は反射的に顔を上げてしまう。瑛智の表情は怒りのみで満ちてはいなかった。躾と称して、立花の身体を方法を問わずいたぶるのだ。商品の価値が下がるためか、消えない傷をつけるような行為はないが、最後には必ずこの男に許しを乞うことになる。過ぎた快楽は、痛みよりも恐ろしいのだと、散々身体に刻み込まれた。
包海の1人息子がこの部屋から出たところを、もう久しく見ていない。適度に外にも出ず、まともに栄養を摂っていないから身体は相変わらず幼少のままで、か弱い。一切の光が差さない部屋は湿っぽくて陰鬱だ。外の廊下の照明が届いて、部屋の中の輪郭がかろうじて目に見える。ベッドの上の不自然なシーツの盛り上がり方を見て、立花はその方向へ声を投げた。
「唯人」
目の前の山が「んー……」と低い声を発しながら、形を崩していく。シーツの端からはみ出た足首が、枝葉を削ぎ落とされた細い幹みたく貧相だった。
「ん……どのくらい寝てた? 頭ずきずきして割れそ……」
「知る訳ない。鍵を返して」
「鍵? 何の?」
いちいち相手をしている余裕も時間もない。立花は部屋の主の了承を得ずに、手当たり次第に目につくところのものを引っくり返しながら、形などとうに忘れてしまったものを探す。唯人は昔から立花の行動には疑問を持たないし、むっとしたりもしない。受け入れている、とは少し違うが、無関心という訳でもないようで。立花の知る言葉だけでは、表せない何かは、大人になった今でも分からない。
「ねぇ……立花」
熱の抜けた青白い腕が、立花の胸に絡まる。後ろから、唯人に抱き締められている。掴んだら脆い音を立てて折れてしまいそうなほど、痩せて肉のなくなった手足が痛々しい。温度のない、無機質にも思えてしまうそれが、だんだんと立花の腹へ降りてくる。
「名前をね、たくさん考えたよ。俺と立花の子が……ここにちゃんといるんだよね?」
「そんなの……もうとっくにいない」
あの夜から……立花が初めての発情期を迎えて、包海家の2人に抱かれた日から、唯人はおかしくなってしまった。立花が中学に上がったときの……8年も前の出来事を、まるで最近のことのように話す。見た目も情緒も含めて、唯人の時間は止まってしまっている。どちらかも分からない子は、未成熟の器官では育たずに、酷い腹痛とともに消えてしまった。
「嘘つき。立花は優しいから俺の子を殺したりしないよね?」
落ち着き払った声で、じくじくと心を抉られる。そんなありきたりな言葉は慣れてしまったと思い込んでいたから、いっそう辛かった。
もう、この家には戻らない。番の契約を結んで、立花は一生をアルファに捧げるのだ。
こつ、と指先に冷たい感触がぶつかる。道具箱の1番奥に、探していた鍵は押し込まれていた。唯人に見られないようにそれを回収すると、立花は身体にまとわりついた腕を剥がして、部屋を出た。扉を越えて、唯人が追ってくる気配はなくて、煩かった心臓の音は平時に戻っていく。
ここにずっといて無駄に心を磨り減らすよりかは、仁居に飼われたほうがよほどいいのかもしれない。望まないにしても、最低限の生活は保障されていて、発情期の問題も噛まれることで解決する。涼風との未来が消えた今では、そうやって自分自身を慰めなければ、とても正気ではいられない。
──助けて。助けて……涼風さん……。
涼風の1番大事なものを、自分が隣にいることを望めば、壊してしまう。それを涼風が知ったら、立花を酷く罵るだろう。唯人の言葉や、アルファ達に与えられる凌辱には堪えられても、涼風にそうされたら、この世から消えることを迷いなく選ぶ。
涼風の努力の結果が世に出ないどころか、結ばれた先の不幸の渦中で、立花を取り巻いている事情はきっと見つかる。自分が恐れているのは、きっとそちらのほうだ。失望されるほうが嫌だなんて、とことん身勝手で嫌になる。
……────。
その日の夜、立花は瑛智の部屋へ呼び出された。客を取らされているホテルの一室ではなくて、自宅にある瑛智のプライベートの部屋だ。仕事用の部屋は近寄らないように言い聞かされていたので、その周辺がどういう構造になっているのか、全く分からない。その階へ行くための階段は1つしかなく、包海家に訪れてから生まれて初めて、立花はそれを使った。
まるで、絞首台に上がるような気分だ。階段の折り返しに当たる場所に、ステンドグラスが嵌まっていて、夕陽に溶け込んだ色が柔らかく地面に差している。眼前の美しい情景に、弱りきった心が揺さぶられることはなかった。
「入りなさい」
ノックの音が、有無を言わさない命令の言葉で返ってくる。弱味を悟られないように、立花は視線を落としたままで瑛智と対面する。
「私の言いたいことは分かるね。立花。これからの仕置きの内容は、お前の今からの誠意次第だよ」
仕置きと聞いて、立花は反射的に顔を上げてしまう。瑛智の表情は怒りのみで満ちてはいなかった。躾と称して、立花の身体を方法を問わずいたぶるのだ。商品の価値が下がるためか、消えない傷をつけるような行為はないが、最後には必ずこの男に許しを乞うことになる。過ぎた快楽は、痛みよりも恐ろしいのだと、散々身体に刻み込まれた。
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