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第2章/記憶を辿って(Tomari Katsuragi)
40.あなたの力になりたい(☆)
しおりを挟むその後私は肇くんと一緒に食事に行った。だけど味は感じられなかった。なんの料理だったかも覚えてないんだ。
食後は肇くんの部屋に行って二人きりで過ごしたけれど、彼は私に乱暴なことなんてしなかった。元よりそんな人じゃないことはわかっていたが、怒られもしないのはどうなんだろうとモヤモヤしていた。結局原因がわからないからだ。
恐怖心は次第に和らいでいったものの、うっすらと残り続けていたのも事実だ。
……なぁ和希。ちょっと聞いてくれるか。
去年の出来事を振り返っているはずなのに、何故かいま子どもの頃のことを思い出したんだ。
――気をつけるのはそっちでしょ! 勝手に走ってきてぶつかりそうになったくせに!――
――謝りなよ、トマリちゃん。危なかったんだから――
――もうどいてよ、邪魔っ!――
小二のとき、本格的に気付いた。私が何か喋ると、あるいは何か行動を起こすと、目の前の相手が急に怒り出すことがある。周囲もそれに同意を示した。
確かに私は適切でない発言をしてしまうことがあった。あのときだって学校の廊下でぶつかりそうになった相手を気遣いたかったのに、頭がパニックになって「気をつけてね」と言ってしまったんだ。
単なる言い間違いだったんだ。あんなに 顰蹙を買うとは思わなかった。
原因がわかっていても不明でも、悪気なく相手の怒りのスイッチを押してしまう点は同じ。
そうだ、私……あの件がキッカケで同級生たちから無視されて、それで学校行くのが怖くなってしまったんだ。
いつの季節かも忘れていたけど、こうして語っているうちに思い出してきたよ、和希。
そう、あれはダニエルが日本にやってくる少し前。
……ということは、春だったんだ。
横道に逸れてすまない。いま話を戻す。
ここから先は、波乱の夜をなんとか越えた翌日のことだ。
普段より早く目を覚ました私は、ベッドの上でそっと身体をよじり枕元のスマホに手を伸ばした。
そっと振り返る。彼がまだ寝息を立てていることを確認した。メッセージアプリのトークを辿ってみた。
肇くんは私のスマホのパスコードを知ってる。もう何年も前に、隠しごとは嫌だからという彼の希望に従ってお互いのを教え合った。私も特に抵抗はなかった。
それがまさかこんなことになるとは。千秋さんのことだってスマホを見て知った可能性も考えられる。
でも今回はおそらく大丈夫、見られた形跡はなさそうだ。
私は身体を彼の方へ向けたまま素早く一つのメッセージを打ち込み、速攻で送信した。
『朝早くに申し訳ございません。時間のあるときで良いので電話させてもらっても宜しいですか?』
まだ朝の七時頃。そんなすぐに返信が来るとも思えない。だから一か八かの賭けでもあった。
そんなときに運命が味方をしてくれたような気がしたんだ。
『今話せます。こちらからかけましょうか。それとも待っていた方がいいですか』
私がメッセージを送ってからまだ数分しか経っていない。正直驚いてはいたけれど細かいことを気にしている時間はなかった。
もつれる手つきで『待っていて下さい』となんとか入力した。
「肇くん」
「……ん……」
「肇くん、煙草を買ってくる。ちょっと待っていてほしい」
まだベッドにいる彼は寝ぼけ眼のまま、こく、と小さく頷いた。
私は合鍵を持って部屋を後にした。
着替えをしっかり済ませ、バッグも持って、部屋のドア付近で彼に声をかけるなんてズルいのはわかってる。
でも彼の狙いに気付いてしまった以上、何も行動しない訳にもいかない。
いくら流されやすいったって、今回は駄目だ。絶対に譲れないんだ、こればっかりは。
早足で駅前を目指す。あえて人の多いところへ。
空は秋口らしく冷たげで、頬をかすめる微風もひんやり冴えたものだった。
煙草のヤニっぽいにおいがしてきた。現代となっては数少なくなってきた駅前の喫煙ブースだ。うちの最寄り駅にはないけれど肇くんちの最寄り駅にはある。それが今回は幸いとなった。
出勤前の一服をする沢山の人々の中に私は紛れ、スマホを取り出すと目的の連絡先に向けて発信する。
繋がるまで時間がかかったものだから少し焦ったけれど、やがてはちゃんと通じて私はこっそり安堵のため息を零した。
『桂木さん、話は千秋くんから聞いたわ。大丈夫?』
「はい、ご迷惑をおかけして申し訳ありませ……」
『それなら“ご心配”と言ってほしいところだわ。私が何故あなたのメッセージにすぐ返信できたかわかる? 万が一、酷いことをされていたらと思うと気が気じゃなかったからよ』
「相原店長……」
彼女らしい淡々とした話し口調、それでも普段に比べたら余裕を欠いているのが伝わってくる。
私はたった今言われたことを噛み砕いてみる。
酷いこと。つまり肇くんから暴力的な何かをされていないかということだろう。相原店長はそこまで想像してしまっていたのか。
全力で否定したいのに、そんな事実はなかったはずなのに、傷付いている自分が殻の内側でまだ震えているようだった。
『桂木さん、あなたにとっては大事な恋人なんでしょうけど、ただの痴話喧嘩に見えたのなら千秋くんだって本気で怒ったりしなかったと思うの。彼は冷静な判断力の持ち主だから本当に珍しいことなのよ』
相原店長の言葉が優しい追い討ちをかける。グッと込み上げてくるものがあった。
肇くん。
……肇くん、すまない。
今は自分の気持ちに素直になりたい。君の元を離れたりなどしないから。
恋人である彼に思いを馳せた後は、一人でこくりと頷いた。それはまるで全く違う景色へ切り替わるスイッチのようだった。
春から夏へ移り変わる過程で目にした忘れられない光景の数々。綺麗なものから生々しいものまで。
そのとき変わらずに近くにいてくれた温かい気配。それだけで鈍いはずの私の感覚は鮮明になった。色も、音も、味も、感触も。
思い出が駆け巡るとおのずと喉が震えてしまった。
「千秋さんは……っ、何故か私のために怒ってしまうんです。スカウトマンのときも一度だけ」
『桂木さん、それは……』
「なので私が怒らせているようなものなんです」
『違うわ。それは間違いなく……いえ、私の口から言うことじゃないわね』
なんとなく今、相原店長が苦笑したような気がした。
何を言いたかったんだろう。気になるところではあるのだが、今は先を急がなければならなかった。
「それで相原店長、図々しいのは承知の上でお願いしたいことがございます」
『奇遇ね。私も提案があるの。じゃあまずは桂木さんから話してくれる?』
はい、と答えた後、私はなるべく手短かに伝えたつもりだ。
副流煙を煙たいと思ったのはどれくらいぶりだろう。通話を終えた後、そんなことをぼんやりと考えていた。
しかし私も喫煙者。美味しいと思っている訳ではなくてもとりあえず火をつけてしまうもの。
カチ、とライターが短く鳴る。
細く煙を吐き出してみる。同じようにしている人々を眺めていると妙に気持ちが落ち着いた。
私は今、風景にすぎない。誰も私のことなど気にしていない。そんな安心感。都会に出てきて間もないときの感覚に似ている。
田舎と違って悪目立ちしないで済む。そんでカメレオンみたいに上手く馴染んで生きていけると思ったんだけどな。甘かったのかな。きっとそうなのだろうな、山崎さんにも“甘ちゃん”って言われてしまったし……。
――トマリ!
人混みの中でもその声は一直線に私へ届いた。
昨夜、迎えに来てくれたときと同じ爽やかな声色。でも表情は少し不安気だった。息も切らしてる。まるで迷子になった少年みたいに。
部屋着にオーバーサイズのブルゾンを羽織っただけの格好。サラサラの髪には寝癖がついてる。なんて無防備なんだ。
私は携帯灰皿にまだ長い煙草を押し付ける。折り畳むようにして無理矢理フタを閉じた。
真っ直ぐ彼を見つめて笑った。
「待たせてすまない、肇くん。どうしても一本吸いたくなってしまったのだよ」
「程々にしなよ。トマリにはもっと身体を大切にしてほしい」
「すまない」
「謝り過ぎ。部屋に戻ろう? 身体が冷えちゃうよ」
「ああ、今行く」
苦笑する彼に近付き、そっと寄り添った。
肇くん、私はまた一つズルくなってしまったよ。声にならない呟きを吐息に変えて紛らわす。
正直でいたくたってそうもいかないときもあるんだと歳を重ねるほどに実感する。こんなのを“大人になる”っていうんだろうか。だとしたら少し虚しいな。
肇くんと手を繋いで元の道を歩く途中、いくつか言葉を交わした。互いに目を合わせないまま。
「ねぇトマリ。俺はトマリに対しては怒ってないんだよ、本当に」
「うん」
「トマリのことは信じてるから」
「ありがとう」
「でも親切にしてくれてる上司ってのが男なのは教えてほしかった」
「……っ! それを気にしていたのか」
「そりゃ気にするでしょ、普通は」
「そうか……でもあの人は男性である以前に上司だから」
「何言ってるの。逆だよ。上司である以前に男なんだよ」
そこで肇くんが足を止めた。身体ごとこちらを向いた。
真っ直ぐな視線を感じる。これはなんの高鳴りだろう。
そして見つめ返したら最後、たまらなく息が苦しくなるのだ。
繋いだままの手の温かさ。私はもうずっと前から知っている。
一緒に食事をしたり、日用品の買い物へ行ったり、抱き締め合ったりキスしたり、それ以上のことも、大切な時間は全部この人と共有してきた。
だけど今日私は、そんな彼の目を盗んで千秋さんの誤解を解くために手を打っていた。
千秋さんとの間にどんな感情が芽生えても、深い意味なんてないと思ってた。今だってハッキリしない部分の方が多い。
でも確実に言えるのは、私の中であの人の存在が大きくなり過ぎたことなんだ。
その結果が昨夜の騒動だ。このままじゃ誰も幸せになれやしない。
だから私も一つ、決意を固めたんだよ。
「トマリ……?」
不安げな彼に私は告げた。
「あの職場を辞めるよ。別のところを探す」
さすがの肇くんも「えっ」と驚きの声を上げた。
その後のおずおずとした目つきは、小柄な私にも上目遣いに見えたほどしおらしかった。
「トマリ……いいの?」
そう言いながらも繋がったままの手に力を込める彼。私は頷いた。
実のところこれは相原店長にも言ってない。でも。
「ああ、もう迷いはない。だが一つお願いがあるんだ」
「なに?」
「アパレルの仕事は続けたい。駄目……だろうか」
「……しょうがないな。トマリはモテるんだから気を付けてよ」
「モテはしないが気を付ける」
「よく言うよ」
彼は細く長い息を吐き出してから、私を一気にその腕の中へ引き込んだ。
閑静な住宅街……とは言えども、誰かしら通りそうな気はするのだが、彼はそれどころじゃないらしい。
ぎゅうと苦しいくらいに締め付けてくる。苦しそうな声で囁く。
「何かあったらすぐに相談してね。どんな話でも聞くから。トマリのことは俺が絶対守るから、何度でも」
守る。そうだな、君にとってはそうだったのだな。
大丈夫だ。それはもう。
千秋さんほどの上司なんてこの先もきっと現れない。
でもその方がいいんだ。変に期待したり甘えたりしなくて済むから。
実際、社会人はドライなくらいでちょうど良いじゃないか。もう覚えたよ。
強さを増した冷たい秋風が、私たちに容赦なく吹き付ける。私たちは温め合う。部屋に戻ってもそうするだろう。
目の前の相手だけを見れば良いとでも言うように。
「肇くん、ありがとう」
千秋さん。
私があなたの力になれるとしたら、きっともうこれくらいなんです。
そして今日は無駄な期待を手離すのにちょうど良い日なのでしょう。
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