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第2章/記憶を辿って(Tomari Katsuragi)
29.独りで、怖くて(☆)
しおりを挟む四月の二週目の真ん中あたりで店舗はついに改装工事へと入った。
いつもお客様をお迎えしている店頭が、今は特設の壁で覆われている。外の世界が遠く思えるこの感覚が懐かしい。
改装後のイメージ画像は閉店セール最終日に見せてもらったばかり。今よりも更にスタイリッシュな外観に皆の期待が高まっているのを感じた。
私も興味深く見ているつもりではあった。
しかしこの脳には相変わらず、何処か他人事のようにして伝わるのだ。
周囲の熱がチリチリと私の表面ばかりを焦がすようだった。
何故私は皆と同じ温度になれないのだろう。寂しくもあり、申し訳なくもありと、複雑な心境になる瞬間があった。
しかし、それでも。
「桂木さん、ちょっと大変だと思うんだけど、ここの棚から~……こっちまで! 倉庫に移動させてほしいの。新商品の置き場を確保しなきゃいけないし、明日にはノベルティも届くから」
「承知しました」
「急ぎではあるけど水分補給はちゃんとしてね。蓋ができる容器なら倉庫内に持ち込んで大丈夫だから」
「ありがとうございます」
私は先輩に心配をかけないよう、出来るだけハッキリと答えた。
忙しない空間で体調を崩しやすい私は、ストックルームと倉庫での作業が中心となった。
こちらも決して楽ではない。大量に積まれた商品は見た目以上に重いから、筋肉痛間違いなしの体力仕事と言えるだろう。
しかし私はありがたく思う。自分でも役に立てることを。
事前に不安な点を相談しておいたのは正解だったと改めて思う。配慮してもらっている分、私も気合いを入れて臨まなくては。
先ほど入荷した商品の段ボール箱がいくつか空いたので、そちらに指示されたセール品を丁寧に梱包する。
台車に二箱分積んだ後、店長から倉庫の鍵を受け取った。外側へ繋がるドアに向かおうとしていたときだった。
「トマリ~ン、待って待って! るみも行くよ!」
「るみさんもですか? 売り場作りの方は……」
「今んとこ人員足りそうだから大丈夫! トマリンと一緒に行ってって千秋マネージャーに頼まれたんだぁ」
「千秋マネージャーに、ですか」
「そうそう、今はまだ入荷そこまで多くないけどこれからもっと増えるから二人は必要でしょって」
静かな空間は集中できる。私は一人でも構わなかったのだが……あまり信用されてないのだろうか。
ほんの一瞬ばかり気分が沈んだけれど、行こうと言って歩き出したるみさんの軽やかな足取りを眺めているうちに、これはこれで良いかも知れないと思えてきた。
「うわぁ……相変わらずここの倉庫は殺風景で退屈そう。トマリンよく一人で行き来できるね」
声だけでげんなりしているのが伝わってくる。見渡す限り、箱、箱、箱。気持ちはわからなくもないのだが。
「スマホ持ってるので何かあればすぐ店舗に連絡できますし、廊下は競合店の人も出入りするのでそれほど退屈には感じませんが」
「え~、でも話し相手はいないじゃん。るみは寂しくなっちゃうから苦手だなぁ。トマリンが一緒で良かったぁ」
るみさんは苦笑いしながら水筒を壁側に置いた。
私は一足先に周辺の段ボール箱をいくつか移動させ、新たに置けるスペースを出来るだけ広げようと試みる。るみさんもすぐに駆け付けてくれた。
重い段ボール箱を何度も持ち上げては下ろしを繰り返しながら、私たちは合間合間で言葉を交わす。
「倉庫内の作業は今日までなんだっけ?」
「はい、予定ではそのようになっていると聞いています。明日からはまたストックルームの整理整頓。でも来週あたりに催事用の商品も入荷するとのことなので、いずれまた倉庫内の行き来は必要になるかと」
「ひぇぇ、ヤバいね! っていうかトマリン、そろそろ小休止しようよぉ! 汗だくになっちゃうって~!」
「承知しました」
るみさんの方を振り返ったとき、自分の頬をつうっと汗が伝ったのがわかった。いつの間に、と少し驚いた。
私たちは揃って床にどかっと腰を下ろす。壁を背もたれにして身体をいっぱいに伸ばした。
息が上がっている割に、ため息は長い。二人とも。
沈黙が破られたのはいくらか汗が引いた頃だ。
「アパレルの仕事ってさ、ハードな運動部みたいだよね。動きっぱなしの立ちっぱなしじゃん。表でも裏でもさ」
「そうですね、るみさん」
「ねぇ、トマリン。この間面白いことがあったんだよ」
「面白いこと」
「二人組のお客様が話してるの偶然聞こえちゃったんだ。いいわねあの子たち、綺麗な格好して突っ立ってるだけでお給料貰えるんだから……だって。笑えるでしょ」
ちら、と隣を見るとるみさんの悪戯っぽい笑みがある。小ぶりな唇から覗く八重歯も見慣れたものだ。
しかし今の話に笑える要素などあっただろうか。不思議に思うあまり私は何も返せない。
今度は天井の方へ笑顔を向けるるみさん。その姿勢のまま続けた。
「別に愚痴じゃないんだよ、コレ。怒ってなんかないの。いいの。るみはそう思われてた方が気が楽。最高にイケてる姿で仕事がしたかったからアパレルを選んだんだもん。疲れてそうに見えたらそれこそ困る」
「それは……私も少しわかります」
「るみはね、お客様と話すの好きだよ。でもどんなに楽しく過ごしたって赤の他人じゃん。むしろお互いに割り切ってるから成立してる関係じゃん。だからるみの気持ちわかってほしいとも思ってないの」
「なるほど」
彼女の口調は明朗で、表情にも曇りは感じられない。言っていることだって事実そのもの。少なくとも私はそう捉えられる。
「でもね……」
でも。
「たま~に、ちょっとだけ、寂しいんだ」
ちょっとだけ、それもわかってしまう。
空気を読むことを苦手としている私にも、すんなりと流れ込んでくるものがあるのだ。やはり同じ仕事をしているからこそなのだろうか。
すまない、るみさん。私は今少し安堵してしまっている。大多数の社会人が有しているのであろう気持ちが自分にも備わっていることを。
「そうですね、人は見えている部分だけで判断するしかありませんから。それ以外に“わかる気がするもの”があったとしても所詮は推測と言っても過言ではないでしょう。お客様はもちろん、きっと我々もそうなのです」
「さっすがトマリン、クールだね」
「いえ。私に面白みがないだけかと」
「えー、それは自虐ってもんでしょ。トマリンは面白いよ。客観的に分析できるのも凄いと思うし!」
おそらく私のは、客観的と見せかけた他人事なのだけどな。
そうは思ったものの、彼女のフォローを 無碍にするのもためらわれたので口には出さなかった。
「なんかごめんね、トマリン。愚痴ってるつもりはなかったんだけど、こうやって気を遣わせちゃってるってことは結局愚痴と変わんないのかも。やだなぁ、ダサいね私」
苦笑するるみさん、その話し方にほんの僅かな違和感を覚えた。具体的に何かはわからない。
だけど彼女が今、アンバランスな状態にあることははっきりと伝わっていて。
「ダサくなんかないです。寂しいときくらいあって当然じゃないですか」
「トマリン……」
「私たちはマネキンではなく生きた人間なのですから」
彼女の潤んだ黒目に映る私は……私の表情は、相変わらず淡白だ。言葉の熱量とまるでリンクしていない。こちらもアンバランスということか。
それでもるみさんは瞼をきゅっと吊り気味に細めて笑う。無邪気な猫のように。
「ありがと、トマリン。今の名言だね。カッコイイし凄く刺さった」
「さ、刺さった!? 申し訳ございません、私何か傷付けるような言い方を……」
「違う違う、悪い意味じゃないよぉ。ふふふ、日本語って何気に難しいよね」
るみさんの笑い声はしばらく続いた。ふわふわと青空へ登っていく風船の群れみたいに軽やかな響きだ。
引っ張られるようにして私の気持ちも少しずつ重力から解放されていく。
実際、その後の作業はいつもより捗った気がした。
愚痴を零してしまっただなんて、どうか気にしないでほしいと心から思った。独りではないとむしろ私が実感できたのだから。
次の日も、その次の日も、私のやるべきことはいっぱいだった。それを一つ一つクリアすることで私は確実に自信を身に付けているように思えた。
遠い昔に見失った達成感というものを思い出し始めていた。
しかし改装工事から五日目。
私は発熱により早退を余儀なくされてしまう。
どれほどの失意に飲み込まれていたのだろう。どうやって帰ってきたのかさえよく覚えていないのだ。
ピピッ、ピピッと体温計の音がした。
ほんの十五秒ほどで検温できるタイプなのに、その僅かの間に眠りかけていたようだ。
ベッドの上、私はぼんやりとした意識のまま生温かい体温計を眺める。
37.8℃……これも多少はマシになった方だ。早退してきた日の夜は38℃を超えたから。
ころんと横向きになり、胎児のように丸まってみた。布団の端っこを強く握り締めた。こうすると心細さがいくらか和らぐ気がするのだ。
昼の匂いがすると漠然と思った。小鳥の鳴き声をベッドの上で聞く機会などそう多くはなかったはずだ。
だけど全く知らない感覚でもないのがつらい。
明るいのに、独り。
太陽に照らされているのに、寒い。
そう、出来ればこんなの思い出したくなかったんだ。
両目から熱いものが滲み出したとき、また睡魔が私に手招きした。こちらが抵抗できないのをいいことにずるずると微睡みの奥へと引きずり込む。
やがてストン、と落ちた深みにて。
奴はよりによってあの人に姿を変え、一度は優しく私を包み込んだのだ。
――トマリさん――
――ねぇ、トマリさん――
香りまでリアルに再現しておいて。私を安心させておいて。
いつもの呼び方で散々この耳元をくすぐっておきながら、急に強く私の両肩を掴んで遠ざけた。
――あまりガッカリさせないでよ――
冷たい声で言い放ち、光の無い目で拒絶を示す。
現実と夢の区別はつく方だ。睡魔よやってくれるではないか、なんて毒づいてもいた。
ああ、でもこの演出はあながち間違ってもいないのだろう。悲しくも私は納得してしまう。
近い未来はこうなのだろう。今のうちに心の準備をしておけということか。
人に期待など抱くものではないということか。
わかった、私はそれで構わない。失望されるのには慣れているから。
そう覚悟を決めたはずなのに、おのずと伸びた手はあの人の背中を必死に追いかけようとしていた。
――待っ……――
衝動を抑えようとしても身体が勝手に。
――千秋さ……っ――
かすれた声が勝手に。
「…………っ!」
やっと目を開けることが出来たとき、私の息は激しく乱れていた。
布団を握る手が、丸めた背中が、ガタガタと大きく震え出す。体内で別の生き物が暴れ回っているみたいに。
自分に一体何が起きているのか理解も追いついていないのに、涙がとめどなく零れて枕をじっとりと濡らす。
怖い。
最初に確信へ辿り着いたのはその感情だけだ。
何が、という疑問から可能性を導き出そうとするも思考は途中で遮断される。何度繰り返してみても同じだった。
嫌だ、つらい、面倒くさい。
もう疲れた。嫌だ、嫌だ。
全部どうでもいい。全部熱のせいだ、そうに決まっている。
語彙力皆無の自暴自棄に陥っていたとき、 傍らのスマホが何かの通知を拾って小さく震えた。
涙で視界はぼやけていた。でもその名を捉えるまでにそう時間はかからなかったはずだ。
『今、出張から戻ったとこ。これからお見舞いに行っていい?』
「肇くん……」
意識が引き締まり、おのずと背筋がシャンとする。
このままではいけない。こんな姿は見せられない。しっかりしなくては。
承諾の返事をするよりも先にそう思った。
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