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【3章】運命の恋
サプライズ
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子供と過ごす時間はあっという間に過ぎていく。斗和の夜泣きは半年も過ぎれば、落ち着きを見せた。腰が据わり始め、まだ一人では立つことはできないが、玩具で遊んだりとできることが増えていった。
千歳のことを舌足らずに「まぁーま」と言うこともたまにあり、検診では大層驚かれた。
それに乗じてレグルシュは「パパ」と呼ばせようと、毎日息子に話しかけている。しかし、思うようにはいっておらず、千歳は肩を落とすレグルシュを都度励ました。ユキに先を越されないかと、レグルシュはやきもきしているようだ。
──もう、一年かぁ……。
人生で一番多忙で、けれど幸福だった。千歳とレグルシュは今日、一度目の結婚記念日を迎える。籍を入れたとき、千歳は妊娠中だったので体調を考えて式は挙げなかったのだ。
今日と明日は、義姉であるエレナの厚意で、斗和を預からせてもらえることになった。六ヶ月とはいえ、乳幼児の世話を頼むのは忍びなかったが、エレナも樹も快く引き受けてくれた。頼もしい斗和のお兄さんも、三人を出迎えてくれる。
「斗和ひさしぶりー! かわいぃーねぇ!」
「……にぃー?」
「斗和? 今ユキくんのこと……」
レグルシュはエレナと話していて、斗和が呟いた言葉には気付いていない。知ったら拗ねてしまいそうなので、千歳は秘密ね、と斗和の口元に指を立てた。
斗和はユキとの再会を不思議がっていたが、次第に緊張した顔から笑みを咲かせた。だんだんと周囲の空気感や、言葉を小さな頭で吸収している。斗和の毎日の成長が、千歳にとってかけがえのない宝物だ。
「斗和。ユキくんのお家でいい子にしていてね」
「んぅ?」
斗和は若いオリーブのような目を丸くさせた。こちらへやって来たレグルシュが名残惜しそうに、斗和の頬や髪に何度もキスをしている。結婚記念日は、予約していたディナーへ二人で行く予定になっている。
斗和を預けることに渋っていた二人に「今日くらいいいじゃない」と、半ば強引にレストランの予約と代金を先払いしたのは、エレナだった。
「行ってらっしゃい! 私達のことは気兼ねなく、二人で楽しんできてね」
「ありがとうございます。エレナさんと樹さんが、斗和を見てくれるのなら心強いです」
エレナに抱かれた斗和は、いつも抱っこしている千歳を不思議そうに見上げている。そろそろ車で向かわなければいけない時間なのだが、千歳とレグルシュは、あざとくて可愛い我が子にかれこれ数十分は足止めされている。
「まぁー?」
「ねえねえ、斗和! ユキと一緒に遊ぼうねっ」
二人揃って斗和から離れるのは初めてだ。不安を表情に出す千歳とレグルシュに、エレナは微笑む。
「ユキも見てくれるし大丈夫よ。慣らし保育みたいに思ってくれれば。あまり長居すると斗和くんぐずって引き止められるわよ。気が変わらないうちに行ってあげなさいな」
千歳とレグルシュは斗和に何度も手を振って、エレナの家を後にした。今夜はレグルシュも飲むそうなので、車を自宅に置いてからタクシーで向かう予定だ。
車の外から、斗和に不思議そうな顔でまじまじと見つめられ、車内で苦い顔を見合わせた。
タクシーでレストランへ向かう間も、席へ案内されて料理を待つ間も、レグルシュの口から出るのは斗和の話題ばかりだ。
「レグ。心配し過ぎだよ。エレナさんと樹さんは、僕よりも子育ての先輩です。それに、ユキくんだって斗和の面倒を見てくれるって」
「ユキが見ると言っているから、心配なんだ」
もう、と千歳が注意しても、レグルシュは涼しい顔だ。食前の甘い果実酒を口に含むと、宝石のように綺麗な瞳が千歳の姿を映した。
「千歳。俺を選んでくれてありがとう」
「え、そんな……それは、こちらこそ、です」
淡いアルコールを含んだ身体に、レグルシュの甘ったるい言葉が溶け、全身が沸騰しそうだった。
「お前が俺のパートナーになってくれたら、とユキのシッターを任せるうちに思ったんだ。それ以上は望まないと。けれど、子供にも恵まれて……俺は幸せに殺されそうだ」
「それはちょっと不吉です。斗和のためにも、ずっと元気で僕の側にいてください」
外食は久しぶりだ。ドレスコードが必要な格式張ったレストランは、片手で数えるほどしか食事をしたことがなく、千歳は緊張している。
ややぎこちない千歳に比べて、レグルシュの所作は優雅だ。メインの肉料理にナイフを入れると、レグルシュは苦い顔をする。
「俺達だけで美味しいものを食べて、斗和に申し訳ないな」
「ふふ、きっと斗和も今頃美味しい離乳食を食べてるよ」
二人の会話はいつの間にか馴れ初めの話から、斗和の話題へとすり変わる。
レグルシュに子供の存在が知られたら、と杞憂していた暗い日が嘘のように、毎日が幸福だ。食後のワインをゆっくり飲んでいると、照明が徐々に暗くなり始める。
「どうしたんだろう……」
千歳の潜めた声は、ウェイターの声にかき消された。千歳とレグルシュのテーブルに、ホールケーキが運ばれてきた。蝋燭に灯るオレンジ色の火が、ゆらゆらと揺れている。
向かいにいるレグルシュが「やられたな」と悔しげな声を落とした。裏腹にその声は喜色めいた感情も混ざっている。
千歳のことを舌足らずに「まぁーま」と言うこともたまにあり、検診では大層驚かれた。
それに乗じてレグルシュは「パパ」と呼ばせようと、毎日息子に話しかけている。しかし、思うようにはいっておらず、千歳は肩を落とすレグルシュを都度励ました。ユキに先を越されないかと、レグルシュはやきもきしているようだ。
──もう、一年かぁ……。
人生で一番多忙で、けれど幸福だった。千歳とレグルシュは今日、一度目の結婚記念日を迎える。籍を入れたとき、千歳は妊娠中だったので体調を考えて式は挙げなかったのだ。
今日と明日は、義姉であるエレナの厚意で、斗和を預からせてもらえることになった。六ヶ月とはいえ、乳幼児の世話を頼むのは忍びなかったが、エレナも樹も快く引き受けてくれた。頼もしい斗和のお兄さんも、三人を出迎えてくれる。
「斗和ひさしぶりー! かわいぃーねぇ!」
「……にぃー?」
「斗和? 今ユキくんのこと……」
レグルシュはエレナと話していて、斗和が呟いた言葉には気付いていない。知ったら拗ねてしまいそうなので、千歳は秘密ね、と斗和の口元に指を立てた。
斗和はユキとの再会を不思議がっていたが、次第に緊張した顔から笑みを咲かせた。だんだんと周囲の空気感や、言葉を小さな頭で吸収している。斗和の毎日の成長が、千歳にとってかけがえのない宝物だ。
「斗和。ユキくんのお家でいい子にしていてね」
「んぅ?」
斗和は若いオリーブのような目を丸くさせた。こちらへやって来たレグルシュが名残惜しそうに、斗和の頬や髪に何度もキスをしている。結婚記念日は、予約していたディナーへ二人で行く予定になっている。
斗和を預けることに渋っていた二人に「今日くらいいいじゃない」と、半ば強引にレストランの予約と代金を先払いしたのは、エレナだった。
「行ってらっしゃい! 私達のことは気兼ねなく、二人で楽しんできてね」
「ありがとうございます。エレナさんと樹さんが、斗和を見てくれるのなら心強いです」
エレナに抱かれた斗和は、いつも抱っこしている千歳を不思議そうに見上げている。そろそろ車で向かわなければいけない時間なのだが、千歳とレグルシュは、あざとくて可愛い我が子にかれこれ数十分は足止めされている。
「まぁー?」
「ねえねえ、斗和! ユキと一緒に遊ぼうねっ」
二人揃って斗和から離れるのは初めてだ。不安を表情に出す千歳とレグルシュに、エレナは微笑む。
「ユキも見てくれるし大丈夫よ。慣らし保育みたいに思ってくれれば。あまり長居すると斗和くんぐずって引き止められるわよ。気が変わらないうちに行ってあげなさいな」
千歳とレグルシュは斗和に何度も手を振って、エレナの家を後にした。今夜はレグルシュも飲むそうなので、車を自宅に置いてからタクシーで向かう予定だ。
車の外から、斗和に不思議そうな顔でまじまじと見つめられ、車内で苦い顔を見合わせた。
タクシーでレストランへ向かう間も、席へ案内されて料理を待つ間も、レグルシュの口から出るのは斗和の話題ばかりだ。
「レグ。心配し過ぎだよ。エレナさんと樹さんは、僕よりも子育ての先輩です。それに、ユキくんだって斗和の面倒を見てくれるって」
「ユキが見ると言っているから、心配なんだ」
もう、と千歳が注意しても、レグルシュは涼しい顔だ。食前の甘い果実酒を口に含むと、宝石のように綺麗な瞳が千歳の姿を映した。
「千歳。俺を選んでくれてありがとう」
「え、そんな……それは、こちらこそ、です」
淡いアルコールを含んだ身体に、レグルシュの甘ったるい言葉が溶け、全身が沸騰しそうだった。
「お前が俺のパートナーになってくれたら、とユキのシッターを任せるうちに思ったんだ。それ以上は望まないと。けれど、子供にも恵まれて……俺は幸せに殺されそうだ」
「それはちょっと不吉です。斗和のためにも、ずっと元気で僕の側にいてください」
外食は久しぶりだ。ドレスコードが必要な格式張ったレストランは、片手で数えるほどしか食事をしたことがなく、千歳は緊張している。
ややぎこちない千歳に比べて、レグルシュの所作は優雅だ。メインの肉料理にナイフを入れると、レグルシュは苦い顔をする。
「俺達だけで美味しいものを食べて、斗和に申し訳ないな」
「ふふ、きっと斗和も今頃美味しい離乳食を食べてるよ」
二人の会話はいつの間にか馴れ初めの話から、斗和の話題へとすり変わる。
レグルシュに子供の存在が知られたら、と杞憂していた暗い日が嘘のように、毎日が幸福だ。食後のワインをゆっくり飲んでいると、照明が徐々に暗くなり始める。
「どうしたんだろう……」
千歳の潜めた声は、ウェイターの声にかき消された。千歳とレグルシュのテーブルに、ホールケーキが運ばれてきた。蝋燭に灯るオレンジ色の火が、ゆらゆらと揺れている。
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