tomari〜私の時計は進まない〜

七瀬渚

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第2章/記憶を辿って(Tomari Katsuragi)

36.光のシャワーとあなたの涙(☆)

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 花火が上がっていた……といっても、わざわざ待ち合わせをして一緒に見に行った訳ではない。

 確かにあの時期は夏祭りと同様にいろんな場所で大規模な花火大会が開催されていた。るみさんとあすか先輩も早番の後にその足で向かったと聞いている。
 凄いフットワークの軽さ、そして体力。疲れやすい私ではとても考えられない。

 そう、私は大勢の人でごった返すような場所に自分から赴くことがほとんどなかった。世間で“夏の風物詩”と呼ばれているものはどうも活気がありすぎて、むしろ苦手意識を持っていたくらいだ。

 だけど私の知る範囲でたった二箇所だけ、人混みに入らず花火を見られる場所がある。この夏もまた一人で眺めるのだろうなと思っていた。

 まさかあの人と一緒に夜空を見上げることになるだなんて思いもしなかったんだ。


 例のスカウトマンはついに諦めたらしく姿そのものを見かけることがなくなった。おかげで比較的平穏な通勤時間が戻ってきたし、あの繁華街もいくらか治安が良くなったように思えた。

 不安だったら念のため迂回ルートを使っても大丈夫、ちゃんと交通費出るようにするからと千秋さんは言ってくれた。何処までも親切な人だと思った。
 だけど同時に理解もしたのだ。もう彼と共に行動する理由もないのだと。

 私はいよいよ心細さを感じた。その気持ちの正体も多少はわかっていたつもりだ。
 あの人は数ヶ月前に知り合ったばかりの上司でありながら、まるで昔からの友人みたいに気が合うから、元の状態に戻るというだけも寂しく感じてしまう……ということなのだろう。

 そうは言ったって私ももう大人だ。何事にも終わりが来ることくらいすんなりと受け入れられなくてはならない。
 自分なりに気持ちを切り替えたようで実際は平気なフリをして一人で帰るようになった。


 でもあの日はなんだか本音を隠せなかったのだろう。

 中番なのに仕事量が多くてなかなか帰れずにいた私。そしてたまたま近くで仕事をしていた千秋さん。
 彼は見事に察した。私が落ち込んでいることを。

 理由を話すのにためらったけど、怒らないからと言って悪戯いたずらっぽく笑う彼につい話してしまったのだ。
 毎年見ている花火にこのままでは間に合わないと。

 うちの近所でこぢんまりとしたお祭りがやっていて、アパートのベランダからは花火がハッキリ見れる。花火大会に比べると数は少なくすぐ終わってしまうのだけど、私にとっては特別なものなのだと打ち明けた。

 千秋さんがリアクションを返してくるまでさほど時間はかからなかった。

「じゃあ早く終わらせて帰ろうよ! こっちの仕事は今済んだから僕もそれ手伝うね。何すればいいかな」

「でも私ばかり手伝ってもらう訳には……」

「そんなことない。トマリさん、一人じゃ手に負えない仕事量だとわかっていながら周りに言わなかったでしょ。今日の中番はトマリさん一人だし、ここはストックルームなんだから困ってるならそう言わなきゃ気付いてもらえない。別に個人的な事情までは話さなくてもいいと思うしさ。僕が売り場の人に手伝ってもらえるか聞いてみるからちょっと待ってて」

 彼はすぐに私の分の仕事を自分や他の人に振ってくれたから、ギリギリ間に合いそうな時間に退勤できた。
 良かったぁとため息混じりに呟く彼の方が嬉しそうな顔をしていた。


 同じタイミングで電車に乗ったから久しぶりに途中まで一緒の帰り道。

 しかし別方向に分かれるはずの繁華街の駅で“車両点検により運転見合わせ”のアナウンスが流れていた。それは千秋さんが乗るはずだった路線だった。
 戸惑う私に気付いた彼が微笑んで言った。

「どうしてトマリさんが心配そうにしてるの。ホラ、花火見るんでしょ。僕は大丈夫だから気にしないで帰って」

 でも散々手伝ってもらっておきながら自分だけ帰るのは気が引けた。
 公共交通機関のトラブルなんて私にはどうにもできない。変なところで遠慮してるのはわかっていたのだけど。

 そのとき私は閃いたんだ。
 今なら少しくらい恩を返せるんじゃないかって。

 千秋さんだって多忙な日々が続いていて、きっと息抜きも足りていないだろうと思った。綺麗な光景の一つくらい共有できたら。
 そんな考えに駆り立てられ、身体が勝手に動いていた。立ち去ろうとする彼を素早く引き留めて言った。

「千秋さんも見ていきませんか」

「えっ、僕も?」

「花火好きですか」

「好きだよ……あっ、花火ね」

「良かった!」

「花火のことだからね」

「小規模だけど綺麗ですよ。気分転換になるかも知れません。私の最寄駅、ここからたった二駅なんです」

「そうなんだ……って、ちょっと待って! 花火が見れるのってトマリさんちのベランダからなんだよね? その、さすがに僕、室内まではついていけないよ」

「さすがに私だって自室に案内するつもりはありません。もう一つ穴場があるんです!」


 その後どうやって彼を連れて行ったのかはよく覚えていないのだ。何せ花火のことで頭がいっぱいになっていたから。

 気が付くと最寄駅に着いていて、すでにドォン、ドォンと、遠くの夜空で重厚な音が響いていた。
 私は彼の手を引いて小走り程度に歩調を早めた。

「こっちです!」

「トマリさん……」

「時間的にまだ始まったばかりだと思います。そこを曲がったところにある小さな橋からよく見えるんですよ」

「うん……ありがとう」

 このときの千秋さんの声はなんだか聞こえづらかった。花火の音がしていたせいだろうか。

 穴場である橋の上に着いた。住宅街の間にある人気ひとけのない場所だ。
 一軒家がいくつか立っているけれど、そこの住人なら二階から見れるだろうし、お祭りに行っているパターンかも知れない。だからなのかここはいつもいているのだ。

「ねぇ、トマリさん。こんな人気ひとけのないところに僕を連れてきて……」

「はい?」

「あ、いや。よく一人で来るのかなって。夜中に女性が歩くにはちょっと危ない気がするんだけど」

「まさか。千秋さんがいるからですよ。いつもはもっと人通りのある道を選びます」

「そっか」

「穴場だって知ってたのは、前に肇く……彼氏が気付いたからなんですよ。ここからでもよく見えそうだねって。それでいつか来てみたかったんです」

「彼氏さん、か。そうだよね」

 なんだろう。千秋さんがさっきから元気がないように見えるのだが。もしかして迷惑だったのでは。

 不安になったのは束の間のことだった。

 ドン、と突き上げるような音が地面にまで響き渡る。
 金色の筋が高く高く、思った以上に高く伸びていくのを目の当たりにしたら、私はつい気持ちが 昂たかぶってしまって。

「また上がった! 今度のは大きいですよ」

「あっ、トマリさん! そんなに身を乗り出したら危ないよ! 下は川なんだから」

「大丈夫ですよ。手すりしっかりしてますし高さもそんなにないですから」

「そういう油断は駄目だって」

「じゃあ千秋さん支えてて下さい。私、背が低いから見えにくいんです」

「えっ、僕が!? 君を!?」

「そうです。お願いします」

 きっと凄い早口でやりとりしたんだろう。けれど体感としてはなんだか時間の流れが普段とは違う気がした。

「じゃ、じゃあ掴むよ!? 肩!」

 彼の両手が後ろから私を支える。ちょうどそのとき大輪の花が夜空に咲いた。

 金色に輝く花びらはやがてこうべを垂れるようにして流れ落ちていく。思った通り、しだれ柳だ。

 そしてなんだっけ、この感じ。横文字で……
 そう、デジャヴ。

 たまらない懐かしさを覚えた。これに似たものをいつか何処かで見たような気がするのだけどハッキリとは思い出せない。
 思い出せないんだけどイメージだけなら言葉にできる。


 それはまるで光のシャワーのようだった。色は違っていたけどキラキラしてて。
 立ち尽くす私たちの身に今にも降り注いできそう、でも実際はあまりにも高くて指先一つ届かない。

 甘い香りにくらりとした。だからお互いを支え合うみたいに手を繋いで一緒に見上げた。あの頃はまだ同じくらいの目線。

 もう大きくなっているのだろうな。私よりもずっと。遠い場所で何をしているかわからなくてもどうか幸せであってほしい。


 “ダニエル……ごめんなさい”


 その名前と詫びの言葉が自然と頭に浮かんだ。

 ピクッと一瞬、私の肩を掴む手が動いた気がした。私、もしや声に出していたか?

 少し気になったものの、例え後ろの彼に聞こえていたって知らない人物の名前なのだから特に問題はないと思った。

「綺麗ですね、千秋さん」

 平静を取り戻そうという意味もあって、普段通りに話しかける。

「うん、そうだね。とても綺麗だ」

「ですよね」

目眩めまいがするほど眩しくて」

「はい」

「……息ができない」

「変わった感想ですね」

 千秋さんは独特の感性をしていると認識していたけど、ここまで不思議な言葉を連発してくるとは少しばかり驚いた。
 なんだかこちらまで、ふわ、とあなたの香りに取り込まれるような錯覚を覚えたではないか。

 しかし私はやがてあることに気が付く。

 待てよ。目眩めまいだとか息ができないだとか、もしかして体調が悪いのではないか。

「千秋さ……」

 素早く振り返った私は息を飲んだ。

 彼も素早く手の甲で口元を覆った。その白い頬をポロポロと透明な粒が伝っていた。
 幾つも、幾つも、みるみる溢れてくる。儚い流星群みたいに。





 気まずそうに私から視線を逸らす。でも涙は止まってない。

 ドン、バチバチバチと、背後でまた花が咲いたとき、その明かりで彼の顔が熱を帯びているのがわかった。よく見ると震えてるし額に汗も滲んでる。大変だ!
 私は血の気が引く思いだった。

「千秋さん!? 大丈夫ですか! やっぱり体調が悪いんですね!?」

「いや、そうじゃなくて……」

「吐き気があるんですか。顔も赤いです。熱っぽくないですか。すみません、私気付かなくて……!」

「本当に、そうじゃなくて」

 彼が手のひらをこちらに向けて私を制した。
 そんなこと言ったって。涙で湿ったままのそこに見入る。

 取り出したハンカチでぎゅっと一回目元を拭った千秋さんは、苦笑を浮かべて私に言った。

「地元の花火大会を思い出しちゃって、つい」

「地元の」

「そう。懐かしい気分になってつい」

「……感動の涙ってことですか?」

「そう、だね! 心配かけてごめん。最近涙腺が緩くて困るよ。歳かなぁ」

 歳かなぁってまだ二十八歳じゃないか。それにしても故郷を思って泣くなんて感受性の豊かな人なんだなと思った。

「何処かで休憩していきますか」

「トマリさん、だからその言い方……」

「何か変でしたか?」

「あっ、トマリさん見て! また大きいのが上がったよ!」

 彼が私の後ろの空を指差した。ヒューと細い音が続いている。
 私は再び、大輪の花を眺める姿勢をとった。

 しかし千秋さんは意外と心配性なのだな。私はもう身を乗り出したりなどしていないのに、先程と同じように肩を支えてくれている。
 いや、これは振り向いてほしくないからなのか。
 わからなくはない。感動の涙は美しいけれど、流している本人は照れくさかったりするものだからな。

「トマリ、謝らないで」

 そういえば。
 なんか急に呼び捨てにされた。

 でも私はよほど変な呼び名でもない限り特に抵抗感はないから、これにもちょっと驚いた程度だ。

 次から次へと打ち上げられる花火がまたすぐに私を魅了する。
 正直、あまり後ろを気にかける余裕はなかった。でも目の前に意識を持っていかれている最中さなかも、温かみのある安心感が続いていたのを覚えている。

 優しい時間だったと思ってる。なんとなく千秋さんが微笑んでいるような気がしたから。





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 ※花火は安全な姿勢で見ましょう。約束ですよ~!

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